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5月16日
書感です。
「殺戮にいたる病」
我孫子武丸/講談社
定価:1400円
初版:平成4年9月25日
ISBN4-06-206110-4
この本の帯にはまず「犯人の名は蒲生稔」と大書きされています。ジャンルとしてはサイコ・ホラー。連続猟奇殺人事件の犯人とそれを追う元、警官。そして、殺人犯の家族の三人がそれぞれ一人称で登場し、事件を別々な視点から眺め、語っています。
この本は、血がダメという方には薦めしません。想像力の強い人にもお薦めしません。僕はこの本を読んでいる間、何度も気分が悪くなりました。それほどまでに克明な描写が、本当に必要なのだろうかというくらいです。
あとがきの作者の言葉を読むと、敢えてそういう書き方をしたと言うことでした。どうやら内容について触れていないようだったのでこの本をあとがきから読んだのですが、そこには案の定、1989年に起きた幼女連続殺人事件について触れられています。ただ、作者が問題にしているのはそれ自体ではなく、それによって引き起こされた数々の問題、つまり暴力描写や性描写に対する批判だそうです。結局のところ、誰もがその批判や規制について納得していない。しかし、実際はそれが当然のように声高に主張され、規制が行われたりするわけです。「悪意を込めて書いた」というこの小説に込められた怒りが、読者を直撃するでしょう。
この作品の評判は元々知っていました。気持ち悪くなるとも聞いています。
しかし、それならなんでみんな読むんだろうという疑問が生じます。そして、読み終わった今、確実に言えることが一つ、あります。
「殺戮に至る病」はミステリー小説というエンターテインメントとして一級品である、と。
社会に対する怒り、反抗を作品にぶつけても、それだけではなんの意味もありません。ただ不快をまき散らすだけの作品を放とうとする作家なんていませんよね。この作品を読む人間は誰もが現実の連続殺人事件を想像しながら読むでしょう。結末は最初に示されてもいます。物語が進行しても、先の予想はついているわけです。予定調和に向かって突き進んでいるようにしか思えません。
しかし、結末に調和はありません。帯に書かれている「大崩壊」という言葉の意味は、このときやっとわかりました。
一人称の集合、現実の記録として書かれているこの作品ですが、それを物語として構成しているのは読み手の主観なわけです。読者に錯覚させるのはミステリ小説の手法の一つではありますが、この作品は「そう読まされた」のではなく「そう読んだ」と言うべきものです。そして最後に衝撃を受け、あとがきを読んでやっと、我孫子武丸の怒りが理解できるでしょう。
5月17日
ここしばらく「ガチンコファイトクラブ」を継続して見ていたのですが昨日で最終回。知らない人のために説明しておくと
TOKIOの「ガチンコ」という番組内で、一般から応募した人たちが元プロボクサー竹原の元でプロテスト合格を目指し、練習するというもの。
まあ、ありがちと言ってしまえばありがちなのですが、これで特に面白いと思ったのはメンバーが竹原に対してかなり反抗的だったことですね。
今回選ばれたメンバーは割と不良(死語?)っぽいのが多かったんですが「おいおい、自分から応募しておいてこれはないだろう」というくらい竹原の言うことを聞かない。演出なのかとも思いましたが、だとしたらなかなかの演技力と言わざるを得ませんね。
指導側の竹原もなかなか魅力的でしたね。あまり熱血というタイプではないんですが、静かな迫力と言うか、カミソリのような切れ味を感じました。メンバーに対してもかなり容赦なかったです。
しかし考えてみれば、ボクシングって恐ろしくシンプルなスポーツです。リングの中で殴り合うだけなんですからね。
強い方が勝つ、というのも非常にシンプル。判定なんかにもつれ込むと疑問が生じることもありますが、それでもどっちが優勢かは一目瞭然の事が多いですよね。
拳一つでのし上がるというところにも魅力は大きいでしょう。「あしたのジョー」なんかもそうですが、喧嘩の強い不良がボクシングで世界に出るというストーリーはたくさんありますよね。いじめられっ子がボクシングを身に付けて……というものも多いかな。
ただ、やはりシンプルなだけに普段の鍛え方がものを言うわけです。プロボクサーの試合数などを見ても厳しいということはすぐわかりますよね。年間130試合もする野球とはわけが違います。
スポーツって体力が重要ですけど、特にボクシングは体力がなくなると攻撃はおろか防御も弱くなるのでもう大変でしょう。番組に出ていたメンバーはカメラのないところであんまり努力していないらしく、体力のなさを感じるところが多々ありました。それでも、かなりハードな練習はしていたでしょうけどね。余談ですが、先週のファイトクラブで新聞に「ファイトクラブいよいよ最終章」みたいなことが書いてあったからいつもは片手間に見ているのに、番組に集中していたんですよ。
そうしたらなんと「次回、結果発表」で今週に続いて、かなり頭に来ました。なまじ面白いだけに怒りも倍というところでしょうか(笑)
まあ、今週はプロテストの様子をきちんと見せてくれたので良かったですけどね。半分、総集編でしたが。
結果、プロテストに合格したのは4人中1名でした。終始反抗的で仲間同士でもそんなに仲良くなさそうな彼らだったのですが、最後の方ではけっこううち解けていましたし、竹原もかなり真剣に見守っていたのが印象的。
今回のファイトクラブはとにかく竹原がかっこいいので見てしまったという感じでしたね。おいしい役です。
番組では、第二回のファイトクラブメンバーを募集しているとか。今回は不良系だったので、次回はちょっと弱そうな感じの青年とか出てくるんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか?
