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9月1日
書感です。
「月下の棋士 29巻 出発」
能條純一/小学館
定価:505円
初版:2000年10月1日
ISBN4-09-185129
滝川名人との対決を賭け、A級順位戦を戦ってきた主人公、氷室将介と佐伯宗光。順位戦で2敗と苦戦の氷室に対し、無敗で戦いに臨んだ佐伯との直接対決は氷室の勝利。そして最終戦では最後の命の火を将棋に注いだ大和天空が佐伯に勝利し、共に2敗でプレーオフに突入します。
「将来の名人なり」と書かれた祖父の推薦状を持って東京の将棋会館に氷室が現れてから作品内の時間で6年。圧倒的な強さで奨励会の棋士たちを叩きのめしてきた氷室も上に行くに従って底知れぬ力を持った「怪物」たちとの戦うことになり、今も己の身を削っての戦いを続けています。
氷室の目標は滝川に勝つということだけ。今までまともに対局したのもたった一度だけで、そこは氷室の負けという結果。
将棋で勝ちながらも滝川の底知れぬ力に惑わされ、敗北を味わっています。
対する滝川もずっと名人戦を氷室と戦う事を望み、待ち続けているのです。しかし、そこに現れたのが新世代の天才、佐伯宗光。最初はテレビゲーム好きのちょっと変わった少年棋士という印象しかなかったのですが、彼もまた将棋の世界にどっぷりはまり、時期名人と言われるまでの実力を持つに至っています。氷室が滝沢に勝ちたいように、佐伯は氷室を負かすため将棋を続けています。しかし、滝沢と氷室が互いを認め合っているのと違い、氷室にとっての佐伯はただの障害に過ぎません。
例え佐伯の将棋がいくら氷室を追いつめようとも、佐伯では物足りないのです。
将棋にかけるものの大きさの違い、と言ってしまえばそれは簡単ですが、佐伯はそれを否定します。例えどんな立場であってもどんな環境であっても、将棋の実力には関係ない、と。
それは当然です。因縁や上下関係などが渦巻く将棋界においてそういうものから自由である佐伯はそれを自らの強さともしています。氷室や滝沢もまた、自由な存在ではありますが、強いから自由でいられる両者と、自由であることによって強さを手に入れた佐伯との間には大きな隔たりが感じられます。
さて、しばらく不調な氷室を見続けてきた読者としてはストレスが貯まっているところ。しかし、29巻での氷室はこれまでとひと味違います。弱気とも見えた氷室の心の奥では、確実に新しい何かが生まれ、それが強さとして発現し始めているのです。佐伯宗光との勝負はまだ始まったばかりですが、これが佐伯の人生を左右する一局となるのは間違いありません。
9月2日
書感です。
「20世紀少年 3巻 ギターを持った英雄」
浦沢直樹/小学館
定価:505円
初版:2000年10月1日
世界征服をたくらむ非道な悪の組織。
最近をばらまき、空港に爆弾をしかけ、ロボットを使って街を破壊する。そんな奴らと戦う正義のヒーローこそ俺たちだ!
少年だったケンジの夢は、ヒーローになることだった。
それから20年。ケンジの周囲で発生する奇妙な出来事の数々と世界中で起きる怪事件。ケンジの少年時代の夢が、悪夢となって彼を悩ませる……。
浦沢直樹という人は、キャラクターの造形がうまいです。
性格やストーリーでキャラを際だたせる手法の見事さはもちろんのこと、この人の漫画の特徴はなんと言ってもキャラクターの顔と表情でしょう。普通の漫画家ではそぎ落としてしまうような苦労顔や嫌か顔など、きれいではない顔を描かせたら右に出るものはいません。
ケンジも元ミュージシャンを志したという青年ですが、少しつり上がった目と眉、角張った顎、少し上向きの鼻はとても主人公に見えません。一生懸命コンビニを切り盛りしてはいるものの今ひとつうまく行かず、少し疲れ気味という設定もまた泣かせます。
さて、この作品の1巻の冒頭は21世紀を迎えたどこかで「人類を破滅の危機から救ったのは彼ら」というところから始まります。物語が進む中、漠然とその「彼ら」は主人公であるケンジとその仲間たちじゃないかと思っているのですが、仲間たちもみな家庭や仕事を持って生活をしている現在、どういう過程でそうなっていくのかが楽しみ。
ケンジ自信も、自分のことで精一杯という感じでしたが事件が自分の少年時代とつながっている事に気づくにつれ、持ち前の正義感が頭をもたげてきます。しかし、家庭を持った仲間たちまで巻き込むわけにはいかない……という苦悩もあり、イマイチ燃える展開にはなりません。
が、そこにこの作品の面白さがあるのでしょう。この作品は20世紀という時代に対するノスタルジィが多分に含まれていますが、実際自分がヒーローとして活躍する自分など誰にも想像出来ません。仕事をし、生活しなければならないという現実こそある意味、敵なのかも知れないですね。
世界の危機と比べたって自分の生活を捨てて何かするのは難しい事です、どうやって現実と折り合いをつけていくのか、それとも現実からはみ出してしまうのか。
