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6月1日

 書感です。

「電脳は自由をめざす」
 森毅/読売新聞社
 定価:1300円(本体1262円)
 初版:1996年7月22日

 この人ほど頭の柔らかい元大学教授はなかなかいないんじゃないでしょうか?
 これは、週間読売に連載されたコラムをまとめたものです。
 一編はそれほど長くないのですが、読んだ後には面白い授業を受けたような充実感があります。と、思ったらやはりあとがきに授業感覚で書いたとありました。
 青春時代を戦後の混乱の中で過ごした著者は自分の意見をしっかり持ちながらも頑固というわけでなく、かといって動かすこともできなさそうな個性を持っています。
 辛口でも甘口でもなく、うがった見方をするわけではないけど正論を言うわけでもない。言ってしまえば「これは!」と大きな感心をするようなこともないのですが、文体というかリズムが心地よく、最後まで楽しんで読むことができます。
 よく、上手な演説を聞いているとアルファ波が出て気持ちが落ち着くといいますが、ちょうどそんな感じです。
 さて、タイトルからもわかるようにこれはコンピューター時代を意識して書かれたものです。しかし単にコンピューターを絡めて書くのではなく、コンピューターというものを生み出した世代を論じるというもの。
 森毅の者の見方が心地よいのは、自分の感覚で書いているというのがはっきりしていることと、ものの見方が非常に多面的であることですね。割と字数制限のあるコラムだったと思うのですが、森毅はきれいにまとめるのがうまいです。
 各章のタイトルだけ見ると「戦時体制の終わり」とか「数字のイデオロギー」とか硬い印象を受けるのですが、森毅はそれを世間話のようにさらっと話してしまう。
 文中にある「二次元平面だけでないものの見方」というのはこういうものなだと、納得しました。そして、それをかみ砕き、ダイレクトに読者に伝える文筆家としての能力に感心します。こういう先生の授業って受けてみたいですね。

6月2日

 僕は歌って歌詞が好きじゃないとダメなんですよね。
 まあ、聞くきっかけは曲がいいかどうかなんだけど、それが残るかどうかは歌詞によります。
 一度、曲に歌詞をつけてみたいって思いますが、そもそも作曲とかする趣味がないので機会ないですね。
 詩とか短歌もけっこう好きなんですが、好き嫌いの差って大きいですね。詩とか短歌は肌に合わないと詠めないです。歌詞も同じ。短歌は自分で作ったりもしますが、詩はやったことないんですよ。どうもきれいな言葉を並べていくと寒気がするというか自分で気持ち悪くなるんですよね(笑)
 前にサークルの話をしましたが、会誌に詩を載せていいかと言うメンバーがいたので、とりあえず作品を提出してもらいました。で、読んでみた感想はと言うと、何が言いたいのかさっぱりわからないか、当たり前すぎてどうでもいいかのどちらかしかありませんでした。まあ、他の人間も同意見だったので直した方がいいと思ったのですが、どう直させればいいのか全然わからない……。
 一応、ソフトに意見を伝えたのですが「詩って読むの難しいんですよね」とこともなげに言われ、愕然としました(笑)
 文字数が少なくて済むから簡単に書いてみたとしか思えませんでしたね。
 詩も小説も伝達手段であって中身がなければ読めないことに代わりないのですが、詩は手段となる言葉の方に眼が行きがちなんだということですね。そういう人って恋人も外見で選ぶんじゃないでしょうか?
 と、余計なことを言ってみました(笑)
 話は変わりますが、前回に紹介した森毅の著作って普段考えていながら言葉になりにくい事を簡単にして見せてくれるのが魅力なんだなって思いました。作者が何を感じ、何を考えたのか、そういう部分が感じられないと面白くもないし感心もしません。伝達手段として詩は難しいものですが、ただ伝えるのではなく美しく伝えるというところがより職人的ですね。
 詩は文学の中でも特に芸術的要素が強いでしょう。芸術家ってエゴが強くて周囲を気にしないというように解されがちかも知れないですが、誰よりも職人的に伝えるということを考えないといけないんじゃないでしょうか。
 まあ、こうやって偉そうな事を言っているので詩は書いてもそうそう公表しないと思います(笑)

