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7月16日

 アメリカ合衆国フロリダ州でフィリップモリスなど煙草メーカー5社が煙草によって被害を受けたとされる30万人に訴えられ、敗訴。15兆円に及ぶ損害賠償を命じられたそうです。
 煙草には中毒性がありますし、大量に吸えば間違いなく健康を損ないます。言ってしまえば毒を売っているようなものなのでしょうが、この訴訟にはいろいろと疑問を憶えます。
 朝日新聞の記事を読むと原告団の団長は毎日20本の煙草を34年間吸い続けた結果、咽頭ガンになって食べ物を摂取できなくなったそうです。単純に計算すれば25万本近くの煙草を吸ったわけです。当然ですが吸わされたわけではありませんがこれって本当に被害者なのかって思います。
 原告団の中には元看護婦などもいて、正しい医学的な知識を持っていながらやめられなかった、意志が強ければやめられると言うのは誤解だと言うようなコメントをしています。
 これは煙草メーカーに「煙草中毒にさせられた」という解釈をすればいいのでしょうか。
 アメリカ合衆国は訴訟大国とも言われますよね。何でも裁判で白黒つけたがります。責任の所在を明確にしない日本社会がよく非難の対象になりますが、例えばどこかに責任があったからと言って他に責任がないわけではないでしょう。
 裁判というシステムによって白黒をつけた結果、正しい者と正しくないもの、善と悪にわけられてしまいます。そして勝った方がどうなるかと言うと、金銭を得られるわけです。
 合衆国の力と言うのは、ある程度、このシンプルな論理によって培われてきたものではないかと思います。主張がぶつかりあったときにはどちらかをそのまま採用し、取捨選択を迅速に行うことによってより多くの決断をすることができるわけです。大統領制なども一人の人間に大きな権力を持たせることによって個性の力を国の力として発揮できます。しかしながら、その間で失われていくこともたくさんあるわけです。国が発展していく途上ではそういったエネルギッシュなシステムが有効かも知れませんが今日、世界一の大国となった合衆国ではどうなのでしょうか?
 歴史作家の塩野七生は著書の中で「国家は発展したのと同じ理由で滅びる」という言葉を書いています。

7月17日

 今日はアルバイトで埼玉県川越市へ行って来ました。
 川越って駅周辺しか行ったことがなくて、以外と発展しているなというイメージしかなかったのですが、今日はあちこち歩き回ったのでいろんな発見がありました。
 これまでアルバイトでは小田原、湘南、前橋とあちこと行ってきましたが、街並みなどに違いを感じでもそう遠くへ来たという感覚なかったんですよ。
 でも、川越はちょっと違います。新宿から西武新宿線に乗り一時間前後、終点の本川越で降りるとそこは、倉作りの街が並ぶ観光地なのです。ちなみに、東武東上線やJRの川越駅だと普通の都市です。
 川越は「小江戸」と言われ、昔から発展していたらしいですね。観光で行ったわけではないので街の成り立ちなどを調べる時間はありませんでしたが、地名に「城下町」などがあって昔の名残を思わせます。名産は芋らしく、地ビール芋ラガーや芋ソフト、芋どら焼きなど様々なものが売っていました。これらも残念ながら未挑戦ですが、芋ラガーってどんなのだろう?
 お寺や史跡なども多数あり、出土品などを研究する施設などもそろっていたのにはなかなか驚きです。自分の住んでいる県にも知らないことはたくさんあるものですね。
 最も、電車で数駅の大宮でさえほとんど行ったことないから当たり前かも知れません。埼玉県には95か6の市町村があるのできっと名前も聞いたことのないところさえあるだろうと思います。
 所沢駅にも川越の名所を訪ねるツアーなどのポスターがあって割と定番っぽかったです。西武線沿線ではメジャー?
 僕は前から鎌倉あたりをぶらぶらと観光してみたいと思っていましたが割と近くに思いがけない場所を見つけてしまい、少し嬉しいです。これはそのうち史跡巡りに行かなければ。
 全くの余談ですが、川越にも富士見っていう地名がありました。浦和にも小田原の方にもあったのですが、やっぱり富士山が見える地域ではどこにでもあるのでしょうね。
 もちろん、富士山の本場、静岡県には富士見市があります。
 地元の友人の話によると、富士山のある方が北だと思って育ってきたので他の土地では方向感覚が狂うそうです。
 僕はそんなに旅行好きと言うわけではありませんが、こうやってあちこちへ行ってみると、いろんな発見があるものですね。前に書いたホリデーパスやJRの青春18切符なども使うと経済的にいろんな土地を巡る事が出来て楽しそうです。
 これ以上趣味を増やすと大変ですけどね。

