|
5月1日
書感です。
「初期のURASAWA」
浦沢直樹/小学館
定価:905円
初版:2000年6月1日
ISBN4-09-185830-9
「MONSTER」「MASTERキートン」「YAWARA!」とヒット作を飛ばしている浦沢直樹。その初期短編集です。
浦沢作品の魅力はストーリー。MASTERキートンなどは原作付きですが、それを活かせるのもやはり浦沢直樹の表現力によるものが大きいでしょう。
この短編集に収録されている作品は割とドタバタコメディという色が強いのですが、ストーリーテラーとしてのエッセンスがあちこちに隠れています。
収録作品の「唄う警官」はナンパな警官を主人公にした一話読み切りの連作シリーズ。ロック歌手を目指し、警官は腰掛けという主人公ですが、意外と正義感で、何かが起こったら解決のために一直線という設定。そんな中にも、どこか話運びに人情味があってバカっぽいと思いながらもつい引き込まれてしまいます。
民間企業でロケットを打ち上げようとする男たちの話「N・A・S・A」は後年のMASTERキートンにもよく出てくる「夢を持った男」の話。これはまだまだ荒唐無稽ですが、キートンになると一つ一つの展開リアリティが出て「ひょっとすると」と思えるように仕上がりになています。
他にもヒーロー好きスタントマンの活躍を描く「マイティボーイ」など、シリーズにしてしまっても面白そうな短編がいくつかあります。特に「N・A・S・A」は完結していないのが残念。
よく、長編を書こうとする人はまず短編を書くと言います。
この作品集に収録されたものはただ短編というだけでなく、そこから広がっていきそうな話が多く、ここから「MONSTER」などの長編につながっていくのだなと感じました。
巻末にはインタビューもあり、ほとんど作者の声がない浦沢直樹のファンには嬉しい限り。
浦沢直樹の全貌がわかる一冊でした。
5月2日
近くの芳林堂書店は、500円の買い物をするたびにポイントが貯まって、30ポイントで1000円、60ポイントで2500円のものと引き替えられるのでついつい他の本屋でなくそこを利用してしまいます。まあ、平均2ポイントずつもらったとして、一度に250円のロスがあると考えると、だいたい60ポイント貯めるのに37500円の買い物が必要。
還元額を考えると6%ですね。ビックカメラやヨドバシカメラの10%ポイント制から見ると低いですが、本って基本的に値引きがないから重宝します。ついでに言えば、貯まったときに無料で何かと引き替えられるって気持ちいいですよね。
店の戦略にはまっているとも言いますが(笑)
昨日、ポイントが60になったので早速引き替えました。
本は引き替えができないので文房具かCDを物色してみましたが、文房具で2500円分ってなかなか買わないですよね。
関数電卓の新しいのを買おうと思ったものの、文房具店では普通の電卓しかないのでCDのコーナーへ。CDはけっこう欲しいものがあるのですが、レンタルショップや図書館で借りられるので実はあんまり買いません。椎名林檎の「勝訴ストリップ」あたりかなと思ったのですが、シングルカットの曲はもう聞いてしまっているし……。
とか考えつつ見回してみると「スターウォーズ エピソード1」のサントラが目に付きました。結局、これを購入。
映画音楽は好きなのですが、たぶんこういうときでないと買わないので丁度良かったです。
さて、エピソード1はかなりの話題作ですけど、けっこう賛否両論でしたよね。僕は、とりあえず遊園地的な楽しみとして面白かったと思います。
さて、CDの中身の方ですが、あいかわらずのジョン・ウィリアムスサウンドでした。向こうのこういう映画って、クラシックベースながら、その装飾性を誇張したと言うか、とにかく派手な音楽ですよね。テンポとアクションを前面に押し出したハリウッド映画にぴったり。アメリカの音楽というとやはりこのイメージです。
ジョン・ウィリアムスは「インディ・ジョーンズ」や「スーパーマン」、「ジュラシックパーク」なども手がけていますよね。ウィリアムス曲を集めたCDを見ると、あまりに有名な映画が多いので驚きます。
日本で言えば「ゴジラ」の伊福部昭みたいなものでしょうか?
