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6月16日

 書感です。

「秋霜 ブラディ・ドール4」
 北方謙三/角川文庫
 定価:505円
 初版:1990年10月25日
 ISBN4-041612098

 人生の秋を迎えた男がいる。画家、遠山和明、58歳。
 絵を描くことしか知らないはずだった遠山。だが、旅行先のN市で娘のような恋人、玲子が狙われていると知った彼は、彼女のためなら命をかけられる自分に気づく。
 川中良一を中心としたブラディ・ドールのメンバーもまた、かつて自分たちに関わった玲子を守ろうと動き出していた。
 ブラディ・ドール第4弾となる今作の主人公はかなり年輩の人物。これまでの主人公は様々なトラブルをくぐり抜け、人生の裏も表も知り尽くしたような人間でしたが、遠山は画家としての名声もあり、自分の人生が下降に向かっていると思いながらも普通に生きてきた人間です。
 争いや暴力沙汰とは全く無縁な彼でも、恋人のピンチには身体を張ってしまう。どんなに殴られても立ち上がり、無駄とわかっていても抵抗する。
「画家としてではなく、男として」相手と向かい合おうとする遠山に、これまでの主人公たちも男気を感じます。
 川中、坂井、秋山とこれまで三作の主人公たちはヒーロー性が強く、トラブルにも平然と立ち向かい、死を恐れない人間でした。捨ててもいいと思う人生だからこそ大胆になれる彼らに対し、遠山はもう終わりかけたと思っていた人生を再び拾ってしまう。玲子という女に生きる活力を見いだし、停滞していたと感じる創作活動にも新たな生命が吹き込まれます。
 今回、出番が多かったのはキドニーこと弁護士の宇野。
 交通事故で腎臓を二つとも失った彼は、人口透析を受けなければ死んでしまう身体で、そのために人生をあきらめたかのような印象を人に与えています。しかし、遠藤の生き様を見ているうちに、彼の中にもまだ希望が残っていると言うことを吐露するのです。親友でありながら憎みあっているという川中とキドニー。遠山は彼らの架け橋となるのでしょうか?
 前作「肉迫」の主人公、秋山は手に入れた土地に念願のホテルと立て、なかなか豪華な生活。川中はヨットハーバーを経営しながら悠々自適。
 そんな毎日を送りながらも、何かの時には黙って見ていられず、危険な場に飛び出してしまうのがブラディ・ドールの男たち。また一人、新しい人間がバーの常連になったようです。
 ハードな人生がハードな男を作ってきたというのがこれまでの3冊でしたが、普通の人生が長年かけてハードな男を練り上げることもあるというのが今回。読めば自分はどうかと自問せずにいられない。さて、あなたはどのタイプでしょう?

6月17日

 書感です。

「ゴージャス☆アイリン 荒木飛呂彦短編集」
 荒木飛呂彦
 発行:創美社
 発売:集英社
 定価:388円
 初版:1987年2月15日
 ISBN4-420131578

「ジョジョの奇妙な冒険」の鬼才、荒木飛呂彦が描く奇妙な世界。デビュー作「武装ポーカー」を含めて6編が収録されているのですが、さすがに10年以上前と言うか、今の荒木飛呂彦の絵と比べたら天と地の差があります。
 荒木飛呂彦を語るのにあの奇妙なデザインとポーズ、そしてパースを抜きに語ることはできないと思っていました。
 しかし、このゴージャスアイリンの作品群を読んだとき、荒木作品の魅力は設定や物語の構成力にあるのだということを痛感できました。
 まず表題作の「ゴージャス☆アイリン」
 普段はぼーっとした可愛い女の子なのに、メイクによって性格はおろかその肉体まで変えてしまうと言う暗示力を持った暗殺者の話。暗殺相手もまた超常能力を持った女性なのですが、ただ力と力のぶつかりあいではなく2手、3手先を狙った頭脳戦にはジョジョに受け継がれていく荒木漫画の源流を見る重いです。アイリンそのものがメイクによって変わってしまうため、どれが本当のアイリンなのかは全く不明。メイクによって戦いの能力を引き出すのか、それともメイクで暗殺者の本性を隠しているのか。「私、残酷ですわよ」の台詞が印象的です。
「魔少年ビーティー」はこの後、シリーズ化して単行本にもなります。こちらは完全に現代もので、手品のトリックなどを使ったペテンを駆使する謎の少年が主人公。ただ頭脳に優れているだけではなく、妖しい微笑や日常を超越した言動によって周囲を翻弄します。その中にも純情さを発揮するところが可笑しいです。出てきたトリックは全て図入りで懇切丁寧に説明されているところにも作者の意気込みを感じます。ジョジョの第2部では主人公、ジョセフ・ジョースターが手品のトリックを使いますが、それの原型と言えますね。
「バージニアによろしく」は珍しいSF作品。宇宙船にしかけられた爆弾を解体するサスペンスです。悪魔的までに巧妙な爆弾を様々な手で解体していく様子がスリルに満ちています。オチもぞっとするもので、続きが読みたい感じです。
「武装ポーカー」はデビュー作で、アウトローのガンマン二人がポーカーで対決するという内容。ジョジョ第三部のポーカーバトルを思い起こさせます。絵そのものは稚拙な印象なのですが、出てくる人間の表情の豊かさはさすがです。
 戦いそのものがメインではなく、そのやりとりを楽しむ作品なのですが、オチにはニヤリとさせられます。
 正直、表紙からは買う気がしません。しかし、この一冊にはダイヤモンドの原石のような初期の荒木テイストがつまっているのです。