7月18日

 書感です。

「殺竜事件」
 上遠野浩平/講談社
 定価:880円
 初版:2000年6月5日
 ISBN4-06-182135-0

「ブギーポップは笑わない」でデビューした上遠野浩平ですが、ブギー以外ではこれが初の作品。メディアワークスはではなく講談社というのがなかなか驚きです。
 さて、物語は別世界が舞台。強大無比な力を持つ生物、竜が何者かによって金属の棒で刺殺され、国際問題となる。その犯人をつきとめるため、仮面をつけた「戦地調停士」EDことエドワード・マークウィッスルを中心に3人の若者が旅に出る。
 不可能とも思えるこの犯罪はいかにして行われたのか?
 ミステリとファンタジー、両方の要素を兼ね備えた作品です。ファンタジーやSF世界でのミステリは他にも例がありますが、難しいところは可能と不可能の境目がわかりにくいと言うことです。「実はこんな方法があったのだ」というのでは読者は納得しません。この作品では旅を続けながら舞台となる世界を少しずつ解説し、竜という存在を明確にしていきます。
 中心となるのは謎解きそのものよりも旅の途中で出会う様々な人物や事件。長編というよりは短編集のような雰囲気でもあります。
 上遠野浩平が緻密に物語を組み立てていくタイプの作者だからか、この世界にはファンタジーに見られる曖昧さのようなものがほとんどありません。通常、ファンタジーというのは中世ヨーロッパ的世界を舞台にしていますが、この物語の舞台はあくまで「現代」であり、騎士や竜が存在したからと言って過去に存在し得たような文明ではないのです。魔法が存在し、それによって様々な発明が為され、文化を発展させてくればこうなるであろうという世界を主人公たちは旅して行きます。
 仮面の奥に本当の心を隠して健忘術数を駆使し、世界をどこかに導こうとする戦地調停士、ED。正義漢で通常の人間を遙かに越える戦闘力を持つ「風の騎士」ヒースロゥ・クリストフ。
 その二人を見つめ、語り手となるヒースロゥの同期生、レーゼ・リスカッセ。この3人の旅は、おそらくまだ始まったばかりです。この「殺竜事件」から世界はどう動いていくのか、登場人物たちがどういう運命をたどるのか。
 壮大な物語の予感を感じさせる作品です。

7月19日

 今日は試験のため大学へ行っていたのですが、午後の試験を終わらせてサークルのたまり場へ行こうとしたら、どういうわけか学生会館が黒く霞んでいました。
 変だと思って近づいてみたら、なんとミツバチの大群。
 数十匹などというレベルではありません、2階の高さより少し上くらいのところを数百匹はいるだろうと思われる蜂が飛び回っているんです。
 無視全般が苦手な僕としてはまったく近づきたくなかったのですが、異を決して蜂の密度が薄いところから建物に入り、4階の談話室へ行って今度は上から見てみました。
 やはりすごい数の蜂で、何かを中心に群を作っていたようですが徐々に数が少なくなっていき、やがて飛び回る蜂は数十匹程度まで減っていきました。
 昆虫好きの知人の話では、巣を移すために女王蜂が移動し、その周囲を働き蜂が回っていたのだろうと言うことです。
 今日、学内ではあちこちで木を切っていて、巣のある木がそれによって切り倒されたのでしょうね。学校は西東京にあるのですが、学内には虫が多いです。
 改築前の学生会館では信じられないような大きさの蟻が這っているのを見たこともあり、あちこちに大きな蜘蛛が巣を作っていたりもして、夏はなんとなく熱帯気分でした(笑)
 今回はミツバチだったから良いようなものの、3センチ以上はありそうなスズメバチだったりしたらちょっとたまりませんよね。
 実家の庭も春先に虫が多くて、やっぱり大きな蜂がうなりをあげてさるすべりの木の周辺を飛んでいたりし、朝、新聞を取りに行くのが嫌でした。
 さて、先ほどのミツバチですが、大移動しているということはその先に巣を作るのでしょうか。女王蜂がどの辺にいたのかはわかりませんが、飛び回っていた群の中心を考えると学生会館に続く通路の入り口あたりでしょうか。ミツバチは滅多に人を刺したりしないし、刺されても大した事はないと言いますが、やはり蜂はちょっと怖いです。実際に刺された事がないから余計に怖いのかも知れませんけどね。
 僕はそんな人間なので、もちろんアウトドアは苦手です。
 同じような理由で海も苦手。海辺ってなんか細かい虫とかいるじゃないですか。最も、それが理由でアウトドアを敬遠するわけではないですが、積極的にはなれません。
 虫嫌いってどう育まれるのかは謎ですね。特に虫に関する嫌な思い出とかはないのですが。
 特に克服しようとも思いませんけど(笑)

