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4月30日
ゲームの紹介です。
「アーマード・コア2 アナザーエイジ」
機種 :PS2
ジャンル:ロボットアクション
メーカー:フロムソフトウェア
定価 :6800円
PS時代から続くロボットアクションの定番シリーズ「アーマード・コア」の最新作です。このシリーズの面白さは思い通りのロボットを組み上げる事、そしてそれを自由に動かせる事の2点に集約されます。PSで出ていた「アーマード・コア」とその続編「プロジェクト・ファンタズマ」は完璧と言えるまでにやりこんだものですが、第三作「マスター・オブ・アリーナ」は前2作とあまり代わり映えがせず、購入しませんでした。PS2になってから出た「アーマード・コア2」もグラフィックがきれいになっただけという印象が強いので放っておいたのですが最近また無性にやりたくなったので買ってしまいました。本作はP2GATEなどPS2用のモデムに対応し、電話回線を使った対戦もできるのが大きな売りです。
ストーリーは「アーマード・コア」の世界から何年かを経た地球が舞台。
大破壊と呼ばれる戦争により地下での生活を余儀なくされた人類。度重なる企業間の抗争により復興は遅れ、さらなる争いを呼んでいた。MTと呼ばれる歩行式戦闘機械が主力となる戦闘でもっとも力を発揮するのは、コアと呼ばれるコックピットブロックを中心に様々なパーツを組み合わせて作る強力な戦闘兵器アーマード・コア、通称ACを操るレイブンたちだった……。
舞台と設定はありますが、ここに決まったストーリーはありません。主人公となる自分は報酬次第でどんな勢力にも味方します。あるときは護衛を依頼された基地を次のミッションでは別勢力の依頼により壊滅させるなんていうことはざらです。
企業に依頼されて敵勢力に雇われたレイブンを倒す事もあれば自分が狙われたりもするという非常な世界。
また、報酬が高くても重武装で撃ちまくったり攻撃を受けすぎたりすると修理費や弾薬比で赤字になったりとなかなか一筋縄ではいきません。ただ戦うだけではないのがゲームとしての完成度の高さでしょう。
このシリーズ、新しくなるごとに難易度が上がっていくような気がします。PS版では苦労しながらも完全クリアができましたが今回はかなり苦戦。ちょっとクリアは無理そうです。
セッティングを変えたりと様々な工夫をこらして進んでは来ましたが同じACとの戦闘は高速で宙を飛び回り正確な攻撃をしかけてくるコンピューターに勝てないでいます。
それでも十分に楽しめましたけどね。ですが、悔しいことは悔しいです。初心者向けでないことは間違いありません。
4月29日
教育改革などで、学校のカリキュラムが大きく変わったりしていますね。時間数なども減り、教える項目も減ってほんとうに教育のレベルが保てるのかどうか、不満の声も出ていますが教わった方として後から見てみると、色々詰め込まれた割には無駄が多いような気がするので少ない時間数、項目で必要な事を十分に教えるのは可能だと思います。
何かを身に付けていくときって、観察をし、それを疑問に思い、その理由を考えたり調べたりするというのが一般的なパターンだと思います。NHKの教育番組でもまず疑問を提示するのが定番ですよね。高校や大学に入ると、順序が逆になります。基礎を学び、応用、実践へと移していくわけです。最終的な目標があるならば妥当なやり方かも知れませんが、基礎を学んでいる間はそれに何の意味があるのかイマイチ見えにくいという欠点があります。結果から原理へ、原理から実践へ。双方向のベクトルがないといけませんね。
現象としてわかりやすい理科に比べると小学校の算数はなかなか教えづらいのではないかと思います。面積図やつるかめ算などによって結果的に連立方程式を解かせる事はできますが、なぜそういうやり方が出てくるのか教えられる方にとってはけっこう謎です。小学校の頃に、面積図の原理がわからないくて質問した事がありますが、明確な答えが得られませんでした。解決したのは高学年で方程式を使って問題を解くようになってからです。
初等数学が出来るか出来ないかは方程式が作れるかどうかに大きく依存しますよね。頭の中で方程式が立てられるならつるかめ算を自分で発見することも可能です。方程式の場合、やり方さえ知っていれば出来てしまいますよね。つるかめ算などはまさにその代表ではないでしょうか。それを解くだけなら計算機とあまり変わりません。小学校の算数は知識の詰め込みとなりがちの様な気がします。
小学校でつるかめ算を教えなくなると言うことで、僕の周囲ではいろいろと危惧する声が上がっていましたがむしろ正解だと思っています。それよりも四則演算や分数、小数などの数学の概念をきっちり教え、算数がただの数字のやりとりではなく現実の問題を解決しやすくするためにそれを記号になおしていると言うことを知って欲しいです。
中高生の理科離れなどもいろいろと問題になりました。これも物理や化学でいろいろと憶えさせられる事が原因なのではないでしょうか?