これからのストーリー展開に期待します。
9月3日
書感です。
「あの頃ぼくらはアホでした」
東野圭吾/集英社
定価:1400円
初版:1995年9月30日
ISBN4-08-774126-5
最近では広末涼子主演の映画「秘密」の原作者として知られる東野圭吾。僕も「魔球」と「虹を操る少年」の二作を読んでいて、「当たりはずれが大きい作家」という認識があります。
あまり作家の人物像って問題にしないのですが、作品の印象からは割と堅い感じの中年男性というイメージという印象を受けました。
だから図書館でこの本を見つけたとき、ちょっとギャップがあって迷わず手に取りました。東野圭吾の幼年〜青年時代を回想して書いたエッセイなのですが、ノスタルジィよりもバカバカしさにあふれ、電車の中で読んだりしたら笑いをこらえるのが大変です。こんな事は漫画の中にしかないだろう、というような思い出ばかりなのですが、少し見方を変えれば、そういう思い出のある世代が現在の漫画のイメージを作り上げたのだという気もします。
ちなみにこの本と一緒に、原田宗典のエッセイを借りているのですが、途中までこの「あの頃ぼくらは〜」の方が原田宗典のエッセイだと勘違いしていたくらい、小説と雰囲気が違うんですよ、これは。
自分の中高時代を特別に感じる人は多いでしょう。僕自身、中学高校時代はとても楽しくていい学校に通っていたと思っているしそのときの友人たちはみんなひと癖もふた癖もある変わり者ばかりでした。
しかしまあ、こういうのは比べても仕方ないのですが、東野圭吾が過ごした中高時代に比べればはるかに平穏で、友人たちも常識の範囲内だったんだな、と読後にはしみじみ思うほとここに出てくるエピソードは笑えるものばかり。
それだけ面白いのも、作者が傍観者の立場なのではなく、周囲と一緒になって馬鹿な事を繰り返していたからなのだろうと思います。不良校の中で級長を務めたり、大学時代にアーチェリー部の部長をやったりというのも、リーダシップをとれると言うよりはノリでそうなってしまったという感じ。
いいかげんに中高時代を過ごしたために大学に入ってから勉強で苦労し、だからと言って勉強もせずにどんどん楽な方へ流れていくという作者のキャラクターにはあきれるだけでなく親しみまで覚えてしまいますが、結局は作家として成功しているのだから大したものです。
これで東野圭吾という作家には新たな興味が湧きました。
まだまだ自分の知らない面を見てみたいので他の作品にもチャレンジする予定。
9月4日
8月31日に、申し込んでいたフレッツISDNの工事が終わり、インターネットの電話料金が月額4500円固定となりました。これまではテレホーダイのサービスに加入し、夜11時から朝8時まで2400円(ISDN料金)固定だったのですが、なんだかんだで時間外もつなげたりするので電話代ってけっこうかかります。
4500円だとテレホーダイとの差額は2100円。
市内通話料金が3分10円から5分10円になるタイムプラスに加入している場合、その基本料金が200円なのでそれを差し引いた1900円分の通話料金ではネットに最長15時間50分つなげます。1日に時間外で30分くらいですね。だから必ずしもフレッツISDNの方が安いとは言えません。
しかし、メールチェックには1回10円かかってしまうので頻繁にチェックしたりすると以外に通話料金がかさんで行きますし、3分とか5分単位の時間を気にしてネットするのってストレスがたまります。おまけに夜11時からネットを始めるとつい夜更かしになってしまうし、テレホーダイの時間帯はネットも重い(なかなかページや画像を読み込まない)ので月に4500円を払ってでもフレッツISDNを申し込む事にしました。ちなみに、申し込んだのは8月7日。かなり人気が高いらしく、受け付けてくれるまで何度も電話しました。
で、現在はパソコンをつけたら必ずネットにつないでいる状態でかなり快適です。会社などではネットに常時接続できたりもするでしょうが、家だと時間や料金は気になりますからね。
余談ですが僕はメールチェックをするとき、NTTではなくKDDを使ってチェックしていました。NTTは最低料金が10円ですがKDDは5円なのです。90秒以内で回線が切断できるならKDDの方が安くなります。と言っても、いちいち設定を切り替えたりする手間があったり、間違って長時間接続時にKDDを使ってしまって節約した意味がなくなったりといろいろ面倒でしたからそこからも解放されたという感じです。
とりあえず便利になったとは言えますが、例えば地域によってはケーブルTVによる接続が普及していて5000円(プロバイダ料金込み)でISDN回線の十数倍の接続速度が得られたりするので、100%満足と言うわけではありません。
ですが、ケーブルTVは初期費用が高かったり部屋によっては工事ができなかったりというデメリットもありますから誰もが入れるわけではないんですね。元々ISDN回線の人ならフレッツISDNの方がずっとお手軽です。