6月18日

 書感です。

「魔少年ビ−ティー」
 荒木飛呂彦/集英社
 定価:390円
 初版:1984年10月25日
 ISBN4-28-851018-6

 短編集「ゴージャス☆アイリン」に第一話が掲載されたこの「魔少年ビーティー」は「ジョジョの奇妙な冒険」の第四部に通じる日常を扱った作品群です。
 ビーティーに関しては「社会的ダイナマイト一触即発的良心罪悪感ゼロ的猛毒セリフ的悪魔的計算頭脳的今世紀最大的犯罪少年」という意味不明の解説がありますが、読み終わってみると見事にはまっています。それを作者が意図したのかどうかは不明ですが、荒木飛呂彦の漫画は台詞や解説と絵との一体感がすばらしいです。絵が先でも、文が先でもない。これこそ漫画的アイディアではないでしょうか?
 さて、主人公のビーティーは語り手である麦刈公一の学校にどこからともなくやってきた転校生。不思議な雰囲気を持った彼はプライドが高く、クラスメイトを寄せ付けない存在ですが、公一だけを唯一の友達と認めている様子。
 そんな公一でもビーティーの罪悪感のなさや悪魔的な計画を生み出す頭脳を恐れ、一方では魅力を感じてもいます。
 ビーティーは技術として手品などの様々なトリックを駆使するだけではなく、人の心の隙間、弱い部分を的確に突いているので最大限の効果を生み出します。時にはそれが残酷と言えるまでの力を発揮しても彼は妖しくほほえむだけ。
 と、言いつつも読んでみるとビーティーのすることって以外とスケールが小さかったりします。気に入らない先輩に一泡ふかせるため芝居を打ってみたり、小さな賭をして相手を騙してみたりとそんな程度。逆に言えば本当に少年漫画の世界という気もしますけどね。それが成熟したらどうなるかは「ジョジョの奇妙な冒険」第四部で見て下さい。

6月19日

 土曜日、日曜日はアルバイトで東京のあちこちを回ってました。僕は中学のころからずっと電車通学なので、それなりに交通機関などはわかっていると思っていたのですが、いざ目的地を渡されてもどう行くのか実感できないところがたくさんありました。頭ではわかるんですけどね。感覚的にしっくりこないというか、そんな感じです。
 それと、移動って常に自分の住んでいる場所を中心に考えます。僕の場合は最寄り駅から池袋や新宿まで出てそこから移動っていうのが普通のパターンです。
 しかし、それぞれへ到達する経路はわかっても、目的地1から目的地2へ行く方法とかは難しいんですよ。僕はいつもインターネットの乗り換え案内(http://www.jorudan.co.jp)を使って調べているのですが、回る順番なども自分で決めないといけないのであまり役に立たず。結局は路線図を見ながら効率的と思われるルートを探しました。
 外国から来た方なんかは、東京の路線図を見ても何がなんだかわからないという事があるらしいですね。最も、東京在住の人だって地下鉄やJR、私鉄まで網羅することはほとんど無理でしょう。今回のアルバイトで僕は横浜線の存在をは初めて知りました(笑)
 たまにあるのが、JRのA駅と私鉄のB駅が乗換駅ではないものの非常に接近していて歩いていけるとか、地下鉄のC駅とD駅は違う駅だけど地下通路でつながっているので乗り換え可能とかいうケースですね。後者の路線図は徒歩移動可能な場合、まとめて囲まれていますが前者の場合は路線図からわからないのでやっかいです。
 こういう場合、乗り換え案内を使って初めてわかったりします。だから路線図を見て経路を割り出し、乗り換え案内で調べてみるというのがパターンになりました。
 さて、それで実際に移動を始めると、実は計算していなかった要素があることに気づきます。それは、路線バスですね。
 東京の交通網は放射状に広がっていることが多く、平行して走っている路線間の乗り換えは割と面倒です。しかし、現地に行ってみると行きたいところどうしがバスでつながっていたりしました。最も、目的地に電車で移動してから「さっきの駅からバスが出てる!?」と気づいて愕然としたので、実際に利用は出来ませんでしたけどね。
 乗り換え案内などのサービスでずいぶんと便利になったものですが、回る先を全部入力したら最適経路を割り出してくれるソフトとか出ないものでしょうかね?
 まあ、贅沢は言えばきりがないですが(笑)