さて、エピソード1のCDの冊子に監督、ジョージ・ルーカスのコメントがありました。「スターウォーズは映像と音楽が物語を作り上げていく映画」というような事が書いてあり、確かに、と納得。この曲なしにスターウォーズは成り立ちませんね。
5月3日
今日は書感です。今さらだけど、
「MASTERキートン 9巻」
作:勝鹿北星
画:浦沢直樹
小学館ビッグコミックス・ワイド版
定価:838円
初版:1999年3月1日
ISBN4-09-185829-5
浦沢直樹と言えばやはりこの「MASTERキートン」
日本人を父に、イギリス人を母に持つヒラガ・タイチ・キートンは考古学者にしてすご腕の保険調査員。オックスフォード大学に在学中、日本人留学生と結婚し、娘も生まれながらすぐに離婚。自分を鍛え直すために軍隊へ入り、イギリス陸軍特殊空挺部隊SASに入隊し、華々しい活躍をしたが士官にならず引退。
これでもかと言うほど異色の経歴を持つこの主人公は高校生を卒業しようかという娘を持ちながらもとにかく若い。その秘密は彼の笑顔にあります。「少年のような」という表現がぴったりなその笑顔は「人生を楽しむ」ことから来ているのです。
ふと見つけた石に夢中になり、発掘現場では眼を輝かせる彼が愛するのは考古学。しかし、学会では異端とされる自分の学説を証明するために協力してくれる大学はなく、資金を貯めるために危険な保険調査員を続けています。軍隊時代の経験と考古学で培った推理力で様々な事件を解決する。彼に最も向いていると思われる職業はこちらの方なのですが、本当にやりたいのは研究なのです。
いやいや続けているはずの仕事なのに、彼は行く先々で様々な人と出会い、多くの影響を与え、そして受けています。彼にが考古学を愛しているのは、人間という生き物を愛しているからなのですね。過去を知るということは一見、後ろ向きの行動のように思えますが、人間の現在を見つめ直し、よりよい未来を考えるということでもあります。
それを証明するように、主人公は特殊な訓練を受けた軍人や近代兵器に対し、原始的な罠や武器で対抗するのです。
さて、この物語に欠かせないもう一つの要素は「家族」
キートンの父親、動物学者の平賀太平はキートンが幼いころに離婚。そんな祖父と父を見ている娘の百合子はいつも二人に対して厳しく出るしっかり者です。
別れた奥さんに対して未練を残しているキートンですが、もう一度元に戻ろうと行動に出ることはなく、その自信のなさには娘の百合子もあきれ気味です。
誰よりも楽しげに生きているキートンは父親や娘と強い結びつきがありながらも、家族というささやかな場を持てずにいるのです。
夢を追うだけの自分が嫌になって軍隊に入ったキートンは、その現実が嫌になって退役しています。
夢を捨てきれないのならば、徹底的にそれを追求するしかないのが人なのでしょう。そしてこの最終巻で、キートンはその夢と掴もうと動き出すのです。多くの人の幸せや夢を与えてきたキートンには、ここで自分の夢や幸せを掴んで欲しい。
読者は皆、彼を応援しているでしょうね。
5月4日
GW中に何かバイトをしようと思ってフロムAを探したらパソコンセットアップの仕事があったので、応募してみたんですよ。電話して、面接の予約をとってその日のうちに新宿の面接会場へ行ってみたら、なんか面接とかがなくて履歴書を回収し、連絡を待つように言われただけ。仕事の内容は銀行のシステム入れ替えと言うことでした。
本当に連絡が来るんだろうかと不安に思っていたら前日に連絡が来て、西武新宿線の花小金井まで行ってくれと言われました。なんか、最寄り駅から1時間15分とか。
おいおい、近くの支店って言っていたのに話が違うじゃないかと思いつつ、集合時間から逆算してみると6時に家を出ないとまずいんですよ。5時起き、6時出発ですね。こんな早起きっていつ以来だろうとおもいつつ、前日は思わず夜更かししてました(笑)
さて、当日は寝坊もせず、無事に起きてご飯もしっかり食べたのですが、ネクタイを結ぶのに手間取って5分遅れ。でも、しっかり集合時間前には着きました。
さて、現場に集合したらトラックが来たり、いろんな会社の人が来たりとなかなか規模が大きい。小さな支店でこれなんだったら大きなところは大変だろうという感じ。
さて、その日の予定を聞いていると、運送会社の人が「搬入後のセットアップなどはどの方に?」と質問。すると、現場責任者の人が「それはネットワーク専門の方がいらっしゃるので」と答えたんですよ。どうやら僕の事らしいです。
ちなみに、僕の抱いていたイメージというのは、パソコンを運び込んでケーブルをつなげる、という程度のものだったんですけどね。どうやら、銀行にシステムを納入する会社が、ネットワークのサポート会社に応援を頼み、そこが人材派遣会社に派遣を要請し、僕のバイト先がフロムAを募集したらしいのですが「これって詐欺じゃ?」って感じですよ。だって、面接もなにもないんです。来ていた人は「パソコンできます」って口で言ってるだけですからね。僕は偶然にも大学でそっち方面が専門なのでまだ大丈夫とは思いましたが、OSのインストールができるからと言ってできる仕事じゃないような気がします。