また、テレホーダイなどはアクセス先の電話番号を登録しておく必要があったのですが、フレッツISDNはNTTからアクセス専用の電話番号をもらい、アクセスする際プロバイダの名前をIDに含める事によって複数のプロバイダを使い分ける事ができます。例えば家にso-netの人とODNの人がいても同じ番号にかけて使えるわけです。
さて、こういう環境になるとバリバリネットをするというように思えるかも知れませんが、僕としてはもっと手軽に電話代というものを意識しないでネットが使えるという方が重要です。辞書を雑誌と同じように、手軽に活用していきたいと思います。
9月5日
前に一度、自転車の話を書きましたが中学3年のころから乗っていた愛車が、ついに壊れてしまいました。
もちろん、部品交換などをすればまだ乗れるのですが、サドルが取れ、ギアが欠け、スポークが何本が切れているので全部修理すると新品を買うのに等しい値段となってしまいます。
9年も乗ったので仕方ないからそろそろ買い換えようと思ったのですが、父親が二台自転車を所持しているので一台譲ってもらうことにしました。
さて、父親の自転車というのが、スポーツサイクルとマウンテンバイクなんです。50も過ぎた父親の自転車とは思えないのですが、それはさておき、今はスポーツサイクルの方を使わせてもらっています。
僕はこれまで自転車って普通の自転車しか乗ったことなかったのですが、スポーツサイクル、乗ってみるとまるで違うんです。まず、バランスが非常にいいです。僕は平衡感覚が良くも悪くもないという程度なのですが、今の自転車ならどこまででも手放しで乗れてしまいます。一度、車通りの少ないところでやってみたら数百メートルは余裕というところです、しかし交通上はたいへん危険なので二度はやりません(笑)
ブレーキの効きもすばらしいです、前の自転車はある程度締めると急に効くという感じだったのですが、今のブレーキ握ったら握ったぶんだけ効くので微妙な操作も可能。
もっとも、そんな微妙なブレーキ操作を必要とされるような状況には遭遇しませんが、そう言うことができると思うだけで楽しいものです。
ちなみに自転車の色は赤と銀で、バリバリにスポーツサイクルという感じです。購入したのは僕の前の自転車とそう変わらない時期だったと思うのですが、品質の差か手入れの差か、それほど痛んだ様子はないです。ただ、スポークが少しさびているので前の自転車のと交換しようかと思ってます。
僕は車の免許を持っていないので、車趣味は知識とゲームだけに限られるのですが、普段の足として乗るには高級な車を欲しがる人がいるのも納得できるという感じですね。
どうせ足として使うなら、乗っていて楽しい方がいいでしょう。そう言えば、ホンダのバイクの宣伝でオフロードバイクのショーを見ていた少年が翌日に同じ広場で自転車を乗り回すというものがありました。あの感覚、すごくわかりますね。
さすがに試してみようとは思わないですが。
9月6日
書感です。
「あなたには買えないもの名鑑」
文:原田宗典
絵:長岡毅
扶桑社
定価:1200円
初版:1996年9月30日
最近、図書館に行くとついつい原田宗典の本を借りてしまいがちです。好きかどうか、かなり微妙なんですよね。同じバカバカしい文章を書くなら中島らもの方が好きだし、面白おかしいなら椎名誠の方が上だと思っています。しかし、原田宗典にはそういう理屈で割り切れない何かがあるのかも知れません。
と、いうわけでこの本の紹介と行きましょう。
これは原田宗典がちょっとかわった発明や新製品を紹介するという趣向で書かれたものですが、出てくるものはすべて空想の産物。人間を熱血にする「熱血電子レンジ」や嗅覚が鋭くなる「犬鼻」など。
空想商品ものってけっこうあります。HPでも紹介していますが、クラフト・エヴィング商會の「どこかにいってしまったものたち」もそうですし、例えばドラえもんの「22世紀未来デパートカタログ」なんて本もその一種でしょう。こういう道具があったら……と思うとわくわくしますよね。
でも、この「あなたには買えないもの名鑑」はちょっと違います。確かにあったらすごいかも知れないけれども、だから別に……と言うよりむしろ欲しくないものの方が多いかも知れません。
長岡毅の描く脱力感あふれるイラストもまた欲しくない原因の一つ。しかし、原田宗典の持つ独特の投げやりさと言うか、いい加減さを見事に表現しています。元々波長が合ったのかも知れませんが、どこか不気味な存在感がたまりません。
ちなみに、この本にはどこにも内容が空想であると言うことが書かれていないんです。最初からいきなり熱血電子レンジ「気合い」の紹介から始まって、最後まで商品紹介とそれにまつわるエピソードが延々と書かれています。
まあ、あまりにバカバカしいのでこれを現実と間違える人はまずいないでしょうけど、下手に断らないところに何か妙な自信を感じます。
