|
3月16日
書感です。
「みんないってしまう」
著者:山本文緒
出版:角川書店
定価:438円
初版:平成11年6月25日
この短編集も貫井徳郎の「崩れる」と同じく北村薫の「謎のギャラリー」に載っていたものです。ここにも恋愛や結婚をテーマにしたものが多くて「崩れる」とは良い対比になっています。ただ、「崩れる」が人間関係の変化を描いたものであるのに対し、「みんないってしまう」は自己完結型と言うか、内面的な変化を描いたものがほとんどです。主人公の心を通して周囲の出来事を眺めているような感覚があって、同調しやすくなっています。
表題作「みんないってしまう」は結婚して久しぶりに同級生に出会うという物語。二人のよもやま話から意外な過去が明らかになって……というものですが、この話がなんとも微笑ましいのです。同じ事が起こるにしても、二人がずっと前に出会っていたなら話の印象は全然違うものになっていたでしょう。短編において、時の流れというものは重くのしかかって来る事が多いですがこの作品では逆に時の流れが優しくいろんなものを押し流していったような印象を受けます。
「みんないってしまう」というタイトルから想像される喪失感はむしろ、他の短編に多く見られます。年齢を重ねて失うもの、結婚して失うもの、失恋して失うもの、逆に恋愛をして失うもの。何かを得るときには何かを失うというテーマは様々な小説で語られていますよね。
どちらかと言えば寂しい心境で語られる事が多いのに、出てくる人間はみんなどことなくユーモラスです。ただ面白いだけでも寂しいだけでもない、微妙なバランスが読んでいて心地よいのです。その辺のさじ加減が山本文緒は実にうまいと思いました。
いつもはただ生きる事に忙しいのに、何かちょっとした事が起こると人は呆然と立ち止まってしまう事ってありますよね。
そんなふうに、周囲が真っ白になってしまうような時間を山本文緒は書いています。それまでの自分を分析し、これからの自分を想像し、不安や後悔などが渦巻いて、そのときは永遠と思えてもやがて時が元のように流れ出すと思考もどこかに追いやられてしまいます。そういった部分を切り取ったのがこの短編集なのです。
3月17日
ゲームのレポートです。
「首都高バトル0」
機種 :PS2
メーカー:元気
ジャンル:レース
定価 :6800円
発売日 :3月15日
昨年末に発売だったグランツーリスモ3が伸びてしばらくレースゲームから遠ざかっていました。リアル系のグランツーリスモに慣れてしまったため、一時期やっていたナムコの「リッジレーサーV」は操作感覚がどうにもなじめなくてやはりGT系のゲーム以外はやめておこうと思っていたのですが、この「首都高バトル0」は特異なコンセプトに魅力を感じたのでやってみました。
舞台は東京を環状に走る首都高速。プレイヤーは走り屋となって夜な夜な改造車で首都高を流し、めぼしいライバルを見つけて勝負を挑むのです。
スタートもゴールもないこの勝負は、どちらかの精神力を示すSPメーターがなくなるまで続きます。大きく離されればそれだけ減りも早く、決定的な速さの差があれば勝負はあっと言う間に終わります。勝負が終わるとその結果に応じてポイントが入り、それを貯めてマシンを改造したり新車を購入したりします。マシンの性能、自分の腕、チューニングの3つが揃え、首都高最速を目指して走り続けます。
PS2のゲームではもはや当たり前とも言えますが、車のモデリングは精密で、首都高の景色なども完璧と言えます。特にすごいのは、実際にある首都高180km分が完全に再現されているということでしょう。フジテレビや東京タワーなど目立つ建物は走っていても確認することができます。
登場するライバルは約400人。それぞれのプロフィールを参照できるようになっていますが、性格や走る目的、他の走り屋との人間関係などこれだけ読んでいても楽しめるくらい細かくできています。