結局、仕事は運び込んだATM4台と銀行の業務システムをインストールしたPC5台、キャッシャー(お金を数える機械)とPIM(何の機械だか忘れた)をローカルエリアネットワークでつなぎ、その結果を代表機からNTT回線で本部に送られるように設定してテストし、通常業務が出来るような状態にすることでした。
ちなみに、いったい何をしていいのかまるでわからないという感じでしたが、マニュアルとにらめっこしながらなんとか作業をし、セットアップしていきました。組んでいるうちにだんだんといろんなことができるようになっていくのは楽しいです。が、朝の8時から初めて終わったのが23時。休憩1時間だったので14時間労働ですね。精神肉体とも疲労困憊しましたよ。
まあ、無事に終わったからいいですが、雇い先の会社はどうかという感じですね。例えば僕が設定した部分に何か問題があって問い合わせようとしても僕はサポート会社の人じゃないので連絡とりようもないでしょう。ついでに言えば、そこからバイトで入った人の大半はネットワークの知識とかないでしょうから大変だったと思います。ちなみに22時半の時点で作業の終わった支店は半分もなかったそうです。当然と言えば当然ですね。マニュアルの通りに作業すれば一応、誰でもうまくいくわけですが、マニュアルと違う部分や実際はできないことなどたくさんありますからね。
本気で思いますが、人材派遣会社とかは信用できるところを使わないとだめですね。
僕は雇われる側だからまだいいですけど。
5月5日
今日は書感です。
「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」
荒木飛呂彦/集英社ジャンプコミックス
定価:390円
初版:2000年5月6日
ISBN4-08-872866-1
長い休載を経て、ついに「ジョジョ」の第六部がスタートしました。これまで、章が変わっても巻数はそのまま続いてきたのですが、64巻となる今回の背表紙は1(64)となっていて、作者、荒木飛呂彦が今シリーズに懸ける情熱がここに現れているように思えます。
第一部、二部は仮面とエイジャの赤石を巡る冒険、第三部以降は人間の持つ特殊な能力を引き出す弓と矢を主軸に想像を超える頭脳的な戦いが繰り広げられていて、今回は第三部からの流れである「幽波紋」の流れを組んだ第六部。
さて、今回の「ストーンオーシャン」がこれまでと圧倒的に違うのは主人公が女性だということ。かつては女性を描くのが苦手と言っていた荒木飛呂彦。
しかし、第二部の主人公、女セフ・ジョースターの師匠であるリサリサは出てくる全てのキャラクターに比して圧倒的な力を持った波紋使いで、その優美で華麗な戦い方は多くのファンを魅了したでしょうし、第五部のトリッシュは主人公たちに守られるだけの存在から運命に立ち向かい、共に戦う仲間へと成長していき、重要なキャラとして位置づけられていました。
他にも、第三部や第四部では敵側として多くの女性キャラが登場。映画「ミザリィ」のようにヒステリックな女性の恐ろしさを独特の台詞と絵で描いています。
今回の主人公、空条徐倫(ジョリーン)は元不良少女。いきなり刑務所の中から始まるという衝撃のスタートで、サブタイトルも「囚人番号FE40536空条徐倫」
恋人に罪をかぶせられ、犯罪人として刑務所に入れられたジョリーンは、父親の送ってきたペンダントによって身に付けた不思議な能力を使っての脱獄を自らに誓います。しかし、謎の能力を身に付けたのはジョリーンだけではないのです。刑務所という閉鎖空間で、異様な能力を身に付けた囚人たちがいったい何をするのか。設定からすでに緊張感が漂っているところが荒木飛呂彦のすごさですね。
ジョジョは第三部まで旅をしながら様々な怪異に遭遇するというスタイルで、第五部のイタリア国内の逃亡劇でしたが、今回は第四部の一つ街という設定よりさらに狭く、異様な空間。
主人公、ジョリーンにはそこでも生きていけるだけのたくましさがありますが、今までの主人公にない女性的な繊細さを持っています。
作者の言う「聖母マリア様のような人間愛」を持った主人公になるかどうか、楽しみです。
5月6日
さて、僕は埼玉県民です。
関東以外の方には埼玉と聞くとすごい田舎だと思う人もいるようですが、うちは玄関を出てから池袋、上野まで30分。新宿、東京まで40分とけっこう便利なところに位置しています。下手に池袋や新宿が近いので、買い物などは地元でしなくなっちゃいますね。まあ、そうしていると余計、地元にデパートなどができにくくなりますが(笑)
とりあえず僕は大きな本屋があればOKです。最寄りの西川口駅前にはFESTという東武系列のビルがあって、そこにはそこそこの大きさの芳林道書店が入っているし、隣の川口駅にはビルがまるごと書泉という書籍チェーン店にになっているところがあるので不自由はしていないのですが、新宿紀伊国屋や池袋のLIBROと比べるとちょっと弱いかな。贅沢ですけど。
さて、僕は買い物や遊びに出るとき、いつも池袋や新宿に出てしまうのですが、この前は珍しく大宮へ行って来ました。
埼玉の県庁所在地は浦和ですが、街としては大宮の方が発展しています。埼玉北部の中心地ですね。ちなみに来年、大宮市、与野市、浦和市が合併して「さいたま市」になります。なんとも芸のない名前ですよね。彩の国、埼玉とか言ってるんだからまだ「彩市」の方が良かったです。京浜東北線の与野駅と大宮駅の間には「さいたま新都市」という駅が出来ていて、電車通勤や通学をする人は通学、通勤時間が延びてさぞ迷惑だろうと思います。
