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4月28日

「ポケモンの秘密」
 ポケモンビジネス研究会/小学館文庫

 小学館文庫は目のつけどころが良いというか、研究本で面白いのものが多いです。
 この本はポケモンを商業的な視点で解説したもので、ゲームボーイのソフトであったポケットモンスターが現在のような大ヒット商品になるまでの過程を追ってます。
 僕自身はしばらくの間、あまりポケモンに興味はなかったんですが、数あるポケモン関連の商品などを目にするうちに興味を持っていきました。まあ、まさにメーカーの戦略に乗せられているわけですが、本当にはやるものというのは利益だけでなく消費者のことを考えつくした結果から出てくるわけで、こういうものを読むと「商売がうまい」という事が尊敬に値すると感じます。
 まあ、この手の本に関しては細かく解説、評論しても意味がないので短いですがこんなところ(笑)


4月21日

「死国」
 板東眞砂子/角川ホラー文庫

 映画「死国」の原作です。
 前に映画の方の紹介をしましたが、元々原作の評判を聞いていて、それで見に行ったんです。角川映画はあまり信用していないので原作を読んでから映画を見たらがっかりするだろうと思い、原作を後回しにしたのですがやはり正解。
 映画の方は映像の美しさ以外、特に見るところのない映画でしたが、原作は想像以上に面白かったです。
 物語は、恋人との関係に疲れた主人公の比奈子が、一時期、故郷の矢狗村に戻ってくるところから始まります。
 かつての親友、莎代里の死を知らされ、時間の流れに驚愕する比奈子。そんな中で再会した幼なじみの文也と恋に落ち、矢狗村での暮らしを思い描くのですが、だんだんと奇妙な事が起き始めます。
 気が触れてしまった莎代里の母、照子やどこからともなく比奈子を見つめる視線。
 照子は、死んだ人間を生き返らせる儀式、逆打ちを行って莎代里を蘇らせようと試みているのです。
 四国はかつて、死者の国、死国であった。
 お遍路はそんな死者を封じ、結界を張るための儀式で、それを逆に回ることによって結界を壊してしまうのが逆打ちなのです。
 死者を蘇らせようという照子の執念も凄まじければ、若いうちに死んでしまった莎代里の恨み、生に対する執念も恐ろしいのです。
 さて、疲れをいやすために故郷へ帰るというのは物語としてよくあるものなのですが、そこで出会ったものに心が癒されるとは限りません。
 まして、比奈子の帰った場所は土俗の神が息づく土地なのです。映画では幻想の世界としての村が描かれていましたが、原作は村の人間関係をリアルに描き、現実と幻想の入り交じったものになっています。
 文也への想いを生き返ってまで遂げようとした莎代里。一見、美しくもあるかも知れませんが、死者に魅入られてしまった者はやはり助かりません。
 生きている人間は醜くくとも生き続けなければならない。そんなメッセージがこの小説には込められているのかも知れません。


4月19日

 本の紹介
「球形の季節」
 恩田陸/新潮社

 「六番目の小夜子」が学校の伝説をベースにした怪談だったのに対し、こちらは都市伝説の話。
 事件の発端は田舎の街に流れる噂。
「5月17日、遠藤という子を宇宙人がさらいに来る」
 街全体の子供が知るこの噂を調査するのは「歴史地理文化研究会」のメンバーたち。
 噂の発端は何なのか、どういう意味があって流れたのか。アンケートを集め、噂の発信源を追ううちに、遠藤という子が神隠しにあってしまいます。
 「噂」が事実になったのか、それとも起こる事件を誰かが知っていたのか?
 「地歴研」の面々は自分たちの追っていた「噂」の恐ろしさに恐怖します。
 部隊となる地方の田舎町、谷津はごく平和なところです。しかしながら、表に出ない何かを古い大人達は知っているのです。ある意味、この話はそういった古いものに対する子供の挑戦なのかも知れません。
 「六番目の小夜子」と同様、この物語には決まった主人公がいません。多くの登場人物の視点で、それぞれが知っていることだけを描いていきます。全貌が見えるのは読者だけです。
 さて、この物語の冒頭に坂井みのりという女の子が出てきます。特に頭が切れるキャラクターと言うわけでもなく、うわさの追求にも熱心ではないのであまり物語の中心には来ないのですが、街が好きでその日その日を楽しく生きている普通の女の子です。
 読み終わった後には、この子がとても魅力的に見えるのです。背伸びをしたり、飛び上がったりしなくても、自然に大人になっていく。そんなことが素敵に思えます。


