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2月15日

 バトル・ロワイアルの話題は大きな反響がありました。
 この映画をどう感じるかというのは、どれだけ感情移入するかというところにかかっていると思います。
 また、映画の見せ方というのも重要ですね。
 これが例えば、主人公が大活躍するような内容だったら凄惨さは感じられなかったでしょう。血を見るのがとにかく嫌いという人は、流血が怖くて十分に映画に入り込むことができなかったと思います。
 話の大筋が同じでも、見せ方が違うとまるで違う映画になってしまったりしますよね。それが演出というものでしょう。
 僕は何でも分析的に見てしまう方なので、カメラワークや画面の明暗などを気にしながら見るのが普通です。しかし、バトル・ロワイアルに関しては全然、憶えていません。
 自分の目線で見てきたような印象がありますが、たぶんこれは想像力による補完がかなりあったからでしょう。
 MI-2やマトリックスのようなアクション映画では人がたくさん死んでも気にしないですよね。ミステリでは連続殺人事件が落ちてもそれで命の大切さを訴えようとはしません。ついでに言えばミステリでは感情移入できるような人間が死ぬことはまずありませんよね。自分の気に入ったキャラクターが犯人でショックを受ける事はありますが。
 バトル・ロワイアルの作者、高見広春はこの作品をエンターテインメントだと主張しています。しかし、監督の深作欣二はインタビューで中学3年生という年代を自分の終戦ごろと重ねて映画を作ったと言い切っているのでずいぶんと意識に差があるようですね。
 映画はやはり、監督のものなのでしょうか。エンターテインメントと性ってすっかり抜けているような気がします。誰が生き残るか、とかどうやって生き残るかというサバイバルに楽しみを見いだすことはなかなか難しいです。
 まだ、作者や監督がどういう考えで原作を書き、映画を作ったのかは見えてきません。基本的に僕は、そういうのって関係ないと思っています。読んで自分がどう思ったかが全てなんですね。でも、バトル・ロワイアルに関してはどうしても考えずにはいられません。
 とりあえず原作を読んでみて、でしょうか。

2月16日

 書感です。

「朱色の研究」
 著者:有栖川有栖
 出版:角川文庫
 定価:590円
 初版:2000年8月25日
 関連書感はこちら

 有栖川有栖は2冊目になります。

 臨床犯罪学者、火村英生はゼミの学生、貴島朱美から2年前に起きた殺人事件調査の依頼を受ける。友人である推理作家の有栖川有栖と共に調査に乗り出そうとした矢先、新たな殺人事件が発生。さらに過去、朱美の家でおきた殺人事件を含め、3つの事件が交錯する……。

 さて、まずは探偵役の火村について。
 犯罪学の助教授である彼は、実際に警察の捜査に加わる事で幾多の実績を挙げ、大阪近辺では有名人という設定です。素人が警察に協力するというパターンは数多くありますが、私立探偵だったり興味本位だったり動機も様々。その中で、確固たる信念を持って犯人を追いつめようとする彼のような人物は珍しいかも知れません。あの世の救済など信じないからこそ現世で人が人を裁かなければいけないという火村。正義感と言うよりは強迫観念のようなものを持って執念深く犯人を追っているという感じです。公的な存在ではない個人が人を裁こうと考える事は非常に危険にも思いますが、その危険さこそ火村の魅力となっています。
 作者と同盟のキャラクター、有栖川有栖も「月光ゲーム」と同様、登場します。学生だった彼もここでは推理作家。推理どころか人間的にも目立たなかった「月光ゲーム」と違い、こちらでは火村があまり突っ込まない人間心理についていろいろと考察を加えます。
「朱色の研究」というタイトルにある「朱色」は夕焼けの事です。「月光ゲーム」でも月が人を狂気に導くという話にひっかけていましたが、こちらは夕焼けに関して様々な登場人物の口から語られているようです。
「月光ゲーム」のときはなかなか見えて来なかったものが、2作並べるとずいぶん違ってきますね。
「朱色の研究」も純粋に犯人探しゲームです。トリックはあってもそれは犯人探しと直接は結びつきません。一つ一つ地味に組み合わされた状況を解きほぐしていくことにより、その中に隠された謎を解明する正統派ですね。
 正直な事を言うと、一番最初に起こった事件を何故、警察が解明できなかったのかという疑問は残りますが、それはそれとして終盤に至るまでなかなか読ませてくれます。
 事件そのものはミステリ的に「平凡」に見えてもその背景にいろいろな要素を盛り込み、少しセンチメンタルに仕上げたといった感じの作品です。癖が強すぎず、かといって当たり前の作品でもない。バランスの良い作家だと思います。