6月20日

 17、18日のバイトは移動時間がほとんどだったので、文庫本を2冊持ち歩いていました。2日で3、4冊は読めるかなと思っていたのですが、実際は移動時間に報告書を書いたり寝たりして本を読むなんてとんでもないという感じ。
 疲れているときは本って読めないものですね。精神的に忙しいときも同様。
 さて、現在借りているのはコリン・デクスターの「ウッドストック行き最終バス」とさくらももこ「もものかんづめ」、島田荘司「ポルシェ911の誘惑」、そして大沢在昌「屍蘭 新宿鮫3」です。他に上遠野浩平の「殺竜事件」をまだ貯めています。図書館の方は返却期限があるので先に読むのが習慣。
 それを破ってでも新刊の方を読むのはよほど楽しみにしている作品のみですね。確か27日には森博嗣のSFミステリ(たぶん)「女王の百年密室」が出るので楽しみ。これは買ったら読み途中の本があっても放り出して読むでしょう。
 さて、この「女王の百年密室」の発売に先立って、ファンクラブ、通称PRAMMでクイズが行われていました。
「女王の百年密室」はロボットが一般に普及している世界を舞台にしたものらしいのですが、その一般名称を当てるという内容。ロボットと言えばいろいろありますよね。映画「ブレードランナー」のレプリカントの他にもアンドロイドとか人造人間とかいろいろ考えつきます。こういうのって作家との知恵比べと言えますね。
 小説を書く上でネーミングって重要だと思います。登場人物の名前がいかにも「それっぽい」名前ばかりだったらリアリティに関わります。もちろんダサくても嫌ですよね。このクイズの場合は固有名詞じゃなくて一般名称だからより難しいと言えます。一般に普及する名称って簡単で憶えやすく、語呂が良くないといけませんからね。森博嗣は作品中で英語以外の外来語はまず使わないので(おそらく自分でニュアンスのわからない言葉を使いたくないから)とりあえず英語か日本語と予想。
 英語で一単語で済むものか、それとも簡単な言葉の略語だろうとは思ったのですが、なかなかそれにぴったりくるものが思い浮かびません。日本語でもいろいろ検討しましたが「いかにも」でも「ダサッ!」でもないのは考えつきませんでした。
 結局、機械生命というMech Liveで応募しましたが、自分でも「これは違うだろう」という感覚。平凡ですしね。
 〆切が過ぎてから応募者全員の回答が発表されたのですがなかなか似たり寄ったり。感心したのは「電動」というものでしたが森博嗣の発表によると正解なしということ。
 これは27日の発売が楽しみです。森博嗣の小説はくせもあるし読んで面白くない人には面白くないと思いますが、この作者は読者を「あっ!」と言わせる能力がとても高いです。
 今回も「なるほど!」と思うようなネーミングを考えてくれていると確信しています。

6月21日

 今日はアルバイトの面接で少し遠出。
 遠出と言ってもそこまで通うのだからそんなに遠くはないですけどね。で、面接の後に友達と食事の約束をしていたので時間をつぶすために近くにあった大学をぶらついてみました。
 まあ、割と有名な総合大学なのです。うちの大学は学部が一つしかなくて、けっこう立派ではあるのですが、狭いので総合大学って新鮮な感じがします。
 実はお昼ご飯を食べていなかったので大学食堂を利用させてもらおうと思ったらもう閉店。喫茶コーナも同様でした。
 そう、うちの大学は二部があるから当たり前のように夜9時まで食堂がやっているんです。でも、普通はそうじゃないんですね。夕方5時半ごろだったのですが大学はかなり人が少なくなっていました。
 一応、大学生協でサンドイッチと紅茶を買って喫茶コーナーで食べようとしたのですが、喫茶コーナーには缶ジュースの空き缶やパンの袋などが置きっぱなしだったりしてけっこう汚いです。こうして考えてみるとうちの大学ってごみとか少なくてきれいなんですよね。特に食堂のきれいさは素晴らしいと思います。出来たばかりというのもあるけど、僕が寄ってみたところはどう見ても学生がごみをかたづけていない汚さなんですよね。うちだって特に掃除が行き届いているというわけではないと思うので、これは学生の差だろうかと思いました。
 そもそもきれいなところにゴミは捨てにくいですよね。
 うちの大学はごみを捨てる場所って少なくて、建物の外にあるゴミ箱が主。だからといってその辺にゴミが放置してあったりはしません。
 不思議ですよね?
 同じ日本人で同じ年代の学生が通っているのに、どこでそういう差が出るんでしょう。もちろんうちの大学は美化運動とかやっていません、たぶん。少なくとも見たことないです。
 じゃ、どっから違いが?
 カオス理論ってあります。初期値のわずかな違いが予測できないほどの違いを生み出すって言う。頭に浮かんだのはそれでした(笑)
 まあ、初期状態をきれいにすることによってごみが捨てにくくなるなら簡単なんですけどね。それだったらきれいな場所は永久にきれいなままでしょう。それともうちの大学もそのうちゴミであふれたりするんでしょうか?