今回が「あしたのジョー」とするなら次は「はじめの一歩」かな?(笑)
5月18日
書感です。
「失われた宇宙の旅2001」
作:アーサー・C・クラーク
訳:伊藤典夫
ハヤカワ文庫(SF)
定価:780円
初版:2000年4月30日
ISBN4-15-011308-4
みなさん、SF映画と聞いて思い浮かべるのは何でしょう?
スターウォーズ? マトリっクス?
コンピューターグラフィックの発展によってによってリアルなSF的表現が出来るようになったいます。
しかし、僕にとってSF映画と言えばは、1968年、リアルな考察に基づいて制作された「2001年宇宙の旅」です。
その原作者、アーサー・C・クラークが語る削除されたエピソードやボツになったアイディアをまとめたのが本書。
これは元々本があって、それを映画にしたものだとずっと思っていたのですが、どうやら映画の監督スタンリー・キューブリックとディスカッションを重ね、少しずつ長年に渡って作り上げられてきたものらしいです。
映画の方は木星に行くまでの困難、コンピューターHAL9000
の叛乱などに主眼が置かれた感じで、クラークが本当に描きたかった人類と多文明との出逢い、そして新しい進化に関してはあまり触れられておらず、そのテーマは映画「2010年」に持ち越されています。
人類とその創造主である高等生命、そして人類が生み出した新たな知性というのはたいへん興味深いですが、映画にするにあたってその両方が出てくると少し複雑かも。削ったのは良策だったかも知れません。
さて、本書はエッセイトいう体裁をとっているものの、大半は未発表原稿の収録に費やされています。こちらでは木星へ赴いた宇宙飛行士6人のバックグラウンドや人型だったHAL9000の前身であるソクラテス、そして古代の人類に知性を与えた宇宙人なども登場します。
改めてそういうものを読んでみると、やはり小説「2001年宇宙の旅」はたいへん完成度の高い作品であることがうかがい知れますね。つまり、削除された部分、ボツになったアイディアはは本当に不要であるということです。
映画公開当時、映画に比べると小説の方の評判はあまり良くなかったとか。映画の方がキューブリックの演出力と見事な映像美によって彩られていたのに比べ、小説の方は難解で科学的な知識も必要とします。しかし、現在はどうでしょう?
2001年はもはや未来でなく、作品の世界はもはやSFではなく単なるフィクションです。1960年代にこれだけの世界を構築したクラークの実力は計り知れないですね。科学を扱うSFは簡単に過去のものとなってしまいますが「2001年宇宙の旅」はまだまだ何十年も名作として、現実の延長として読み継がれるでしょう。
5月19日
書感です。昨日のに続いて本作の方を。
「2001年宇宙の旅」
作:アーサー・C・クラーク
訳:伊藤典夫
定価:408円
初版:1977年5月31日
ISBN4-15-010243-0
この本が1968年に書かれたということには驚くばかりです。船外活動の様子などを見ていると、なんでNASAはこのアイディアを実用化しないのだろうか、などとまで考えてしまいます。SFはもちろん、高度な科学的知識を要求されますが、何より必要なのは論理的な想像力でしょう。そういう意味で、クラークはSF作家として最高の実力を持っていると思います。
さて、物語の解説をしましょう。
月面上から発見された石版は、300万年の昔に埋められたものということが判明した。その時代、人類は月を遙かに越えて有人宇宙船を木星に送り込む技術を有していた。
人工知能HAL9000を搭載した宇宙船ディスカバリー号は木星への旅の途中、事故を起こして船長ボーマンを残し、全滅してしまう。そして彼は木星で恐るべき出来事に遭遇する。それは全人類を新たな段階へと導くきっかけとなるのだろうか?