ただ憶えるだけだと理科は記号のかたまりに過ぎませんが、式から現象を思い描けるようになると突然面白くなります。
結局のところ、なんでも学んで面白い部分というのはあるのでしょうね。しかし、それを伝えるのはとても難しい事です。
ですからせめて、授業によってその分野が嫌いになる事だけは避けて欲しいですね。
4月28日
書感です。
「周平独言」
著者:藤沢周平
出版:中公文庫
定価:796円
初版:1984年9月10日
最近はあまり読んでいませんが、一時期時代小説を読みあさりました。池波正太郎などは一人の作家として読んだ冊数が一番多い人です。鬼平犯科帳と剣客商売だけでも40冊に及ぶので当然と言えば当然かも知れませんが。
しかし、時代小説で一番最初に読んだのは池波正太郎ではなく藤沢周平です。元々時代劇が好きで、NHKの時代劇「腕におぼえあり」の原作「用心棒日月抄」を手に取ったのが始まりでした。
時代小説はなかなか読みにくいという印象がありますが、独特の雰囲気には他に得難いものがあります。池波正太郎をストーリーテラーとするならば、藤沢周平はしっとりと湿った雰囲気を書くのが上手な作家だと思っています。その藤沢周平が書くエッセイです。
この人はあまり多くのことを語らない性格なのか、あまり作者本人というものは見えてきません。文中でも自分は口べただという事がありましたがエッセイは文を組み立てるというより話すという感覚があるので口べたが出るのかも知れませんね。
その代わり、と言うか歴史上の人物に対する考察などがあってこういった発想が小説にふくれあがっていくのだろうと想像させます。
何かの連載を集めたものではなく、あちこちに書いたものを集めて作ったエッセイ集なので中には同じ話題を扱った文もありました。特に小学校の先生の話が印象的で、その先生を恐れて著者はどもりになってしまいその時期の読書が作家への道を開いたということです。これはほとんど同じ内容で2回囚収録されています。
藤沢周平本人もエッセイは本業ではないという意識が強かったのか、あまり積極的に主張しようという感覚がありますが、そのそっけなさに荒涼とした藤沢ワールドを垣間見るような気もします。
藤沢周平、池波正太郎、司馬遼太郎と亡くなってから時代小説のラインナップにぽっかりと穴が空いてしまったような気もしますが、そろそろ新しいものを発掘してみようかとも思っています。
4月27日
書感です。
「眼球綺譚」
著者:綾辻行人
出版:1999年9月25日
定価:552円
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つい先日、ミステリではない綾辻作品を紹介したばかりですが今度はホラー。最近、有栖川と綾辻が多いのは閉館間際に図書館へ行って本を物色したためです。「あ」のコーナーが入り口側にあるもので……(笑)
さて、この「眼球綺譚」はホラー短編集です。ミステリとホラーを両方書く作家は数多くいますよね。綾辻行人は元々描写が濃厚な人なので、ホラー向きかも知れません。この人の場合は精神的にじわじわと怖がらせるより、生理的な嫌悪感に訴えるものがかなりあります。
周囲で「眼球綺譚」を読んでいる人の中には気持ち悪くて途中でやめてしまったという人もいるくらいです。僕もその手のものは比較的苦手なのですが、それでもどんなものか見てみたいという好奇心が勝ってしまいました。
さて、読み終わった感想ですが、やっぱりなかなか怖いものがありますね。内容について細かくは触れませんが、この本の場合はその短編の内容をかいつまんで話しただけでも「嫌だ」と感じるような話が多いでしょう。
設定の段階ですでに嫌悪感があります、それでも読ませてしまうというところが不思議ですね。
余談ですが、眼球という言葉がタイトルにつくところですでに痛そうなイメージがありませんか?