6月22日

 書感です。
 とっくの昔に読んでいたのに何故か紹介していなかったためここで紹介します。

「死刑執行中 脱獄進行中」
 荒木飛呂彦/集英社
 定価:1143円
 初版:1999年11月24日
 ISBN4-08-782537-X

「ゴージャス☆アイリン」から12年目にして出た荒木飛呂彦2冊目の短編集です。「ゴージャス☆アイリン」では画力に難ありという感が強かった作者ですが、12年の歳月はそのタッチを芸術的と言えるまでの域に高めています。
 天才肌というイメージの荒木飛呂彦ですが、自分の持つイメージを絵で表現するための技術は努力で勝ち取ったものだということがよくわかります。
 さて、鬼才と言われる作者ですから、どの短編も一筋縄ではいきません。書けばそれなりの波というものが生じるのでしょうが、この短編集に限っては全てが傑作と言い切れます。
 これが傑作選ではなく書いた短編の全てというのだから驚きます。
 まず最初は表題作の「死刑執行中 脱獄進行中」です。
 死刑判決を受けた男が入れられた独房は高級アパートと思わんばかりの豪華な作り。しかし、男が行動を起こすたびに家具や食器など様々なものが男を傷つける。果たしてこれは意図されたものなのか……?
 登場人物は、主人公一人。そこに次々と不条理な罠の数々。
 可笑しさと紙一重なところが荒木テイスト満載のホラーという感じですね。切羽詰まっている人間というのは端から見ていると笑いを呼んだりします。それを楽しんでしまう人間というのがまた恐ろしくもあるのかも。
 2作目は「ドルチ 〜ダイハード ザ キャット〜」
 ネコ好きな人に悪い人はいないというのが通説ですが、主人公ドルチ(オス猫)の主人はドルチを溺愛しているようでいざとなったら……という人物。感情の起伏の激しさや切れたときの口調がもう荒木キャラの基本という感じ。対して冷静なドルチがまたかっこ良く、一筋縄ではいきません。漂流するヨット上でのバトル。状況設定を生かした荒木飛呂彦の頭脳戦が冴える一編です。
 そして「岸部露伴は動かない エピソード16 懺悔室」
 ジョジョの奇妙な冒険第四部に登場する漫画家、岸部露伴の書くエッセイ漫画という体裁をとった本作。体験がリアリティを産むという岸部露伴に作者を投影する読者は多いでしょう。
 これもイタリアを舞台にしたホラーで、自業自得とは言え小さな事から不幸のどんぞこに陥れられるというパターン。しかし、それだけで終わらないのが荒木漫画です。転んでも起きない告白者の執念は呪いをも上回るのか?
 最後は「デッドマンズQ」
 幽霊として「生きて」いる男の物語。好き放題かと思いきや制約だらけのデッドライフに「宇宙の法則」を見いだそうとする主人公が面白い作品です。静かに音楽を聴いたりゆっくり過ごしたりするのが夢という主人公は幽霊殺し屋としての仕事を請け負い、それを生き甲斐としています。死んでもなお生き甲斐を求めなければいけない矛盾。死んでも何かの支配から逃れられない人間の悲しさのようなものを感じます。
 驚きなのはこの幽霊の正体。ジョジョの読者ならば手を打って喜ぶこと間違いなしです。
 以上、クオリティの高い4編が楽しめます。ジョジョを読んでいない人は逆にここから荒木飛呂彦に入ってみるといいかも知れません。

6月23日

 書感です。

「ポルシェ911の誘惑」
 島田荘司/講談社
 定価:1000円
 初版:1989年1月31日
 ISBN4-06-204180-4

 ミステリ作家として高名な島田荘司ですが、彼は自動車評論家としても活躍し、パリダカにプレスとして参加するなどの活動をしてます。島田荘司の愛車はあのポルシェ911。自動車ファンなら誰もが魅了される名車を中心に、1980年代後半の日本、そして世界の自動車業界について書き綴ったものがこのエッセイです。
 アメリカ車、イギリス車、イタリア車、フランス車、そして日本車。同じ自動車というものを作るのに、なぜこうも世界各国の自動車には独特の特徴があるのでしょうか?
 自動車が一般家庭に普及した先進各国にはもちろんそれぞれの国民性があり、交通行政があり、その結果として自動車が生産されるわけです。国のあり方、国民のあり方というものは自動車に反映されている。それが作者の主張です。
 例えばポルシェ930はシフトアップ、ダウンのタイミングが難しく、高いテクニックを持っていない人間には恐ろしく乗り心地の悪い車。速く走るために人間の方に言うことを聞かせてしまうという傲慢ぶりを発揮しています。アメリカ車は大きく燃費が悪く、洗練されているとは言えないのにどこか魅力のあるおもちゃのような存在。イギリス人は狩りを楽しむのと同じようなスポーツ感覚でライトウェイトのスポーツカーを乗り回す……。
 そんな中で、日本人にとっての自動車とは何か?
 道路は狭く、高速道路の制限は時速100キロメートル。
 車を買っても駐車スペースを見つけるのが困難で、たとえ見つけてもそれは果てしなく高価だったりするわけです。電車の交通網が発達しているため通勤通学は車がなくてもできるし、首都高速などは乗っても渋滞に巻き込まれてしまいます。
 そんな国に世界をリードするような自動車が作れるのか、という問いに対し、作者は悲観的。例え技術があっても魅力のある車は無理だろうと言います。
 さて、これまでの文章を読んで、車好きの人は首をかしげるかも知れません。しかし、これは1980年代後半に書かれたエッセイなのです。
 当時はル・マンをニッサンのスカイラインGT−Rが制したり、三菱のランサーエボリューションがWRCで優勝したりはしていないのです。逆にそこから日本自動車業界の発展ぶりというものが伺えます。大量に日本車が輸出されながらも、日本人は性能よりもビジネスで車を売ると言われていた時代、様々な取材を経て日本自動車界に警鐘を鳴らした作者は現在、どのような気持ちで自動車業界を見つめているのでしょうか?
 内容的には古いと言わざるを得ない本書ですが、過去の自動車事情、そしてかつて日本の自動車ファンが持っていた夢を楽しむ事ができます。
 そして、自動車ファンなら、自分の持つ夢がやがて現実になるであろうと言うことを実感できるでしょう。