物語の前半はドキュメンタリーと読んでも差し支えないくらい緻密に描かれています。宇宙船での生活やその計画が実行されるまでの経緯はアポロ計画の記録を思わせました。
しかし、クラークの真骨頂は後半部分にあると言えるでしょう。科学と人類の未来を語らせたらクラークの右に出る者はいません。それはいつも、普通に我々が想像する未来をはるかに越えています。夢物語と言ってしまえばそれまでなのですが、クラーク作品の魅力が緻密な設定と大胆な飛躍のギャップにあるということは間違いありません。
そもそも未来を描いておきながら、物語中ではその未来人たちすら驚愕するような事件が起きるのです。現実が彼の書く未来に追いつくことはあっても、追い越してしまうことはまずないでしょう。
地球の環境問題などが叫ばれたのはここ数年のことではありません。地球を汚さないのは無理でも、それを最小限にくい止めようとするのが目的の昨今ですが、人間の居住環境を地球から宇宙へ移そうと夢見た時代もあったわけです。現在、宇宙開発にかつてのような予算は割かれていません。それでもこういう作品を読むと、宇宙へのあこがれって感じますね。
5月20日
最近、突然雨が降ったりやんだり、寒かったり暑かったりして変な気候です。まだ梅雨入りしていないのにずいぶん雨が降るのでいつも折り畳み傘を持ち歩いています……と言っても一年中何があってもなくても折り畳み傘は持ち歩いているんですけどね。
ただ、いつも意識しないで持ち歩いているので、一度使ってしまうと次に出るときは忘れることが多いです。
僕は出かけるとき、ショルダーバッグを持っていてそこに本から何から必要なものは全部入っています。本は電車の途中で読み終わってしまうことが多いので予備のためにもう一茶積もっています、つまり常に2冊ですね。あとは通帳とか東京近郊の地図(ぴあMAP文庫です)とかですね。もう移動要塞と言っても差し支えないでしょう(嘘だけど:笑)
まあ、そのせいで割と荷物って大きいんですけど、学校にいくときにはそれなりに教科書とか必要なんでけっこうかさばります。
いつも携帯しているバッグの中に手帳を入れているのですが、僕は字が下手なうえに無計画にメモとかするのでけっこう見にくいです。メモをとったあげく後で読んでみると意味が分からない事なんてままあります。
最近、父がSHARPのザウルスの安いのを買ったのですが、あれはすごいです。日本語をペンで画面に書いていくと描くスピードと同じくらいの速度で次々文字が入力されていきます。
電子手帳の一番の利点は編集できることで、欠点と言えばやはり入力の問題なのでしょうが、使ってみた限り入力は十分な性能を持っているのでかなり実用的ですね。
しかし、Macユーザーの僕にとってはMacに十分対応していないザウルスはあんまり魅力的じゃなかったりします。
今、欲しいのはアメリカの3com社が開発したOS、Palm互換ものですね。IBMのWork Padなどが安価なので狙い目かも。
Palmの欠点は日本語入力ができないことでしょう。ワープロのローマ字変換の様にローマ字で入力して変換することになります。それでも、Macとのリンクができるし、慣れれば入力速度もかなり上がるようなのでアルバイトでお金を貯め、買おうと思っています。
しかし、思い返してみるとPalmが欲しくなったのっていろいろアルバイトをしていて予定が憶えられなくなり、手帳に書き込むようになったからなんですよね。にわとりが先か、卵が先か……変な話です。
5月21日
書感です。
「さらしなにっき」
栗本薫/ハヤカワ文庫(JA)
定価:540円
初版:1994年8月20日
ISBN4-15-030407-6
栗本薫と言えば代表作の「グインサーガ」はあまりに有名です。本書は、世界一長いというこのファンタジー小説を書いた作者の短編集です。
栗本薫はSFマガジンや小説すばるなどに時々、短編を書いていたらしいのですが、短編のアイディアを思いついてもそれを引き延ばして長編にしてみたり、40枚と言われて80枚書いたりしているうちにすっかり依頼が来なくなってしまったそうです。
収録されているものは83年から92年までの作品8本で、10年という長い期間があり、前半はシリアスなホラーやSFなのですが後半のものは少しコメディ調だったりします。これには作者の短編に対する考えの変化が現れているようです。
面白いのが、あとがきの代わりにそれぞれの短編の後に栗本薫のコメントが挿入されていることですね。