眼にはゴミが入っただけで痛いわけです。かなり敏感な期間ですよね。眼球綺譚……つまりは眼球にまつわる奇妙な話ですから眼が無事に澄むとは誰も思わないでしょう。
眼科で視神経に注射をしたことが何度かありますがあれはかなり嫌な体験でした。
収録された短編は7つです。
「再生」「呼び子池の怪魚」「特別料理」「バースデー・プレゼント」「鉄橋」「人形」「眼球綺譚」と今こうしてタイトルを並べているだけでも読んでいるときの感覚が蘇ってくるようです。
何故、読んで気持ち悪いとわかっていても読むのか、怖いと思っていても読むのか、それはなかなか謎ですね。人間、不快な感情でも味わってみたいと思うことがあるのかも知れません。それが自分の身に降りかかることでなければ、ですが。
4月26日
書感です。
「山伏地蔵坊の放浪」
著者:有栖川有栖
出版:東京創元社
定価:1700円
初版:1996年4月25日
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安楽椅子探偵のおばあさん、ミス・マープルや落語家の円紫師匠など探偵役にはいろんな人がいます。ですが、山伏が探偵というのは前代未聞でしょう。「法螺吹き」「護摩の灰」などの言葉が示すように、山伏は恐れられる存在でありながらうさんくさいものの代表でもあります。
スナック「エイプリル」では毎週、週末になると常連客が集まり、地蔵坊という山伏の体験談を聞いていた。真実か否かはわからずとも、そこで語られる殺人事件とそれを解決する地蔵坊の話を常連達は楽しみにしていた。
いったい地蔵坊とは何者なのか……。
事件を謎として出題し、解決を聞き手が推理するというのは短編によく見られるパターンですね。これがちょっと変わっているのは、聞き手の方がその話をあまり真剣に信じてはいないこと。地蔵坊はあくまで真面目に話していても、毎週毎週殺人事件を体験談を聞かされれば現実なら怪しいと思うのがむしろ普通ですよね。増して、話の中で活躍するのは語り手自身。
クリスティも「事件がポワロを呼ぶのではなく、ポワロが事件を呼ぶのです」と作品中に書いています。殺人事件という得意な体験を一生に何度も体験する人はそういないでしょう。
増して、地蔵坊は修業先で偶然にも事件に出会うわけですから職業探偵とは訳が違います。
しかし、ただ「法螺話」と言い切れないのは話にきちんと整合性があって、考えた末に降参しても解決を言われれば「なるほど」と思えるからですね。もちろん、これは推理小説の基本です。江上先輩シリーズと違って解くのはミステリファンではなくスナックの常連客なので、謎そのものもそんなに難しくはありません。この「よく考えれば解ける」というさじ加減がなかなか絶妙なのです。
わかりやすい人物構成、説明しやすく派手なトリック、そして探偵のインパクト。なかなか優れた短編ばかりです。
さて、こういう作品って永久に続きそうな気がするものですが有栖川有栖は意外な事にちゃんと結末を用意しています、
全七編、もっと続けて欲しいような気もしますが、このくらいで引いておくと印象はより強くなるのかも知れませんね。
4月25日
書感です。
「緋色の囁き」
著者:綾辻行人
出版:講談社文庫
定価:676円
初版:1997年11月15日
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ミステリとサスペンスの違いというのは実に曖昧です。
時には限りなくホラーに近い場合もありますね。
ホラーとサスペンスの類似点は、娯楽の中心が恐怖やスリルを楽しむ事にあるという点でしょう。サスペンスとミステリはどちらも人間の間で起こるという点にあります。もっとも、著しく異常な状況では人間が起こす事件でもホラーとして描かれたりしますね。ミステリとサスペンスの違いは、それを解決しようという姿勢があるかどうかと言うことで、わずかなものでありながらも読み方としては大きく違ってしまいます。ミステリの場合、解決するというのが前提にありますからね。
さて、館シリーズでおなじみの綾辻行人ですが、この作品はサスペンス。
名門、聖真女学園に転校した内気な少女、泉冴子。
同室となった高取恵は自分を「魔女」だと言った数日後、寮の「開かずの間」で焼死する。その後、冴子の周囲で次々と起こる殺人。とぎれがちな記憶の向こうに見える血のイメージは冴子自身が犯人だという証拠なのか……?