4月15日

 本の紹介。
「数奇にして模型」
 森博嗣/講談社ノベルズ

 おなじみ、犀川創平シリーズです。
 模型交換会で起こった首切り殺人と、近くの大学で扼殺された女子大学生。
 二つの事件の容疑者は同一人物だった。
 捜査が進むにつれて浮かび上がる様々な矛盾点。果たして、犯人の意図は?
 ……というのが今回の事件。大学助教授、犀川創平と推理趣味のお嬢様、西之園萌絵の師弟コンビと言うよりは萌絵に引きずられて犀川先生が事件に駆り出される、と言うこのシリーズですが今回は犀川創平も事件に興味を持っている様子。
 最後まで読んでから思い返せば、犀川先生が事件の行く末を危険と感じていたという事が微笑ましく思えます。理由は読んでからのお楽しみ。
 個性的な登場人物群の中に、作家である大御坊安朋を加え、ますますキャラクター同士のやりとりが面白くなっています。
 今回は模型交換会が舞台と言うことで模型に関する話がいくつか出てきます。
 模型というのは、もちろん何かを模して作ったオブジェの事なのですが、一体何を模すのか。そして、芸術との違いは何か? そんな話題がなかなか楽しいです。
 僕もプラモデルなどが好きで、昔はよく作ったものです。最近は完成品のソフトビニールフィギュアなどを買ったりもしますが、両者の楽しみは全く別なもの。模型は完成したときよりも、完成を目指して作ることが楽しいのです。そして、完全なものを作ってしまったらそれは模型でないのです。
 まあ、余計な話になりましたが、今回のキーポイントは「形にこだわる」と言うこと。
 殺人にも当てはまるべき形、というものがあるわけです。しかし、犯人が我々の常識を越えた価値観の持ち主だったら……と言うこと。やはり、安定して楽しめるシリーズでした。


4月12日

 小野不由美の「屍鬼」についてを再考してみようと思います。まだ読んでいない人は、ネタバレ注意!
 さて、屍鬼の中心となるのは人間と吸血鬼の抗争ということになるのだと思います。
 狩るべき立場である人間が狩られる立場を味わったとき、どう感じるのか?
 それがやはり、スタンダードな読み方なのではないでしょうか。
 さて、最近、屍鬼の上巻を思い返して思ったことがあるのです。それは、屍鬼の上巻で村のあらゆる事を描写している視点についてです。これは、いわゆる神の立場、作者視点によって村に入り込むためのものだと思っていたのですが、別な見方もあるなと思ったんです。
 上巻での村の描写を吸血鬼の視点として読んでみる、つまり狩り場となる村の様子を吸血鬼がうかがっていると解釈することによって「屍鬼」の新しい読み方ができるということ。最初に読んだときは狩られる人間の立場、次に読んだときは狩る吸血鬼の立場で物語を体験できます。
 人間は通常、狩る立場で生きているわけです。家畜や植物を育て、その生命を搾取することで活動しています。吸血鬼達がしているのはそれと全く同じ事なのですが、相手と意志の疎通が出来るというただ一点の違いで、異様な印象を受けてしまいます。
 読後の印象を語り合ったとき、だいたいの人となんとなく意見が違うのですが、その理由はこの視点の違いにありました。
 人間達の先頭に立って吸血鬼退治を実行する敏夫、そして人間でありながら吸血鬼に感情移入してしまう静信。この二人が二つの立場の代表となって、どちらに感情移入するかで見方が変わるでしょう。
 結局、僕は最後まで静信の立場で物語を眺めていました。僧侶である彼にして初めて、吸血鬼達が宗教に抱く恐怖を理解できる。
 それはまた、人間が潜在的に抱いている原罪の意識と同じものだと知ってしまったために彼は吸血鬼を敵と見なせなくなってしまいます。吸血鬼は人間を狩らなければ生きていけない、人間は吸血鬼を退治しなければ生き残れない。
 そのことによる対立の構図を描いたのがこの「屍鬼」なわけですが、物語の焦点はそこにないと思っています。つまり、それに関しては結論も何もなく、ただなるようになるだけで、人間として、または吸血鬼として生きている以上、何をどうすることも出来ないと思うのです。
 書かれているのは、生きるということの凄まじさ。原稿用紙三千枚は、全てそこにかけられていると考えます。
 結局、生き物はただ生きていくのだと。