6月3日

「子供とお年寄りは大切に」とか「信じることは大切」とか言いますよね。まあ、これはみんなわかっている事だし、言うまでもないでしょう。
  しかし、納得できるかどうかは全然別な話。
 公然と保護される立場であることを利用して(結果的)犯罪を起こす青少年はいるわけですが、そういう人間が将来、子供を大切にするかと言えばしないでしょう。
「信じる」ということだって、そもそも疑うことがなければ成立しないわけで、疑われれば悲しいけれど全く疑われなければたがが緩んでしまうのが人間というものでしょう。
 もちろん倫理というのはあくまで規範であって、杓子定規に守る必要はないですが、そういう事は学校じゃ教えてくれませんよね。だから、一度外れてしまうとそのまま外れっぱなしで戻ってこられない人だって出てきます。倫理というものに引力があって、それが適度な強さを持っていれば外れても戻ってこられるしがんじがらめにされることもないのでしょうが。
「子供とお年寄りを大切にしなさい」ではなく「大切にすると気分がいい」とかそういう教え方できればいいのかもしれないけど、敬老センターの慰問とか保育園の子供と遊ぶとかボランティアを強制的にやらされたらどんどんイメージがマイナスになっていくこと間違いないです。それでも今は家族以外のお年寄りとか子供に接する機会って皆無なのでまだないよりいいんでしょうかね?
 さて、倫理の問題でよく思うのが浮気について。
 もちろん誰もが浮気はいけないと言うでしょう。
 でも、もし「何故?」って言われたら反論できないんですよ、なかなか。基本的に倫理って自分がやられたら嫌な事を人にしないのが基本でしょう。この場合、自分が大多数の人と同じ感覚を持っているという事が前提です。しかし、自分が浮気されても平気な人には通じないんですよね、これ。
「自分が嫌なことを人にしない」って昔は陳腐な理屈だと思っていました。しかし、今は一種のトレードだと思っています。
 自分がされたら嫌な事を社会全体で禁止してもらうわけですよね、これって。もちろん自分もしないわけです。しかし、そのルールが十分に広がったところでは自分一人がそれを破ったところでそう簡単に社会のルールは崩れないわけです。
 つまり、自分が破ること=自分の被害となりません。そこで社会的に制裁を加えるのためにそういう法律を作るわけですが、これって金銭的、肉体的、または相当に大きな精神的被害を受けない限り適用は期待できません。
 さて、話は戻ります。「浮気をしてはいけない」というのは当然として、例えば恋人以外に少し惹かれてしまった事で自己嫌悪に陥る人もいるんですよね、中には。結局のところ、それを許せるかどうかは相手にかかっているわけです。
 結局のところこれが倫理だっていう言い方できないですが、当然の事でしょうね。流動的だし、ケース・バイ・ケースになるわけですから。
 なんだかわからないですが、結論は絶対でないのでこの辺で終わりにしておきます。

6月4日

 書感です。

「ディケンズ短編集」
 作:チャールズ・ディケンズ
 訳:小池滋、石塚裕子
 岩波文庫
 定価:500円
 初版:1986年4月16日
 ISBN4-00-322287-3

「クリスマス・キャロル」などで知られるディケンズの短編集です。ディケンズは長編作家として知られていますが、やはり長編を書く人は優れた短編を書くこともできるわけです。
 とりわけこの短編群を読んで思ったのが、ディケンズは人間の心理というものをよくわかった作家で、普通に社会生活をする上では意識しない、あるいは意識したくないような自他の心理状態を細かく描写しています。
 一人称で描かれる主人公たちの独白を読むと様々な疑問が渦巻いています、例えば世に言う「誠実」という人たちの心の裏側が見えてしまう主人公の話を読んで、本当の誠実とは何なのか考えさせられたり、自ら狂人という主人公がどう読んでも普通の人間、それどころか聡明な人間にしか読めず、世間一般の認識というものがぐらついたりします。
 ポオの短編集などでも感じた作者の皮肉というものを強く感じるのですが、ディケンズの場合は単に世間に対する皮肉と言うだけでなく正しいものを追求していこうとしたときにどうしても出てくる矛盾、つまりは世の中のしくみ、人間そのものの複雑さ、あるいは単純さに対する皮肉とも思えます。
 ここに出てくる主人公の中には里親から愛されているにもかかわらずそれを「本人の満足のため」としか解釈できず、好意を持って近づいてくる人の「裏側に潜む悪意」を感じてしまうため誰も信用していません。確かに主人公の観察を一つ一つ解釈すれば、そういうようにも思えるのですが、人間には100パーセントの善意なんてなかなかないわけです。
 しかし、主人公はあくまで100パーセントの善意にこだわってしまいます。自分が何か良い行いをしたとしても、それが善意でやったなどとは絶対に言わないわけです。
 この短編を読んだとき、読者は主人公の事を不幸と思うでしょう。しかし、読み終わってから思い返してみると、本当にそうなのかという疑問が生じるかも知れません。
 あらゆる人が妥協して生きている中、主人公だけは自分にも他人にも恐ろしいまでに厳しく生きているわけです。その様子はとても誇り高く映ります。
 そうした人間の多様な側面を12辺の短編の中に表したディケンズは1800年代を生きた人ですが、2000年代となった現代でもまったくそれは変わっていません。それだからこそ受け継がれていく作品なのでしょう。