6月24日

 書感です。

「ウッドストック行き最終バス」
 作:コリン・デクスター
 訳:大庭忠男
 定価:583円
 初版:1988年11月15日
 ISBN4-15-077551-6

 夕闇迫るオックスフォードでヒッチハイクをして車を拾った二人の娘。その晩、娘の一人が死体となって発見された。
 殺したのは誰か、そしてもう一人の娘は?
 単純と思われた事件は様々な証言によって二転、三転する。
 テムズ・バレイ警察のモース主任警部は部下のルイスと共にたった二人でこの事件に挑むことに……。
 さて、この主人公のモース警部、今までに読んださまざまな作品の探偵とはまるで違います。男やもめの中年警部という設定にはハードボイルドのキャラクターのような渋い人物を想像するでしょうが、冒頭から事件とまるで関係のないクロスワードに熱中する姿に不安を覚えるのは部下のルイスだけでないでしょう。感情の起伏も激しく、うまくいかなかったり物わかりの悪い相手には怒るし、時には八つ当たりもします。恋には青年のように思い悩むのですが、警部の歳から考えると読者は共感するより笑うでしょう。
 何よりすごいのはその推理です。警察の人間であるだけに彼らの事件解決は証拠によるものです。その証拠集めが思うようにいかないとき、モース警部はその有り余る想像力によって様々な仮説を立て、推理します。言ってしまえば普通の探偵と変わらないのでしょうが、ここで特異な印象を与えるのがデクスター節と言って良いでしょう。
 通常の推理ものでも探偵は常に頭を働かせ、仮説を立ててはそれを破棄するという繰り返しによって結論にたどり着いています。それを最後の最後まで引っ張り、最後に正解と思われる推理を披露して関係者をあっと言わせるわけです。
 デクスターのやり方と言うのは、その探偵の頭の中を常に描写する事に近いです。つまり、モース警部の思考、それがどんなつまらぬものであってもいちいち描写してみるわけです。
 そもそも人間の頭の中では一つの思考だけを考え続けているわけではないですよね。あちこちに寄り道したり飛躍したりという事を繰り返して目的に向かっています。デクスターはそれを逐一追って、本の大半をモース警部の思考で埋めているのです。
 中には読者がすぐに「それはないだろう」と気づくようなものもあり苦笑を禁じ得ないのですが、さまざまな可能性を検討し一つ一つ排除した上で結末にたどり着くこのやり方は学究的とさえ言えます。ドラマに頼らず純粋に思考のみを追い続けて事件の真相を「証明する」のがデクスター式。
 かと言ってドラマ部分がおそまつかと言えばそうではなく、様々な登場人物の話す嘘と真実が複雑にからまりあって多彩な人間模様を提供します。物語は完全に作者視点なのでモース以外の人物の心理描写もあり、モースの心中との比較が楽しめたりします。出てくる登場人物の心のすれ違いや絆。人間のコミニケーションがいかにもろいかと言うことを思い知らされる面もこの作品にはありました。
 まるで人間の頭の中を読ませるかのようなこの作品。デキスターへの入門作として読んでみるといいですよ。