2月17日

 書感です。

「ムツゴロウの馬 -ショートショート-」
 著者:畑正憲
 出版:文藝春秋
 定価:980円
 初版:1985年4月20日

 ムツゴロウこと畑正憲の著作でエッセイ以外のものって実は初めて読みました。自伝的な小説が多いような気がしていたのですが、こういう作品もあるんですね。
 テレビの「ムツゴロウの動物王国」などでのイメージがかなり強い著者ですが、巻末の作品一覧を見ると文筆家としての実績もかなりあるんだと驚きます。
 この本は馬をキーワードにしたショートショート短編小説集です。馬と言っても、それが本物の馬とは限らないんですね。
 置物だったり、絵だったり、登場人物たちは何かしら馬の形をしたものにこだわったりします。
 それぞれが馬に寄せる想いは相当なものです。それはそのまま著者の馬に対する愛情や尊敬とも感じられます。
 馬を語るうえで切っても切り離せないのは競馬でしょう。
 今ではもう馬は労働力ではありませんから、そもそも生きている馬を間近に見られるのは観光地か競馬場くらいですよね。
 僕は競馬=ギャンブルという意識しかなかったのですが、自分の気に入っている馬にお金を賭け、勝負の行方を見守るという行為は単に一儲けしようとかそういう意識ではないのだと理解しました。
 出てくる主人公達は馬好きの職人であったり、太平洋戦争で愛馬に助けられたという過去があったり、騎手だったり、とにかく賭け事が好きだったりといろいろありますが、どれも馬になんらかの影響を受け、人生を左右されています。
 このショートショートが連載されたのは雑誌「優駿」です。
 馬や騎手たちの繰り広げるドラマと共に作品を読んでいた人は僕が読むよりもずっとずっと思い入れが深かったのではないかと思いますね。
 畑正憲の文章は、意外というか、とても荒々しい感じがします。一人称で主人公の性格に合わせてそれぞれ口調なども変えていますが、みなどこかでお酒を飲んで誰かに語っているかのような調子です。そこに見えるのは「馬を語りたい」という強烈な意志です。どんなレトリックを駆使してもなかなか通じないであろうものが、読み手に伝わります。
「馬」というひとくくりの動物でしかなかったものが、それぞれの話を通じて個性をもった存在として浮かびあがってきます。同じ馬は二頭いなくて、そのたった一頭に想い入れるのは人に対するのと変わらないのでしょうね。

2月18日

 今日は久々にTUSTAYAへ行って、適当にCDを借りました。この「適当」というのは本当に適当なのです。店頭に並んでいるものを見て「あ、これ知ってる」というものを借りてきて録音して部屋で聞いてます。
 まず倉木麻衣の「Reach for the sky」
 これはNHKの連続テレビ小説の主題歌になっていますね。僕はこれを見ながら朝食という毎日なので、自然に耳に残っています。
 ドラマ系では他にKinki Kidsの「僕の背中には羽根がある」を借りています。獣医学部を舞台にした「愛犬ロシナンテの災難」の主題歌として流れていますね。作詞の松本隆はずいぶん昔からあちこちで名前を見るような気がします。Kinkiの曲ってちょっと古くさい感じですよね。ストレートな歌詞がけっこう好きです。
 あと、SMAPの「らいおんはーと」借りました。これは歌詞がはずかしいです。恋人を相手に将来を語るなんて、若気の至りって気がします。SMAPって好きな曲は多いのですがCDを借りて聞くとどうしても歌手としてはイマイチ感が漂っているので浸りきれないというところがあります。
 そして浜崎あゆみの「M」
 浜崎あゆみと宇多田ヒカルは新曲が出るとだいたい借りてきます。外れないですね。どの曲も独特と言うか、歌そのものよりも歌手を聞くというパターン。
 あとは、ゴスペラーズの「永遠に」です。この曲ってしょちゅう聞いているような気がするのですが、どこにかかっているのかなかなか思い出せません。僕は昔、合唱部にいたので歌のうまい人は好きです。ただ、何曲も聞けないグループじゃないかとも思います。
 花*花の「さよなら大好きな人」も借りてきました。
 2、3日前にメールフレンドが自作のMIDIを送ってくれたのがきっかけです。この歌って、素直過ぎて失恋した人などにはかなり辛いような気がします。失恋を唄ったものってたくさんありますけど、なんで聞くんでしょうね?
 もっとも、失恋して落ち込んでいる人が応援歌みたいなものを聞いても素直には受け取れないのかも知れません。落ち込んだ気分を自分の中で反復して消化していくというのもありなのでしょう。
 応援歌も、それが心強く思えるのってむしろ元気なときではないでしょうか?
 音楽ってかけてみることで自分の気分を表現するとう側面がありますね。
 僕みたいにごった煮で聞いている人間にはまったくあてはまりませんが(笑)