7月20日

 今日は映画感。

「ボーイズ・ドント・クライ」
 キンバリー・ピアース監督/脚本
 ヒラリー・スワンク主演

 1993年、アメリカの田舎、フォールズ・シティでティーナ・ブランドンという若者が殺されました。この事件が注目されたのが、その被害者が性同一性障害であったためです。肉体的に女性でありながら男性として振る舞い、男性として恋をして、そのために殺されてしまったこの若者を題材に作られたのが「ボーイズ・ドント・クライ」です。
 主人公、ティナ・ブランドンは幼いことから自分が女性であるということに疑問を持っていて、男のような少女として生活していたのですが、ある日、髪の毛を切り男の服装をして完全に男性として生活を始めます。
 映画を見ている方としては、ティーナは完全に「彼」なのです。髪型を気にしたり、女の子をナンパしたりと男の子の青春を送っています。彼自体は紳士的で優しい人間なので、女の子にも好かれるのですが、身体が女性なので最後の最後では受け入れられないで終わってしまいます。女性だけでなく男性にも好かれる彼なのですが、実は女性だとわかってしまったとき印象が良かっただけに「裏切られた」という思いが強いのか、時には憎まれることすらあるのです。
 アメリカではそういった障害や同性愛者に対する理解のある地域もありますが、舞台となるのは田舎で異質な者が受け入れられにくい環境で、それ故にブランドン自身も平気で嘘をついたり盗みをしたりといった生活をしていました。
 そんな彼が地元のバーで出会ったならず者に連れられて、見知らぬ土地へ行くところから物語は始まります。誰もティーナが女性だと知らない土地で、彼は地元の不良グループとパーティーをし、男として認めてもらうために無茶な事をしたりと無軌道な生活を送ります。
 そして彼はラナという女性に恋をし、閉鎖的な街に飽き、憂鬱な日々を送っていた彼女もまたティーナのエネルギーに惹かれていきます。
 しかし、ティーナは肉体的には女性。うまく行っているように見えてもやがて訪れる悲劇を誰もが予想するでしょう。
 ある日、スピード違反で捕まった彼は免許証から女性とばれ、前の街で犯した罪によって監獄へ入れられてしまいます。
「彼」が女性だとわかったとき、それまで仲間だった人々は豹変し、異質な者を排除しようとするのです。しかし、ラナだけは人間としてティーナを受け入れようとします。
 様々な体験をしながら、やっと本当の自分を愛してくれる人間を見つけたティーナ・ブランドン。ですがそこから物語は悲劇に向かうのです。
 性同一性障害というテーマを扱ったこの作品ですが、それを越えて人間の本質とは何かと考えさせられます。人を愛するとき、それはどこを好きになるのか?
 何が受け入れられて何が受け入れられないのか。
 それはただ個人の壁ではなく、文化の壁によるものも大きいですよね。

7月21日

 書感です。

「ARMS 13巻」
 皆川亮二/小学館
 定価:486円
 初版:2000年8月15日
 ISBN4-09-124893

 エグリゴリの刺客、コウ・カルナギに襲撃され重症を追ったARMSの巴武士は植物状態に陥り、眠り続ける。
 一方、天才少年アル・ボーエンはエグリゴリの科学者ティリングハーストに教えられたネット上のURLにアクセスする。それに呼応するように武士のアームズが暴走し、武士の意識はネット上の仮想空間へと閉じこめられる。そこで目撃したエグリゴリ創設の謎を中心に今回は進んでいきます。
 この物語の中心となるのは主人公、高槻涼のARMS「ジャヴァウォック」
 強大無比な戦闘力を持ち、あらゆるサイボーグやサイキックを寄せ付けない。半物質すら生成できるというその力はもはや人類の存亡にすら関わるほどに。
 それだけの力を持った高槻涼の悩みは深く、そのために今まで持っていた冷静は判断力を失ってしまった彼はARMSチームの柱としての力を発揮出来ずにいます。
 この漫画で面白いのは、戦いの勝敗が持っている力の強さだけでは決まらないこと。もちろん、力は大切なのですがARMSの4人はそれぞれが様々な悩みを抱え、それを有効に使うことができなかったりするのです。
 12巻で高槻涼の父親と思われる謎の日本人の指導を受け、激しく燃える火の心に加え、流れる水のような心を取り戻した神宮隼人にとって、今の高槻涼は弱々しい存在でしかなく、かつての自分を見ているかのような感覚にいらだちを募らせたりするのです。
 ARMSは展開として静と動が繰り返されるという傾向がありますが、今回は静の方。動、つまりエグリゴリ上層部のARMSたちとの決戦に向け、着々と準備を進め、己を磨く期間には独特の緊張感があって楽しめます。
 一時期は大風呂敷を広げすぎているのではないかと危惧していましたが、そろそろこれまでの話がうまくまとまってきているようで一安心。あまりだらだらと続けずに20巻くらいですっきり終わらせて欲しいですね。