それはさておき、大宮で降りるのってかなり久々です。実は大したイメージを持っていなかったのですが、降りてみたらけっこういろいろあってびっくり。けっこう都会っていう感じです(笑)
Sofmapなんかもあって便利ですね。池袋や新宿にはもちろん多くの店舗がありますが、とにかく街が広いのでどこかからどこかへ移動するのに時間がかかります。必要最小限のものがコンパクトにまとまっていればそっちの方が利用はしやすいですよね、当然ながら。氷室冴子の「海がきこえる」で東京へ出た主人公が高知の便利さを言っていたのもよくわかります。
ちなみに、お昼ご飯はそのSofmapの上にある周富徳のお店で食べました。けっこう高級な感じがするのですが、値段はそれほどでもなく、1300円の飲茶セットでお腹いっぱい。
中華気分を楽しむにはいいお店でした。その後、喫茶店に入りさんざんおしゃべりした後、LOFTを無意味にうろついて夕食は駅の近くの甘味屋さんできしめん。このお店「田むら」って言うんですが、なかなか面白いんです。
食券を買って中に入ると、カウンター席の前に水が流れているんですよ。ちょうど回転寿司のような感じ。そこに、お盆がぷかぷか浮いています。席のプレート(嵐山席でした)と一緒に食券をお盆に乗せ、流すとやがてそこに料理が乗って出てくるという仕組み。面白いし、ウェイターやウェイトレスがいらないといういいアイディアですね。ちなみに、きしめんとまぜご飯、クリーム白玉あんみつのセットで1000円です。
きしめんはあっさりめの汁にやわらかい麺でとても食べやすく、えびしんじょうというのを頼んだのでえびの団子も乗っていたのですがこれもなかなかの美味。まぜごはんは少しですが季節ごとに変わるらしいです。しかしなんだったか忘れてしまいました(笑)
最後に出てきたあんみつはまたすごいボリュームで、食べ終わった後、しばらく動けませんでした。さて、店の場所なんですが、うまく説明できないです(^_^;A
まあ、わざわざ大宮まで行く人はいないでしょうし、地元の人なら知っている有名なところらしいのでいいですよね?
いつも池袋や新宿ばかりだったので、なかなか新鮮な一日を送りました。仲間内の誰かの地元で遊んでみるってのはいいかも知れないですね。
5月7日
書感です。やっと読み終わりました。
「ポオ小説全集1」
作:エドガー・アラン・ポー
訳:河野一郎他
定価:630円
初版:1974年6月28日
ISBN4-488-52201-7
推理小説の生みの親として知られるポーですが、全集の1となるこの本ではまだその兆しはなく、幻想文学の色が強くなっています。実を言うとあまり肌に合わなかったので次は「モルグ街の殺人」が入っている3を借りる予定です。
さて、このポーはかなりいろいろな引き出しを持った人らしく、一口に幻想文学と言っても、冒険有り、オカルトあり、SFに近い作品もありと内容はかなり多様。
美しい文体を駆使して幻想的な世界を描写していたかと思えば古代の哲学者を皮肉ったりと、読者的にもなかなか忙しいです。
収録されている「アッシャー家の崩壊」などは有名な作品とは思いますが、けっこう難解。病気で感覚が過敏になっていく兄と、感覚が無くなっていく妹。その二人を見つめる主人公の恐怖と悲しみを綴ったこの短編は、何度か読んでみてもすっきりしないです。
そう、このポオの短編集は全ての作品において「すっきり」感がまるでないんですね。
最近、僕はミステリを多く読んでいます。ミステリの醍醐味は多くの謎を一つ一つ解き明かして最後に結論を導くことにあありますよね?
その生みの親とも言えるポオの小説がことごとく、謎を残したまま終わるというのも興味深いです。
そもそも、文学とは結論を与えないものであるかも知れません。物語の中で様々な事件があり、人間関係があるわけですがそれを結論づけるのは作者です。頭の中から出てくる者は現実に比べてどうしても陳腐なものに思えるでしょう。特に文学者ならばそう思うはず。
解説によるとポオはまず一流のパロディストだということでしたが、ポオの作り出した推理小説というものがそもそも文学のパロディだとすればその力は極まれりというところです。
5月8日
GWも終わりましたね。
最終日の日曜はいつにもましてだらだらと過ごしてしまいました。どうやらあんまり時間があると逆に本を読まなくなるらしいです。GW明けには森博嗣の新作「夢、出逢い、魔性」が発売されるらしいのでひょっとしたらと思い、本屋へ行ってみましたがなし。代わりに島田荘司の新作がありましたが、上下巻で経済的に厳しいので見送りです。他に今、注目しているのは栗本薫の「あなたとワルツを踊りたい」です。これはストーカーもの。あと、トマス・ハリスの「ハンニバル」で「羊たちの沈黙」の続編ですね。実は「羊たち〜」を読んでいないのでそっちから読まないと。
ちなみに、アーサー・C・クラークの「失われた宇宙の旅美2001年」を買ってあるのですが図書館ものから先に片づけるので後回し。そう言えば来年はもう2001年ですね。
映画「2001年宇宙の旅」に出てきた「HAL9000」のような人工知能は未だ実現されていませんが、人型ロボットはクラークの予想よりも発展したのではないでしょうか?