2月19日

 友人のおごりで飲みに行ってました。
 タダ酒ほどうまいものはないと言いますが、まさにその通りですね。僕はあまり飲む方ではないので料理のおいしいところに連れて行ってもらった方が嬉しいです。しかし、そういうところへ行くと安いチェーンの居酒屋なんかでたくさん飲むより高くついたりします。
 もっとも、飲みに行くというのは僕にとって喋りに行くのと同義なので食べるほうもそんなではないですけどね。
 二人で行ったりするとたいていカウンタ席になってしまいますが、僕はこれって苦手なんですよ。人の気配とかに敏感な方なので隣の人が気になってしまい、落ち着けません。
 あ、でも寿司屋やラーメン屋はカウンター席の方が好きかも知れません。握っているところやラーメンを作っているところを見るのが楽しいです。
 バーなんかだとカクテルを作っているところなどに注目します。入ったところはビールにこだわっているらしく、ビールを3度にわけて注ぐなどいろいろやっていました。でも、やり方がわかったところで自分ではなかなかやらないものですよね。
 ちなみに実家ではグラスが常に冷凍庫に入っています。
 ビールはあまり好きではないので味の好みもほとんどありませんが、いろんなものを味見してみたりはしてます。
 いつだったか大学の先輩と飲みに行ったときに北欧のビールを出す店でグレープフルーツ風味のビールを飲んで印象的だったのを憶えていますが、お店の名前もビールの銘柄もまるで憶えていないのでまあ、その程度の興味です。
 いつも友達と行く甘太郎というチェーンの居酒屋では季節後とのカクテルがあって、どれも割とジュース感覚で飲めるカラフルなものになっています。あまりアルコールが入っている気はしませんが、目を引きますね。
 実を言うと僕は、20過ぎてもしばらくお酒は一滴も飲まないで過ごしていたのですが、親戚や家族がみんなお酒好きなためか今ではずいぶんといろいろな種類のお酒を飲んでいます。
 血は争えないので僕もかなりの酒飲みになるだろうと言われながらもずっと否定していますが、実はけっこう好きだったりします。でも、あまり飲まない、詳しくないというスタイルでいると逆に向こうからいろいろやって来ます。
 受け身の酒飲みでいるのはなかなか楽しいかも。

2月20日

 書感です。

「くるぐる使い」
 著者:大槻ケンヂ
 出版:角川文庫
 定価:476円
 初版:1998年1月25日

 筋肉少女帯のボーカル、大槻ケンヂの書くホラー小説です。
 大槻ケンヂと率いる筋肉少女帯って名前もすごいですが、曲も歌詞も強烈なものばかりですよね。
 そんな大槻ケンヂが小説を書いたのですから、生半可なものが出来るわけありません。ちなみに本書は短編集で、収録された作品はSFマガジンに連載されていたものです。
 最初に言っておくと、この作品は読んでかなりの嫌悪感を憶えました。出てくる人間はみな、どこか狂気を持っているか物語の過程でだんだんと狂っていきます。
 物語も登場人物も、決して現実的な存在感を持ってはいませんが、その強迫観念の力には圧倒されます。
 大槻ケンヂは歌などでもコンプレックスをテーマにしたものが多いように思えます。
 心の内にあるコンプレックスによって不幸な状態にある登場人物たち。常軌を逸した体験によって、そのコンプレックスは力となって介抱されますが、精神は徐々に正常な部分を失っていきます。
 しかし、本当に悲しいのは彼らが正気を失いきれない所かも知れません。狂っているように見えても、どこかにかつての自分が残っているのです。例え狂気の世界に足を踏み入れても、そこに浸り切れなければ自己中心的な幸せすら得ることが出来ないのです。
 大槻ケンヂのどこから、こういう物語が生まれるのかはまったく想像もつきません。誰しも内に狂気に近いものを秘めているのかも知れませんが、それをこういう物語として表されてしまうのは嫌なものですね。
 深く考えたりせずに笑い飛ばしてしまったり、自分が正常なんだと確認したり、読み方は人それぞれでしょう。
 逆に、どういう読み方をするかで自分がわかるのかも知れませんね。