7月22日

 夏ってアルバイトでけっこう稼ぐのでいろいろと買いたいものを考えます。夏の旅行のお金などはそれまでに貯めてあるため生活費を超えて稼いだ分の8割くらいは何かに費やしてしまうのですがパソコン関連機器って欲しいものを挙げるときりがないですよね。
 とりあえず今のパソコンそのものにはかなり満足しているので置いておいて、最近は入出力機器が気になります。
 ありていに言えば、プリンタとデジカメですね。
 僕はとりあえずどちらも持っています。
 プリンタはずいぶん前のEPSON製インクジェットプリンタMJ-830Cで、通常の使用にはまず問題ないですが、最新機種と比べるとかなり遅いし、カラーの鮮明さも段違いです。
 デジカメはQV-200というカシオのもので、30万画素のモデル。今と比べると十分の一ですね。640×480の画像が撮影できれば十分なんですが、カメラ自体の機能が貧弱でフラッシュもズームもないし、ファインダーだけで撮影もできません。どちらもうまく使いこなせば使用には耐えますが、あちこちで最新機種を目にすれば新しいのが欲しくなるのは当たり前というものです。
 迷いどころなのはデジカメとプリンタどちらを先に買うかと言うことでしたが、そこは単純に値段を比較して安いプリンタの方でしょうね。
 プリンタはだいたいCANONかEPSONのどちらかということになりますが、無難に使えるのはやはりEPSON。画質などでは横並びかも知れませんが、EPSONの最新機種、PM-820Cだとロール紙を使っての印刷では連続で縁なしの画像が印刷できるため、出力したものを切ればフィルムで撮ったものを現像したのとほとんど変わらないというのがかなり魅力でした。値段は3万7千円前後になってしまうのですが、おそらく数年は使えるはずなので給料が入ったらそれという感じですね。
 デジカメの方が200万画素程度のものが欲しいです。
 300万画素クラスのものも出ていますが、おそらくそこまでのものは必要ないはず。それよりもカメラとしての機能がしっかりしているといいです。
 僕はあまり写真を撮らなかったのですがそれはフィルムを現像に出すのが面倒だから。いいプリンタとデジカメを買って、今まで使っていたAPSカメラの代わりにしようと目論んでいます。コスト的にも一枚数十円でほとんど変わらないです。
 さて、いろいろと夢は膨らみますがまだ夏のアルバイトを始めていないのでとらぬ狸の皮算用といったところでしょうか。
 まあ、目標があればバイトにも力が入るかな(笑)

7月23日

 書感です。

「日常ええかい話」
 原田宗典/扶桑社
 定価:1165円
 初版:1991年5月10日
 ISBN4-594-00725-2

 原田宗典のエッセイです。
 よく「毎度、バカバカしいお笑いを」って言いますが、このエッセイはまさにそんな感じ。AからZまで英単語にひっかけてエッセイが書いてあるのですが、これがまた下らない話題ばかりなんですよね。もちろんですが、この本はそれを楽しむためのものです。
 面白可笑しくエッセイを書くという点では椎名誠などが近いかも知れませんが、どっちかと言えば自然体で面白い文章が書ける椎名誠に比べ、原田宗典は「面白可笑しく書こう!」と力んでいるような感覚があります。その不器用な感じがまた笑いを誘うのかも知れません。
 内容としてはほとんどが思い出話。しかもほとんどが失敗談です。よくもまあこれだけあるというくらい次から次へと出てきます。人の失敗談は語り方によって面白くなることは保証済みですが、この作者の場合、自分の失敗を語るのに何か照れがあるので失敗そのものよりむしろそちらが笑えます。
 とお、いうように原田宗典という人はとても個性的。
 少年のような心を持った大人と言えば聞こえはいいですが、実際は子供っぽさとおじさん臭さが微妙に混じり合ってなんとも言えない味になっています。
 平凡なようでいてちょっと違う、その「ちょっと」が原田宗典という個性の中で大きな役割を果たしているのです。
 この本を読んで衝撃を受けたり心底感心したりすることは絶対にありません。それどころか下らないと途中で読むのをやめてしまう人もいるでしょう。ですがひょっとすると、そのくだらなさを面白いと思ってしまった自分に腹が立つのかも知れませんよ。
 エッセイは人を楽しむものです。
 この原田宗典にはとても癖があって、味もわかり難いです。
 正直言うと、おいしいかどうかも微妙。
 でも、食通が珍味を求めるように、こんなものを求めてもいいのではないでしょうか?

7月24日

 書感です。

「プチ哲学」
 佐藤雅彦/マガジンハウス
 定価:1200円
 初版:2000年6月16日
 ISBN4-8387-1226-X

「だんご三兄弟」で大ヒットを記録した佐藤雅彦のイラスト&エッセイ本がこれ。
 通学電車でちょっと佐藤雅彦の描いたかわいいカエルが「なんかなっとく」とちょっと気取ったポーズで感心する中吊り広告を見て、猛烈に欲しくなり、購入しました。
 これは雑誌「オリーブ」に連載されていたもので、作者がちょっとした漫画を描き、それに関する解説を載せるというスタイルで続けていたようです。
「バザールでゴザール」や「だんご三兄弟」のように、シンプルさの中にある可愛らしさが佐藤雅彦の売りですが、それだけでなく音や間を意識した描き文字と「ん?」と疑問を持たせておいて「あ、そうか」と納得させるところにCMクリエイターとしての力を感じます。
 氏の作品というのは、計算され尽くされたという感が強くて読んでいる途中に反感を覚えるようなところもたくさんあります。言っている事が違うと感じるわけではなくて「こうこう計算して作りました」と言われると、まったくその通りに感じてしまっている自分に腹が立つのです。
 漫画についている解説も、丁寧口調でなんとなくわざとらしさ、説教臭さを醸し出しているのですが、もしかしたらそれすら計算済みなのだろうか、とか疑ってしまいます。
 それでも次のページを開けば「あ、なるほど」「うん、納得」という感覚が待っており、それが楽しくて次々と先に進んでしまうのです。
 巻末には4コマ漫画家、中川いさみとの対談があって、発想というものに対する話が面白いです。
 目から入って来る情報や、耳から入ってくる情報の即効性は文字と比較にもなりません。彼らはそういうものを道具として使いこなし、様々な表現を編み出しています。そんな佐藤雅彦でも、計算してかわいいものは作れないというのがなかなか不思議でした。氏のキャラクターは露骨にかわいい感じがあるのですが、視聴者に媚びたところがないため、非常に生きた感じが強いです。それが計算ではないところから生まれるセンスなんだなって思います。生まれ持ったセンスと、それを活かすための計算。両者を併せ持った佐藤雅彦の仕事にはやはり強く惹かれてしまいます。