SFの嫌なところは、書いてしまった後、その時代が来てしまうということでしょう。例えばハインラインの「夏への扉」は1957年に書かれたもので、物語の中は1970年。主人公はそこからさらに10年未来へ行ってしまうのですが、それでも1980年ですね。そこに書かれた未来像は現実と違いますが、ハインラインの主眼はストーリーテリングにあるので作品そのものの面白さは失われずに済んでいます。ついでに言えば、そんなに違うものではありませんでしたしね。機械をソフトウェアで動かすという発想が、すでに描かれているのは驚きです。ゆうきまさみの「機動警察パトレイバー」も舞台が1999年の東京。これはさすがに近くその時代が来ることを覚悟して書いているらしく「あり得るかも」と思えるような内容になっています。一種のパラレルワールドとして楽しめますね。
さて、21世紀が来ると言いますが、年号は変わってもそこで何かが変わるというわけではないのであんまり関係ないでしょうね。まあ、あと数十年もすると僕らは「旧世紀生まれの人間」ということになってしまいますが。
ドラえもんは22世紀からきたロボットですよね。あえて21世紀を避けた藤子不二夫はさすがかもしれません。それでも、そんなにしないうちに22世紀はこんなものだっていうような予想が立ってしまうでしょうが。
5月9日
最近はミステリを読むことが多いです。
僕はスタンダードな探偵ものミステリが好きで、ミステリを楽しむ=探偵を楽しむっていうのが強いですね。
やはり代表格はホームズやポワロですが、魅力的な探偵はいくらでもいるわけです。日本の作品では島田荘司の御手洗潔や森博嗣の犀川創平などが印象的。
バカバカしいものではこの前、TVでやっていた境正章主演の「マジシャン刑事」なんか笑えました。手品好きの刑事が手品師の起こした事件を解決するというもの。これは器用な境正章の設定を活かした一発ネタですね。手品好きが手品師の起こした事件に挑むなんて二度とないでしょう。シリーズ化はかなり厳しいですね。もっとも、TVシリーズ「ジェシカおばさんの事件簿」みたいに確率を無視してあまりに多くの事件に遭遇する人もいますし、ポワロなどは「事件がポワロを呼ぶのではなく、ポワロが事件を呼ぶのだ」とか言われていますが(笑)
さて、この前、自分でふと考えついたのが「釣り人探偵」
難事件を抱えた中年の刑事が久々に休みをもらって釣りに行き、そこで知り合った青年と親しくなって釣り船上でぽつりぽつりと事件の事を話すと青年が釣りで鍛えた深い読みでいろんな意見を披露するというパターン。もちろん釣りの最中なので突然竿が引き、中断しちゃったりします。
随所に釣りのマメ知識などを埋め込み、日本全国の釣りスポットの風景などを紹介しておけばTVシリーズにもできますね。2度目以降は、刑事が地方に捜査に出たりしてそこで偶然釣りに来ていた青年に出会うわけです。
容疑者がみんな釣り好きで、青年の企画で釣り船に乗ってその船上で推理を披露するとか、幻の魚が事件にからむとか、釣りのしかけをきっかけにトリックがわかるとかそんなネタもありです。
いや、もちろん冗談ですけどね(笑)
一時期、「太陽に吠えろ」みたいなのでバカっぽい刑事ものとか大量に考えたこともあります。
まあ、普段ろくなこと考えてませんね(^_^;A
5月10日
昨日は探偵の話を書きましたが、登場人物の魅力ってやはり大きいですよね。ストーリーの中でこそ引き立つ人物っていうのもいますけど、人物そのものだけですでに魅力を持ったキャラクターっています。
シャーロック・ホームズなどはまさにそのキャラクターで成功したパターンですよね。自身に満ちた言動と、すばらしい行動力。ホームズもので彼の一人称を「僕」にし、相棒への呼びかけを「ワトスン君」にした人の功績も大きいかも知れません。それによってちょっと気取ったイギリス風の背の高い探偵の雰囲気を絶妙に表しています、アガサ・クリスティのエルキュール・ポワロはスマートでかっこいいという探偵のイメージを覆し、お洒落で気取っているけどどこかユーモラスな人物を作り上げましたね。見事にはげ上がった卵形の頭と、きちんと手入れされた口ひげは、読んでいて想像するのが容易。
さて、探偵の話が続きましたが、僕が好きなキャラクターを挙げるとすれば池波正太郎の「鬼平犯科帳」から鬼平こと長谷川平蔵を外すことはできません。一見、人の良さそうな中年の侍なのですがその正体は泣く子も黙る火付け盗賊改め長官。
若い頃、悪の道に足を踏み入れかけたという彼は自分の捕まえた盗賊の中からこれという人物を選び出し、部下にして使っています。明るい道を歩んできただけの人間には理解する事のできない裏のルールを解し、人情をも以て盗賊と接する鬼平は部下たちにも慕われるカリスマです。