6月25日

 今日は森博嗣のハードカバー作品「女王の百年密室」を購入しました。前にも書きましたが、そこに出てくるロボットの一般名称を当てるクイズに応募してます。まだ図書館から借りた本が残っているので普通は買わないし、買っても読まないのですがとりあえず答えを知りたくて読み始め、はまっています。森博嗣ファンクラブの方はちょっとネタバレなのでここから数行読み飛ばした方がいいですが、答えは「ウォーカロン」でした「walk alone」ですね。シンプルで納得の名称でした。
 とりあえず応募した「mech live」は外れたけれども英語単語を二つ組み合わせるという推理は当たったので満足。
 さて、ロボットと言えば日本のロボットアニメにはいろいろなものが出てきますよね。例えばかの有名な機動戦士ガンダムではモビルスーツ。ザブングルではウォーカーマシン。パトレイバーではレイバー。他にもいろいろありますね。宇宙戦艦ヤマトに出てきたアナライザーは医療用ロボットですが、どうも個体名じゃなくて一般名称っぽいですが他にロボットが出てこないので不明です。
 そもそもロボットっていう言葉はチェコの作家、カレル・チャペックが自分の戯曲に出てくる代替労働力としての人造人間に用いた造語です。今日、この言葉の普及度合いを考えるとすごいことです。上に挙げたような機械の一般名称が実用化されたときにモビルスーツとか呼ばれたりするかもしれないって思いました。
 機械工学の発展ってすさまじいですがハードウェア、つまり機械部分が発展するに従ってそれを制御するソフトウェアの重要性が認識されてきました。高度な機械は複雑になるし、複雑な機械は動かすのも難しいって事ですね。
 機械を開発するならそれを制御する機械も一緒に作らなければならないわけです。僕の大学にも機械工学科がありましたが、最近その名称が知能機械工学科に変わっています。
 ロボットの元となる発想は人間の代替です。人間そっくりのロボット、人間型のロボットを作る事に意味はないとも言われますが、やはり出発点を忘れてはいけませんよね。
 機械が知性を持つと、やはりその人間とのギャップなどは研究の対象になるでしょう。「2001年宇宙の旅」では、人工知能HAL9000が自分の義務と命令の優先度を人間と異なる尺度で解釈したために悲劇が起こってしまいます。有名なアシモフの「ロボット三原則」などもありますよね。

 第1条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。
 第2条、ロボットは第1条に違反しない限り人間の命令を
     聞かなければならない。
 第3条、ロボットは第1条、第2条に違反しない限り自分
     の身を守らなければならない。

 というものです。
 いつかロボットに権利が叫ばれ、ロボット三原則の見直しなどが討議される時代が来るのでしょうか?

6月26日

 書感です。

「もものかんづめ」
 さくらももこ/集英社
 定価:850円
 初版:1991年3月25日
 ISBN4-08-772783-1

「ちびまるこちゃん」「コジコジ」で有名なさくらももこのエッセイです。
 人によってエッセイの書き方にもいろいろありますよね。作品に表れない自分の思考を綴る人もいれば、日常生活を描写する人もいます。作家というのはアイディアを求めて広く外に出ていく人が多いので、日常生活の話だけでもけっこう面白いもですよね。
「ちびまるこちゃん」はエッセイ漫画と言われるように、作者の幼少時代の経験などを元に創作されたもので、元々さくらももこにはエッセイの才能があるのだろうとは思っていたのですが、この「もものかんづめ」は想像をはるかに超えています。
 何がすごいかと言うと、やはり語り口調でしょうか。使う言葉の一つ一つが笑いの要素を多分に含んでいて、電車の中で読んでいるときなどは顔が笑ってしまい危険かもしれません。
 作者の筆力というのはもちろん重要なのでしょうが、これはもうさくらももこ自身がナチュラルに面白おかしい事を考えてしまう人ではないと書けないというレベルです。
 この「もものかんづめ」は基本的に失敗談の集大成。学生時代の無駄な買い物や売れない健康食品店でのアルバイト、旅行先での話やOLとして就職していたときの話など、盛りだくさんです。人の失敗談というのは基本的に面白いものだと思うのですが、ここまで来るとアグレッシブに失敗をしてそれを活かしているのではないかと思ってしまいます。
 当然のこと、本のあちこちに入るカットもさくらももこ自身のものなのですが、絵の脱力感がまた文体とマッチしてさくらももこワールドを作り出しています。
 エッセイというのは、ある意味作者自身の切り売りだと思っています。もちろん卓越したエッセイストというのは作品として職業的に面白いものを書けるのでしょうが、文を書くのが本職でない人の方が読者の楽しみは大きいですね。
 さくらももこは非常に表現力に富んだ人です。おそらく日常的に接する人にも漫画やエッセイと同じような語り口調で笑わせているのでしょう。そしてその中に、自分のキャラクターを少しずつ織り交ぜているのです。
 読み終わって笑いつくした後、さくらももこという人の生き方、考え方が自分の中に残ります。ただ正面から自己を表現するのではなく、エンターテインメントとして提供し、いつの間にか相手にわからせる。さくらももこは語りの名人だと言っても過言ではないですね。

6月27日

 僕は家庭教師で数学と英語を教えているのですが、生徒の一人が今、高校一年生の数学で集合をやっています。
 簡単に言えば、ものの集まりを数学的に考えるための概念ですよね。僕は大学の専門で離散数学と言う集合の高度なものを学んでいますが、その中にいつも引っかかる言葉があります。
 それは「必要条件」と「十分条件」です。
 まず、集合からいきましょう。ある条件によって決められたもののあつまりを集合と言います。例えば整数の集合Uとか6の倍数の集合Pとか、12の倍数の集合Qとか言います。
 さて、この時、集合Qに属する数字(要素と言います)は必ず集合Pに属しています。12の倍数は必ず6の倍数だからですね。ある数Xが集合Qに属しているなら必ず集合Pに属していなければなりません。このとき、Xが集合Pに属していることは集合Qに属していることの必要条件と言います。