7月25日

 書感です。

「バガボンド 7巻」
 井上雄彦/講談社
 定価:524円
 初版:2000年7月21日
 ISBN4-06-328702-5

 宮本武蔵の青春時代を「スラムダンク」の井上雄彦が描く大作の第7巻。天下無双を目指し、武者修行を続ける武蔵は槍術で知られる宝蔵院へ乗り込む。
 そこで若き天才、宝蔵院胤舜と出会った武蔵は、あまりの実力の差から恐怖に負けてしまう。技や力ではなく心の大きな違いに気づいた武蔵は山に籠もり、宝蔵院の前当主、胤栄に教えを請う。そして再び決戦の日が……。
 武芸者の父を持ち、幼い頃から山で育った武蔵の肉体は極限にまで鍛えられ、常人とは比較にならない。しかし、それだけでは天下無双に近づけないという焦りを感じてもいます。
 最初の頃、武蔵と他の人間との大きな違いは度胸でした。
 相手の剣を前にし、命のやりとりに及んでも恐れる事なく力を発揮する彼に対し、それを恐れる人間は手も足も出ずに敗北してしまいます。
 しかし、そのレベルを越えたところ、達人の世界に片足を突っ込んだ今、度胸はただの無謀でしかなく、相手を恐れさせた殺気も自分の動きを知らせる信号でしかありません。
 ライバル、胤舜は「実りある勝負をくれる相手を愛するかのような」大きな心の持ち主と言われ、修羅の権化であるかのような武蔵とはまるで正反対。武蔵は心の平静を求め、胤舜は命のやりとりの狭間で何かを掴みたいと欲しています。
 胤舜と武蔵の再戦と時を同じくして、胤舜の師、胤栄はかつての自分を振り返り、剣の道を示した師匠を回想。当代一の槍の名手、宝蔵院胤栄と天下無双の剣豪、柳生石舟斎はかつて同じ師を持ち「我」ではなく「天地」と一体となった剣を学び現在に至っているのです。
 心技体だけではなく、天地という広い視野を持つことによって剣豪と言うにはあまりに穏やかな師、上泉伊勢守秀綱に胤栄はまるで正反対の武蔵を重ねる。
 この巻で何度も触れられているのが「穏やかな心」
 剣豪の世界を描くうえで、力強さや速さは迫力のある絵によって表現できるのでしょうが、穏やかな、しかも目に見えない心を表現するのは難しい。それを言葉に頼らず、圧倒的な画力によって表現している井上雄彦はやはり他の漫画家と一線を画する実力を持っています。
 漫画と言うジャンルによって初めて可能になる心の描き方。
「スラムダンク」で時間を描いた井上雄彦はここでも、新しい形を見せてくれています。

7月26日

 書感です。

「魔法の杖」
 俵万智/河出書房新社
 定価:1200円
 初版:1989年5月25日

「サラダ記念日」の俵万智が様々な人々と言葉や短歌について語るのがこの対談集。
 対談の相手はコピーライターの川崎徹、歌人の佐佐木幸綱、詩人の清水哲夫、評論家の吉岡隆明、指揮者の岩城宏之、劇作家の野田秀樹、国語学者の大野晋、作家の島田雅彦、テレビプロデューサー石井ふく子、コピーライターの糸井重里、女優の吉永さゆり、写真家の浅井慎平、映画監督の山田洋二、作家の田辺聖子、作家の井上ひさし、そして放送研究家、稲垣吉彦。
 これを「各階を代表する人々」とせずに一人一人書いてしまったのはそれぞれとの対談で、相手の俵万智に対する理解と俵万智の相手に対する理解というものが深く、俵万智のファンだけではなく対談相手に興味を持っている人ならば必ず面白く読めると思ったからです。
 短歌という一見むずかしいジャンルを簡単な言葉で表現し、多くの人の支持を集め、社会現象にまでなった俵万智だけに誰もがその作品を読んでいるわけです。
 それに対し、俵万智もまた相手のことをよく勉強し、本当に相手の仕事が好きになってから対談をしているという印象。
 相手に対する好奇心が読者にとっても心地よいのです。
 特に面白かったのは国語学者、大野晋との対談。
 高校時代から大野晋の著作を読んでいたと俵万智は語り、大野晋も俵万智の短歌を「研究対象」として見たばあいにどうなるかと言うことを話します。
 俵万智は対談当時、高校の国語教師でもありましたからあながち違うジャンルの人間の対談ではないですが、世代や視点の違いなど様々な意見が交わされる楽しみがあります。
 本全体を通して見ると、俵万智が様々な相手に自分の短歌に対する思いを語っているといったものになるのですが、ただ一人で書くエッセイと違い、相手の個性に合わせて答えが引き出されると言った感覚は対談集独特のものですね。
 俵万智はたいへん柔らかい言葉の使い方をする人で、いかにも文学好きの女の子が大人になったという印象。
 共感できる人は多いと思います。

