「伊集院大介の冒険」
栗本薫/講談社ノベルズ今までに読んだミステリに登場する中で、最も探偵らしいのがこの伊集院大介です。
話を聞き、その場で答えを導き出してしまうその安楽椅子探偵スタイルは、まさに探偵の王道と思っています。
さて、この作品はシリーズの中でもずいぶん古いものです。作者の語り口調や、登場人物の台詞などがなんとなく古めかしく、違和感を覚えることもしばしば。
しかしながら、伊集院大介という主人公はそんな世界に妙にマッチしています。
伊集院シリーズの中で最初に読んだ「仮面舞踏会」はずいぶん後の話で、この作品の伊集院と比べると幾分、愁いを帯びて何か一つ上に行ってしまったようになっていましたがここではまだ、少し不思議な青年に過ぎません。長く続いているシリーズだけに、登場人物もずいぶんと変わっていくようです。
次は最初の作品(だと思う)である「絃の聖域」を読んでみようと思います。
「彼らの流儀」
沢木耕太郎/朝日新聞社スポーツライター、沢木耕太郎のドキュメントです。この本に書かれているのは、言ってみれば人の生き方。
人々が、ある局面でどう感じたか、判断したか。あるいは、どのようにずっと生きてきたのか。
たった1エピソードで、題材となった人間というものが見えてきます。
作者、沢木耕太郎は昔、香港からバスや列車を乗り継いで陸路だけでヨーロッパまで行くという貧乏旅行の経験者。その話は「深夜特急」で語られています。
有名野球選手の息子、タクシーの熟練運転手。息子が海外で行方不明になった親。アメリカで警察官になった日本人……。
それぞれの特徴的な生き方には、必然的な物です。下した決断や、積んできた経験にはやはり普通にはないなにかがあるのです。
我々は、そうそう難しい局面に置かれることはないでしょう。しかし、小さな決断をするとき、この本の中に生きている人々の事が勇気をくれるかも知れません。
「猫なで日記」
田辺聖子田辺聖子のエッセイです。
前に紹介した「良かった、会えて」のように生命力、生活力のあふれる中高年向けの恋愛小説を書くだけあって、エッセイはおもしろおかしくも力強く書かれています。
この人の小説の特徴は、なんといっても大阪弁です。ほとんどのものが関西を舞台に書かれていて、プロポーズも喧嘩も全て大阪弁なのです。僕のような関東の人間にはユーモラスに感じたりもするのですが、飾らず暖かみのある大阪弁の魅力というものがわかる気もします。そんな小説を書く作者も、やはり生粋の大阪人(僕から見て)
なんとなくおかしさを憶えながらもああ、なるほどと思ってしまうような筋の通り方があるのです。
さて、エッセイは人を読むものだと思っています。僕はエッセイから入ってその人の作品を読むことがけっこうあります。この作品で最も面白かったのは作者が小説家としての立場で話をすることです。創作での苦労や笑い話、こだわりなどです。こういったものは人それぞれなので自分の参考にはあまりならないんですけどね。
肝心(?)の小説の方はまだ人生の苦節をさほど知らない我々には味わい尽くすことができないかも知れません。ですが、この人のエッセイは誰でも楽しめます。
「観用少女〜プランツドール〜」
川原由美子/朝日ソノラマ「ネムキ」に連載されている川原由美子のSF調コミックです。
美しい少女の姿をした「観用少女」はただ人の世話を受けて日々を過ごす生きた人形。
しかし、愛情を一身に受けた観用少女は他では得られない微笑みを持ち主に返します。
高価で一般人には買うことの出来ない観用少女を巡って起こる様々なドラマを描いた短編集がこの作品です。
病気の子供のために観用少女を友達として与える親。街角で見た少女に魅せられて人生を狂わせた若者。
「美しい」と言うことがそれほど人の心を動かすのか、この作品は語っています。
観用少女は何か具体的な愛情を返してくれるわけではありません。ただ、愛した分だけ美しくなる。植物も、愛情を込めて育てればきれいな花を咲かせると言います。
本当にそうなんでしょうかね?