グランツーリスモやリッジレーサーなどもレースの条件を変えるなどして長く遊べるように作ってありますが、この「首都高バトル0」のように世界が作ってあってそこに放り込まれるといった感覚はまた別なものですね。
しばらくは走り屋の世界に浸れそうです。
3月18日
書感です。
「はじめの一歩」
作者:ジョージ秋山
出版:講談社少年マガジンコミックス
少年マガジンで連載中のボクシング漫画「はじめの一歩」
先日のPS2ソフト「はじめの一歩」をやったせいか、無性に読みたくなってしまい、未読部分の後半を一括購入してしまいました。現在揃っているのは30巻〜56巻。
ボクシング漫画と言うと「あしたのジョー」や「リングにかけろ」などがあります。
昔のスポーツ漫画ってとにかく根性論になりがちですが、ずいぶんと昔に描かれた上記二つの作品でさえ、主人公は科学的なボクシングの理論から入って一つずつ技術を身に付けていきます。
殴って相手を倒すという原始的なスポーツであるからこそそういった要素が濃く出るのかも知れませんね。
さて、この「はじめの一歩」は弱虫でいじめられっ子だった主人公が「強さ」とはどんなものか知りたくてボクシングを始め、プロとして勝ち上がっていくというストーリーです。
56巻まできてはいますが、現在主人公は日本チャンピオンでまだ世界にも出ていません。しかし、弱虫から世界チャンピオンへという過程を考えればまだまだかかるのでしょうね。
主人公、幕之内一歩はとにかく一日一日、地道な努力を積み重ねて上へと上がって来ています。一つの試合ごとに、相手の事を研究し、トレーニングをして新しいことを身に付け、強くなっていくのです。読んでいて痛感するのは、勝敗は試合前にすでに決まっていると言うことですね。試合というのはそれまでの積み重ねを発揮する場でしかないわけです。
打たれ強いのもスタミナがあるのも、そして意識が飛んでしまっても無意識にパンチが出るのは気が遠くなるほどの練習の成果なのです。もちろんプロボクサーはお互いに限界まで努力しています。だからこそ、試合に敗れ、自分の限界を知ってしまうこともあります。しかし、一歩と戦ったボクサーたちはそれで終わりません。一歩を越える強さを身に付け、また対戦したいと願います。
チャンピオンになりたくてボクシングを始めたわけではない一歩は「強さ」の探求という漠然とした目標を抱えています。
自分の強さ、相手の強さ、一歩を取り巻く人たちの強さ、それぞれを丁寧に、力強く描いているのがこの作品の何よりの魅力でしょう。
3月19日
この時期って卒業旅行に行く人が多いですね。
僕の友人なんかもイタリアやフランス、韓国などあちこち出てます。僕はまだ海外へ出たことがないのでうらやましいと思いつつも海外旅行ってけっこう面倒という気もするので、お金と時間があってもなかなか行こうということになりません。
見たり読んだりするのと行くのとでは大違いとわかってはいますが、テレビや本などでけっこう満足してしまいます。
行くときは思いっきり豪華に行きたいですね。観光ツアーなどだとどうしても慌ただしくなってしまいます。
僕が最も行ってみたいのは、ロンドン、次にローマ、そしてニューヨークあたりです。ロンドンのイメージはもちろん、シャーロック・ホームズ。NHKのテレビ放映で見たあの霧の街を自分でも歩いてみたいです。ヨーロッパの場合、100年や200年前の建物が今でも使われていたりするのがすごいですよね。
日本ではお寺や城でもなければ残っていないし、増して人が住むなどとんでもないことです。
思えば、外国の人が日本人は未だに江戸時代のような家に住んでいると勘違いするのも、自国と比べての事かも知れませんね。
ローマはやはりオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」が印象深いです。また、塩野七生の「ローマ人の物語」で描かれている都市をこの眼で確かめたいとも思います。確か塩野七生はローマに住んでいるはずですが、暮らしていくのにはどうなのかってあまり読んだことはないです。良くも悪くもないと言うことなのでしょうか。イタリアだと他にナポリ、ベネツィア、フィレンツェなど行きたいところがたくさんありますがとても一回の旅行ではまわれそうもないですね。