7月27日

 書感です。

「ぼのぼの 19巻」
 いがらしみきお/竹書房
 定価:533円
 初版:2000年8月27日
 ISBN4-8124-5415-8

 のんびりやで鈍いが実はいろんな事を考えているラッコのぼのぼのと、いじめられっ子ながらたくましく生きるシマリスくん、そしていじめっこだが行動力のあるアライグマくんの3人が繰り広げる森の日常。
 癖のある大人たちに囲まれながらも、それにはぐらかされず自分たちの疑問をひたすら追求するぼのぼのたちの毎日は実に楽しそうです。
 19巻ではぼのぼののお父さんが太ったという話、アライグマくんが新しい食べ物を発明したという話、旅人と出会う話、いなくなったスナドリネコさんを探しに行く話の4つ。
「ぼのぼの」はあくまで子供たちを主人公にした漫画ですが、味を出しているのは周囲の大人たちでしょう。子供の無邪気な疑問ばかりでは笑いにも限界が出てきてしまいます。
 実は、出てくる大人たちはみんなぼのぼのをはじめとする子供たちの疑問に答えることはできません。そこで意味ありげな事を言ったり適当にごまかしたりするのですが、それぞれの態度に個性の差を感じます。いつも不機嫌な様子を見せて面倒を避けたいアライグマくんのお父さんや、豊富な知識で関係ない話題にすり替えようとするクズリのオヤジ。彼らの子供時代もきっとぼのぼのたちと同じようにあちこちへ行っては疑問を振りまいて迷惑をかけたのだろうな、と思わせます。
 結局、大人に聞いてまわっていろいろ言われながらもぼのぼのは納得せず、自分で様々な事を考えるわけです。最後には彼なりの結論も出ます。読者として、それに納得できるかどうかはそれぞれでしょうが、きっとぼのぼのは一度出した結論にも満足せず、同じ事を繰り返すんでしょうね。
 これはこれっていう型にはまらずに日々変化していくのがとても子供らしい。変に成長させて物わかりを良くせず、バカかなって思われるレベルで続けている作者はなかなかだと思います。
 余談ですが「ぼのぼの」キャラで一番隙なのはスナドリネコさん。いつも一人で勝手に行動し、ぼのぼのたちにとってもいい相談相手、遊び相手になっているのですが、誰にも見えないところで森を守るという義務を黙々と果たしています。
 ある意味ヒーローなのですが、彼の場合はヒーローにあこがれてその役割を果たしているという感じです。しかしそれを人に誇示して喜ぶのではなく、あくまで自分の満足のためにしているというのがかっこいい。美学というやつですね。
 どこか変なキャラばかりの「ぼのぼの」ですが、案外とそういう人たちって周囲にいるものです。

7月28日

 書感です。

「相談しよう そうしよう」
 原田宗典/メディアファクトリー
 定価:1100円
 初版:平成10年3月31日
 ISBN4-88991-546-X

 自称、人生相談道五段の原田宗典が雑誌「ダ・ヴィンチ」読者の相談に答えるコーナーがこの「相談しよう〜」です。
「ダ・ヴィンチ」で人生相談の特集をしたときに原田宗典宛のがものが多かったのが始まりとか。原田宗典のエッセイはいつもおもしろおかしく、世の中のバカバカしい事をもっとバカバカしい内容で笑い飛ばしてくれるようなところがあるのですが、なかなかこの人生相談、納得できるきちんとした解答がされています。
 ここにも原田宗典特有の照れくささがにじみ出ているようでやっぱり文章は面白可笑しいのですが、原田宗典自身が様々な経験を経て作家になった人で喜怒哀楽も豊かだというのが伝わってきます。
 人生相談というのはその人のパーソナリティがにじみ出ますよね。
 恋の悩み、日常生活の悩み、対人関係の悩みなど寄せられる質問もまた様々で割と深刻なものもあります。たいていの質問は原田宗典が自信の体験を例にとって説明しているところに説得力があり、相談を寄せた人の信頼感が得られそうです。
 人生相談ものというジャンルで僕が好きな本には中島らもの「明るい悩みの相談室」という本がありますが、こちらはかなりバカバカしい悩みに対してさらにバカバカしい解答を中島らもがするというもの。
 中島らもも原田宗典も舞台をやっているコピーライターという共通点がありますが、日本で演劇をやっている人は苦労が多いのか人生経験の深みを感じます、どちらにも。
 実を言うとこの本、人生相談だと知らずに借りました。
「明るい悩みの相談室」などはエンターテインメント性が高いのから読む気になるのですが、僕自身はあまり人の人生相談を読んで感心するとは思えなかったんですよね。悩みというのは誰しもそうですが、本人にとって真剣でも周囲から見れば相談するまでもなく解決できるだろうというものが多いです。
 しかし、その一つ一つに対し親切に解答していく原田宗典の姿勢に(仕事とは言え)人間的余裕を感じました。
 作家として読者に相談を寄せられるっていうのはその文章にそれだけ魅力があるからでしょう。おもしろおかしい文章の中に、原田宗典はいつも自分を込めて世に送り出しています。