普通、あとがきは全て読み終わってからまとめて見るので最初の方の作品など印象が薄れてしまったりしますが、こうやって見るとなかなか新鮮です。ただ、作者本人も内容を憶えていなかったりするらしく「これ、面白いですよね」とか言ったりしているのが笑えます。しかしながら、本人が言うだけあってなかなか傑作です。小松左京や星新一の影響を受けているという前半の作品群ですが、しっかり栗本テイスト。少しセンチメンタルな独特の感覚が味わえます。
オチの衝撃度と言う点ではあまりインパクトのない、つまりは途中で結末を予想できる作品が多いのですが、短い枚数でストーリーテリングをする技術は見事です。そういう意味ではやはり長編向きなのかも知れませんが、やはり長編を書ける人は短編も書けるということですね。
5月22日
書感です。
「ARMS」(12巻まで)
皆川亮二/小学館
定価:486円
初版:2000年6月15日
ISBN4-09-124892-6
身体にナノマシンを埋め込まれた地上最強の生物兵器、ARMSとなった高槻涼たち4人の若者たち。彼らは自分たちの出生の秘密を追い、謎の巨大組織エグリゴリを壊滅させるためにアメリカへ渡った。受け身一方だった彼らはついに反撃を開始したが、特殊な遺伝子を持った武道の達人によって武士は植物状態に……。
と、いうのがこれまでのストーリー。
戦闘が多くの部分を占める作品だけに、次々と強大な敵が出て来るという展開を少し心配したのですが、ARMSのうまいところはあまり100%の状態で戦わせないところでしょうか。迷いや憎しみなどによって判断力が低下するばかりか、別人のように弱くなってしまう彼らは戦士として一流ではないかもしれませんが、それが逆に人としての証になっているようにも思えます。
今回は謎の日本人と遭遇し、本来自分が持っていた実力を引き出せるようになった隼人の活躍ぶりがめざましいです。生物兵器というSF的要素に、東洋武術の発想を取り入れているところが面白いです。
また、敵側であるエグリゴリの内部でもドラマが進行し、多い名謎の一部が明かされていますが、それがどうこれからの展開に通じるのはまだ不明。
毎回スケールアップしていて不安だったARMSでしたが、12巻では少し落ち着いた感があり、一息つけたというところでしょうか。
人類や地球の未来まで左右するという主人公、高槻涼のARMS「ジャバウォック」はこの巻で沈黙を守ったまま。
広げた風呂敷をどう片づけるのか、作者の実力が試されるのはこれからでしょう。
5月23日
書感です。
「ポオ小説全集3」
定価:580円
初版:1974年6月28日
著者:エドガー・アラン・ポオ
訳者:田中西二郎他
ISBN4-488-52203-3
そもそもこの小説全集を読み始めたきっかけはポオの創造した名探偵、デュパンを読みたかったからです。なので、ポオ小説全集1を読んだ後、の2を飛ばして「モルグ街の殺人」の収録されている3を読むことにしました。
C・オーギュスト・デュパンはパリ在住で、さる没落した名家の出身という設定。受け継いだ資産で細々と生活し、趣味と言えば本だけという変わり者。
しかし、その優れた「分析的知性」によって様々な事件を解決していきます。語り手であるポオの心中の質問を察して唐突にそれに答えたり、わずかな証拠を元に事件の真相を組み立てたりなどというところを読むと、シャーロック・ホームズを思い出します。コナン・ドイルがここから影響を受けたということは創造に難くありません。
本書に収録されているデュパンものは「モルグ街の殺人」と「マリー・ロジェの謎」の2編で、面白いのは両編ともデュパンが様々な新聞を読み比べてそれを評するところです。
特に「マリー・ロジェの謎」の方は実際にあった事件を元に書いたものらしいのですが、作者のポオがやはり当時起こったセンセーショナルな事件に対して同様のアプローチを試みたことが想像できます。
デュパンものの二編に限らず、今回の収録作にはエッセイのような体裁で書かれたものが多いです。下手をすると本当にドキュメントなのだと勘違いしてしまいそうなものもあります。
緻密な考察としっかりした科学知識に裏づけされた作品群の中にはSFと言ってもよいものも混じっています。
また、全集1でも思ったことですが、ポオの作品にはどういうわけか人間の死をあつかったものが目立ちます。デュパンものは二つとも殺人事件で、これも人間が与える人間の死について科学的なアプローチをしたと言えなくもないです。あとがきを読むと、ポオは作家としてより評論家、編集者としての活躍が著しかったとのこと。
物語として描く生と死は、彼のどういう心理を反映したものだったのか考えずにはいられません。
5月24日
僕は大学で小説サークルに入っています。
そもそも、文章を書いて発表するようになったのはサークルに入ったことがきっかけなんです。高校生のころに小説を書いてたのですが誰にも見せたことがなくて、フロッピーに入れてあるだけだったんですよね。
