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5月1日
書感です。
「天才柳沢教授の生活 16、17巻」
作者:山下和美
出版:講談社モーニングKC
定価:457円
この作品、もう十二年も続いているそうです。最初は堅いだけだと思ったいた教授もずいぶんといろいろなものを取り入れて柔軟になってきたような気がします。
経済は人間が作るものであり、人間を研究することは経済学の研究につながるという持論の元、自分の好奇心を満たすために際限なく物事を追求していく柳沢教授。しかし、他人の価値観を認めながらも自分自身は決して9時就寝、5時起床という生活ペースを守り、交通ルールを厳守し、論理的に正しいと思っている主張は絶対に曲げません。
いわゆる「頑固じいさん」というキャラクターでもなければただ真面目な紳士でもない、クールに見えても暖かみがあり、真面目すぎてユーモラスにも見える彼はコミックの主人公としてなかなか異色のキャラクターでしょう。
書店でコミック新刊のコーナーで17巻を見つけ、久々と思って購入したのですがすぐに16巻も読んでいないと気づきました。最近、こうやって新刊を見逃す事が多いようです。
さて、常に何かに研究のテーマを見いだそうとする柳沢教授が主人公だけに、続けていくのは難しいことだとは思うのですが今回の16巻などはかなりの傑作揃い。17巻と同時に発見できて良かったです。
大学の名物講義をするファッションモデルやかつて柳沢教授をモデルに小説を書いた仏文学教授などの人物などは魅力的なキャラクターで身近にこういった「研究対象」がいると思うと教授がうらやましくなります。また、教授が急に自転車に興味を持つ「風を創る」の回など自転車好きの僕には共感出来る事が多かったです。
柳沢教授がいつも教えてくれるのは身近のところに疑問を感じる喜びです。疑問をただわからないこととして放っておくのではなく、それを考え続ける事で解決するまでずっと楽しみを保持することができます。柳沢教授のように好奇心が旺盛で観察好きの人ならそれが尽きることはないでしょう。
考えるということの幸福。人間として生まれたからにはそれを存分に味わいたいものです。
5月2日
書感です。
「20世紀少年 5巻」
作者:浦沢直樹
出版:小学館ビッグコミックス
定価:505円
初版:2001年6月1日
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20世紀少年は20世紀中に終わることを期待していました。
前巻を読んだとき、ちょうど5巻くらいで終わりかなと思っていたのでそのつもりで呼んでいたのですが、予想は大幅に裏切られ、新章へと突入です。
始まったときには派手にばらまいてドタバタと進む展開に対し、20世紀という区切りでコンパクトに終わらせてくれれば傑作になり得るかなと思いましたが、そんな想像を超えて話は盛り上がっています。こうなると続けて欲しいと思いますね、
やはり浦沢直樹の実力は素晴らしいです。MONSTERを連載しながら片方でこれだけの作品を書いています。
さて、ここまでの話を整理してみます。
実家の雑貨屋をやめ、コンビニとして商売を始めたケンヂの周囲で次々と奇妙な事が起こる。謎の失踪事件、はやりだした宗教。世紀末、20世紀で世界が終わるという思想が社会のあちこちに顔を出す。やがて、起こっている事件が小学校時代の遊び仲間と空想した悪の組織の活動そのものだと気づいた彼は事件の裏に昔の仲間の誰かがいると確信し、調査を始める。
最初は誰もがケンヂの事をバカにしていたが、昔の仲間も一人、また一人とケンヂの主張を信じ始める。宗教の教祖か、政治団体のボスか、背後に潜む「ともだち」とはいったい誰なのか。社会を捨て、潜伏していたケンヂ達の戦いが始まる……。
悪の組織を倒し、世界を救うという夢を見ていた少年時代のケンヂたち。「ともだち」を中心として謎の集団はケンヂの夢をかなえるために現れたのか?