7月29日

 体力不足を実感するこの季節ですね。朝はいつも果物から食べるようにして食欲を保っています。
 さて、この熱い日差しの中、サッカーをやってきました。
 僕は大学で留学生にアドバイスをするチューターというアルバイトをやっているのですが、僕の担当する中国からの留学生がサッカー好きで前々からやろうと言っていたので、一緒に計画し、人を集めてやってみました。国際交流サッカー大会というポスターを構内にはったりしましたがちょっと大げさだったかも知れません。
 野球でもバスケットでもいいのかも知れませんが、やはりどこの人でも楽しめるのはサッカー。ゴールがなくても工夫次第で様々な遊びが出来ますからね。知っている留学生に声をかけてみればたいてい参加すると言ってくれたので、試験最終日の翌日に日程をとりました。
 しかし、サッカーをやろうとするときに問題となるのは場所です。学校のグラウンドは運動部の予約でいっぱいですし、簡単に貸してくれたり自由に遊ばせてくれたりするグラウンドってなかなかありません。
 場所があってもサッカーゴールまで置いてあるところはまれですしね。せっかくたくさん集まっているのだから思い切りシュートしたいものです。で、探してもらった結果、学校の近くのカソリック教会が自由にグラウンドを使って良いと言うことでしたのでそこで開きました。
 僕は今までも何回か人を集めてサッカーをやっているのですが、いつも痛感するのは体力のなさ。最初の5分くらいは思い切り走り回っているのですが、あとはずっとへとへとの状態でなんとか動いているという感じ。
 それでも一生懸命ボールを追ったりはしますがかなり厳しいです。まあ、それはみんな同じようなものかも知れませんが、今回やってみたら留学生はみんな、なかなか体力あるんですよ。集まったのは中国人留学生がほとんど。アフリカからの留学生が一人で日本人が少しという感じでした。
 さて、僕自身は下がり目のポジションで守備を中心に行動。
 みんなそれほどうまいと言っても素人なのでフェイントをかけられたり左右にふられても意外についていけました。これは自分でも驚くほど。しかし、普段運動していないせいか、ある程度粘って追いつめるとそこで満足してしまうんですよ。
 そのときは精一杯やっていたつもりでも、後で考えてみてまだ動けたと気づいたりします。ありていに言えば根性が足りないということですね。普段動き慣れていないと自分の能力を最大限に活用することも難しいです。
 攻撃面では当たり負けしないというのが幸いして割と強引にボールを持って進み、パスやシュートに持っていけましたがこれも精度が低くて相手チームに渡してしまうことしばし。
 練習もほとんどせずに始めたから仕方ないと言えば仕方ないのですが落ち着いて蹴ればもう少しマシな結果が出るかも知れません。
 結局、一勝一敗でなかなか楽しかったのですが午後は帰って家で寝てました。もう少し涼しくなったら再チャレンジの予定です。