物語ではないですが、塩野七生の書くローマ法王の歴史「髪の代理人」に出てきたアレッサンドロ6世の解釈も好きです。 様々な作品で神に仕える者の筆頭でありながら堕落した人間と描かれていますが、塩野七生の解釈では政教分離を図った最初に人物で、非常に現実者であったとのこと。塩野七生という人は頭のいい人間を書くのが非常にうまいです。ここで言う頭の良さとは、現実への対応ですね。宗教者としてではばく、政治家としてみればアレッサンドロ六世の行動は先進的であるわけです。ただ、その力を自分の欲望の充足のために十分利用したことは否めませんが、そこにすらあこがれてしまう(笑)
魅力的なのは何も主役だけとは限りませんよね。今、連載中の井上雄彦「バガボンド」は吉川英治の宮本武蔵が原作ですが、そこに出てくる宝蔵院流槍術の継承者、宝蔵院胤舜は主人公の武蔵が目標とする人物ですが、相手を憎まず、純粋に戦いと好敵手を愛する僧ならではとも言えるキャラクターに強い魅力を感じます。たぶん、原作とはずいぶん違った描かれかただとは思うんですけどね。
さて、なんか単に好きなキャラクターを語るだけになってしまいましたね。魅力的な登場人物って挙げていけばきりがないです。
他はまた、そのうち。
5月11日
書感です。
「カナリヤ殺人事件」
作:ヴァン・ダイン
訳:井上勇
創元推理文庫
定価:580円
初版:1959年5月5日
ISBN4-488-10302-2
さて、ここにヴァン・ダインの生み出した名探偵、ファイロ・ヴァンスが登場します。本業は美術蒐集家。素人ピアニストとしてかなりの腕を持ち、心理学と美術に造詣の深い人物です。島田荘司のファンならば、このファイロ・ヴァンスを読んで御手洗潔を思い浮かべることは間違いありません。
ハーバード大学を卒業した彼は台詞のあちこちに様々な分野からの引用を使い、深い教養の一端を覗かせます。その皮肉な物言いと人を煙にまくような態度は多くの作中人物の反感を買うのですがこれは読者から見てももっともという感じです。
ただ、ヴァンスの友人である記録者、ヴァン・ダインは理解者を持たない孤独さ故としています。自分が簡単に理解できることを周囲がわからないといういらだち。天才のみが持つ苦悩というところでしょうか。
推理小説には割とこのような天才主義的な作品を書く人がいますね。日本人としては多用されるシェイクスピアの引用などはいささかわかりにくいものの、本国、アメリカで「推理小説の貴族階級」と評されたその文体は見事に日本語として訳されていると思われます。
ブロードウェイのスター、マーガレット・オデール(通称カナリヤ)が殺され、警察の捜査で決定的と思われた犯人はヴァンスの推理によって否定されてしまい、捜査は難航します。
いささか短絡的とも思える警察の捜査に読者も疑問は持つでしょうが、ここに出てくる警察の面々も決定的な自身が無くて「それ以外にはあり得ない」という見方をしているのが面白いですね。ヴァンスの手法というのは犯罪の手口から犯人の人物像を推理するという現代で言えばプロファイルのようなもの。
ただ、それだけでは決定力に欠けると本人が何度も言っていて、そこに作者ヴァン・ダインの推理小説家としての葛藤が見えます。作者もヴァンスと同じく皮肉屋のようで「警察は犯人がまるで機転が効かず、我々が考えるような事には気づかない人間だと思っている」など本物の警察というよりは他の推理小説に向けて言っていると思われるところが多いです。
さて、この本の最大の見せ場は終盤、4人の容疑者の中からヴァンスが犯人を絞ろうとする場面。ポーカーで勝負をし、その中からカナリヤ殺しを実行するだけの素質があるかどうかを見抜こうとするところですね。「こんなにうまくいくか?」と思うかも知れませんが、ヴァンスが何を考えているのか興味深く、引き込まれてしまいます。
この作品、言っていることが偉そうなだけにいろいろと反発も憶えますが、魅力もたっぷりです。
探偵名簿に新しい名前が加わった、というところですね。
5月12日
さて、続けてですが書感です!
「夢・出逢い・魔性」
森博嗣/講談社ノベルズ
定価:820円
初版:2000年5月5日
ISBN4-06-182127-X
森博嗣の瀬在丸紅子シリーズ第三段です。
女子大生クイズ大会に出場することになった香具山紫子、小鳥遊練無、瀬在丸紅子の三人は探偵の保呂草を加えて東京へ。
しかし、どこへ行っても「偶然」殺人に巻き込まれる彼らは今回も事件に巻き込まれる。
犯人は被害者の夢の中から現れた女なのか……?