2月21日

 昨日の朝、池袋で特急の車両故障が起きたため、埼京線が止まってしまいました。そういうときに迷うのは、迂回ルートで行くか、待つかの判断です。
 赤羽から京浜東北線で田端まで行って山の手線に乗り換え、渋谷まで行くと大ざっぱに考えて20分ほど余計に時間がかかります。この時、迂回しても予定の時間に間に合うなら即そちらを選ぶのですが、無理そうだったので20分以内に復旧すると読んで待つことにしました。
 結果的にはこの判断は大失敗。電車は遅れに遅れて結局は45分も待つことになってしまいました。
 こういう選択って、人の性格が出ますよね。
 この場合、20分遅れるけど確実にその時間に着く方法と、遅れないで済むかも知れないけど最終的にはどれだけ遅れるかわからない方法があって僕は後者を選んだわけです。
 電車が何分遅れるかは、アナウンスだけではわからないのであまり判断の材料にはなりませんね。「普及は絶望的」とか言われたら迷わず迂回しますが。
 さて、迂回を選択して電車に乗ってしまったら後は選択の余地がないのでそのまま行くしかありません。しかし、待つ方を選んだ場合って迂回ルートを選びなおすことが出来ますよね。
 15分とか待たされるとそこで新たに迂回ルートを選択するかどうかまた考えてしまいます。その場合も判断の基準は、その後の待ち時間が迂回にかかる時間より長くなるかどうかという事ですね。
「あと20分」待つかどうかです。しかし、待てば待つほど待ち時間は短くなっているわけですから迂回ルートのアドバンテージはどんどん低くなっていきます。結局のところそう考えて、なかなか電車が来なくてもずるずると待ってしまう事が多いです。冷静に考えてみれば20分くらい遅れて済むならそっちの方がいいのです。
 しかし僕は遅れるという事が嫌いなので、遅れないで済むかも知れないという選択肢があるとそっちを選びがち。
「もしかしたらかなり遅れるかも知れない」という事を考えないわけではないですが、比重が低いらしいです。
 確実に損はするけどそれを少なく押さえる方法と、得をするかも知れないけど多くの場合は大損する方法。二つを選択するなら間違いなく前者を選ぶ性格、と自分では思っているのですが今回の電車の件を考えたりすると常にそういう判断が出来ているわけではないとわかりますね。
 株などに手を出すとだめそうと思っていながらリスクの高い買い方をして失敗しそうなきがします。だからやめておこう、と心に誓うのでした。