ニューヨークの場合、他の国、他の都市へ行くのとまるで趣が違います。たいていのところへは歴史を見に行く事になるでしょう。しかし、合衆国の歴史は200年。合衆国と言えばやはりあのビル群、そしてスポーツですね。メジャーリーグにNBAなどです。そびえ立つ摩天楼は高層ビルの博覧会のようなものですね。ニューヨークの場合、そこで特に何が見たいというわけでもないんです。ただ、あの雑踏とビルの中に立ってみたいというのが望み。実際行ってみたら困るかも知れません、他に何も思いつかなくて(笑)
こうして考えてみると、実は海外旅行も行きたいところがたくさん出来てます。ドイツやスペイン、フランスなんかも行ってみたいとは思いますからね。国内旅行でもそうですが、生きたいところが多すぎて決まらず、結局どこへも行かないというパターンかも知れません。
そんなわけであいかわらず旅行記や滞在記ばかり読んでいます。
3月20日
前回の続きになりますが、実を言うと僕は濃くないでもほとんど旅行に出たことがありません。出身地の札幌と今住んでいる埼玉県の川口を往復する他は家族旅行での箱根や裏磐梯、中学修学旅行の京都、大阪。高校では九州と中国地方にちらっと行ったことがあるだけです。あと、一度だけ大学に入ってから高校の部活仲間と青春18切符で京都にいる先輩のところに行ったことがあります。
僕は沈黙が嫌いなので一人度も苦手です。長年、インターネットをやっているとあちこちにメールフレンドもいるので、そういった知人を訪ねていけばどこへ行っても一人にはなりませんけどね。
そうなると海外で行きたいところが多すぎてどこへも行けないのと同じように、国内もどこへ行って良いのかわからなくなります。とりあえず僕は関西ってほとんど行ったことないので、大阪や神戸は行ってみたいと思います。どこを観光するというわけじゃなくても、やはり東京都は全然違いますよね。
出身地の札幌も、東京都はまるで違います。人口密度や発展の度合いなどではなく、街の造りや建物そのものが根本から異なっているのです。札幌の場合は雪が多いので、屋根が瓦ということはまずありません。僕が生まれた頃は割と表情のない扁平な感じの家が多かったのですが、最近は建材が雪に耐えられるようになったせいか出窓があったりしてけっこうお洒落になっています。
それを考えると地元の川口はほとんど変わっていないんですけどね。札幌のような感覚はインターバルを置いて時々訪ねたりしないとなかなか得られないでしょう。ですが、訪ねてみれば都市の表情というのは垣間見られると思います。
あと、行きたいのは金沢。友達が金沢にいて時々お菓子を送ってくれたりしてこれがおいしいんです。北陸などの日本海側は僕にとってまったく未知であるということもあり、興味があります。
あとは名古屋ですね。名古屋といえば森博嗣のミステリの舞台となる場所です。森博嗣が勤め、作品の舞台ともなる名古屋大を探検してみたいところ。これはちょっとミーハーですがこちらからも近いので割と実現は簡単です。
なんで旅行の話になったかと言うと、今日は休日なのにも関わらず家でぼ〜っとしていたからです。こんな過ごし方をするならどこか行っておけば良かった、という事ですね。
3月21日
木村拓哉主演のドラマ「HERO」が終わりましたね。
今期はこの「HERO」と「ロケットボーイ」を主に見ていました。
木村拓也が演じるのは高校中退で司法試験に合格した検事。
面と向かった人間はそのラフな服装と言葉遣いに驚くのですが、その特異さとは裏腹に職務には熱心で、誰よりも深く徹底的に事件を洗い出します。
海外のドラマでは検事や検察官が活躍するものって多いですが日本だとあまりないですよね。「赤かぶ検事」シリーズくらいでしょうか?