6月5日

 前に井上雄彦の「バガボンド」を紹介しました。今のバガボンドの宮本武蔵はまだ、単純に強さを追い求めるだけの血気盛んな若者に過ぎません。
 朝日新聞の日曜版には日本の美術品を紹介し、その歴史的背景と共に解説するコーナーがあるのですが、今回の絵画はその宮本武蔵の手によるものでした。天は二物を与えずと言いますが、実際は異なるジャンルにも活躍する人ってたくさんいますよね。異なるジャンルと思っても根底にはきっと共通するものがあり、両方で活躍する人はそこに必要な能力を持っているのでしょう。
 さて、宮本武蔵の手による作品は評論家によっては「達人の余技」などというレベルのものではないそうです。つまり、絵にも優れていたのではなく、絵においても達人の域に達しているということです。
 単純に考えれば剣の強さは力とスピードです。しかし、宮本武蔵のエピソードにはそれよりも精神的な部分が多く、相手の裏をかいたり真剣勝負において十分な力を発揮したりするための極意のようなものが多くあります。
 宮本武蔵のとって、全てだったのは剣の方で水墨画は剣を極めるために描いていたとの事。
 力や速さを求めるとどうしても限界があり、歳と共に力も速さも衰えていきます。それを補うためのものを絵画に求めたのだと思いますが、それはどういう要素なのでしょう?
 絵にももちろん、技術が求められますが、それだけでは決まりません。表現力、そして物を見る能力なのですね。剣というのは相手がいての勝負で、相手がなにを考えてどう動くのかを考えることが重要になっています。相手の動きに合わせて動くには反射神経が必要ですが、これも力や速さと同じく限界があります。物を見、自分が感じたように紙の上で表現するということは敵に対したのと似たものがあるかも知れません。
 ここでは宮本武蔵という達人の話をしてきましたが、何事も目的に向かって一直線に上るだけでは得られないことがあるのではないかと思います。
 剣を極める過程で絵も極めてしまうというのは、素晴らしいことではないでしょうか?
 もちろん、何をすればいいかなんてそうそうわからないでしょうが、そのためにいろいろつまみ食いしてみるのも楽しいですよね。

6月6日

 今日はTSUTAYAでいろいろCDを借りてきました。
 借りてきたのはシングルが6枚。

愛情(小柳ユキ)
Toy Soldier(Kirari)
Seacret of my heart(倉木麻衣)
桜坂(福山雅治)
Wait & See 〜リスク〜(宇多田ヒカル)
RED(Shela)

 アルバムが1枚。

カサノバ スネイク(ミッシェル・ガン・エレファント)

 さて、このラインナップを見てもどんな趣味の人なんだか全然わかりませんね(笑)
 なぜなら僕はレンタル屋に行ってなんとなく目に付いたものを適当に借りて来るからです。だいたい借りてくると「あ、これ聞いたことある」っていうのが多いですけどね。好き嫌いはあんまりないんで、歌っている人が相当に下手だったり編曲があまりにお粗末だったりしない限りは楽しめます。
 今回は友達が薦めてくれた「カサノバ スネイク」を借りに行ったついでにいろいろ借りてみました。
 こうして見てみると、ドラマや番組などで流れているものばかりですね。テレビの力がいかに大きいかわかります。
 と、言ってもラジオをほとんど聞かないのでお店でかかっている有線かテレビで流れているものを聞くことになるのかも。
「Red」にはTBSのドラマ「君がおしえてくれたこと」のエンディング曲「Love Again」が収録されていて、これ聞きたくて借りてみました。
  歌詞がなかなか好きです最初の「写真の中の二人には悲しい未来などなかった」というところからドラマの内容とは無関係に勝手に頭の中に物語を展開してしまいます。
 曲と歌詞のマッチングも良く、ドラマを見ていてもいつも頭に残る曲です。倉木麻衣の「Secret of my heart」はサビの部分の神秘的な曲調が秀逸だと思いますが、そこにいたるまでの引きがあまり強くない感じ。同じ帰国子女歌手(変なジャンル分け)である宇多田ヒカルとは何かと比較されるでしょうが、曲の出来では「Wait & See」には3歩くらい譲ってしまうのではないでしょうか。宇多田はワンパターン化するのではと思っていたけどこの最新作が僕としては一番好きです。宇多田独特のリズムは変わらないのですが、編曲などでこれまでのとはひと味違う仕上がりになっていると思います。
 Kirariの「Toy Soldier」はドラマ「Quiz」の主題歌です。
 番組は一度しか見たことないのですが、けっこう番組の内容を象徴してるっぽい(確信なし)ですね。聞いてみるとそんなに変わったものではないですが、冒頭の部分が印象に残るため突然流れるとそのまま聞いてしまうような曲です。
福山雅治の「桜坂」は素朴な感じで淡々と歌っています。平均的に良い出きで、カラオケではかなり人気が出そう。これは誰でも歌えます。手作り感覚があるところが良いですね。
 同じシングルに泉谷しげる作詞作曲の作品が入っていたのが以外でしたが、こっちはあまり気に入らなかったのでカットしました。
 小柳ゆきの「愛情」は歌唱力で勝負という感じでしょうか。 朗々と歌いあげる迫力で耳につきます。歌詞があんまり気に入らないと言うか、いかにも歌謡曲っていう感じなのが少し残念です。
 以上、珍しく音楽について欠いてみました。
 カサノバ・スネイクはこれから聞きます(笑)