2月22日

 書感です。

「謎のギャラリー」
 著者:北村薫
 出版:マガジンハウス
 定価:1400円
 初版:1998年7月23日
 関連書感はこちら

趣向の本です。前に綾辻行人の対談集を読んだときにも感じましたが、暖かく柔らかい印象の文章とは裏腹に北村薫はなかなかずばりと物をいう人のようです。切り口なども鋭いですね。
 もちろん、好きなものを語っているのですが有無を言わさないと言うか、迫力があるんです。そのぶんだけ非常に冷静ですから、説得力も感じます。
 前書きもあとがきもなくて、突然始まるのですが、編集者との会話が日常の雑談と言う感じで書かれているのですっと入れます。編集者と作家と言うよりは先生と生徒のようにも感じますが、北村薫は元高校教師ということもあるのでそのせいかも知れません。
 北村薫はミステリ作家ですから、話題になるのは謎の要素を持ったものが多いです。しかし、大半はミステリではなかったりします。文学作品の範疇に入るものも多いです。
 しかし、これを読んでいると見事なまでに既読のものが多いです。おかげで読みたい本が50冊くらい増えてしまいました。
 ちなみに既読の本はほとんどが童話です。有島武郎の「燕と王子」なんて懐かしいです。ここでその名前を見るまで、もう何年も忘れていました。
 元々、北村薫の書く小説には音楽や本の話題が多いです。
 得に「空飛ぶ馬」「夜の蝉」「秋の花」シリーズは主人公が文学部ということもあって、文学について語ります。シリーズ4冊目の「六条院の姫君」に至っては、まるごと一冊、文学史の謎を追う話になっています。
 さて、話題は変わりますが、僕が北村薫に対して抱いていたイメージは「空飛ぶ馬」シリーズの探偵訳、落語家の円紫師匠のような人というものでした。暖かみがあって人の話を聞くのがうまく、人情家という感じでしょうか。嫌みなところなどまったくない人なんですね。
 今も北村薫=円紫師匠というイメージは全く変わりません。
 しかしそれは、円紫師匠のイメージが北村薫に会わせて変わってしまったからです。綾辻行人の対談集「セッション」とこの「謎のギャラリー」を読むと、北村薫にはしっかりとした核があるなって感じます。自分の中のそういう部分が揺るがないからこそ、人の事を理解できるし、優しくもなれるのではないでしょうか。
 どうも北村薫に関して僕は想像で言っている部分が多いですが、本の読み方、選び方には性格が出ると思っているのでその辺からそう感じます。

2月23日

 最近やったゲームのレポートです。

「鬼武者」
 PS2/カプコン/7800円

 ここのところで一番の大作ソフトでしょう。
 オープニングムービーの迫力と綺麗さには目を見張ります。
 そして実際のゲーム画面でもPS2の能力を活かしてそれに見劣りしないものを再現。「バイオハザード」の流れを組んではいますが、キャラクターの動きも素早くなり、敵を倒す爽快感もなかなかです。
 しかし、このゲームの最大の欠点はプレイ時間が短いことです。なんとたったの3時間半でクリアしてしまいました。
 あちこちで仕掛けを解除しては先に進むという展開が単調ではありましたが、3時間半ではそれを感じる暇もなく終わってしまったという感じです。ストーリーなどもそれなりに面白いので残念。開発期間が足りなかったのかも知れませんがこれはひどいと思います。それだけ密度が高くなってはいますけど。
 ちなみに主人公は金城武がモデルになっています。声なども金城が入れているのですがアフレコに慣れないのかどうも一本調子です。クリア後には「鬼武者」次回作の予告編が入っていますが次はどうでしょう?

「エクストリームレーシング SSX」
 PS2/EAスポーツ/6800円

 EAの作品は操作性を追求した爽快感のあるものが多いですね。この「SSX」はスノーボードのレースゲーム。アナログスティックを使った微妙なボード裁きが面白いです。8のキャラクターを使って様々なコースをダイナミックに滑ります。
 そのコースの迫力が凄まじいです。崖を飛び越えたり、町中を走ったりというのはゲームならではですね。
 NINTENDO64にも「1080」という同種のゲームがありあちらもかなりの出来でしたが、6人でレースをするというのはPS2ならでは。また、レースに勝つとキャラクターの能力が上がるというシステムのため難易度うまく落とされていてプレイするのにストレスが溜まりません。ゲームはレースとショーの二つがあり後者はコースを滑りながらトリックを決めて得点を稼ぐというものです。レースモードでもトリックを決めるとポイントが増えてブーストが使えるようになるので、ついつい派手なトリックを狙ってしまいます。
 対戦モードもあるし、なにより滑っていて楽しいので長く遊べるゲームでした。