4月8日

 本の紹介
「恋する伊勢物語」
 俵万智/ちくま文庫

 源氏と伊勢は2大恋愛古典と言われます。
 長編小説である源氏物語に対し、伊勢は短編集ということになるのでしょう。どちらも様々な恋愛のパターンを網羅していることに変わりないのですが、一人の人間が多くの恋愛を体験する源氏よりは、舞台や人を変えて語られる伊勢の方が僕は好きです。
 さて、この本は歌人、俵万智が伊勢物語を解説した本です。前に紹介した「かすみ草のお姉さん」でもそうでしたが、この人の解説は本当にわかりやすく、かつユーモアにあふれており、作者独特の感覚も感じられて楽しく読むことができます。
 やはり、伊勢物語を初めとする古典恋愛の魅力は短歌のやりとり。三十一文字に託された想い、それを表現するための技術、感性。
 奥が深く、いろいろな解釈があるため、何度も楽しむことが出来ます。
 また、この本は恋愛論として面白い読み物になっています。今も昔も、人の心は同じです。古典や短歌に興味がなくても、読んでみる価値はありますよ。


4月5日

 本の紹介です。
「お徒歩日記」
 宮部みゆき/新潮社

 小説新潮が時代劇特集をするときに連載されていた宮部みゆきのエッセイです。
 宮部みゆきは推理小説家として知られていますが「本所深川ふしぎ草紙」や「初ものがたり」など、江戸時代を舞台とした捕り物も書いているのです。
 さて、「お徒歩」は「おかち」と読み、ずばり歩き回ることです。
 赤穂浪士の討ち入り引き上げの道のりや江戸市中引き回しコースなどを実際に歩いてみるという企画で書かれたエッセイがこれ。
 僕ももともと時代劇ファンですし、江戸なら身近な地名ばかりですから宮部さんの歩いた場所を想像しながら楽しむことができました。だいたいどの回を読んでも書いてあるのが「地獄のような道のり」「猛暑」など、苦労話ばかり。様々な交通機関に頼っている現代人には江戸市中でもなかなかつらいようです。回によっては箱根や八丈島などにも足をのばしていて、旅心をくすぐりますし、江戸城一周などはすぐにでもしてみたいところです。読んで楽しいだけでなく、行きたくなる
1冊でした。これはお勧めです。
 読んだと言う人が増えたらお徒歩オフをやりたいです。


4月2日

 本の紹介です。
「どこにもない短編集」
 原田宗典/徳間書店

 前に「東京見聞録」で紹介した作者です。
 ユーモアと言うか、妙なセンスにあふれるエッセイで興味を持ったため、今回は小説にも挑戦することにしました。
 この短編と言うよりはショートショートといった趣が強いのですが、東京見聞録で見た明るさとは少し違い、どちらかといえば嫌な感じの怖さ、ブラックユーモアと言うよりはホラーに近い感覚です。
 この手のものが怖いのは、おそらくその因果性のなさによるものだと思っています。
 作中の人物はみな、老若男女とその行動の善悪を問わず、理不尽にも奇妙な世界に巻き込まれてしまうのです。
 おとぎ話が残酷というのは最近、よく聞く話ですがたいていはタブーに触れたために、なんらかのペナルティーを背負い込んだという話になっています。
 善良な人々はそれを聞いて畏れを抱いても自分が邪悪でない限り心配することはないわけです。しかしながら、現代のおとぎ話には恐怖から逃れる術はないのです。
 特に、我々日本人は信仰を持たないわけですからそういったものに対する恐怖は強いかも知れません。エッセイからはわからない、作者のニヒリズムのようなものを感じた一冊でした。



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