6月7

 書感です。

「新版 大統領に知らせますか?」

 作:ジェフリー・アーチャー
 訳:永井淳
 新潮文庫
 定価:560円
 初版:昭和62年9月25日
 ISBN4-10-216110-4

 FBI捜査官、マーク・アンドリュースはワシントン支局が得たアメリカ大統領暗殺計画の捜査をするうちに同僚と承認を殺され、孤立してしまう。優秀ながらも実際これほどの事件に関わったことのないマークは戸惑いながらもFBI長官から直々の命を受けて事件の捜査を実行。事件の黒幕となるのは上院議員のうちの誰か。そうしているうちに本人の命も危険にさらされ……。
 この本は一度刊行されたものを元に、数年後、舞台を少しだけ未来に移し、社会情勢を反映させて書き直した作品です。
 ジェフリー・アーチャーは陰謀や詐欺などを知的ゲームとしてスリリングに、そしてユーモアを加えて書くのがうまい作家です。今作の主人公、マークもテレビや映画などで見るばりばりのFBI捜査官ではなく、スリルを求めて5年間だけ勤務しようと入局した人間。血を見れば気持ち悪くなるし、死ぬのはもちろん怖い。そして捜査中だと言うのに、証人の一人と恋に落ちてしまったりします。
 別に頭が悪いわけではないですが、捜査の重要な部分になかなか気づかなかったりと、いろんな作品に出てくる刑事や探偵には大きく劣る部分もありますが、大統領暗殺までたった数日というところまで追いつめられた人間のプレッシャーは計り知れないですからこんなものかも知れません。
 この作品の登場人物はいずれも魅力的。特に、FBI長官のタイスンなどはもう一人の主人公と言ってもいいくらい描写が多いです。新人捜査官マークを起用しつつも彼に見張り兼護衛をつけて監視したりと同時に抜け目のなさも発揮。それでいながらマークと同じように単純な事実を見逃したり感情的になってマークを怒鳴ったりといろんな面を見せてくれます。
 さて、新版となって大きく変わったのは暗殺の対象となるアメリカ大統領。旧版では実在の人物エドワード・M・ケネディを大統領とし、話題を呼んだそうですが、新版ではレーガンの次にアメリカ初の女性大統領を据えています。この大統領、フロレンティナ・ケインというのがアーチャーの「ロマノフスキの娘」の主役で、その前作「ケインとアベル」から引き継がれるアーチャーワールドの住人なのです。犯罪と破壊、陰謀の渦巻く中に輝かしい成功と未来があるこの世界は、まさにかつて言われたアメリカンドリームの象徴と言えるでしょう。
 アーチャーはストーリーテラーと言われ、この作品はまさにその実力を十分に発揮しています。全てが理詰めで進むのではなく、様々な偶発的要素が事件に絡むのですがご都合主義とは感じられず、むしろ刻々と代わりゆ状況を利用する知的さが登場人物には感じられます。そして「幸運」というのが物語の英雄には必要なのだなと思うのです。
 場面転換などで少しわかりにくい部分もありますが、上質のエンターテインメントを提供してくれるアーチャーは海外作家の中でも特におすすめ。翻訳物は苦手という方でも一読する価値がありますよ。

6月8

 友達に勧められたミシェル・ガン・エレファントの「カサノバ・スネイク」を聴きました。実を言うとこれって今まであまり聴いたことのない類の音楽なので批評するのが難しいです。
 ただ、言えるのはとても野生的、原始的なエネルギーにあふれた音楽だと言うことですね。
 粗野だけどストレートに思いをぶつけてくる彼らの音楽を聴くには、それを受け入れるだけのバイタリティがないと難しいかも知れません。そのリズムに自分を乗せられれば他の音楽にはなかなかない一体感が得られるでしょう。純粋に聴き手というのではなく、自分もその場の一員となって楽しむという感じですね。ライブ向きかも。
 最初はちょっと引き気味だったんですが、何回も聴いてくると自分もなんとなく乗れてるかなって思ってきます。
 このアルバムを聴いて、自分が音楽のどういう部分を楽しんでいるかということをいろいろ考えさせられました。僕はそもそもアルバムってあまり聴かないんですよ。いいなと思ったもののシングルを借りてきて聴くというのがほとんどです。
 どうも、アルバムってそれ全体で一曲というとらえ方をしてしまうらしいです。全体としてどういうものを構成しているかということに着目します。アルバムで買うのはクラシックとか、サウンドトラックですね。
 クラシックは楽章が全部揃って一つの音楽だと思っています。CDやMDは編集可能ですが、順番を変えてみるとしっくりこないような気がしますね。全体としてのうねりの中に節目節目が存在するという感じ。フラクタル図形のようですね。サウンドトラックは一つの映画やドラマのために作られたものですからやはり全体的な一貫性があります。が、反面メインテーマを編曲したものが多いですね。それで様々な状況や感情を表現するのは一つの芸かも知れませんが、割と飽きるという人もいるでしょう。
 僕の場合、ロックやポップスはどちらかといえはバラバラにして単体で聴いた方が聴き込めます。好きな曲はそれだけ延々と流したりするんですね。その一曲で完結していると解釈し、それを深く感じたくてそうします。頭の中で完璧にリピートできればそれが最高の状態です。最も、そこまで聴けることはなかなかないですが。
 そういうときって自分が何を楽しんでいるかというと、けっこう枝葉末節の部分だったりします。編曲とか、歌い方とかですね。クラシックの場合は指揮者や楽団の違いでいろいろ楽しむこともできますが、細部へのこだわりってあまり持てないんですよ。歌唱技術に着目するのは自分が合唱をやっていたからだと思います。
 さて、アルバムの話に戻ると、一曲一曲を深く深く聴き込んでそれを全曲繰り返せばやっとアルバムを聴いたと言えるかも知れません。ただ、僕は読書と同じで好きな歌手を選ぶのが難しくいろんなのを聴こうとするので難しいです。そのかわりいろんなものを聴いて比較するというスタンスが楽しめますけどね。