警察に逮捕状を出すのは裁判所、逮捕した被疑者を起訴するかどうか決め、裁判で原告となるのが検察です。つまりは、警察の逮捕が正しかったかどうか、そこで判定するわけですよね。現在、日本の刑事訴訟による有罪確定率は97%だそうですから検事に起訴された人間はほぼ有罪となります。
それを一番よく理解しているのが、能天気でいい加減そうな久利生検事。毎回、ラスト近くには自分の検察という仕事に対する思いを語ります。「弁護士が犯人の味方なら、被害者の味方は検事しかいない」「こういうことを曖昧にすると、同じ事が繰り返される」など、台詞としては実にクサいのですが、普段の投げやりそうな態度とのギャップで説得力が出ます。
かつて事件を起こしたときに「プライベートまで洗いざらい調べられた」と食ってかかる女性に対し「あなたがどんな生活を送っていて、どんな状況で犯罪を起こしたのか調べて、理解してから起訴しています。機械が裁いているわけではないですからね」と言い返した場面はかなり印象的でした。
久利生の事務官に松たか子、同僚の検事に大塚寧々や阿部寛など濃い感じの脇役陣もドラマを面白くしています。事務官や上司を合わせて8人にもなるレギュラー陣を余すところなく使ったストーリー作りは見事でした。
ワンクールのドラマということでたった11話しかないのが惜しい程でした。第二シリーズは無理でも年に一度くらい2時間スペシャルででもやってほしいところですが、主演が木村拓哉とあってはなかなか難しいかも知れませんね。
再放送があったらたぶんまた見ます。
3月22〜26日
高熱のためお休みしました。
3月27日
書感です。
「新・異邦人の夢」
著者:島田荘司
出版:徳間文庫
定価:533円
初版:1998年10月15日
関連書感はこちら
島田荘司のエッセイです。
島田荘司はミステリ小説家という肩書きを持つ人ですが、この人の作品ってミステリという枠に収まらない壮大なファンタジーである事が多いです。エッセイでも現代社会に対する批判や警告を織り交ぜてはいますが、それは彼が社会派だからではなくロマンチストだからなのだと解釈しています。
数字を見ながら宇宙という極大の世界から細胞や微生物など微小の世界までに思いをはせ、そこから世界の様々な土地や生態系まで語る内容は飛躍します。まさに、作家の想像力は無限大という感じですね。
島田荘司の書く御手洗潔シリーズは日本のシャーロック・ホームズとも言われます。本人もかなりのホームズファンを自称していますが彼にとってのシャーロック・ホームズは壮大なほら話なんですね。確かに、ドイルの描くホームズはほとんどスーパーマンで妄想の産物と言われればそれまで。しかし、だからこそあれだけの魅力があるんですね。緻密に計算されていないからこそ出る味というものを、島田荘司は愛しているのでしょう。エッセイ中でもホームズを「わが友」としています。
うらやましいと思ったのは、島田荘司がロンドンに2ヶ月滞在したという辺りです。もちろん、古い趣のある街並みというのはそれなりの不便さもあるわけですが、文明ではなく文化がそこにはあると言います。
タイトルの「異邦人」というのは本人が海外へ出て日本を見たときにそこを「異邦」と感じた事から来ているそうです。外へ出れば出るほど、祖国日本の特異性を感じるわけですね。しかし、それを感じるのは逆に自分が日本人であるからなのでしょう。島田荘司は日本に感じる違和感を述べながらも外国の方がいいとは決して言いません。
さて、自動車評論家としての顔も持つ島田荘司だけあって、エッセイ中には車に関する話も多いです。「ポルシェ911の誘惑」や「パリダカ幻想」などに載っていたエピソードもいくつか紹介されています。高速道路を青森から九州まで走ってみたり、パリダカの日本人スタッフと共に旅したり。
壮大な風景を文章で表現するのは難しいことかも知れません、しかし島田荘司はそれだけで終わらないのです。大きなものを見ればそれより大きな想像を巡らし、何千キロという旅の間には地球の回転を感じています。
そんなスケールの大きさは、エッセイでも小説でも変わりません。
読んでいるうちに、心は島田荘司と共に旅をするのです。