「はじめの一歩 VICTORIOUS BOXERS」
 PS2/講談社・NEW/6800円

 少年マガジン連載のボクシング漫画「はじめの一歩」のゲーム化作品です。キャラクターものって信用度が低いですよね。
 講談社は前に「修羅の門」なども出しているのですがかなり評判悪かったです。しかしこの「はじめの一歩」は周囲で絶賛の声が聞かれたのでチャレンジ。
 アクションゲームで、キャラクターを操作してボクシングをするわけですがアナログスティックとボタンの組み合わせだけの単純操作ながら動きはかなり自由自在。コンビネーションの組み立てをしたり、相手の隙に狙い澄ましたパンチをたたき込んだりといった操作が直感的にできます。至近距離で殴り合う感覚が素晴らしいです。また、試合運びも実際のボクシングにかなり忠実です。他の格闘ゲームのような体力メーターや時間表示は皆無。残り時間が知りたければ試合場の中の時計を見るしかないのですがそんな余裕はまずありません。
 地道にボディを打って動きを止め、顔面にストレートやフックをたたき込んでふらつかせ、ガゼルパンチやデンプシーロールなどの必殺ブローでダウンさせます。それでも相手が10カウント寝ているとはまったく限りません。本当に勝つまで一瞬の油断もできない勝負ができます。本物と同じように判定もあるので相手を確実に倒せるという自信がないと無茶な攻撃にも出られないのでスリル満点です。
 ボクシングのゲームは数多くありましたが、これはその中でも屈指の出来だと思います。「はじめの一歩」を読んでいなくても遊べる傑作です。
 デモシーンなどは原作に忠実で、うまくまとめてあるのでうるさくありません。ゲームのデモを見て原作が読みたくなったりします。

 さて、春からは「決戦II」や「グランツーリスモ3」など大作が続々と出ますが、今でも十分に遊べるゲームは揃っていますね。ゲーム本来の「動かして楽しい」というものが戻ってきたような気がします。

2月24日

 書感です。

「ノーライフキング」
 著者:いとうせいこう
 出版:新潮文庫
 定価:320円
 初版:平成3年5月15日

 出版当時、かなり話題になった作品ですね。
 前から読もうと思っていたのですが機会がなく、今になって図書館で見つけたので借りてきました。

 1980年代後半、子供達の話題は空前のヒット商品となったゲーム「ライフキング」で持ちきりだった。ディフォルメされた大人達を次々と倒していくというゲームの内容が問題視される中、ライフキングには呪われた第五のバージョン「ノーライフキング」が存在するという噂が流れる。
 もし、それを解けなければみんな死んでしまう。全国の子供達が電話とコンピューターネットワークで繋がり、大人の知らない戦いを始める……。

 1980年代、スーパーファミコンが全盛の時代ですね。現実をシミュレートしたという意味での「リアル」さを追求した現在の3Dゲームとは違い、当時のゲームは自分が入り込んでこそ楽しめるという部分がありました。
「ライフキング」は平凡な子供が部屋を出て戦いを始める、という内容のゲーム。中に多くの謎を含み、同じパッケージながらI〜IVまで4つのバージョンが存在するこのゲームの情報を交換するため、ネットワークを作っていきます。
 どこがネットワークの起点なのか、どこが終点なのかは誰にもわかりません。噂はどこからか始まり、どこかに消えていくのです。その中には「現実」になってしまうものもあります。
 ゲームが現実を浸食して様々な事件を起こしているのか、それとも現実をゲームに当てはめているのか。
 ゲームが原因の集団ヒステリーだとしてマスコミを通じ、ゲームを糾弾しようとする大人たち。
 ゲームが現実になるなら、そのゲームを解くことで現実を沈めようとする子供達。
 ここには大人VS子供という図式はありません。子供達が戦う相手は大人なのではなく悪の魔王、マジックブラックなのです。ただ噂を受け入れるのでもない、大人達のように噂の出元を叩こうとするわけでもない。噂が現実になるのが嫌ならば自分たちが戦う子供達。その方法がわからなくても、彼らは自分の考えついた方法をそれぞれに試していきます。一人一人は小さな力でもそれが全国規模で行われたとき、どこかに呪われたゲームを解く「ノーライフキング」が出現するかも知れないのです。
 一人一人がネットワークの端末なのではなく、一人一人がネットワークそのものなのです。どんなに小さな存在でも、それはどこかと繋がっていて忘れられる事はありません。
 物語が謎を持ったまま終わっても、子供達は読者の中で戦い続けます。