6月9

 書感です。

「毒猿 新宿鮫2」
 大沢在昌/光文社ノベルズ
 定価:840円
 初版:1991年8月31日
 ISBN4-334-02942-6

 刑事、鮫島が新宿で出会った台湾人、郭。
 暴漢の襲撃を一瞬にして撃退した彼は台湾軍特殊部隊出身の刑事だった。殺し屋となったかつての同僚を追って日本へやってきた彼に、鮫島は国境を越えた友情を感じる。
 郭の標的、劉は最高の殺人技術と強靱な肉体を誇り、狙った獲物は絶対に逃さない。「毒猿」と呼ばれる彼が新宿の夜を恐怖に陥れる……。
 シリーズ2作目となる今作。前作「新宿鮫」ではとにかく孤独感の強かった鮫島ですが、桃井課長という理解者を獲得したうえに台湾の鮫島とも言える郭の登場により、鮫島の新たな側面が描かれます。
 新宿鮫のテーマはずばり「正義」と言っても良いでしょう。
 ヒーローが「正義の味方」というのは定番ですが、通常それは単純な悪に対して語られるものです。国家の正義というのはたいていの場合、否定の対象にしかなりません。鮫島が持っているのはあくまで「自分の正義」
 世の中にあるあらゆる不公平のうちでも、人を傷つけたり人の人生を狂わせたりしてのうのうと生きている人間だけは許せないという彼は手柄も出世も頭になく、自分の目標だけを追い続けます。
 台湾の刑事、郭は軍隊で格闘技術や隠密技術を身に付けた戦いのプロフェッショナルですが、鮫島は射撃や格闘を一通りこなせるというだけで特に秀でているわけではありません。
 自分の命が危険にさらされれば恐怖するし、本気で相手と殴り合ったら自分もただでは済まないわけです。それでも身体を張ってしまうのは、やはり自分の警察官としての職務に生き甲斐を感じているから。そして彼の持つ誇りが引くことを許さないからでしょう。
 郭もそれは同様で、越権行為と知りつつかつての同僚である毒猿こと劉を逮捕するため、休暇をとって日本へやって来るのです。
 また、今回は新宿という街の国際性にも話の焦点が当てられています。国内だけではなく海外とも様々なコネクションを持つ新宿のやくざたち。犯罪者同士が国際的につながりを持っている現在、捜査も国という枠を越えて行われなければならないわけですが、国際情勢など様々な条件がそうはさせてくれません。自分の正義を追求する郭なども、国家からすれば一種のアウトローとなっているのです。
 一般にハードボイルドというのはアウトローを扱ったものが多く、新宿鮫は珍しいパターンと思っていたのですが、鮫島や郭の立場を見ていれば納得できるものがありますね。
 自分の道を追求する者は得てして既成の枠にはまらないわけです。それを維持して生きていける鮫島には強いあこがれを感じます。