この人の新シリーズは、短い言葉で説明するのが非常に難しいです。上のような言葉にしてしまえば、それほど特異な作品には見えないでしょう。しかし、ひとたび読み始めれば森ワールドにはまりこむこと間違いないです。通常の小説では敢えて一般的な登場人物を配し、リアクションによって探偵の特異性を際だたせるわけです。
しかし、このシリーズはレギュラー4人が皆、激しいと言って良いほどの個性の持ち主。ただ特異なわけではなく、それぞれが独自の思考を持ち、行動する生きた人間として描かれ、一人の作者が一度に考えたというのが信じがたいほどです。
文体にいつもの森ジョークを織り交ぜ、冗談か本気かを問うこと自体が愚かしく思えるこの小説ですが、切り口は恐ろしく鋭いです。読者が考えて細部までしっかり読むほど、面白いように作者の罠にはまるでしょう。
今回の舞台はテレビ局。彼らはテレビの内側に入り込むわけです。虚構を現実のように、現実を虚構のように見せるこの世界は4人組にふさわしい舞台とも思えます。その中にあって、最も特異な彼らは現実と虚構という区別すら超越してしまっているかも知れません。
恐ろしいのは、虚構や現実というのがあくまで主観に過ぎないということ。それが誰かによって作られた虚構であっても自分にとって現実であるならばそれは現実です。客観というのはお互いの主観をすりあわせるための妥協とも言えます。
森作品を読み慣れた人は、内容のあらゆる部分を疑うでしょう。しかし、それには多大なエネルギーを消費します。
それもそのはず。作者がその話を考え、執筆する何分の一かの時間しか読者は使いません。知恵比べは読者に不利です。
嘘か、本当か。虚構か現実か。
読んでいるうちに、その区別がどうでも良くなってきます。
しかし、意地悪な作者は、簡単に結論を与えてはくれないのです。読み終わった後「もしかしたら?」という疑問が残る。
それが、森ミステリの真骨頂です。
5月13日
書感です。
「嘘でもいいから殺人事件」
島田荘司/集英社
定価:476円
初版:昭和59年4月
ISBN4-08-749197-8
ミステリの中心になるのはもちろん事件ですよね。
どんな事件が起きたか。殺人事件ならば誰がどこでどんな風に殺されたか。
東京湾に浮かぶ孤島で嵐の夜にテレビ収録スタッフの一人が殺され、後に死体も消失。電話も通じない孤立した状態の中、一考の緊張は高まっていく。そこに第二の事件が……。
と、書いてしまうといかにもミステリという感じがしますが、この「嘘でもいいから殺人事件」はそんな風に一筋縄でいく作品ではありません。いい加減なやらせプロデューサー、鬱っぽい刑事、女好きの監察医など出てくる人間は妙な人ばかり。何より語り手である主人公自身が、なんとも軽い感じの雰囲気を漂わせた青年なのです。
バカっぽい会話とベタなシチュエーションで繰り広げられる事件はまさにドタバタコメディですが、起こる事件と謎解きは普通のミステリ。結局のところ、事件も謎解きも材料に過ぎなくて、味は料理の仕方次第ということですね。
島田荘司と言えば御手洗潔シリーズで有名です。様々な知識と世の中に対する皮肉を詰め込んだこのシリーズから想像される作者像はやはり斜に構えた皮肉屋なのですが「嘘でもいいから殺人事件」を読むとそれまでの作者像が覆されてしまいますね。テレビというジャンルに対する批判のような内容が書かれているものの、ここでは「そんなものじゃない?」と受け入れてしまうようなところがあります。
御手洗潔シリーズがじっくり味わうディナーとするならこちらはランチというところでしょうか。
コメディにしてミステリ、この作品を一言で表現すればそんな風になります。ミステリって作者との相性ってありますが、コメディはもっと好き嫌いが激しくなりそうな気がします。島田荘司ファンならノリには十分ついていけるでしょうが。
ベタベタなギャグ作品ですが、作者自身が楽しんで書いている雰囲気がよく伝わってきます。これはゆうきまさみあたりがコミック化すると面白いかもしれません。
5月14日
書感です。
「碑銘 ブラディ・ドール2」
北方謙三/角川文庫
定価:485円
初版:昭和62年2月25日
ISBN4-04-161206-3
ハードボイルド小説「ブラディ・ドール」シリーズ第二段です。前作の主人公、川中は殺人歴を持つ元やくざの藤木をマネージャーとして自社川中エンタープライズを成長させていた。市長をも巻き込んだ前作の抗争から2年。再び彼らの周囲がきな臭くなる。
川中の一人称であった前作に対し、今回の主人公はどこからか流れてきた若者、坂井。彼の目的は、川中と藤木の殺害。
どこか人生をわかったような前作の独白と違い、今回の主人公の見る世界にはまだまだ道の要素がたくさんあります。川中や藤木などの迫力に押され、やがては惹かれていながら、殺す相手に対する自分の感情にとまどいはなく、むしろ好きな相手だからこそ純粋に勝負したくなってしまう。裏の世界の、しかも殺しという仕事を背負った人間にそんな性質もちろん邪魔なもの。前作を読んだ人ならば誰しも川中の若い頃を想像したでしょう。
もし、どこかで道を間違えなければ陽の下でも活躍できたであろう主人公は藤木や川中とまさに同類の人間なのです。
そして逆に言えば、こういった人間は裏の世界でもその汚い部分に染まらず、自分の道を貫き通せるのです。
前回が割と川中の一人舞台だったのに対し、今回は藤木が大活躍。主人公、坂井は川中や藤木に一歩及ばないことを自覚しながらも恐れず、対等な立場に立とうとします。おそらく坂井の立場というのは、川中や藤木のあこがれる我々読者の立場に近いはず。坂井の目を通すことによって、読者は間近で彼らに接しているような感覚を得られます。
今回、少し意外だったのが、川中たちの日常が描かれていたこと。車を飛ばし、釣りをして楽しむ様子に、彼らもそういう楽しみのために生きているんだと何故かほっとしました。
彼らは皆、過去の何かをかかえて生きています。そのために虚無的な現在を過ごし、死という未来に向かうだけでは虚しいですよね。そういった人物さえ、変えてしまうのが川中の持つ魅力。
だからこそ彼の周囲には魅力的な人間が集うのでしょう。次作、肉迫にも期待大!