この設定を見て思ったのは「赤川二郎っぽい」と言うことですね。学園を舞台にしたオカルトサスペンスはそれだけでジャンルと言えるほどたくさん書かれていますが、なかなかパターンの域を抜けられない気がします。そういう意味では綾辻行人も例外ではなかったのが少々残念。
個人的にはこういうもので恩田陸にかなうものはいないと思います。かといってこの「緋色の囁き」が駄作だという訳ではありません。綾辻の場合、どうしても「十角館の殺人」の印象があるため画期的で衝撃的なものを求めてしまうんですね。
「緋色の囁き」は「囁き」シリーズとなる3作品の最初の一作という事なので、あとの2作で綾辻サスペンスがどう進化を遂げるのか確かめてみたいと思います。
4月24日
書感です。
「臨機応答・変問自在」
著者:森博嗣
出版:集英社新書
定価:680円
初版:2001年4月22日
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大学助教授にしてミステリ作家の森博嗣は授業中、学生に質問を書かせ、次の授業でそれに対しての返答を書いたプリントを配るそうです。その中から面白いものを選りすぐったのがこの本。いわば問答集でしょうか。
森ミステリの魅力の一つに、登場人物の会話が面白いというものがあります。
実際の森博嗣の問答を見ていると実に納得。普段ある事をそのまま書いているのだとわかりました。あの会話の面白さは森博嗣自身の面白さにつながります。
学生のする質問は、その授業の教科に対するものとは限りません。森博嗣自身に対するものであったり、悩みの相談であったり日頃の疑問をぶつけてみたりと様々です。
そしてそれらに対し、森博嗣はまずまともには答えません。
知識を得れば済むものに対して「調べればわかる」と答えたり、好みを問う問題に対して「何故その質問をするのか」と問い返したり哲学的な問いに対して「定義が曖昧」と返したり。
こうして読み返してみると、日常、人間はいかに無意味な質問を投げかけているかと言うことがよくわかります。知ってどうするのか不明なものや、よく考えずに質問しているケースって自分でもあります。
もし面と向かって質問して、書いてあるような答えが返ってきたらさぞかし恥ずかしいだろうと思います。
森博嗣は質問の内容によって成績をつけたりするそうです。
なるほど、質問によってその人の授業に対する姿勢や理解というのはよくわかるものだと感心しました。
このやりとりはたいへん魅力的ですが、自分が真似するのはたいへんに危険です。「好きな小説家はいますか?」「いる」
では日常生活で嫌われてしまいますよね。人間性というものをアピールする必要がない人でないとできません。増して、読んで面白いと思うような返答をするにはセンスが必要です。
高等(?)な技術での質疑応答なのに内容は限りなく小学生の口げんかに近いというこの本、他ではなかなか見られないものです。集英社新書なのであまり新刊などに並んでいないかも知れませんが、森博嗣作品のファンであるかないかに関わらずまず間違いなく楽しめると思います。
4月23日
書感です。
「からくりサーカス 17巻」
作者:藤田和日朗
出版:小学館サンデーコミックス
定価:390円
初版:2001年5月15日
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藤田和日朗の作品は作者のコーナーが多くて、前後のカバー折り返しにも何かしらの言葉が入っています。表紙折り返しのほうには作者による解説。裏表紙折り返しにはアシスタントとの日常を描く4コマと作者が作品に対して思っている事などでなかなか豪華です。
また、最後の数ページには穴埋めというかどうしようもないようなバカ企画などが入っています。これは見ていないと言葉で説明しにくいですね。とにかく笑えます。
さて、今回の裏表紙折り返しにあったのですがタイトルの通りこの物語は「からくり」なのだそうです。からくり人形が出てくる、という事だけではなく物語全体がからくり仕掛けだと言うことですね。「うしおととら」のときも、勢いで描いていると思っていた作者の緻密なプロットには驚かされました。
前半部分の単発だと思っていた話までしっかりと全体の物語に組み込んでいるというのが素晴らしかったです。
そういう前例があるので、この「からくりサーカス」への期待は大きくなります。連載開始当初は「うしおととら」ほどの面白みが感じられず、読むのをやめようかと思っていましたがここのところの展開は続きが待ち遠しくて仕方がありません。
200年近く続いた自動人形としろがね達の戦いはついに全面戦争へと突入。サハラ砂漠の真ん中のテントで、二つの集団が代表選を行う。機械仕掛けの人形、そして人形を狩るために人形と化した人間。その激突に何故か怒りが沸き上がった鳴海は自らの拳を人形に叩きつける……。
鳴海たちと自動人形の戦いを描く「からくり編」と日本に残された才賀マサルたちサーカス団の日常を描く「サーカス編」という二つの話が同時進行している第二部。一瞬二つの物語が交わりながらも「からくり編」はマサル達と無関係にクライマックスを迎えようとしています。
果たして、本当にこれが最終決戦なのか?