こういうものって誰でも書けそうでいて、実は難しいものですよね。バカバカしくやるなら普通は出てこないくらい思い切った発想をしなくてはいけません。そう言う意味で発想のスケールが大きい作品でした。
9月7日
今、横溝正史の金田一耕助を読んでいます。
シャーロック・ホームズなどもそうですが、やっぱり探偵=変人っていう図式はここにもありますね。
しかし、金田一は完全に「和風」の探偵。昭和の時代に和服を着て歩き、目をしょぼつかせ、イマイチ気合いの入らない雰囲気の彼ですが、冴えない風貌に反していつの間にか事件の真相を見破ってしまう名探偵。冴えない容貌っていうのはパターンの一つですね。中身が充実しているから外見をかざる必要がないのか、それとも他の事に夢中で外見に無頓着なのかは場合によります。後者に当たるのは森博嗣のシリーズに出てくる大学助教授、犀川創平。彼の頭の中には自分の研究しかなく、ほかのことは必要最低限しかしません。しかし、服装に無頓着と言ってもだらしないわけでも不潔なわけでもなく、いつも普通に来ているだけ。犀川創平に惚れているヒロインにとっては少し不満という程度ですね(笑)
一方、アガサ・クリスティの書くエルキュール・ポワロは非常にお洒落。いつも自慢のヒゲを整えるために専用の櫛まで持ち歩いています。が、ポワロは頭のはげ上がった小男という容貌なのでそれがこっけいでもあるわけです。
シャーロック・ホームズはどちらかと言えばかっこいいイメージですね。この人はだらけている時とシャキッとしているときの差が激しいのですが、やはり英国紳士だけに服装には気を遣っているのでしょう。
日本人探偵では、島田荘司の御手洗潔は美男子ということになっていますが、彼も何かに夢中になり出すと他は何もできなくなるタイプ。一度など、何日も飲まず食わずのまま外で過ごして浮浪者のようになっていたこともあります。
アメリカ出身の探偵だとトレンチコートと相場が決まっていますね。タフでぶっきらぼうで、足と言うより身体で捜査をするという感じでしょうか。代表的なのはレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウでしょうか。
僕としてはやはりイギリス系の紳士的な探偵にあこがれますね。どうやら僕はマルチな人間にあこがれる傾向があるらしくて、何かが出きる代わりに何かができないというキャラクターにはあまり惹かれません。ちなみに自分自身では服装にお金はかけません。いや、自分でこういうのを着たいという明確なビジョンはあるのですが、地味なのに高くなってしまうので実際は安物で済ませてしまいます(笑)
考えてみれば職業探偵がみすぼらしい服装をしていたら依頼人に疑われること間違いないでしょう。逆にだらしなくても以来が来るというのがステータスなのかも知れませんけどね。
9月8日
前回、金田一耕助の話題を出しましたが引き続き。
今、CMで田辺誠一が金田一耕助役をやっていますね。複層的にはなかなか似合っている感じです。ただ、金田一耕助は割と三枚目的なイメージが強いので実際にドラマでやったらどうなるかは不明。田辺誠一は京極夏彦の「怪」でもイマイチはまりきっていないという印象だったのでやはり怪しい美男子という役所がちょうど良いのでしょうか?
金田一耕助は何度もドラマ化されていますが、片岡鶴太郎の金田一はけっこういいですね。僕は原作よりも先にドラマで見ていたのですが、本文中の描写を読んで、片岡鶴太郎の演じる金田一の仕草を思い出し、いちいち納得しました。
海外ものの推理ドラマではシャーロック・ホームズのジェレミー・ブレッドやエルキュール・ポワロのデビッド・スーシェなど万人が納得するだけの説得力をもつ役者の演じる作品がありますね。
最近、内田康夫の「後鳥羽伝説殺人事件」のテレビドラマがやっていました。主人公、浅見光彦が探偵役を務める作品はシリーズになっていていろんな人が演じていますね。あいにく、印象に残るような役者っていませんでした。浅見光彦はハンサムで明るく、頭が切れる上に家が金持ちで兄は警察上層部の人間という冗談のようなキャラなので、逆に言えば誰が演じてもそう変わらないって気もします。しかし、今回の沢村一樹の浅見光彦は小説で読んだイメージにぴったり。沢村一樹主演でしばらくシリーズ化するのではないかと思います。
島田荘司の御手洗潔はかなり人気のシリーズですが、これは一本も映像化されていないはず。作者が了承しないそうです。
一度など、田村正和主演でという話まで持ち上がったそうです。今ではすっかり古畑任三郎のイメージがついてしまいましたが、もしかしたら御手洗潔=田村正和というパターンが成り立っていたかも知れないと思うとおかしいです。