6月10

 予定だったヒギンズの「鷲は飛び立った」が読み終わらなかったので他のネタを考えなくてはならないのですが、特に思いつかないのでつれづれなるままに書いていこうと思います。
 さすがに毎日という発行ペースで続けていると、毎回万全の用意をしておくわけにはいきません。朝日新聞の天声人語など新聞のコラムを書いている人はもっと大変だろうと思います。
 実を言うと、書感以外の時って、実際に書き始めるまで内容が決まっていない事の方が多いです。
 それでも人間、一日にいろんな事を考えますから、書き始めると意外に筆が進むもので、なんとか続けられています。
 HPの更新などって疲れているときはなかなか億劫だったりしますが、週間になってしまえばさほどでもないという感じです。顔を洗ったり歯を磨いたりするのと同じですね。
 どれだけ忙しくなっても家にいる限りは必ず続けていこうと思っています。さすがに泊まりがけで外出するときなどに3日とか4日分まとめて書いておく自信はないですが(^_^;A
 さて、最近、HPの更新について少し考えました。更新が難しくなってしまったので閉鎖する、というページがたまにあるじゃないですか?
 でも、あれってなかなか寂しいですよね。せめてそれまでに積み上げてきたコンテンツは残して欲しいし、どんなに忙しくても掲示板に一言とか書き込むくらいなら可能だと思うわけです。一行でもいいから、トップページに何か書いて欲しいと思うこともありますね、特に知人の場合。
 納得できるものが出来るまでは更新しないというのも自分に厳しくていいとは思うのですが、僕は下手でもなんでもまず書いてHPにアップするべきだと思ってます。出版物と違って後から修正可能なわけですからね。確かに見るに耐えなかったりしたら嫌かも知れないけど、そうした後悔を積み重ねてレベルアップを図った方がかなり効率的です。自分の頭の中で出来の良いものと悪いものを選別しても、それって結局自分の中だけの事なんですよね。これと思ってアップしたものが評判悪かったりすれば次はますます出しにくくなるし。逆にイマイチと思って切り捨てたものが意外にウケるかも知れません。
 まず、出そう。そして選ぼうという感じです。僕としては。
 最も、大量に文章を書いてそれだけで満足してしまっては意味がないわけです。例によって、バランスの問題ですね。
 物事ってたいていの事は反復練習だと思います。勉強もそうです。才能って言うのはあるかも知れないけど、繰り返しの積み重ねがないとそもそも才能があるかないかすらわかりません。才能云々はすべてチャレンジしてみてから言うべき事ですよね。本をたくさん読まなければ国語力はつかないし、文章をたくさん書かない人に文章力が備わるわけじゃありません。
 チャレンジ精神って、そういう意味で大切なんだと思います。一発トライだけじゃなくて、継続的なチャレンジも必要なんじゃないでしょうか。

6月11

 今日はコミックの書感です。3冊。

「ヒカルの碁 7巻」
 原作:ほったみゆ
 漫画:小畑健
 ジャンプコミックス
 定価:390円

 棋士として上達が目覚ましいヒカル。だが、ライバルの塔也アキラははるかに先を歩んでいた。日本棋院の2組で連敗するヒカル。実力は明らかに上がっているのに勝てない理由はいったい……?
 本格的にプロへの道を歩んでいるヒカル。それまでののんびり雰囲気から一転、緊張した場に放り込まれたヒカルにも焦りが見えます。一方、ヒカルに憑いている平安の天才棋士、藤原佐為の霊は増えていくヒカルのライバルと対局できない悔しさに歯噛みします。これまで将棋や囲碁などの勝負ものにはどうしてもどろどろとした情念がつきまといがちでしたが、あいかわらずこの作品はさっぱりとしてスポーツもののような爽やかさを感じさせます。毛色が変わっているようでいて、ジャンプ漫画の王道と言える作品かも知れません。

「20世紀少年 2巻」
 浦沢直樹/小学館ビックコミックス
 定価:505円

 2000年12月、地球は滅亡する……。
 平和なはずの日本を舞台にしながら、どこか終末感の漂うこの作品。1999年7月、ノストラダムスの予言が過ぎた今、敢えて世紀末というテーマに挑戦するのはさすが浦沢直樹。
 この作品にはとにかく「気持ち悪さ」があります。
 登場人物とかもとにかくどこか嫌な感じの顔をしているのがすごいです。今回、これまでの謎が明かされるのかと思いきやほとんど進まず。しかしながら、主人公であるケンヂがやっと話の中心になりはじめました。
 一番注目しているのは、この作品が2000年内に終わるのかどうかと言うこと。冒頭が2001年の1月なのですが、そこまでに収められるでしょうか?

「あずみ 18巻」
 小山ゆう/ビッグコミック
 定価:505円

 自分と関わった人間が次々死んでいき、生きる希望をなくしてしまったあづみは戦いの中で死のうとするが、これまでに身に付いた戦いの本能がそれを許さない。
 これまで、幕府という巨大組織に狙われ続けてきたあずみだが、ついにあずみたちの背後で暗殺の糸を引いていた人物が現れた。その名は南光坊天海。話は新章へと突入する。
 救いのないように見えたあずみの人生に一筋の光明がやってきます。あずみがこれまで、何のために暗殺を続けてきたのかまったく語られることはなかったのですが、ここにきてようやく理由がわかります。
 ただ、あずみ自信が生きる理由と救いを見つけるのだと思っていたのが意外とあっさり来てしまったので残念なところも。
 さて、新章は新たな任務を受けての活躍となりますがこちらが竜頭蛇尾にならないよう頑張って欲しいです。