あと、大きいのはサークルに〆切があることです。
何かを書こうと思っていても、〆切がないとだらだらと日数を伸ばし、やがてやる気がなくなってしまいます。反面、〆切までにやっつけで書いてしまうという事にもなりますが。
もちろん書いたものをそのまま出すと誤字脱字やおかしなところがたくさん出てくるので編集を通します。これはサークルのメンバーみんなでやるのですが、いろいろ意見がぶつかったりして面白いです。僕としては、文章の解釈に作者と編集側で食い違いが出たら間違いなく作者の負けだと思っています。
でも、それは編集が一般読者として読んでいるということが前提。長く編集の作業をやっていると疑心暗鬼になって他人の文章に対しうがった見方をするようになったりもします。
僕はサークルで編集長をやっていたのですが、割と厳しめの事を言うので鬼とか言われていましたね。
一番困ったのは、明らかに変な文章なのにそれが変だとわからない人がいることです。その原因は実に簡単。本を読まないからなんですね。小説を書こうという人が本を読まないっていったどういうことだって思います。いや、まったく読まないわけではないんですけどね。例えばジュニア小説しか読まない人はジュニア小説も書けないです、間違いなく。
そういう人が何故書きたいかって言うと、本当は漫画を書きたいんだけど絵が描けないからだと解釈しています。ついでに言うと、文章下手だけど話はすごく面白い人って見たことないです。面白い話を書く人は話を練り込んでいるうちに、文章を何度も読み返したりするので自然に文章自身も練り込まれていくんですよね。
ちなみに、小説サークルの活動は年に一冊、小説誌を出すことと毎月会誌を作ることです。ただ、年々活動がおざなりになってきたと言うか、小説をしっかり書く人間が減ってきましたね。僕自身、サークル活動が下火なのでネットに発表の場を移したというところです。
ネットを通じて「発表する」ということが簡単になって来ましたが、ここで難しいのは編集のプロセスまで自分でやらなければならないことですね。よく誤字脱字などを指摘されています。できるだけ気をつけていますが、客観的になりきることはできないので、皆さんの意見などはとても貴重に思っていますから、これからもよろしくお願いします。
5月25日
昨日の続きの話になりますが、僕はサークルで編集長をやりつつ小説を書いていました。当然、〆切があってそこで原稿を集め、編集作業に入るわけです。しかし、〆切に間に合うよう原稿を書いてくる人って皆無でした。途中でもいいから提出するようにと言ったのですが、やはり誰も持ってこないです。
まあ、これはどう考えても「〆切が過ぎたけどまだ書き始めていない」ということなんでしょう。
サークル活動だから「また遅れたのか」というのはギャグで済むわけだし、みんなに催促されて作家気分を味わうこともできるかもしれませんが、本当なら自分が損するだけです。
年会誌だと〆切までに夏休みいっぱい、つまり約2ヶ月あるので書く時間も考える時間も十分ありますよね。
結局「〆切に何も提出しなかったら没」という事にしたら、「それでは十分な作品を書くことが出来ない」と言って降りてしまったメンバーもいました。2ヶ月猶予があって書けないのに〆切が過ぎてから一週間で書けるかと言えばもちろん無理です。プロなどにも「追いつめられないと書けない」という人がいますがそういう人はそれが許されるだけの実力があるということですね。
サークル活動というのはもちろん非営利活動だから、活動の成果というのは明確な形で出ないわけです。どれだけ充実したかということが大切なわけですが、〆切を過ぎてから徹夜で書いて2週間くらいがんばると、とても充実した気になれるのでそこで満足してしまうわけです。オリンピックは参加することに意義があると言いますが、あれだって出るために一定のラインをクリアしなければならないわけで、やったということだけで満足するならすごく簡単な事ですよね。
小説というのは個人の作業ですが、周囲にそういう人間ばっかりだったら刺激を受けることもほとんどないし、集団で活動する意味って皆無になってしまいます。
まあ、小説に限らず、自己満足で済んでしまうものってけっこうありますよね。だらだら仕事をしているから残業になってしまうのに、それでたくさん仕事したような気になってしまうとか、非効率的な勉強方法だから徹夜になるのに、それですごく勉強してるつもりになってしまうとか。そもそも、試験前の徹夜勉強って当日に頭が働かなくなる(少なくとも能力がダウンする)のでお薦めできません。
なんでこんな事を書いたかと言うと、毎日メルマガを出していて割と惰性でやってるなと思うことがあるからです。