5月15日
僕は本の中でも、小説が一番好きです。要は空想の物語ですよね。小説をどう読むかって人それぞれでしょうが、感情移入できるかどうかっていうのは一つの分かれ目でしょうね。
僕は作者がどう考えているかとか、複線を張っているとか割とうがった見方をしてしまうので、どうも感情移入ってしにくいです。特にミステリはダメでしょうね。
さて、感情移入ってキャラクターに対する自分の投入ですよね。キャラクターの置かれている境遇や精神状態が自分に似ていたりすると入れ込みの度合いは大きいですよね。主人公との性格の違いって言うのはあまり気にならないような気がします。自分の頭の中で、主人公の思考がシミュレートできるようになれば感情移入成功というところでしょうか。
そういう麺を考えると特異な性格の主人公より、単純な主人公の方が感情移入しやすいです。主人公より多くの事を考え始めた時点でどうしてもいらだちって出てくるんですよね。なんでこの人はこれしか考えないんだ……って。
それでも、主人公が子供だったりするとそれはそれで納得できるから不思議です。要は、作者が騙してくれればそれでいいという感じかな。ちょっと言葉は悪いですけど。
感情移入は出来ると楽しいけど、あんまりはまりこむと疲れますよね。ある意味、他人の感情の起伏を擬似的に体験するわけだから当然と言えば当然です。
最近、青少年の犯罪など問題になっていますが、空想と現実の区別がつかなくなってという解釈はちょっと疑問。ゲームで残酷な表現に慣れてしまったため、現実でも人を殺せるとかいいますが、昔は昔で例えば忍者映画を見て人を殺してしまった子供だっていたでしょう、たぶん。まあ、その頃はそういうものを残酷という人がいたのでしょうね、やはり。
ゲームというのはテレビや映画と違って少し能動的なジャンルではあります。つまり、自分がアクションを起こすことによって反応が返ってくるのが楽しいわけです。ゲームの中で怪物を倒したからって現実に人を殺したくなるんでしょうか?
まあ、なる人もいるでしょう。ただ、そこで殺したくなったからと言って実際に殺すかどうかは別ですよね。そこにゲームの責任はないでしょう。
殺人衝動と言わずとも、暴力的な衝動や性衝動などは多くの人がかかえています。実際、今の日本の教育的配慮ってそういうものを起こさせないようにという場当たり的な処理ばかりで実際にそういう衝動が起こったときにどうするかってことをまるで考えてないんですよね。教科書やマニュアルに書いてないことが起こらないわけじゃないでしょう。
なんか、話が反れました。例えば本を読んでいて反社会的な人間に共感してしまったりすることもあるわけですが、だからといって自分が反社会的な人間ではないです。残酷なゲームをやったからって本人が残酷とは限らないし、戦争ものが好きだからって戦争したいわけじゃないですよね。
青少年に対して排他的なのは、そういう人間の内面がわからない「ふり」をしたいからでしょう。つまり、特殊な人間であることを強調し、自分、もしくは自分の子供とは違うということで安心したいわけです。しかし、本当ならばそういう人間の内面を理解、もしくは理解しようと言う努力が必要なんでしょうね。「理解できた」という勘違いはもっと始末に悪いかも知れませんが。
さて、次の書感は我孫子武丸の「殺戮に至る病」です。連続殺人犯の心の軌跡を追った作品。まだ読んでいませんが、かなりの問題作だそうです。作家の想像する連続殺人犯の人間像は、どんなものでしょう?
5月15日
書感です。
|