いや、そんなはずはないですよね。
これからどうなっていくのか全く読めないでいます。
作者の言う「からくり」とは何なのでしょうか?
マサルたちサーカス団がこれからどう自動人形との戦いにからんで行くのかワクワクします。
作者自らが「からくり」と言う物語の展開が何より楽しみです。
4月22日
書感です。
「とり散らかしておりますが」
著者:新井素子
出版:講談社文庫
定価:520円
初版:1994年4月15日
SF作家、新井素子のエッセイ集です。
このタイトル、どういう意味なのかなと思っていたら、どうもその内容や順番にあるようです。決まった連載や決まった時期のものを集めたのではなく、新井素子がデビューから十数年かけて書いたものを順番も何も関係なく集めています。
だから同じ「家」を書いてあってもそれは実家であったり新婚の頃の家だったり、ごく最近の者だったりといろいろ。
十数年もすれば好き嫌いも変わってしまうし、同じものに抱いている感想も違います。
順番に読んでいくとその変化が面白いのでしょうが、この本だとなんとも混乱してしまいます。
一応、話題ごとに集めてあり、関連するものが並んでいたりはするのですが一人の作家が同じテーマでいろいろな事を書くには年月の助けが必要でしょうね。
新井素子の本はこれまでけっこう読んでいますが、高校生でデビューしたということをこのエッセイで初めて知りました。
エッセイ中で一番若いころのものなんて、大学に入学してすぐ書いたものですから驚きです。
全体を通して読んでみると、この人の文章の口調はデビュー当時で完全に完成されているようです。だから書き方だけではいつの頃なのかほとんどわかりません。元々、人に話すような自然な文体なのですが、若い頃の感性を保って作家活動を続けていけるというのはすごい事ですね。
時々出てくる話題で面白かったのはぬいぐるみに関するものです。新井素子はぬいぐるみマニアとして知られていて、本人もぬいぐるみを相手に一人遊びするコツなどについて書いていますが初期の頃の話題だと、たまたま雑誌にぬいぐるみと共に写ってしまったために全国からぬいぐるみが送られてきたという事。他の作家のエッセイでもプレゼントをもらう話などはよくありますが、こうなるとうっかり「好き」とは書けなくなってしまうでしょうね。
エッセイ集で感じたのは、新井素子を作家として成り立たせているのは日常に対する視点の面白さなのではないかと言うことです。何気ない事に対してでもちょっと人と違う感覚で見つめていて、それをひねると物語が出てくるという……。
まあ、実際はそんな簡単な事ではないのでしょうがそんな印象を持ちました。
4月21日
前にも書きましたが僕は長年、ポストペットをやっています。あのブームって一過性のものにはなりませんでしたね。
僕自身もこんなに長年使うなんて驚きです。
ポストペットの面白さは、ペットがかわいいと言うことの他にメールなどの反応にあると思っています。基本的に僕がパソコンやゲームが好きなのは自分のアクションに対してリアクションが帰ってくるのが面白いからです。機械いじりや工作が好きな人も同じようなものなのでしょうね。
パソコンとゲームの違いは楽しませるために反応を返しているかどうかという事ですね。普通のソフトの場合は何かをするのに対してどれだけ快適に使えるか、ということに尽きます。
機能が高くても反応が鈍ければ使う気にはなれません。
ちなみに、僕は仕事でWIn、家ではMacを使っていますがリアクションがいいという点ではMacの方がはるかに上と思っています。Winもいろいろ工夫を凝らしているな、とは思うのですがMacの場合はそれが自然のものと感じるんですね。それだけ洗練されていると言うことでしょう。
話は戻りますが、ポストペットはメールを送るためのものなので基本的には実用系です。しかし、その随所にこちらを楽しませるための仕掛けがあるわけですね。
ポスペ同士でやりとりした時に読める「ひみつ日記」や時々ペットから持ち主に送られてくるメールが他愛のない分の羅列なのに面白いです。ペットごとに性格の違いが見られたりと何年か使っていても新しい発見があったりします。