たまに読み返すと、もっとしっかり書けるなと思いますね。
でも、そこでペースを落としたからと言って充実するかと言えばたぶんそうでもないので、とりあえずこのペースは守っていきたいと思います。
5月26日
最近始めたアルバイトの話です。
僕は今まで接客って全然やったことないんですよ。
それが今度、PC周辺機器の販売をやることになりました。
何故、そんなアルバイトを選んだかと言うと、日給が高いからっ!(笑)
これだけ高ければそんなに好きな仕事じゃなくてもいいやと思って応募してみました。よく、ビックカメラやヨドバシカメラなどの量販店なんかに行くと商品の説明をしている人がいますよね? ああいう仕事。
とりあえずPCの知識はあるし、人当たりとかもまずくはないので面接は大丈夫だろうと思い、事実通ったのですが、後で説明会とか行ったらけっこう激戦だったらしく驚きました。
今、研修中でまだお店には出ていないのですが、面倒くさいと思っていた研修もけっこう楽しんでやっています。声を出したりするのは元々好きだし、高校時代にやっていた発声練習の成果か誉められたりすると嬉しくなります。
ただ、僕は商品の説明などをきっちり真面目にすることはできるのですが、どうも淡々と説明しがちで、研修のロールプレイングとかでも明るく楽しげにお客さんと接することのできる人ってすごいなと思います。
あと、細かい配慮とかもうまい人はすごくうまいですね。
なんでもそうだけど、仕事って自分で工夫できるところをみつけていろいろできると途端に楽しくなりますね。単純作業でもそれは同じ。
増して、対人の仕事だと相手に合わせていろいろ考えながら仕事をしなければならないわけです。
まあ、こういうのって今まで接客業とかやったことある人にはごく当たり前のことなのかも知れませんけど、今まで頭で考えてわかっていたことでも実際にやってみて実感できると感動してしまいます。
あと、逆に客としての立場でそういう人に接するとき、今までとまた違う感覚になるでしょうね。
5月27日
書感です。
「鷲は舞い降りた(完全版)」
作:ジャック・ヒギンズ
訳:菊池光
ハヤカワ文庫(NV)
定価:920円
初版:1997年4月15日
ISBN4-15-040834
第二次世界大戦中、ドイツ落下傘部隊の精鋭たちが極秘のうちにイギリス東部、ノーフォークに降下した。狙いはときの大英帝国首相、ウィンストン・チャーチル。ドイツの敗色濃いその時期に、彼らは何を思い、作戦を決行したのか?
本書は名作として名高いジャック・ヒギンズの「鷲は舞い降りた」を加筆修正したもの。
主役のクルト・シュタイナ中佐はドイツ落下傘部隊の隊長。
ナチスドイツ時代のドイツ軍はとにかく悪役として描かれがちですが、ヒギンズはシュタイナを正義感を持ち、統率力のあるカリスマとして話を進めています。もちろん、作品的にナチスを支持するようなところはまるでなく、シュタイナ中佐も自分が支持していない上層部の命令に従うという矛盾に悩まされていて、ドイツ軍として戦うのもあくまで立場の問題に過ぎません。末端の兵士は戦争というものに対し誰もが疑問を持っている。そんな中でたまたま尊敬できる上司に出会ったものだけが、ただ作戦というゲームを実行するためにその持てる全てを出し尽くし、それぞれの立場で戦うのです。
シュタイナー中佐は父親がドイツ軍人だからドイツ軍で戦っているに過ぎません。母親はアメリカ人で個人的にはチャーチルを尊敬しています。副主人公、リーアム・デヴリンはIRAの兵士で大英帝国に打撃を与えるため、ドイツに組みする訳ですがやはり忠誠を誓っているわけではありません。スパイをつとめるジョウアナ・グレイも周囲では評判のレディで実際も人のいいおばさんに過ぎません。
背景の様々な人間が、結局国家や組織、そして運命にがんじがらめにされ、戦争という巨大な渦の中に巻き込まれるのです。そして、シュタイナー中佐が感じているように何かをしたからと言って何も変わらない情勢の中で、何のためということもわからず任務に臨みます。
「何のために?」という最も単純にして重要な疑問は、ここで回答を示されません。それぞれが納得したりしなかったりで、読者としても一番の疑問はそれ。しかし、読み終わって思ったのは「目的は冒険そのものにある」のではないかと言うこと。
これは冒険小説であり、冒険、つまりはエンターテインメントを求めて読んでいるわけです。困難は克服せずにいられない、絶望からは脱出せずにいられない。そんな欲求が彼らを突き動かしているのです。ヒギンズはおそらく、戦争の中に冒険を求めたのではないでしょう。戦争という環境の中だから、こんな形で冒険心を満足させようとした男たちを描こうとしたのではないでしょうか?