浦沢直樹は謎のばらまき方が絶妙です。ヒントが出て次を予想すればそこに新しい展開があり、新たな謎が出現します。
大きな流れの中にも飽きさせない物語運び、そして読者を驚愕させる大どんでん返し。この作品、そんなにメジャーではありませんが読んで損のない一作です。浦沢直樹ファンならなおの事必読。
5月3日
書感です。
「頭文字D 21巻」
作者:しげの秀一
出版:講談社ヤンマガKC
初版:2001年5月1日
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天才的な走り屋、高橋涼介が率いるチーム、プロジェクトDのエースとして関東最速の名を刻むために県外遠征を続ける拓海。圧倒的なレベルの高さを誇る東堂塾を下したDの前に立ちはだかったのは東堂塾のOBでプロのレーシングドライバー、館智幸だった……。
公道レースをテーマにしたこの「頭文字D」の舞台に初めて登場するプロのレーサー。趣味の範囲でしかできないチューンに限られた走り込みの時間で勝負してきた走り屋たちと時間のすべてをスピードい費やしてきたプロのレーサーとではその差は歴然。明らかに勝ち目のない勝負に嫌でもテンションは高くなります。
かつてライバルである須藤京一に「神様のようなドライビングテクニック」とまで言われた拓海のドリフトも館智幸にかかれば「下手ではない」程度の評価にしかなりません。
「頭文字D」では勝敗に奇跡はないのです。両者がテクニックのすべてを出しきった結果、必然的な結果が訪れます。高橋涼介の作戦は「必勝」のために授けられるのではなく、勝つにはそれしかないというものです。第二部のプロジェクトD戦が始まってからしばらく、涼介の作戦による勝敗が光っていましたが今回のように勝てる要因が見あたらない勝負にこそ拓海の実力が光ります。かつての第一部のように無謀な勝負に挑んでは相手を破っていくという興奮が蘇ったようです。
車やコースなど様々な要因で負けている勝負をひっくり返してしまう拓海ですが、少し気になるのはこの先どうするのかと言うことです。プロのレーサーまで出してしまってはこの先にどんな相手が出てきても大きくは見えないような気がして不安です。次々敵が強くなっていく少年漫画のような展開にだけはならないで欲しいですね。
5月4日
書感です。
「ヒカルの碁 12巻」
原作:ほったゆみ
作画:小畑健
出版:集英社ジャンプコミックス
初版:2001年5月6日
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プロ試験に合格し、ついに棋士の世界に足を踏み入れたヒカル。新人とベテランが対決する新初段シリーズ最初の一戦、ヒカルの相手に立ったのはなんと名人、塔矢行洋だった。
その対局に注目する若手のトップ、緒方に老練の桑原。ヒカルに取り憑いた藤原佐為はそれほどまでに多くの棋士を魅了している。ヒカルは佐為の影を吹っ切り、棋士界に実力を認めされることができるのか……?
順位戦が始まる前の閑話休題というところでしょうか。プロ棋士としての対局にヒカルの期待がふくらんでいる時期です。
しかし、力をつけたきたヒカルに対し、佐為は不安を大きくします。彼が本気で囲碁に取り組むほど、取り憑いている佐為が打つ機会はなくなってしまうのです。塔矢名人を始め、多くの強者を目の当たりにしながら自分は何もできないという無力感が佐為を苛みます。
ヒカルの実力はまだまだ佐為に及びません、棋士としてのプライドが出てきたヒカルは佐為の力を借りて勝つという事ができないのです。今はまだ自分の棋士生活で精一杯のヒカルですがやがて佐為と同等の実力を身に付けて佐為と本気の対局をしたり、佐為に代わりに打たせたりするような日が来るのではないでしょうか。
もっとも、佐為が生まれたのは千年前。過去の名人、本因坊秀策にも取り憑いており、実際に碁を打っていたのは佐為だったわけですからその道のりは遠いでしょう。しかも、佐為は現代の囲碁を吸収しつつもあります。
佐為、塔矢アキラ、緒方、塔矢名人、そして同期の和谷や越智、今回初登場となる倉田などヒカルのライバルとなり得る人間は数多く存在します。
塔矢アキラへのライバル意識で始めたヒカルの碁ですが、そこから世界は大きく広がっていますね。
これからが楽しみです。
5月5日
書感です。
「アシモフのミステリ世界」
著者:アイザック・アシモフ
出版:ハヤカワ文庫SF
定価:641円
初版:1991年7月31日