愛情は、注いだ分だけ自分に返ってくるものなんだと僕は思っています。
「夏のレプリカ」
森博嗣/講談社ノベルズ犀川創平シリーズの第8段です。
この作品には偶数章しかありません。
そして、全作の「幻惑の死と使徒」には奇数章しかないのです。
西之園萌絵の友人である簑沢杜萌が巻き込まれた事件を追っていくことになります。
前作とこの作品は、時間的に重なっているのですが全く別な事件である二つを平行に記述すると混乱を招くため、二つに分けたとのこと。こういった遊びが森博嗣らしいです。 さて、今回はシリーズの主役、西之園萌絵と犀川創平はしばらく登場せず、杜萌の視点で事件が語られます。いつもの萌絵お嬢様節とは少し違った森博嗣ワールドが展開するので多少の違和感がありますが、後でこれが大変重要になってくるのです。
また、この作品群はいつも哲学的な命題を含んでいますが今回は「見る」と言うこと。
盲人である杜萌の兄、素生はどうやって世界をとらえていたのか。そして杜萌自身はそれをどう考えていたのか。
自分の認識するものが自分の世界ならば、世界は自分が作っているも同じなのです。
さて、この犀川シリーズはもう完結して新作「黒猫の三角形」が出ています。そちらにも期待していますが、先にあと1冊、「有限と微少のパン」を読まなければなりません。 しかし、読み切ってしまうのももったいないような……(笑)
「あなたと読む恋の歌百首」
俵万智/朝日新聞社朝日新聞、日曜版に連載されていたエッセイをまとめたものです。元々、短歌には興味があったので連載中にも読んでいました。
と、言うわけで読むのは二度目という事になるのですが懐かしいと言うよりは新鮮に感じます。短歌の面白いところは、やはり自分の解釈というものが成立することでしょう。
当時の自分と、今の自分ではずいぶん感じ方が違っていて、イマイチわからなかった解説が納得できたり、昔はとても良いと思えたものが月並みに感じたりします。
さて、このエッセイは作者の選んだ短歌を解説つきで紹介したものです。俵万智と言えば、現代歌人の代表ですが、印象深いのはやはり恋の歌。もともと、短歌はラブレターのようなものですから、恋の詩が多いのは当然かも知れません。僕自身、俵万智の持つ感性がとても好きで、「サラダ記念日」以来のファンです。
さて、掲載されたもので気に入った物をいくつか。一度だけ本当の恋がありまして
南天の実が知っておりますせつなさと淋しさの違い問うきみに
くちづけをせりこれはせつなさいつか、こんな詩が作れるようになりたいものです。
実を言うと、僕は短歌をやります。
きっかけはと言うと、中学3年の現代文の授業で俵万智をやった事で、頭にに残った五七五のリズムの心地よさを自然に反芻するようになっていました。
普段の会話の中にもこの五七五のリズムを見つけると嬉しくて、やがて自分でも短歌をひねるようになっていました。
入ったのは現代短歌からなのですが、古典も読みます。しかし、古典の短歌はあまりにすばらしく、詩が人生に密着していた当時の人々にはどうあがいても追いつけないとわかってしまうのです。ですから、僕としてはわかりやすく簡単な言葉で素直な短歌を作ることで満足しています。
さて、最近、同じように短歌を作る人と知り合いました。その人は詩も書くのですが、最近はすぐに短歌になってしまうと言うのです。なるほど、わかるような気がします。
詩もやはり、自分の感性を連ねて作るものですが、短歌よりも幅の広い表現が可能です……と、単純には思いますがそうでもありません。五七五という枷によって自分の感性を表現するとき、言葉は自然に厳選され、心地よさを約束されたリズムで出てくるのです。
しかしながら、自由詩はそのリズムから自分で作らなくてはならないのです。シンガーソングライターのようなものだと思います。
人の感性というものは、垂れ流されても決して心地の良いものではないのです。だからリズムや言い回しによって、心地よく見せなければなりません。心のない上っ面の詩からは何も感ずるものはありません、しかし何も飾らない心というものはやはり面白くもなんともないのです。
さて、どんな短歌を作っているかと言いますと……それは秘密です(笑)
「青のフェルマータ」
村山由佳/集英社村山由佳の恋愛小説です。
高校の頃、家庭の問題から声を失ってしまった主人公、里緒はオーストラリアのイルカ研究所でセラピーを受けながら生活しています。美しい海とイルカ、そしてチェロ弾きの老人、JB。彼女はそのJBに恋をし、自分の表現方法としてチェロを上達させていきます。友人のダグとアレックス、乱暴者だが魅力的なゲイリーなどとの人間関係や里緒と同様にセラピーを受ける少女、キャロル・アンの回復を通して里緒もまた、癒されていきます。
「天使の卵」でもそうであったように、村山由佳の描く感性の世界は瑞々しく、さわやかです。声を失ってしまった主人公ですが、その生活は充実し、オーストラリアの自然の中でイルカと共に生きています。
しかしながら、結局、主人公を癒すことが出来るのは自然ではなく人間なのです。
舞台設定が少々、わざとらしいような気もしてしまいますが、読んでみると緻密に書き込まれた感情表現がそれを感じさせません。
まあ、青春小説とでも言うべき作品ですので少し恥ずかしいのは仕方ないことなのかも知れませんが……(笑)