5月28日
よく、行間を読むって言いますよね。
文章にはストレートに書いてある情報だけでなく、いろいろな部分から読みとれる情報があるわけで、小説などでは行動や情景によって登場人物の心理描写をしてみたりするわけです。
まあ、このくらいの事は小学校の時に国語で習いますが、実際に書く方ってどのくらい狙っているのでしょうね?
情報の密度って高すぎたらうんざりするし、低すぎたらわからないわけです。その加減によって文章の印象ってずいぶん変わりますよね。一般的に素人の書く小説は会話だけで者あたりを進めようとする傾向があるそうです。「」の中に台詞を書くように()の中に独白を書いたりもするけど、実際に人は明確な文章として思考する訳じゃないので多用すると陳腐になってしまいます。
そもそも、作者の頭の中には大量の情報が詰まっています。
描写というのはあくまで氷山の一角ですよね。作者の頭の中には実際にその場にいる人物が感じるような情報がたくさん詰まっているわけです。ただし、前述したようにそれを全部書くことはできません。さらに、言葉にならないような微細なぶぶんもたくさんありますし、意識に上らないような微妙な情報もあるわけですよね。
我々が話をするとき、無意識のうちに受け手に対し、多くの情報を発信しようとしますよね。手振り身振りや表情の変化などです。
もちろん、そういったものは文章には載せられません。
しかし、微妙な加減によって、同じ量の文章に多くの情報を載せることはできるんじゃないかと思っています。スポーツなどでもまず大きな動作を練習して徐々にコンパクトにしていくわけですが、文章もできるだけ細かく描写できるように練習し、そこから徐々にシェイプアップしていくのが本来なのではないでしょうか。
そして、洗練された文章はそのコンパクトな部分から大きな動きが「見える」わけです。
つまり、行間を読ませるというのは狙ってするのではなく、文章が洗練された結果として起こる現象なのだということ。
もちろん、ある印象を与えようとして文章を工夫したりすることはありますがそれはまた別として。
描写の細かい作家っていますが、そういう人の文章を実際に見ていると本当に何から何まで書いてあるわけではないんですよね。無駄もないです。
密度の高い文章を書くのはエネルギーがいるので、それを最初から最後まで続けるのは困難です。しかし、力が抜けた状態で自然に行間を読ませるような文章が書ければいいなと思って頑張っています。
5月29日
書感です。
「肉迫 ブラディ・ドール3」
北方謙三/角川文庫
定価:520円
初版:平成2年3月25日
ISBN4-04-161208-X
北方謙三のハードボイルドシリーズ第三弾です。
アメリカで妻を殺され、全てを失った男、秋山が娘と共に日本へ帰ってきた。彼が落ち着いたのは港町、N市。妻を殺した男たちはそこで何かを起こそうとしている。マグナム、コルトパイソンを懐に、秋山は復讐を決意する。それを知りつつ傍観するのは川中エンタープライズの社長、川中良一。再びN市に銃声が木霊する……。
毎回主人公が変わるこのシリーズ。今度は復讐に燃えるアメリカ返りです。街の英雄、川中良一とその配下の男たちはあくまで第三者。たった一人の復讐劇が始まります。
今までと違い、主人公秋山には11歳の娘がいます。自分の命さえ大切ではなかった川中や藤木、沢村などの歴代登場人物との最大の違いはそこ。守るべき者を持った秋山に対し、ブラディ・ドールの面々は傍観と言いつつ世話を焼かずにいられないといった感じです。
3作目になるとシリーズの特徴が見えてきますが、この作者の話作りは非常にストレート。単純と言ってしまえばそれまでなのですが、魅力的な登場人物と北方節によって世界に引き込まれてしまえばそのまま結末まで一気に読んでしまいます。
あとがきで作者も言っていますが、このシリーズは終わらない小説なのです。高級バー「ブラディドール」に集まる男たちの生き様が川中良一というカリスマを中心に交差します。作品群はその始点を描いているだけ。一作目はあくまで藤木との、二作目は坂井との出会いであり、そこから第三作となる本作までにはやはり様々な物語が生み出されたと想像できます。
作者が書きたいのはおそらく「出会い」なのです。孤独な生き方をしていたはずの、そしてそれを好んでいたはずの人間がたまたま同種の人間と出会い、そして居着いてしまう。そんな瞬間を描いた作品群が「ブラディドール」と言えます。