3月28日
先週の月曜日あたりから体調を崩し、木曜日から42度の熱を出して寝込んでいました。インフルエンザというやつですね。
小学校6年生の頃に一度、熱で2週間近く休んだことがありますがこれだけの症状が出たのは初めてです。
ほとんど歩く事もできなくて、激しい頭痛と眩暈、咳に悩まされました。風邪を引いたときには水分と栄養としっかり取って睡眠を取るというのが基本ですが、食事を用意することは出来ず、激しい頭痛に眠れずと最悪でした。咳をすると頭が揺れるので頭痛も倍増です。さらに花粉症の症状でくしゃみが出たりもしていました。
飲み物に関してはなんとか近くのコンビニまで行ってアクエリアスを何本か買おうとしたのですが、やってみると2本、3リットルを持つのが限界だったのでとりあえず買って帰ったのですがそれも一晩保たず、夜中にまた買いに行くはめになったりと一人暮らしの厳しさを改めて感じてしまいました。
どれだけ水分をとってもどんどん汗として出てしまうんですよ。唾液も出なくなって上あごに舌が張り付き、呼吸ができなくなったりもしました。
それでもなんとか三日目には熱が40度まで下がったので起きあがってヨーグルトを食べられるようになり、一息つけました。熱が下がってくると、いろいろと感覚も鋭くなるのか、それまで頭痛だけだったのが筋肉痛や関節痛も出てきて今度は寝ているのが苦痛。
それでも寝ているしかないので仕方なく寝ていました。
普段、病気のときはゆっくり読書などしているのですがうつぶせになれないと本ってうまく読めないんですね。なんとか読んで見ようともしたのですが、活字を追うだけの集中力も得られなくてダメでした。
結局、熱が下がるまでにかかったのは5日。今はパソコンに迎えるくらいには回復しました。
そういうわけでまた毎日の配信を開始したいと思います。
3月29日
書感です。
「絶対泣かない」
著者:山本文緒
出版:角川文庫
定価:438円
初版:平成10年11月25日
関連書感はこちら
山本文緒の短編小説集です。フラワーデザイナー、体育教師、デパート店員、漫画家など15の職業に就いている女性を主人公にした15の物語。ある人は自分の夢を追って、ある人はお金のため、ある人はなんとなく、その仕事をしています。
日々働きながらも内側に溜まっていくストレスや不安、疑問の渦。しかし、それをかかえているのは主人公達だけではありません。何気なく一緒に日々を過ごしている職場の人間たち、かつての同級生たち。出会った人々の内面にも、人は同じものを見てしまいます。
自分の夢を追い求めるということは、同時に自分自身が何を望んでいるのかを見極めなくてはいけません。人の事が気になるのは、その人が何を追っているかが気になるから。結局は自分に疑問を感じるからなのですね。
誰もがただ生きるためではなく、よりゆく生きるために働いているのにいつしか生きることと働くことが同義になってしまいます。しかし、働くということそのものに生き甲斐が見出せるならそれは一つの幸福かも知れません。
シリーズものの短編というのは書きにくいでしょう。一つの職業で一つの短編、という制約をもうければどうしても作品に並が出来てしまうものです。だからこの短編集でも、職業がテーマでありながらそれについてはあまり突っ込んだ記述がない短編なんかもあります。
しかし、ただ短編という事でなら、きっちりと主人公の心理を描いたきめ細かな作品に仕上がっています。主人公や登場人物達の性格、エピソードなど面白いところを挙げていたらなかなかきりがなさそうです。
出てくるのはばりばりと働きながらもみんなどこかでふっと気が抜けてしまうような人ばかり。しかし、単純なサクセスストーリーを書かれるよりもこういう話の方が元気が出るかも知れませんね。みんなこうやって頑張っているんだから。
3月30日
書感です。
「湾岸MIDNIGHT」
作者:楠みちはる
出版:講談社ヤンマガKCコミックス
定価:505円
その車は、身をよじるように走ると言う……。
廃車置き場でスクラップとなった70年代の名車、フェアレディS30Zを見つけた主人公アキオはそれに魅入られ、自らの手で復活させる。だが、そのZは「悪魔のZ」と呼ばれ、どこまでも伸びるかのような加速と引き替えに何人ものオーナーの命を奪っていた。