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アシモフが多作である事は読者にとって何よりも幸運です。小粒でもぴりりと辛い作品群はいくら読んでも尽きないような気がします。ロボットシリーズや未来史シリーズなど、胸痛の世界を舞台にしたシリーズでは短編の面白さと長編の壮大さを同時に味わうことができます。
さて、今回の短編集はタイトルの通り、ミステリ色の強い作品を集めたものです。もちろんアシモフ作品なので現代ものではありません。いつものように冒頭や作品の前後には作者本人の解説があるのですが、誰もが疑問を持つ「SFとミステリは両立するのか」という事について言及しています。その答えはもちろん「両立する」ですね。SF作品の大半は科学知識がなくても読めるし、知識が必要ならば作者がきっちり説明してくれるわけです。ミステリでも同じで、事件が解決したときに「ああなるほど」と思えるだけのヒントは提示されますよね。と、いうわけでその条件を満たした「SF色の強いミステリ」「ミステリっぽいSF作品」そして両者を切り離すことができない「SFミステリ」の3つに分類される作品が収録されています。
元々、ミステリというのも含もうとすれば様々な作品が入りますよね。謎が提示され、それが読者に納得できる形で解決されれば全てミステリと言ってしまっても過言ではありません。
作者が自覚し、読者が認めればすべてミステリなのかも知れませんね。
SFでもミステリでも共通する事は、自らの頭脳によって物事を解決していく展開が多いと言うことではないでしょうか。ミステリの場合は、必ず答えがあると決まっているのが条件ですね。SFの場合は「不可能」という事もあり得ます。
おっと、こうなると上記に加えて「必ず解答がある」という事が必要ですね。
アシモフはジョークが好きな人なので、中には日本語で理解しにくいものもありますが、地球外環境学者アース博士が出てくる4つの短編などは絵に描いたような安楽椅子探偵小説になっています。
アシモフは本当に誰にでもお勧めです。
SF小説というジャンルが人を拒絶する作品を多く含むと言うことは認めますが、それだけでアシモフという作家を読まずに過ごすのはあまりに惜しいことです。
読むたびに改めてそう思ってしまうのです。
5月6日
4日、5日は小旅行へ行ってました。
と、言ってもそのつもりで行ったわけではないんですけどね。友人が車を買って栃木から乗ってきたのでそのままドライブに行こうと言うことになりました。お互い、ドライブなんてしないので目的地もあまり深く考えず、富士山が見えるところへ行こうと言うことでカーナビの目的地を山梨県の大月市にセットし、中央道を下りました。
ちなみに友達の車はホンダのシビック。思ったより大柄な胴体のせいか中はかなり広々としていました。最近の車はみんなそうなのかもしれませんが、シフトレバーなどもフロントパネルにまとめられ、足下もすっきり。また、車としてもいい感じの性能でギアのない無断変速機構のおかげで加速が良く、パワーはそれほどでなくても高速の入り口などでは軽快に加速します。また、燃費がかなり良いようで、栃木を出る時に給油しただけと言うのに200キロ近い走行でメーターは四分の一程度しか減っていませんでした。47リッター入るという事なのでリッターあたり17くらいは走るという事です。
僕は未だ免許を所持していませんが、かなりシビックが欲しくなりました。カーナビ付きで。
さて、出発すると高速は空いており、けっこうあっという間に大月へ。そのまま甲府まで行くことにしたのですが、途中からだんだんと流れが悪くなり、渋滞に突入。ゴールデンウィークの2日目だったで出る人も帰る人もそんなにはいないだろうという読みだったのですがまったく甘く、前日の雨で出かけなかった人たちが2日目にどっと出て、帰りは帰りで混雑しているという有様でした。
甲府を経由して河口湖の方へ出たのが午後6時。御殿場、小田原と経由して東京へ戻るコースの到着予想時刻は夜中の2時ということでした。僕はともかく同行者は栃木まで戻らなければならないのでちょっと厳しい時間帯。幸い、どちらも次の日の予定がなかったので周辺で宿を探して泊まることに。
コンビニへ入って雑誌を買い、周辺の宿に片端から電話をかけたらキャンセルが出たところがあったので、カーナビを頼りになんとかそこまでたどり着きました。
二人とも予定外の公道にあまり現金の持ち合わせがなかったので食事などもキャンセルして素泊まり。夜は地元の名物、ほうとうを食べましたがイマイチでした。