一度、大事なものを失ったからこそ次は守りたいと考える秋山がブラディドールのメンバーに加わることによってこれまで見えなかった既存メンバーの一面が現れます。意外にも親心の分かる川中に驚いたりしました。次巻以降、秋山と娘の安見がどんな役割を果たすのか楽しみです。
5月30日
最近、歯医者に通っています。
しばらく歯医者って行ってないんですよ。今回、通い始める前に行ったのは中学の頃なのでもう5、6年は行ってません。
何故、通っているかと言うともちろん歯が痛いからです。
しばらくぶりでしたが、行きつけの歯医者はなにも変わっておらず、先生も昔のまま。で、こっちの口の中を見たとたんに先生が「あららららら……」と言って舌打ちするんですよ。
しかもそれっきり何も言わない。不安になりますね。
結局、あちこち軽い虫歯があったらしいです、痛くないからと言って油断してはいけないんですね。まずいのは上の奥歯で両側とも虫歯。しっかり穴が空いてしまっているとかで、そう言われてみれば冷たいものとかしみたんですよね。
さて、小さい頃、歯医者って大嫌いでした。痛いし、あの振動が嫌なんですよね。ついでに口の中にいろいろ入れられる乗っていい気分じゃないでしょう。
しかし、年齢が上がったからなのか、歯科医の技術が上がったのかあまり気にならなりませんでした。ついでにどんな作業をやっているのかいろいろ見てみたかったんですが、口の中なので見えません(笑)
ただ、治療が終わった後に鏡でその跡を見てもほとんどどこだかわかりません。歯のかけたところとかもなめらかに修正してあるんですよ。
昔だったら銀歯になっていたんでしょうか?
治療が終わった後、歯科医の先生に言われた事ですが、歯の磨き方にムラがあるとか。
僕は鏡を見ながら磨いているのですが、どうやら死角になる部分がさっぱりのようです。毎日磨いているのだから少しずつ別な部分をこすりそうなものですが、何も考えずにいると同じところばっかり磨くんですね。とりあえず今は意識して隅々まで磨くようにしているのですが、歯茎が弱いらしくて出血します。食事の度に洗面所が血だらけ……(^_^;A
それで強く磨けないってのもあるんですが、先生曰く、磨いているうちに丈夫になるので血まみれになっても磨けと言うことでした。
と、いうわけで毎日血を流しながら歯を磨いています(笑)
5月31日
道は東西南北にまっすぐ走っているわけではない、という教訓を得たのは今日の事です。当たり前なんですけどね。
家庭教師のアルバイトが自転車でいける範囲内なので、運動と交通費の節約を兼ねて電車を使わずに通っています。
新しく始めたばかりのところなのでまだルートをしっかり確保していません。だから、毎日少しずつ違う道を通って楽なお行き方を研究しています。
高校時代は埼玉県川口市の自宅から東京都豊島区池袋の学校まで自転車で行ったりしていました。電車通学で50分なのですが自転車だと45分で少しだけ早いんです。ただ、行きがずっと上り坂という悪条件ではありましたけどね。池袋は少し大きな道に出れば標識が出ているし、サンシャイン60がかなり遠くから見えるので行くときに迷わないんですよ。
ですが、家から北の方、つまり浦和、大宮の方面に行こうとすると道が入り組んでいる上に目印がないので現在位置を把握するのが難しいんです。帰りに比較的大きな道をたどって行こうとしていたのですが、どうやらゆるやかにカーブしていたらしくて南へ向かうつもりが西へ向かっていたんですよね。アルバイト先から家へはほぼ真南に進めば良いのですが、気がついたら家からだいぶ西の国道122号に出ていました。しかも、122号のどの辺だかさっぱり検討もつかず。そこから少し細い道に入ってショートカットしようとしたのがさらに失敗だったらしく、今度はただ東に向かって移動していました。
結局そこからなんとか南へ向かったのですが、また出たのが122号の手前の道路。これだったら122号沿いに進んでどこか見慣れた道まで出た方が早かったです。結局、現在位置が性格に把握できたのはアルバイト先を出てから約40分後。
ちなみに、行きは20分でそこまで着きました。気がついた場所は川口市のグリーンセンターで家から30分くらいのところです。なんで出発点より遠くなってるんだろう?
道が暗いし、坂は多いしで本当に川口市なのか? という感じで筋肉痛になるまで自転車をこぎ続けました。
人間の方向感覚なんていいかげんなものですよね。特に道のゆるやかなカーブには騙されやすいです。真面目に、コンパスでも持っていれば簡単に家まで帰れたんでしょうが(笑)
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