前に森博嗣のサイトで同氏作「すべてがFになる」の配役を募集していました。これは森博嗣自身がほとんど俳優を知らないかららしいのですが、言われてみて森博嗣作品ってほとんど外見のイメージがないって事に気づきました。氏の作品は外見を描写するとき、淡々と背が高い低いとか服装がどうだとかそういう描写しかないんですね。かなり意図的にそう書かれているようです。ちなみに僕は主人公の犀川創平に尾美としのりと書いて送りました。あまり有名な役者じゃないですね。鬼平犯科帳で同心、木村忠吾を演じていた人です。
主人公の若い探偵=美形とは限りませんが、何も書いていないと美形を連想する人が多いらしいです。
配役って重要ですよね、特に探偵ものでは探偵役がその作品の顔となるわけです。映像かされてない作品は、誰が主演をするかっていう想像がふくらみます。俳優あまり知らないので苦労してしまいますが。
9月9日
書感です。
「金田一耕助の冒険」
横溝正史/角川文庫
定価:417円
初版:1979年6月
ISBN-4041304644
さて、かの有名な日本人探偵、金田一耕助の登場です。
横溝作品は「獄門島」や「八ツ墓村」などおどろおどろしいイメージが強いのですが、短編集となるこの本はどちらかと言えばユーモラスな文体で金田一耕助の日常の活躍ぶりが描かれています。
収録作品は10編。「霧の中の女」「鏡の中の女」など、いずれも「〜の中の女」というタイトルで統一されているのでおそらくは連作短編として書かれたものなのでしょう。
さて、金田一耕助は常に和服で髪の毛はもじゃもじゃ。どちらかと言えば冴えない風貌で目をショボショボさせるという描写が多く、いかにも頼りないイメージ。あまり活動的でもないようです。それでも、世間的に名前が知られ、警察からも依頼が来るという当代随一の探偵。物語上の手法に特に変わったところはなくて、オーソドックスな造りになっていますが、それぞれの作品を楽しんで読むことが出来ました。王道を書いたというよりは、日本の推理物の王道がこの辺にあるのかも知れませんね。
読んでいて面白いと思ったのが、事件解決時の会話です。たいていの推理ものには犯人逮捕後に軽く刑事や探偵のコメントがありますよね。この「金田一耕助の冒険」の中では10編のうち数編に「恐ろしい時代」という言葉が使われています。
「こんなことのために人を殺したのか」という刑事の問いに対して「現代はストレス時代ですからね」と答える金田一耕助の言葉は、今となっては割とシャレになりません。事件というものは時代を写すものですから、やはり探偵はそう言うことに対して敏感になるのでしょうが、金田一耕助をユーモラスなキャラクターに設定したのは横溝がストレートに書きたいことを書くとどうしても重苦しくなってしまうからではないかと邪推してしまいます。
推理物だと僕は短編から入ってその作者を見極めようとする事が多いですが、この金田一は興味を持つのに十分でした。
メジャーなタイトルが数多くあるのでこれからが読んでいくのが楽しみです。
余談ですが推理物に「〜の冒険」というタイトルが多いのはやはりホームズの影響なんでしょうね。
平穏な日常生活に潜む冒険的要素を浮き上がらせるのが、推理短編の面白さだと思います。事件はもしかしたら、読者のすぐそばで起こるかも知れないのですから。
9月10日
土曜日に「ガメラ3 ー邪神覚醒ー」の放送があり、映画館で一回とビデオで一回見ていたにもかかわらずついつい2時間見入ってしまいました。
ちょっと前に紹介した東野圭吾の「あの頃ぼくらはアホでした」で怪獣映画にはまったというエピソードがあったのですがそのころのガメラというのはゴジラ映画の二番煎じで物語も特撮もちゃちなものだったという評価。
しかし、今や立場はまったく逆転していますね。
いつまで経っても昔と変わらないパターンを踏むゴジラに対し、ガメラの方は完全にストーリーを一新しています。
3度目になってやっと気づいたのが、ドラマ部分の撮り方が典型的な日本映画だと言うことです。怪獣映画という特殊な枠ではなくて、特撮も使う映画、という雰囲気が漂っているのが好感持てます。
僕は特に好きなジャンルというのがなくて、特撮は特撮で、アクションはアクションで、普通のストーリーものなどもそれはそれで楽しめるという感じです。それぞれに対してそれぞれの楽しみ方ができるのですが、やはりどこかが非常に劣ってしまったような映画は見られません。
今まで見に行ったものの中で、非常に損をしたと思ったのは「リング2/死国」ですね。角川映画の典型という感じのつまらなさでしたが、どちらも原作の面白さを無視して、画面のおどろおどろしさで特徴づけようとしたのが失敗の原因だと思います。画面自体は別に悪くないのでCM映えはするというのがより姑息な感じ。
さて、話は戻りますが日本の特撮物は総監督と特撮技術監督が別々にいるというのがウルトラマン以来の伝統らしいですが、そのためにどちらかがおろそかになってしまったりストーリー上無意味な特撮シーンが入ったりするらしいです。
友達にガメラ3のメイキングビデオを見せてもらったのですが、ガメラ3でもその辺がかなり悩みどころだったらしいです。このメイキングビデオというのがまた、非常に後ろ向きな感じなんですよね。