 条件p:6の倍数 条件q:12の倍数 のとき
「qはpであることの必要条件」です。
 また、
「pはqの十分条件」とも言います。
 qがpの必要条件でpがqの必要条件なら
「qはpの必要十分条件である」と言います。

 ……と、これでは数学の教科書とほとんど変わらないです。
 僕は「qが成り立たなかったらpが成り立たないときqはpの必要条件である」と教えています。
 しかし、説明しにくいのが「十分条件」ですね。おおざっぱな言い方をするとpがqの必要条件であるときqはpの十分条件なのですが、なんで「十分」なのかという疑問がどうしても頭を抜けません。必要条件と十分条件は対になるものなのですが「必要」と「十分」という言葉がどうしても対になるイメージでないため認識がしにくいんですね。「必要十分」となるとますますもって意味不明ですが、pであればqであり、qであればpであるというのはつまり「pとqは同じ事」っていう事ですね。
「孔子は酒好きだが酒好きが皆孔子とは限らない」という言葉がありますが、これを必要条件と十分条件で言うなら、酒好きであることは孔子であることの必要条件だが、孔子であることは酒好きであることの必要条件ではなく、十分条件となっています。
 当然ですが酒好であることとと孔子であることは必要十分条件の関係を満たしません。「英雄色を好むが色を好む者が英雄とは限らない」という言葉にも同じような適用ができます。
 実をいうと僕はこの「孔子は〜」で考えて初めて必要十分条件がわかったんですよ。それまではいくら教科書を読んでも感覚的に意味をつかめず、苦労しました。数学なのに「必要」と「十分」の国語的ギャップでわからなくなったものは国語的解釈によって解決されたわけです。
 目には目を、歯には歯をとよく言ったもの。
 ……いや、全然違うか?(笑)

6月28日

 書感です。

「屍蘭 新宿鮫3」
 大沢在昌/光文社
 定価:790円
 初版:1993年3月25日
 ISBN4-334-07031-0

 大沢在昌の長編刑事小説第三弾です。
 鮫島の顔見知りである高級娼婦の元締め、浜倉が殺され、不審に思った鮫島は浜倉の周囲を洗い始める。そこに浮かび上がる産婦人科「釜石クリニック」
「あまりに人が死にすぎる」と喰らいつく鮫島に殺人、収賄の容疑が……。
 前作「毒猿」は台湾の刑事や殺し屋などが登場し、男のロマンを追求したような作品でしたが、今回は新宿鮫の原点に戻って警察機構に対する鮫島の葛藤が描かれます。
 須藤あかねビューティークリニックの女社長、綾香は幼いころから「誰にも愛されていない」と感じながら育って来たが看護婦であるふみ枝との出会いにより、始めて他人との絆を感じるようになる。自分自身には何も求めず、ただ綾香の幸せのみを願うふみ枝の人生。しかしそれは、多くの人間を巻き込む悲劇へと発展していく。
 悪を憎み、ただ自分を信じる正義を追い求める鮫島と自分の信じる愛を綾香に与え続けるふみ枝。二人の生き方が対比的に物語を紡いでいきます。
 新宿鮫の第一作では鮫島という人間のあまりに強烈な生き方によって、周囲の人間はかすみがちでした。しかし、桃井課長を始めとする鮫島の理解者が少しずつ現れ始め、前作では台湾から来た刑事との国境を越えた友情が成立するなど、孤独なだけの戦いではなくなってきています。
 しかし、罠にはめられた鮫島は免職の危機にさらされ、自分の戦いが無意味になってしまう恐怖を感じるのです。
 どんなに自分の正義があっても、警察という機構の中にいなければ戦うことは許されず、他の誰にも鮫島のような戦いをすることはできないのです。
 もう一つ、自分の信じる道を行くという意味で、ふみ枝もまた強力な個性を持っています。優秀な看護婦であり、人から信頼される存在ではありますが、内面には危ういものを持ち、それを解放する機会を常にうかがっている感じ。人を惹きつける鮫島の生き方に対し、ふみ枝の生き方には誰もが疑問を感じるでしょう。看護婦という立場で人間の生死を見つめ続けてきたふみ枝が行き着く先はどこなのでしょう?
 新宿鮫は第一作から強烈な印象を残す作品ですが、今回、大沢在昌の筆はますますさえ渡っています。これだけの質を持ちながらまだ向上の気配を見せる大沢在昌は底の知れない作家です。