最近、やりはじめたのがSCEIの「トロメール」です。感覚的にはなんとなくポスペと似ているのですが同社の「どこでもいっしょ」のキャラクター、トロが毎日ほとんど意味のないメールを送ってくるというものです。こちらから何かのアクションを起こせるわけではないですが、周囲の友達とのメールを見比べてみても重複がほとんどなくて、パターンのあまりの多さにあきれるくらいです。
無料でお手軽に出来るし、毎日届くと言っても1、2行、多くて5行くらいのメールなので気にすることもないです。面白いのでやってみて下さい。
4月20日
書感です。
「阿刀田高のサミング・アップ」
著者:阿刀田高
出版:新潮文庫
定価:520円
初版:平成5年6月25日
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阿刀田高のエッセイ集という事なのですがこれは割と毛色が変わっていて、小説から阿刀田高原作の漫画からとごった煮になっています。アイザック・アシモフは自身の解説つきで短編集を出していますが、それを彷彿とさせますね。
同じ題材で書いたエッセイと小説や、一つのプロットで書いたショートショートと短編など、文章の勉強としてもためになるような内容もあります。また、旅行記や講演の記録などもあり、阿刀田高の多彩な活動の内容が知れます。
講演の内容は国際捕鯨会議に日本代表として出席したときの話で、国際的な舞台での日本人の対応を生で目撃するという興味深いものでした。
結局のところ、作家というのは多くの引き出しを持っていてそれを使い分けられるのだなと実感しました。だから「夜の風見鶏」のように気楽な雰囲気のエッセイを書いていながらホラーっぽい雰囲気の漂う「夢判断」のような短編集を書いたりできるのでしょう。
つまり、出力のうまさが段違いなんですね。そして、出力のためにあちこちで様々なものを頭に入力していくわけです。
阿刀田高は小説かですから、当然のこと中心は小説です。
そこに収まりきらなかったものや、小説にしにくいものなどがエッセイとして出てきます。小説を読んで、エッセイなどで隙間を埋めて、そうして頭の中には作家の人物像が出来ていくわけです。
なかなか素顔を見せて来ない人もいますが、阿刀田高のようにぽんぽんといろいろなものが出てくると逆にわからなくなってしまいます。
それで次を求めて他の本を探したりします。
幸いな事に、阿刀田高の本はたくさん出ているので当分、困ることはないでしょうね。全部読んで全貌がわかるかどうかは疑問ですが。
4月19日
書感です。
「陽のあたるオヤジ -鮫のひとり言-」
著者:大沢在昌
出版:集英社文庫
定価:495円
初版:1997年8月25日
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「新宿鮫」の作者、大沢在昌のエッセイです。
ハードボイルドの分野で同じく有名な北方謙三は本人もハードボイルドで作中の人物とかぶるそうですが、大沢在昌に関してはほとんど知らなかったので読んでみることにしました。
タイトルの「陽のあたるオヤジ」とは「オヤジ化しない中年」の事だそうです。30になるのが嫌で仕方がなかったという著者は、中年になっても若い女の子にモテる人間でいようと決意したとか。中年になってもくたびれず、若者などライバルとすら思わない。それが「陽のあたるオヤジ」なのです。
とは行っても、大沢在昌自身がなかなかそうはなりきれていないようです。
ちなみに連載されていたのは集英社の「月刊プレイボーイ」だというのが面白いですね。若者が読む雑誌に向けて、かっこいい中年になる事をテーマに書いていたということ。
さて、エッセイ中にはずいぶんと趣味の話が出てきます。
麻雀、ゴルフ、釣りなどです。作家には多趣味な人って多いようですが、大沢在昌の場合、3つの趣味が同時期に重なっていません。一時期、熱中してのめり込んではすっとやめてしまうんです。けっこう飽きっぽい人なのかも知れません、と言っても数年は持続するわけですが。のめりこむと言っても、空いた時間を全てそこにつぎ込むとかそういうレベルでもないですね。どうも読んでいると割と普通の人、というイメージがあります。
新宿鮫の鮫島のように凄まじい執念を持った人間を書いたりするのに本人がそうである必要はない、という事でしょうか。
文中で大沢在昌はやはり北方謙三の事に言及していました。