「本当にこの映画、完成するの?」みたいなスタッフの雰囲気が伝わってきて、会誌の編集長を務めたことのある僕としては共感するものがありました。
しかも、撮影シーンなどを見ているととてもではないですが、まともな画面になるとは思えないようなものばかり。
画面では何度見ても本物にしか見えない渋谷の街も、撮影風景では模型以外のなにものでもないんです。友達はこのビデオを上映前に見て「大丈夫か?」と思ったそうですが、それも納得。しかし逆に、その撮影現場から完成形を見通している監督の職人的な勘に感心してしまいます。
さて、怪獣映画などあまりみない人が多いでしょうが、もし今度放送があったら是非、見て下さい。きっと認識が変わると思います。放送前にこの話題を出せなかったのが残念。気づいたのが当日でしたから。
9月11日
中高生のメールフレンドが何人かいて、けっこう密にメールのやりとりをしています。大学生と違って、中高生はメールに学校の話題が多いです。それだけ学校というものに対するウェイトが大きいということですね。
僕としては中学高校は楽しくて、いい思い出が多いですが、みんながみんなそうというわけではないようです。
学校には教師と生徒という二種類の人間がいます。先生というのはもちろん生徒を教育するためにいるわけですが、生徒は教育されたくて学校に行くわけではないですよね。だからいろいろとギャップが生じるし、摩擦があります。
学校は基本的に、勉強をしに行くところです。が、最近は勉強=受験という感じになっていますよね。そうすると徹底的に効率重視で勉強するなら塾へ行った方がいいわけです。
そうすると学校って何のために行くのって事になりますよね。そう言われる答えるの難しいです。
結局のところ、学校の価値というのは人それぞれ見いだしてもらうしかないし、塾や予備校との差別化はそれぞれの学校に図ってもらうしかありません。
僕はいわゆる進学校に行っていたため、周囲には塾に通わず学校の勉強だけする人が多かったです。僕も高校三年になってからは予備校に行きましたが、学校の復習をしているという感じでしたね。今、考えてみればあんまり行く必要なかったかも知れません。
でも、学校みたいに集団で活動する場ってあんまりないですよね。文化祭や部活などは、積極的に活動すると他にはない充実感が得られることもあります。もっとも、学校での活動は非営利活動だけに逆に難しかったりしますけどね。
あと、指導する先生が嫌な教師だったりするとやる気ってなくなりますよね。さらには先生が異様に熱心だと逆に生徒がしらけたりします。生徒を放っておきつつ、的確にアドバイスをくれたりするのが理想の顧問ですね。
今、いろいろな事が起きて学校の責任が問われたりします。
もちろん、親の責任だってあります。しかし、学校というのは社会を反映して今の状態になっているわけです。両親や友達と言うのは不可欠なものですが、学校はと言うとなかなか必要と言い切れないでしょう。
それでも冒頭の話に戻ると、やっぱり中高生くらいだと楽しいことも辛いことも学校にあるし、友達だって同級生が中心です。大学生になるとどうしても、学校という場の影響は少なくなりますから、それをうらやましく思うこともあります。
ただ楽しいだけの学校というのはありえないでしょうが、卒業した後にその時代を懐かしめるものであって欲しいですよね。学校は第二の故郷のようなものだと思っています。
9月12日
書感です。
「魔剣天翔」
作者:森博嗣
刊行:講談社ノベルズ
定価:840円
初版:2000年9月5日
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航空ショーで墜落したアクロバット機のパイロットは墜落前に死亡していた。後席に乗っていたはずの人間が、後ろから撃たれて。そして、共犯として疑われたのは阿漕荘の保呂草潤平だった……。
犀川創平&西之園萌絵シリーズに続く森博嗣の第二シリーズももう五作目。すっかりおなじみになったアパート「阿漕荘」の面々ですが、実は主役メンバーについても知らないことがあまりに多いです。
それがこのシリーズの一つの特徴とも言えます。この物語群は阿漕荘に住む自称探偵の保呂草潤平が自分の体験を小説として書き起こしたという設定になっていますが、特筆すべきなのはその客観性。三人称の小説とは、いわゆる神の視点で書かれていて実際にわかるはずのない事実や、登場人物の心境などが描写されているわけです。しかしそれは、完全に客観的なものではあり得ない。つまり、認識できないはずの事が認識できたりするのはあくまで「読者」という立場であり、第三者の視点とはまた少し違うからだと思っています。
物語上での語り手である保呂草潤平は、事件の関係者や当事者であったりするのですが、書かれた文章はとてもそういう立場の人間が記述したものには見えません。受ける印象を言うなら「体験」ではなく「観察」なんですね。