6月29日

 前々回の「必要と十分」はなかなか好評でした。
 その続きと言うわけではないですが、今日もちょっと専門にからめた話。僕はパソコン歴が長くて、小学校2年生のころにそれまで貯めていた小遣いを使ってパソコンを買い、プログラムなどにも挑戦してました。
 ゲームとかやっていて「これはどうやってるんだろう?」と思ったらいろいろ自分で試してみるんですよね。
 それでいつも思うのが、勉強って本来やりたいことに必要なものを学ぶものなんじゃないだろうかって事です。もちろん、どうやっているかと考えるには基礎知識が必要で、それがなければ予想も立てられません。
 一般的に高校くらいまでの勉強ってほとんどが基礎ですよね。しかし、勉強していてもそれを何に使うか全然わからないわけですよ。最も、様々な事に興味を持って、自分の世界を広げていくのは個人ですることかも知れないですが、勉学という世界を広げるきっかけを学校はなかなか与えてくれません。
 かと言って、基礎で教える部分を縮小すると最近のように大学の先生が嘆くことになるわけです。本来、高校で教えていた事を大学に入って教えなければならないと専門に入るのが遅くなってしまいます。
 まあ、何が最適かはなかなかわからないですよね。いろんな分野を垣間見させつつ基礎をしっかり教えるという矛盾を片づけるのは難しいでしょう。
 さて、教育問題を論じるつもりではないので、その話題はこの辺で終了。
 最近、知人のレポートをちょっと手伝いました。
 プログラム系の授業なのですが、レポートだけいきなりやるのは難しいのでノートのコピーやプリントも一緒にもらったんですよ。で、それを見て思ったのが、いくらその授業を受けてもプログラムができるようにはならないと言うことですね。
 おそらく課題なども元々プログラムができる人や、そういう人に懇切丁寧に教えてもらった人しかレポートをこなすことはできないでしょう。例えて言うなら、サッカーのルールと技術を一通り勉強させられて「あとは勝手に上手くなって下さい」という感じです。プログラミングは技術なので、知識があればできるというものではないです。
 しかし、僕の大学でもそうでしたがどうやってプログラミングを組み立てるかとか、どうやって間違いを直すかとかそういう方法は一切教えてくれません。何度もトライ・アンド・エラーを繰り返していけばやがて身に付くかも知れませんが、それは日常的にプログラミングをしている場合で大学の課題だけではそこまでは無理でしょう。
 プログラミングに限らず、どの教科でも同じような事は言えます。でも、数学などは解き方のテクニックを教えてくれますからね。
 結局は自分でどれだけ積極的に取り組めるかどうかなんですが、やる気を起こさせるのも教育の一環なのではないでしょうか、本来は。

6月30日

 書感です。

「女王の百年密室」
 森博嗣/幻冬社
 定価:1900円
 初版:2000年7月10日
 ISBN4-344-0009-9

「すべてがFになる」や「黒猫の三角」などの独自の論理とセンスが際だつ作品群を書き続けている森博嗣。
 今回の作品は少し毛色が違い、近未来を舞台にしたSF作品として仕上がっています。
 SF作品をSFたらしめるのは舞台が近未来であったり、科学的に説明できるトリックがあったりすることではなく、作品そのものがSFでないと成り立たないということです。
 つまり、SFである必然性が必要ということですね。作品の分類というのは難しいし、それ自体に意味はないと思いますが僕の印象を言えばこれはミステリの要素を持ったSFです。
 遭難した主人公は山奥で老人に導かれ、小さな街にたどり着きます。そこには貧富の差がなく、安心して人々が暮らせる世界があるのです。街に滞在し、女王を始めとする様々な人を会話するうちにその都市こそ理想郷なのかも知れないと考えつつも違和感を募らせていきます。そんな中、女王の息子が殺されるという事件が発生し……。
 謎があり、それを解くのがミステリならばこれは立派なミステリです。しかし、主人公が挑むのはただの殺人事件ではありません。街の人々の発言、行動、思考。全てが主人公にとって謎。それらを一つ一つ解くことはできず、全体が絡まりあって一つの大きな謎を提供しています。
 世界中がネットでつながっている時代に、意図的に隔離されたこの街のシステムは、誰によって、なんのために作られているのか?
 街の人間の性質は明らかにシステムによって生まれたものです。人間は人間という種の性質だけではなく、生きていくためのシステムの影響を受けて変化します。異なるシステムで生きてきた主人公は、街では異質の存在です。
 システムは異質な存在を受け入れて変化するのか、それとも異質な存在を排除するのか……?
 その答えは神のみぞ知る。
 いや、神さえ知らないのかもしれません。
 人を人とするのは何なのか?
 人とシステムはどちらが先にあるのか?
 作中にちりばめられた多くの謎はミステリの範疇を越え、人間という生き物を追求する問いへと形を変えていきます。
 壮大なスケールのSF作品は古今東西に数多くあります、しかし思考という内なる宇宙への旅はなかなか味わえないものです。この作品がSFとして書かれたのは、その内なる宇宙への扉を作るために現在とは異なる世界が必要だったからなのでしょう。
 SFとして、ミステリとして、森博嗣の見せる新しい世界がここにはあります。


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