他の小説の作者は作風と性格が一致していなくてもいいのにハードボイルドだけは作者がちゃらちゃらしているとバカにされるそうです。だから北方謙三の場合は「北方ジワ」と呼ばれるしわを眉間によせて常にハードボイルドな態度を崩さないとか。
大沢在昌の場合は、話好きで人付き合いが良さそうという印象です。当たり前ですが鮫島とは全然違いますね(笑)
逆にこういった人から「新宿鮫」のような小説が出てくるところに想像力の深さといったものを感じます。
4月18日
書感です。
「星界の戦旗III -家族の食卓ー」
著者:森岡浩之
出版:早川書房
定価:560円
初版:2001年3月15日
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森岡浩之の長編SFシリーズ最新刊です。
恒星間航行を開発し、銀河に散らばった人類。その中で尤も力を持った種族「アーヴ」は遺伝子改造によって長い寿命と美しい容貌を持った支配者として人類に君臨した。
地上人類でありながらアーヴの貴族に列せられた若者、ジントは軍役の中でアーヴの王女、ラフィールと出会う。
アーヴと他全国家の間で始まった戦争は二人をどこに導くのか……?
最初の三部作「星界の紋章」はラフィールとジントの出会いを中心にアーヴという種族を描いたものでした。普通、アーヴのような「優れた」種族は主役として描かれないですよね。
物語の紹介で描くと壮大なスペースオペラに見えますが、実際はもっと視点が低く、主人公のジントの立場から見れば戦局も未来も全く見えません。
アーヴは非常に合理的な考えを持ちながらも自らの感情に忠実であり、位が高い人間ほど子供のような側面を持っています。合理的な考えが思考を硬直させず、冷徹な判断を下しながらも自分の楽しみを忘れないという彼らはある意味、下手なSFなどに出てくる宇宙人などよりはるかに完璧かも知れません。
さて、今シリーズ「星界の戦旗」は成長したジントとラフィールの物語となっています。王女として生まれたラフィールは軍役を全うし、元帥の座を目指すという厳しい生き方が決まっていますが、彼女にとってはそもそも戦場に生きることが本望です。しかし、ジントには様々な選択肢があります。帝国貴族となったことで故郷や地上世界、それまでの友人達とも切り離されてしまった彼ですが、完全にアーヴともなりきれないでいます。ラフィールと出会った事で彼の人生は大きく影響を受けますが、自身の生き方については自分で決断を下さなければなりません。
主人公としては影が薄く、周囲の人間に喰われてしまいがちなジント。周囲がラフィールのように個性が強いアーヴばかりでは仕方のない事かも知れませ。それでも、最初は受動的と言うしかなかった彼が今作では物事に柔軟で、何事もやんわりと解決していく人間に成長してきたような気がします。
アーヴの中で最も気性が激しいという一族出身のラフィールの身近にいることができるのもその性格ならではでしょう。
人類とアーヴ、宇宙を二つに割った戦争は全く終わりの見えないものになっています。ただ、その勝利者がアーヴであることを読者は誰もが確信するでしょう。どう勝つのか、いつ勝つのかという事だけが興味の対象となっています。その結果にラフィールとジントが関与するような事はないのかも知れません。歴史は二人と関係がないかのように流れていきます。
この物語の結末には悲劇も、永遠に続く幸福も似合いません。だからこそ作者には期待しています。腕の見せ所ですね。
4月17日
書感です。
「ストローハウスからの手紙」
著者:安西水丸
出版:毎日新聞社
定価:1400円
出版:1995年5月25日
安西水丸は村上春樹のエッセイなどでイラストを書いている人ですね。図書館に行ったとき、たまたま目に入ったので借りてみました。安西水丸の絵ってなかなか言葉では表現しにくいです。ヘタウマという言葉が近いのかも知れませんがそれは言ってみればジャンルですね。
このエッセイはMRハイファッションという雑誌に連載されていたそうですが、一回一回の話があちこちへ飛んでなかなか戻ってきません。僕は全部の連載をまとめて読んでいるのでその中の一貫性を見出せるかも知れませんが、その場で読んだ人はきっと混乱するでしょうね。