6月12

「ロミオ・マスト・ダイ」を見てきました。
「少林寺」で有名な、リー・リン・チェイ。
 ハリウッドに進出し、ジェット・リーとしてリーサルウェポンに出演しましたが、今度は主演。
 香港の組織の長男として生まれたハン(ジェット・リー)は父親と弟を救ったために刑務所に入っていたが、弟が殺されたという知らせを聞き、復讐のために脱獄する。
 アメリカへと渡った組織は湾岸地域でNFLのスタジアム建設を巡って地元の黒人組織と対立していた。弟の敵を捜すうちに、ハンは黒人組織のボスの娘トリシュと恋に落ちる……。
 ロミオ。マスト・ダイ(色男は死ね!)という題名通り、ロミオとジュリエットを彷彿させるこの設定に気づいたのは物語も後半になってからです。
 見る前はとにかくカンフーアクションでジェット・リーが活躍するというなものを想像していましたが、きっちりとストーリーがあるのは意外でした。
 それでもやはり見所はジェット・リーの拳法です。元々の足技に加えて、随所に特撮を使い、通常では不可能な動きや演出をしています。マトリックスなどを見ていると特撮にあらが目立ちますし、演出のために少し不自然になっていたりもしますが、香港カンフーアクションに新しい要素が加わったという意味では進歩なのかも知れません。
 一度空中に飛び上がったら着地せずに何度も蹴りを繰り出し、次々に敵を倒していく様は爽快そのもの。その技の鋭さと人なつっこいジェット・リーの笑顔がなかなか対照的です。
 さて、この映画では中国人組織と黒人組織の対立が焦点となっています。どちらもアメリカという社会で自分たちを守るために結成した組織のはずですが、組織の権力拡大のために汚いことにでも手を染めるようになっています。
 その様子を嘆き、組織を捨てる者、逆に野心を持って組織を乗っ取ろうとする者。兄妹や親子という絆で結ばれながらも組織という中では思うように生きられない人間たち。単なる正義と悪とは違う世界が広がっています。
 単純なアクション映画ではなく、ストーリー映画としても楽しめる作品でした。

6月13

 書感です。

「鷲は飛び立った」
 作:ジャック・ヒギンズ
 訳:菊池光
 早川書房
 定価:680円
 ISBN4-15-040835-1

 1943年、SS長官ヒムラーの命でイギリスに降下し、時の首相ウィンストン・チャーチルの誘拐を図ったクルト・シュタイナー中佐率いるドイツ落下傘部隊とリーアム・デヴリン。
 計画は完璧であるかのように見えたが、隊員の一人が溺れかけた子供を助け、死亡したことから偽装が発覚し、壮絶な戦闘の末に隊はほぼ全滅。シュタイナー中佐はチャーチル目前まで迫ったが射殺された……。
 以上が語り手、ジャック・ヒギンズの取材結果だった。
 だが、1975年、ヒギンズの元に上の事実を覆す事実が届けられる。クルト・シュタイナーは生きていた。
 リーアム・デヴリンにヒムラーから下ったシュタイナー中佐救出作戦の裏にはさらに驚くべき陰謀が……。
 傑作冒険小説「鷲は舞い降りた」の続編です。
 ドキュメンタリー風味に書かれているこの小説は、事実として書いてあったことを覆すという荒技を使って続編を構成しています。卑怯と言えば卑怯なやり方ながら「シュタイナー中佐が実は……」と書かれればわくわくしてしまうのが読者というものです。前作「鷲は舞い降りた」には英雄、陰謀、恋、トラブル、と冒険小説に必要な全てが揃っています。それだけに続編は苦しいのでしょうが、どうも前作のパターンをそのまま引きずりすぎているため「傑作」とは評し難いです。また、主人公となったリーアム・デヴリンは頭脳、射撃、格闘とあまりに完璧なキャラに変わってしまったのも少し疑問。
 それでも、物語の主軸となるはずの救出作戦に終始せず、どんでん返しを持ってきたところはさすが。
 ドイツ軍人はどうしても悪役になりがちです。ヒトラーに反抗しなかったというだけでやはり印象は良くないかも知れません。しかし、シュタイナー中佐の「ヒトラーをなんとかするとすればそれはドイツ国民のする事で、連合軍の力は借りない」という言葉が印象的。作品中でもドイツ軍の高官が「ヒトラーを生かしておけば戦争は早く終わる」と語っていたりもします。ドイツ軍人を英雄として書くための苦肉の策なのかも。
 誰もが戦争に疲れ、早く戦争が終わって欲しいと望んでいる中、ヒトラーだけが勝利を信じ、無意味に戦争を続けようとしています。彼の側近たち、SS長官のヒムラーでさえそれを信じていないのです。
 誰もが自分たちのする事をバカバカしいと思っていて、それでも続けてしまう。
「ゲームをしているのか、ゲームに操られているのか」
 国のため、大義のため、平和のため。そういう理由では完全に納得のできない男たちがここにはいます。
 さて、生き延びて答えを見つけることができるのは一体誰なのでしょう?