7月30日

 書感です。

「田宮模型の仕事」
 田宮俊作/文春文庫
 定価:524円
 初版:2000年5月10日

 小説の楽しみとは別に、企業の成長記というものには人をワクワクさせるものがあります。特にメーカーでごく小さな会社から短期間で大きくなるようなところには、他と一線を画すだけの何かがあるわけです。
 田宮模型はプラモデルの老舗として知られ、レーサーミニ4駆で大きなブームを巻き起こしたりもしています。
 作者、田宮俊作は戦後すぐに田宮製作所で働き始め、現在の田宮模型を作った人物です。同族会社でしたが、それぞれが情熱を持って模型に取り組み、どこにも負けない「小さな本物」を作るという姿勢がやがて世界中に認められる事になるわけです。
 メーカーはもちろん、物を作りそれを売って利益を得るわけです。ですから開発だけでなく広告展開や販売戦略などが大きく影響します。しかしながら、その根本はやはり企画と開発能力によるものが大きいですね。全力を込めて最高のものを作り、そこで初めてどう売るかという問題になってきます。
 田宮模型の掲げる「First In Quality Around The World」という目標、つまり「世界最高品質」という言葉が田宮模型だけでなく日本のおもちゃメーカー全体を引っ張ってきたことは間違いありません。
 僕自身、プラモデルを始めとする模型類やおもちゃ類が大好きなのですが、マニア向けの精密モデルならともかく量産される海外トイの品質にはどうしても満足できません。高度なプラスチック成形技術や設計段階でのノウハウが高品質の製品を作るというただ一点のために洗練されてきた結果が如実に反映されています。
 さて、作者の田宮俊一、相当な「模型バカ」です。
 模型好きな人はそもそもメカ好きな人が多いですが、取材で海外を飛び回っては食事も忘れる程に熱中して写真を撮り、構造を研究したりします。組み立ててしまえば見えないところまで細かく作るこだわりには「たかが模型」という意識はまるでありません。オートバイの模型を作る時には本物と同じようにシャーシを作ってそこにエンジンを載せるという手順にこだわり、戦車では通常見ることのできない腹部の形状を細かく再現しようとします。疑問に思ったら手にとってよく見ればどんな形かわかる、という模型のお手軽さを活かすための苦労は全く惜しみません。
 特に驚いたのはポルシェのプラモデルを出すために本物のポルシェ911を買って分解してしまったり、F1の模型を出すためにF1のスポンサーになってしまったりするエピソード。
 模型というのは完全に趣味の世界ですが、この田宮俊作こそ世界一の模型ファンかもしれない、と思ってしまいます。その趣味が極まって業界最高の会社を引っ張ってしまうという生き方にはあこがれますね。

7月31日

 久々に高校時代の部活仲間と集まってました。
 中学高校は、科学技術班(中学、高校は何故か部でなく班だった)というところに所属していて、アマチュア無線や電子工作、プログラミングなどの活動をしていて、文系教科が得意だったのに理系大学へ入ってしまったのはその影響もかなり強くあります。
 男子校出身の人間が7人も集まって長時間過ごしているのにアルコールが入らないのは僕らだけだろうと思いましたがそれはさておき、いつも物理や技術などの話題で盛り上がっています。大学生になると皆がそれぞれ専門の勉強をしていてその研究などの話を聞くだけでなかなか面白いです。
 後輩の一人が研究室で小型のガスタービンを作っていて今回はその話をしてくれました。ガスタービンはガスを燃焼させてタービンを回す機関ですが、小型化すると燃焼させる部分の熱がガスを圧縮する部分に伝わってしまいます。物質は熱によって膨張するのでもちろん圧縮効率が悪くなるわけです。余談ですが電気回路でも高密度になると回路と回路が接近し、そこで放電現象が起きて働かなくなったりするわけです。
 小型化にあたっては部品を作るのが難しいというだけでなく無視できない物理現象が多くなるという問題があります。
 現在は電気によるエネルギー供給がほとんどです。その電気も基本的には資源を燃やして出る熱でタービンを回し、作られています。電気のメリットは一カ所で生産し、それを電線によって各地に供給できる事ですがもともと熱エネルギーであったものを電気に変換し、それを再び熱や光、動力に変換するわけでその間に失われるエネルギーは多大なものになります。
 ですから、内燃機関で直接熱や動力を得た方が単位質量、体積あたりでのエネルギー効率はずっと上なのです。もし超小型かつ安全な内燃機関があれば、街頭のガス供給機などでエネルギーを補給し様々な日用品を動かせるかも知れません。
 もちろん、大学での研究がそういった事に結びつくとは限りませんが、自分のしている勉強にそういう夢を持てれば楽しいですよね。
 ガスタービンの話の続きなのですが、精密備品を作る際に、工具で削りだしなどを行うと熱膨張によって最初と工具のサイズが変わってしまうので完璧な精度が出ないので、熱膨張率がゼロの物質が欲しいという話をしていました。
 もちろん、そんな物質は自然界に存在しません。後輩曰く、ナノ単位の固まりがそれぞれ熱を関知したらお互いの距離を縮め、膨張した分を取り戻すようなものを作ればいいのだそうです。僕自身の発想では、膨張後のシミュレーションを綿密に行い、膨張を計算に入れて制御をするようなプログラムを作って解決すればいいというものだったので後輩の理屈には度肝を抜かれました。
 僕の発想の方が割と一般的だと思います。まずやってみて思うようにいかない部分では例外処理を行って修正するのです。
 ほとんどの製品ってそういう事の繰り返しで成立し、どんどん複雑になっているわけです。プログラミングなんかでも同じでエラー修正を繰り返しプログラムが大きくなっていくんですね。もちろん科学知識のない人間が後輩と同じような発想をすると笑われるのでしょう。細かい説明は省きますが、一度笑った僕も後輩の理論を聞いていたらなるほどと思わざるを得ませんでした。もちろん様々な問題点もありますが、まず不可能そうな事を考えてそれを解決するために知恵を絞るという挑戦的な発想がうらやましいです。
 高校時代の仲間と会うのは過去を振り返る事ではなく、こんな風に刺激を受ける楽しみがあるからだと実感しました。


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