2月25日

 書感です。

「バガボンド 9巻」
 作者:井上雄彦
 原作:吉川英治
 出版:講談社
 定価:524円
 初版:2001年2月22日

 宝蔵院胤舜との勝負に勝ち、柳生へと向かった武蔵。
 ちょうどその頃、当主・柳生石舟斎の孫、兵庫助が3年ぶりに柳生へと帰って来る。客人として柳生へ招かれた武蔵は石舟斎との勝負のため、たった一人で柳生の城へ戦を仕掛けようと試みる。その先に立ちふさがるのは柳生最強の男、兵庫助なのか……?
 さて、バガボンドも9巻。かつて鬼の子と言われ周囲に殺気を振りまいていた武蔵も胤舜との勝負の後、達人としての風格を身につけ始めています。
 憎しみや殺意ではなく「実りある勝負をくれる相手を愛するかのような」胤舜の器に恐怖した武蔵はその器にまでなることはできなくとも、自分の中の恐怖と向かい合う事で胤舜を乗り越えたのです。
 柳生は尾張、大阪、京都に近い土地でありながら戦火を逃れ平和に暮らして来た土地。そういうのどかな風土の中に天下無双と言われる剣の達人が集うのは不思議なものです。
 前の巻では宝蔵院胤栄と柳生石舟斎が師匠となる上泉信綱と出会った過去のエピソードがありましたが、バガボンドでは達人ほど穏やかな面相を持った人間として描かれています。
 吉岡伝七郎、柳生兵庫助、宮本武蔵など若い剣豪達はまだまだ内に燃える炎を隠せない。彼らがずっと上に住む達人達に届く日はいつになるでしょうか。
 武道などを扱った作品ではかならず「活人剣」という言葉が出てきます。本来、剣は人を殺すためのもの。武蔵も数多くのやりとりを経てそれを自覚しています。宝蔵院胤舜は人を殺した事がない故に武蔵との勝負に命のやりとりを求めました。
 しかし、石舟斎や胤栄はそれとまったく別な次元に生きています。9巻のエピソードにも、石舟斎が切ったシャクヤクの切り口が「生きている」と武蔵が感じる場面があります。対して武蔵は「ただ花を殺しているだけ」なのです。
 ただ花を切るというだけの事にも武蔵との間にはそれだけの隔たりがあります。強さとは何か、剣を突き詰めるとどこまで行くのか。井上雄彦の武蔵は追求を続けます。
 余談ですが年末の時代劇で「宮本武蔵」がやっていました。
 殺陣などなかなか工夫があって面白く、中でも佐々木小次郎の内面がよく描かれていて興味深く見ました。
 ですが、最後、巌流島の戦いで武蔵が小次郎を倒した後「わからん。俺は小次郎を倒したのか、それともただ共を一人斬っただけなのか」という終わり方でなんとも虚しかったです。
 バガボンドの武蔵は、小次郎を倒して何を思うのか。
 物語は必ずそこで終わるのですから、楽しみですね。
 ずっと先の事でしょうが。

2月26日

 いつも持ち歩いている鞄が壊れてしまったので新しいのを買いました。ここ数台、僕は秋葉原や池袋で安売りしている1000円の鞄しか使っていなかったのですが、やはり安物はすぐに壊れてしまいますね。だいたい半年から8ヶ月くらいですから経済効率はそんなに悪くありません。安物買いの銭失いというほどではないです。
 が、壊れてしまうとその場ではかなり困るしいちいち新しいのを買いに行くのは面倒なので今回はそこそこのものにしておきました。そうは言ってもユニクロ製品ですけどね。
 2900円だったのですが買って帰ってみたらなかなか優れものでした。そもそも「モバイル対応」とか書いてあったのでなんだろうと思っていたのですが、中に細かい仕切がついていてノートパソコンやPDA、携帯電話などをうまく持ち歩けるようになっています。
 僕は元々細々といろいろなものを持ち歩くので容積が広くてもポケットなどが少ないとごちゃごちゃになってしまって嫌なんです。でも、新しい鞄は文庫本は一冊ずつ入れられるしメモ帳や文房具などもそれぞれ分けて収納できます。
 底のほうに折り畳み傘を入れるためのポケットがあるのには驚きましたがたいへん便利。僕は常に傘を持って歩いていますが出すときには底の方に埋もれてしまって今まで大変でした。
 あとはどれだけ鞄が保ってくれるかですね。図書館なんかで何冊も本を借りるとどうしても重くなるので寿命が早いかも知れません。休みの日などは別にナップザックを用意して行くのですがアルバイトの行き帰りではそうも行きません。とりあえず持った感じではかなり丈夫そうですけどね。
 あとは何層にも別れている鞄の中で物が行方不明にならないようちゃんと管理するだけです。せっかく使えそうな鞄を買ったのですから使いこなさなければもったいない。
 人前で何かを出すときってすっと出てこないとかっこ悪いですよね。やはりいろいろ持ち歩いていながら必要な時に一回で出てくるというのが理想です。
 こういうものを買ったときって新しい装備で会社や学校に行くのが楽しみになりますね。
 月曜日から気分一新という感じです。