これは推理小説です。事件が起きて人が死に、殺害方法に対する考察を繰り返した末に、正しいと思われる考えに至るわけです。そこまでに様々な人間関係が浮き彫りになり、意外な事実が浮かび上がり、結末を向かえます。
さて、これはごく普通の過程です。しかし、森博嗣のミステリには一般的な小説にある大きな要素が欠けています。
欠けているという表現は正確でないかも知れません。省いていると言うべきでした。
多かれ少なかれ、物語には原因ときっかけがあり、結果があって、そこから導き出される何らかの言葉があります。しかしこの小説は結果止まりです。結果があり、そこに至るまでの過程を物理的に解き明かしたところで物語は終わります。
事件を起こすのはもちろん人間ですが、何故起こしたのか、起こした後に犯人はどう思ったのかという部分はないのです。
京極夏彦も京極堂シリーズの中に「動機というのは付け足しに過ぎない」と述べていますが、森ミステリもまた近いところにあります。
探偵役である瀬在丸紅子も「動機には興味がない」と言うような事を言っています。そういう人たちにとって動機を問うことは「万有引力は何のためにあるのか」という問いに等しいのでしょう。人間の精神を説明するのは難しいことです。自分の思考、感情をとりあえず言葉にすることはできても言葉として出力した瞬間から風化を始めます。小説は言葉の固まりです、しかし森博嗣のミステリは固体ではないのです。入れ物が、つまり読む人が変わればそれに合わせて形を変えます。
コップのジュースをかき回すような楽しみが、ここにあるのです。
9月13日
最近、にわか三國志づいてます。原因はまあ、ゲームなんですね。最近、PS2の「真・三國無双」が手に入ったので遊んでます。三國志をベースに、三國志の有名武将を操作して戦場を駆け回り、たった数人の部下と共にで敵の武将を討ち取り自軍を勝利に導くというアクションゲーム。
アクションゲームの醍醐味はやはり爽快感だと思いますが、そういう意味でこのゲームは最高です。PS2の描画能力を使って再現された戦場には百人以上の敵がひしめき、張飛や関羽などの武将は槍の一振りで何十人もの兵士を吹き飛ばしたりするわけです。操作自体は非常に単純で、攻撃なども最近の格闘ゲームのような複雑なコマンドはありません。
あと、もう一つ、このゲームで面白い点は目的が自軍の勝利にあるということ。一人だけ飛び出して敵将を討ち、ステージを終わらせる事も出来ますが、地道に敵将を倒し、自軍の進軍ルートを確保したり苦戦する味方を助けたりといった遊び方もあるわけです。曹操や呂布などは非常に協力で一対一で仕留めるのはほとんど無理。どれだけの数の味方を導けるかというのが一つのポイントにもなっています。
また、とにかく戦場が広いのがすごいです。
端から端まで歩いたら10分はかかるであろうという広さのマップで敵味方が乱戦を繰り広げ、戦場気分が味わえます。
敵の侵入拠点を封鎖したり、確保したところに味方が陣を張ったりしながら進軍していく様子には説得力が十分あり、逆にゲームの画面から本物の戦場を想像してしまうのです。
このソフトは「三國志」や「信長の野望」などを手がけたコーエーから出ているので、雰囲気作りはお手のもの。それぞれのステージの説明などにも本格歴史物のテイストを漂わせています。クリア後にはそれぞれのステージでの活躍ぶりが「真三國無双伝」という書物の記述として紹介されるのですが、三國志最強の武将として知られる呂布を討ち取ったときなどには「袁紹曰く『人中に呂布ありと言うならば張飛の活躍は人に過ぎる』と出たりして、嬉しくなります。魏、呉、蜀それぞれに数人の武将がいて、誰を選んだかによって物語の展開が変わり所属していた国が天下をとってしまいます。このあたり、三國志ファンの意見が分かれるところでしょうが、大活躍しておいて軍が負けたらアクションゲームとしてはどうかと思うので僕は好きですね。
それぞれのキャラの性格づけは蜀がメインで正義の味方っぽく、魏が悪役、呉は癖のある感じとなっていてわかりやすいです。キャラクターデザインは非常にきらびやか。なぜか大半の武将は美形に描かれているのが笑えますが、女性ファン獲得のためでしょうか(笑)
PS2ではまだ画像ががきれいなだけで高い処理能力を活かしきっていないゲームが多いですが、これは大人数の中の一人を動かすという事でハードの性能をうまく使っていますね。
アクションとしての単純さと豪快さ、戦局という要素を取り入れた事による遊び方の多彩さで傑作に仕上がっていると思います。
9月14日
最近、HP作成のアルバイトをしています。自分のHPよりもはるかに大規模なサイトを作っているのに、これが全部タグの手打ちなんですね。HP作成経験のない人にわかり易く説明するならごはんを一粒ずつお箸でつまんで食べるのに似ています。