ただ、逆にきょろきょろと辺りを見回しては面白いものを探しているような好奇心を感じます。
文章としては本当に一貫性もないし、名文とは言い難いですが人の頭の中をのぞき見しているような感覚です。この奔放さがイラストにも表れています。
エッセイを読んでつくづく思うのは、人を面白くするのは経験だということです。いろいろなものを見て、聞くことでその人の中に多くのものが蓄積していくのでしょうね。それもただ発散させるのではなくて、内側にかいま見せると言うか、見せびらかせずに相手に好奇心を抱かせるのが神髄というものではないでしょうか。
安西氏のエッセイは時々酔っぱらって書いているのかと思うほどで、興味を抱かせておいて終わったり他の話題にうつったりします。話題の転換も脈絡ないです。
もっとも、職業作家じゃない人が連載をしろと言われて書いていくとこんな風になるのかも知れませんが。
先に安西氏のイラストをヘタウマと言いましたが、この人は文章もヘタウマなのかも知れません。好き勝手に話したいことを書いているだけで面白くなってしまうんですね。いや、そんな事を言ったら書いている安西氏に失礼かも知れませんけど受ける印象はそんな感じでした。
4月16日
有栖川有栖の小説にはたいてい「読者への挑戦状」があります。情報が全て出そろった時、それを元に推理してみろという事なんでしょうね。
僕はミステリファンですがこういうのってほとんど気にしないで先に進んでしまいます。ミステリ小説の楽しみを自分で推理する事に求めていなからです。
と、言っても全く考えないのでは面白くありません。読みながら自然に頭の中で組み立てていける程度の話運びが一番いいですね。
有栖川有栖の作品の場合、主人公の有栖川有栖の思考の速さがちょうど自分と合っているようでたいへん読みやすいです。
江神先輩のような名探偵が語り手だったらとてもついていけないでしょう。もっとも、アリスの推理は江上先輩がこぼしていくヒントが元だったり彼の推理への補足だったりするのでとても主役にはなれません。
「読者への挑戦状」を出すミステリ作家はけっこう苦労するのでしょうね。当たり前ですが読者は現場にいるわけではないので、探偵と同じように好きなところを調べたり見たりはできないわけです。クイズやパズルが難しすぎてはつまらないのと同様に挑戦状も説明されて解ける程度のものでなければならないわけです。そのさじ加減を間違えると苦労して考えた読者を怒らせる事になります。
実際に解いてはいませんが、有栖川有栖の作品の場合は数式を解くようなもので一つ一つ考えていけば必ず解けます。だから解けたからと言って探偵の資質があるわけではないのでしょう。
森博嗣作品なんかだと、論理的に一つ一つ組み立てて行っても解けない場合が多いです。作中に出てくる人物もみんなそれで苦労します。何故なら、前提となる条件が足りない場合が多いからなんですね。しかし解くことが不能なわけではありません。ただし、想像力を必要とします。要は虫食い算だという事です。森博嗣自身が工学博士だからか、ただ論理的なものを解くという事より一歩進んだものを求めるのかも知れません。
それに対してシャーロック・ホームズものは手品のようなものですね。普通に舞台から見ていたらわからないことだらけです。最後にホームズがタネあかしをするから感心する事が出来るのです。最も、手品師が本当に底までタネを明かしてしまうとは思えませんね。ホームズは説明するのが面倒で適当にワトソンをはぐらかしているようにも見えます。
今、思い返して見れば僕がミステリ好きになったのは小学校の図書室に置いてあった「少年探偵ブラウン」からです。
アメリカが舞台で主人公のブラウンが25セントで様々な依頼を解決していくというもの。解答は必ず別になっていて巻末にありました。あの頃は必死になって考えたものです。
推理って、身近にいろいろ考えて解ける人がいたらしないような気がしますね。簡単な事ならあれこれ考えを巡らせたりもしますが。
自分が孤島に取り残されて、周囲の誰かが犯人で、見つけなければ死ぬかも知れないというような状況に追い込まれたらその時こそ実力を発揮してみよう……と思いつつも、日頃の訓練を怠っているので無理かも。
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