2月27日

 書感です。

「消えた死体
  エラリー・クイーンの事件簿1」
 著者:エラリー・クイーン
 出版:創元推理文庫
 定価:480円
 初版:1972年1月14日

「エラリー・クイーンの事件簿」には2作品が収録されています。短編というにはかなり長いので、今日はちょうど読み終わった一編だけ紹介。

「消えた死体」

 推理小説作家、エラリー・クイーンが警察署長である父親が抱える難事件に首を突っ込んでは活躍するという設定のシリーズものです。が、どうやら「事件簿」に収録されているのはクイーンがテレビドラマようの脚本に書き下ろしたものを改めて小説にしたらしく、代表作「Xの悲劇」などとは全く毛色の違った作品に仕上がっています。
 背が高くスマートで、ユーモアと行動力がありいざというときはキャでラックに乗ってカーチェイスを繰り広げるクイーンはまさにアメリカのテレビドラマにうってつけですね。

「健康の家」を経営し、健康食品と健康器具などの販売で財を築いた富豪、ジョン・ブラウンは重い癌である事を医師に告げられた直後にペーパーナイフで首を切られ、殺される。
 容疑者として浮かんだのはブラウンの娘、バーバラの親友であるニッキー・ポ−ターだった。エラリー・クイーンは彼女の容疑を晴らすため、奔走する……。

 さて、クイーンはどうも高尚なイメージがあってなかなか手を出せなかったのですが本作を読む限りではごくスタンダードな探偵小説です。実を言ってしまえば、これといってすごいというようなところもありません。テレビドラマ用という事を考え、視覚的な部分を重視したからかと思います。
 物語の冒頭に、小説かを目指すニッキーがクイーンの書いた小説を読みすぎたせいでクイーンのようなものしか書けずに苦しんでいるという部分がありましたが、もしかしたら現在のミステリの基礎となっているのがクイーンなのかも。だったらそこに新しい発見はないかも知れませんね。
 謎を示し、美人がピンチに陥り、さっそうと探偵が登場して最後はカーチェイスという展開はまさにベタベタなテレビドラマ。しかし、王道をいく作品というのはこれと言ったところがなくてもしっかり読めるものです。

2月28日

 書感です。

「ペントハウスの謎」
 収録書籍:エラリークイーンの事件簿1
 関連書感はこちら

 昨日の「消えた死体」に引き続いて「エラリー・クイーンの事件簿1」に収録されているもう一つの中編を紹介。

 中国で活躍していた腹話術師が滞在中のペントハウスで殺された。腹話術師の娘シーラは友人であるニッキー・ポーターを頼ってくるが肝心のエラリー・クイーンは秘書であるニッキーの頼みにも迷惑顔。中国人、詐欺師、素性のわからないボーイなど怪しい人物が入り乱れる中、クイーンは嫌でも事件に引き込まれていく……。

 元々が映画の脚本という事を知って読むと、読みながらも実にあざやかな映像が浮かびます。不安げな依頼人、颯爽と行動するクイーンに活動的な秘書のニッキー。様々な推理を繰り広げる警察の面々。場面を長々と描かず、次々と話を展開させていくため、2時間映画にしても飽きる事なく最後まで見られただろうと思われます。
 シリーズものとして続けていく気も満々だったようで、エラリーとニッキーの関係も微妙にロマンスまでは行かず、作家(あるいは探偵)と秘書という事で引き延ばしています。
 現在の本格派などとは違い、どちらかと言えば探偵をヒーローとして描くことに重点を置いた小説なので、謎の展開や推理などは細かく突き詰めていけばいろいろ疑問を持ちますが、古典ミステリの楽しみというのはそんなところにありませんよね。いかにもと言った雰囲気で犯人を追いつめていくクイーンにワクワクしてしまいます。
 話は少しずれますが、内田康夫の探偵、浅見光彦はクイーンの影響を受けているように感じます。ホームズの場合は明確にパロディかアンチテーゼを書こうという意志がないと書けなさそうですが、クイーンの方はどこかに「クイーンっぽさ」が残ってしまうような感じです。
 安っぽい探偵ドラマのように見えてもぎりぎりそうならず、どこか気取ったような味があります。その魅力は劇中のクイーンと同じです。


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