僕はいつもDREAM WEAVERというMacromedia社のツールを使っていて、これが便利なのでサイトの更新も毎日できるわけです。もちろん、HP作成をする人間はタグを理解し、手打ちできるに越したことはありませんが、それは美術で言うデッサンと同じで全てではないです。
一昔前はそういったツールを使うとソース、つまりHPを表示するための元文章をがきたなくなって嫌だという話もありましたし、僕が前に使っていたAdobeのPageMillなんかでは無駄なタグがたくさん入って悲惨な感じでしたがそれでも無駄タグを成形するフリーソフトなどを使用することによって解決できました。もちろん、手でタグを打つやりかたでも慣れるとかなりの速度が出ますが、ツールに慣れればそれよりもはるかに速いわけです。人間が自動車より速く走れないのと同様ですね。
まあ、簡単に言えばバイト先でそういうエディタを購入してくれないのが不満なわけです(笑)
理由としては先に言った「ソースがきたない」という説明がされましたが、前述のように今のツールは昔よりずっと洗練sれていますし、仮にソースが汚くなるとしても、ツールで作業をして乱れたソースを手で修正すればいいわけです。それでもはるかに全部手打ちをするより効率的です。
結局のところ、使ったことがないのでわからないのだろうと思いますけどね。
個人でサイトを作るのにはツールは必ずしも必要じゃないと思います。僕の場合は毎日更新したいので出来るだけ手間がかからない方がいいので使っています。
仕事でサイトを作る場合はまったく別で、効率がまず一番重要なのではないでしょうか。手早く仕事ができると言うのは、大量に仕事をこなせると言うのと、クオリティアップに時間をかけられるという二つのメリットがあります。さらにはミスも少なくなるので一石三鳥くらいです。
……と、こんなところで書いていても別に会社で買ってもらえるわけじゃないんですが(笑)
人間便利なものに慣れてしまうと元にはなかなか戻れないものですが、僕にはどうしても手書きでサイトを作ることのメリットが見出せません。強いて言えばツールを買わなくて済むことでしょうか。もしかしたらこれが大きいかも。考えてみればツールを買って効率が上がった末にバイトが減らされたら困るのは僕らだったりします(笑)
9月15日
最近、HP作成のアルバイトをしています。自分のHPよりもはるかに大規模なサイトを作っているのに、これが全部タグの手打ちなんですね。HP作成経験のない人にわかり易く説明するならごはんを一粒ずつお箸でつまんで食べるのに似ています。
僕はいつもDREAM WEAVERというMacromedia社のツールを使っていて、これが便利なのでサイトの更新も毎日できるわけです。もちろん、HP作成をする人間はタグを理解し、手打ちできるに越したことはありませんが、それは美術で言うデッサンと同じで全てではないです。
一昔前はそういったツールを使うとソース、つまりHPを表示するための元文章をがきたなくなって嫌だという話もありましたし、僕が前に使っていたAdobeのPageMillなんかでは無駄なタグがたくさん入って悲惨な感じでしたがそれでも無駄タグを成形するフリーソフトなどを使用することによって解決できました。もちろん、手でタグを打つやりかたでも慣れるとかなりの速度が出ますが、ツールに慣れればそれよりもはるかに速いわけです。人間が自動車より速く走れないのと同様ですね。
まあ、簡単に言えばバイト先でそういうエディタを購入してくれないのが不満なわけです(笑)
理由としては先に言った「ソースがきたない」という説明がされましたが、前述のように今のツールは昔よりずっと洗練sれていますし、仮にソースが汚くなるとしても、ツールで作業をして乱れたソースを手で修正すればいいわけです。それでもはるかに全部手打ちをするより効率的です。
結局のところ、使ったことがないのでわからないのだろうと思いますけどね。
個人でサイトを作るのにはツールは必ずしも必要じゃないと思います。僕の場合は毎日更新したいので出来るだけ手間がかからない方がいいので使っています。
仕事でサイトを作る場合はまったく別で、効率がまず一番重要なのではないでしょうか。手早く仕事ができると言うのは、大量に仕事をこなせると言うのと、クオリティアップに時間をかけられるという二つのメリットがあります。さらにはミスも少なくなるので一石三鳥くらいです。
……と、こんなところで書いていても別に会社で買ってもらえるわけじゃないんですが(笑)
人間便利なものに慣れてしまうと元にはなかなか戻れないものですが、僕にはどうしても手書きでサイトを作ることのメリットが見出せません。強いて言えばツールを買わなくて済むことでしょうか。もしかしたらこれが大きいかも。考えてみればツールを買って効率が上がった末にバイトが減らされたら困るのは僕らだったりします(笑)
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