湾岸線最速と言われる黒いポルシェ、ブラックバード。モデル、れいなの乗るスカイラインGTR。写真家のイシダが駆るフェラーリテスタロッサ。みな、スピードを求め、スピードの象徴であるかのような悪魔のZに惹かれていく。たった一台の車がどこまで人の人生を変えてしまうのか……。
同じヤングマガジンで連載中の「頭文字D」を長いこと愛読していますが、同じ自動車ものでもこちらはまったく別。
「頭文字D」が峠を舞台にした公道レースものなら、「湾岸MIDNIGHT」はスピードというより抽象的なものがテーマとなっています。
速く走るためには何も惜しまない登場人物たち。自分の人生を破滅させてしまうほどの大金を使い、空き時間のすべてを車に費やし、命をかけてアクセルを踏むことで初めて得られるたった数秒の時速300km。ここにあるのは勝ち負けではないのです、限界というものに挑戦し続けるのか、降りるのか。たったそれだけです。
彼らの人生はあまりに刹那的。そんなことを続けていればいつかは死んでしまうというのが頭の片隅にありながら、スピードを求めて湾岸へと出ていきます。
彼らにとって、走ることこそが人生なのです。
悪魔のZに魅入られた人間が自分の限界を悟り、スピードの世界から降りていく瞬間は、寂しいながらも何よりほっとします。人には自分の帰るべきところがあって、結局はそこへ返って行く。
主人公のアキオにとって、そしてそれを追うブラックバードにとって、帰るべきところはどこなのか。
スピードの先に、その答えは出るのでしょうか?
3月31日
書感です。
「草原の記」
著者:司馬遼太郎
出版:新潮文庫
定価:400円
初版:平成7年10月1日
関連書感はこちら
かつて空前の大帝国をうち立てた草原の民、モンゴル人。
一カ所に留まるという事を知らないが故にどこまでもその支配を広げた彼らは、現在でも草原の民として暮らしている……。
司馬遼太郎がモンゴルを旅し、その広がる空想を書きとどめたのがこのエッセイ集です。
前にも書きましたが、司馬遼太郎というのはどこまでも広がる自由な空想力を持った人です。モンゴルの空を見れば、何世紀も前にそこを走ったチンギス・ハンの一族を想像せずにはいられません。彼にとってモンゴルは今でも、チンギス・ハンの一族の国なのです。
司馬遼太郎にとって、小説を書くというのは自らの空想を語ることです。必ずしも歴史と一致するわけでもなく、そこに特定の主義主張が存在するとも限りません。同じチンギス・ハンでも作品によって全く違う描かれ方をしたりします。
僕が時々、司馬遼太郎の作品に不審を抱くのはそういったところです。例えばある作品では近藤勇を豪快な人物として描いておきながら、別な作品では単純でおだてに弱い人間としてこきおろしています。モンゴル人にしても、エッセイでは驚くほど寡欲な一族としていますが、以前に読んだ短編では欲望に忠実でその心が赴くままに征服を繰り返したということになっています。
おそらく、いろいろなエピソードを断片的に浮かべてはそこにある人物像を描いているのでしょうね。歴史に対する解釈は一つではなく、そうであったのかも知れないし、あるいは違うのかも知れない。そういった奔放なところが司馬遼太郎にはあるような気がします。
モンゴル人にしてもそうでしょう。彼らにとって大陸を制覇するなどということは必ずしも必要ではなかった。しかし、たまたまその実力があったために征服してしまった。
だが、それを長く維持することなく、ある時、ふいに北の高原に帰ってしまう。
司馬遼太郎の頭の中にあるモンゴル人とはそんな一族なのです。そういった奔放なところに惹かれたのではないでしょうか。
この本では、旅先で知り合ったツェベクマさんという一人のモンゴル人女性を通して近代のモンゴルを書いています。大陸を馬で駆け抜けた一族の末裔の血を、司馬遼太郎はそこに見ています。この本はエッセイでありながら、読者を青く広い空を持った草原の国に連れていってくれるのです。それはテレビで見るのとまた違う、広がりを見せてくれます。
|