6月14

 久々に本を購入。上遠野浩平の「殺竜事件」です。
 講談社ノベルズなのですが、挿し絵が女神転生シリーズで有名な金子一馬。
 上遠野浩平は「ブギーポップ」シリーズで人気。どうやらファンタジー世界で謎解きをするというものらしく、考えつきそうではあるのに今までなかったという感じですね。
 今、読んでいるのは栗本薫の「あなたとワルツを踊りたい」
 いわゆるストーカーものというやつですね。相変わらずと言うか、栗本薫は生々しいです。まだ途中ですが、読んでいて背筋が寒くなると言うか、先を読むのが怖いという感じですね。
 作者が結末をどうするか楽しみ。
 さて、明日は図書館に行って先週までに借りた本を返し、新しい本を借りる予定。とりあえず新宿鮫とブラディドールの続き、あとコリン・デクスターと小池真理子でしょうか。
 コリン・デクスターは借りようと何度も思っているのですがいざ図書館で本を探す段階になると何故か名前が出てこないんですよ。メモすればいいんでしょうが、悔しいので今回も頭の中だけに名前を置いた状態で行きます(笑)
 ブラディドールは先週、4を借りようとしたのになくて、かわりに新宿鮫を借りたのですがそもそも図書館にブラディドールの4があるのかどうか不明。今度なかったら注文ですね。
「御手洗潔パロディサイト事件」は上下2冊でけっこう高いので未だに迷いどころですが、アンケートに答えた結果、図書券がもらえるはずなので来たら買おうかな。
 宮部みゆきの「クロスファイア」も読みたいのですが、映画を先に見た方が良いことは間違いないのでそれまで保留。
 原作ものは映画の方がいいって事、あんまりないですね。
「死国」は映画を見てがっかりした後に原作を読んだせいかより楽しめたかも知れません(笑)
 ただ「クロスファイア」は映画もなかなか評判なので楽しみです。「アナザヘヴン」は見に行こうと思っていたのですが、いつの間にか終わってました。きちんとチェックしてないとダメですね。最近は映画雑誌って買わなくなってしまったのでネットで検索するのが普通。
 @ぴあなんかをよく利用しています。本の情報なんかは雑誌ですね。「ダ・ヴィンチ」なんかは雑食性の読み方をする僕にはいい情報源です。
 では、また明日。

6月15

 書感です。

「あなたとワルツを踊りたい」
 栗本薫/ハヤカワ文庫(JA)
 定価:620円
 初版:2000年4月10日
 ISBN4-15-030636-2

 人気新人アイドル鮎川優喜のおっかけ、福永はづきは、夜中にかかってくる電話におびえていた。
 どこからか見られている、そんな感覚が消えない。平凡な人間である自分が何故……?
 はづきをつけ回すストーカー、昌一とはづきがあこがれるアイドル、優貴、そしてはづきの3人の視点で綴るサイコサスペンス作品です。
 一人の人間に執着してしまい、相手の生活を脅かすまでにつきまとい行為などを繰り返すストーカー。一方的に恋いこがれる気持ちを押しつけられたはづきもまた、人気アイドルに「恋して」います。
 優貴のためなら何もいらないというはづきだが、その優貴は「ファンが好きなのは自分ではなく、アイドルとしての虚像」と感じて悩んでおり、自分はいったい何が欲しいのかわからない。人気男優に迫られながらも、自分が上へと上っていくためならそれを受け入れてもいいのではないかと感じ始める優貴もはづきや昌一と同じように、コミニケーション欠如の筐体にあります。
 はづきは優貴を何よりも大切と思っていて、優貴の迷惑になるようなことはしたくないし、どちらかといえば気の小さい女の子です。ファンレターをこつこつ出したりコンサートを見に行ったりテレビ局の前で待ったりと地道な事を繰り返していて時々帰ってくるわずかな反応に幸福を感じ、同じおっかけの友人が見ていて痛々しくなるくらい切実に優貴を想っています。
 昌一はいわゆるストーカー。自分がこれを決めた相手にしたいことをすべてしてしまう。しかも、自分ではそれを「愛情表現」と考え、何も罪悪感を感じたりしません。そして、はづきがどんなに嫌悪感を示しても「理解していない」と片づけてしまうのです。
 一方、優貴は自分の気持ちをどこにも向けることができない、どこに向けていいのかわからない状態でいます。優貴の中には激しい感情が渦巻いているのにテレビに出れば「きれいな男の子」ということで片づけられてしまう。そして、先輩男優に一方的に惚れられ、しつこくつきまとわれて「愛」という言葉に疑問を持っています。
 この3人の人間がときおり交錯し、ゆがんだコミニケーションがやがて彼らを破滅へと導いていくのです。いったい何が悪いのか?
 栗本薫の文体は生々しく、特に昌一の描写などは読んでいて吐き気がするくらい。
 ただ、昌一のストーカー行為を精神異常の結果として書いた点はあまり感心しませんでした。また、結末もそれなりの結果なったという感想でしかありませんし、最初の印象とは大きく違って優貴まわりの芸能界話が話の中心にきているような気もします。
 それでも、この気持ち悪さと不条理感、読後の虚無感は凄まじいです。栗本薫の筆力を以てして初めてできる小説と言えるでしょう。


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