一泊して宿を出、念のためキャシュディスペンサーを見つけてお金を下ろそうとしましたが案の定無理で、残り数千円のまま2日目の始まり。河口湖をパスして山中湖、富士山麓というコースを設定。河口湖へ向かう道はたいへんな混雑でしたが通り過ぎたら車の流れが良くなりました。カーナビで見ているとカーブの多いところから渋滞が始まるというのがよくわかります。途中、富士五湖有料道路に入ってしばらく行くと曇り空の中に妙な形の雲が……と思って見ていたらそれが富士山でした。大きいと頭でわかっていても間近で目撃すると驚きますね、雲の具合などで山頂まで見えたのは一瞬でしたが絶景でした。それだけでもドライブに出たかいがあったというものです。その後、御殿場で降りて雑誌に乗っていた御殿場アウトレットモールへ行ってみました。78店のアウトレットショップが並ぶというそこもGWでかなりのにぎわい。ディズニーランドのようでした。NIKEやGAP、無印など普段使っているブランドのアウトレットがあり大いに興味は惹かれたのですが現金もカードもがないのはどうしようもなく、見物のみ。1時間ほどぶらついてから東名高速を使って東京方面へ向かいました。
その後は実に順調で、川崎ICで高速を降りて調布で下ろしてもらい、同行者はそのまま大泉ICから東北道を経由し栃木へ帰還。僕は電車で戻って来ました。
あまりこういった無計画旅行はしないのでなかなか新鮮な2日間。今度は自分の来るまでやってみたいものです。
5月7日
朝の通勤電車が途中からラッシュと逆方向なので割と座れる事が多いと言うかいつも座れるのですが、7人がけのシートに6人とかしか座っていないととても気になります。
だいたいそうですが、席って端から埋まっていく傾向が強いですよね。電車がある程度混雑していたりするときっちり詰めて座るのでしょうが、適度に空いていると無駄なスペースができやすいです。なんとなく見ていると、その原因は最初の位置取りで半端な場所に座ってしまうということにあります。
7人がけの場合、まず両端が埋まって残り5人分のスペースが空きますね。そこに3人目が座るとき、空きスペースが大きいので端に座っている人のすぐ隣には座りません。そうなると残り一人座っただけで残りスペースがあっという間に3人分になってしまったりします。
もし3人目が7人がけの真ん中に座るならちょうど左右に2人分ずつのスペースが出来てきっちり7人座れますね。だから鉄道会社でも真ん中の一人分は色が変えてあったりします。
僕は座って本が読みたいので両端に座ることが多いのですが、空いていなければたいていは色の変わった真ん中の部分に座っています。
まあ、別に多くの人を座らせたいとかそういうのではなくて気になるというだけなんですけどね。つまらないこだわりの一つです。
電車はがらがらなのに何故かどこも7人がけの席に5人ずつ等間隔で座っていて自分が座れず、イライラすることってあります。特に疲れていなくても、席が空いていれば座りたいものですよね。読書も座っているときの方が進みます。
自分の生活を振り返ってみると、一番体力を消耗するのは間違いなく電車通勤です。しかもほぼ毎日なので、ボディーブローのように疲労が溜まっていきますね。だから、多少家を早く出て始発電車を狙い、座って行けるように乗ったりするので多少の事では席は譲りません。見るからに立っているのが辛そうだったり具合が悪そうだったりする人には譲りますけどね。
どうしても座りたいならば工夫や努力をするべきだというのが基本の考えです。
それでも、昔からお年寄りに席を譲ろうと教育されてきてはいるのでなんとなく申し訳ない気にはなりますが。
などと考えながら毎日電車に乗っています。
5月8日
書感です。
「イギリス名詩選」
編訳:平井正穂
出版:岩波文庫
定価:620円
初版:1990年2月16日
イギリス、ルネサンス期から始まって現代までの英国詩人66人、100編を訳注、原文付きで紹介したものです。
僕はあまり英国文学の知識がないので知っているのはシェイクスピア、ワーズワス、T.S.エリオットくらいのものです。
海外の詩を読むとき、一番大きな障害となるのは当たり前の事ですが言語の違いです。残念ながら、訳された日本語にはなかなか感動させるだけの力がないと言わざるを得ません。短歌が英語訳されてもピンと来ないのと同じようなものではないでしょうか。
原詩がついているのでなんとか語調だけは味わう事ができますが、それがなかなか詩の内容とシンクロしないので自分の語学力がもどかしくなりますね。結局のところ、本当に味わおうと思ったら自分が英語に堪能でなければならないわけです。
しかしながら、もっとわかりたいと思うだけに魅力的な訳と解説ではありました。
その中でもシェイクスピアは群を抜いて心に感じるものがありました。シェイクスピアの詩の言葉が持つ情感は言語を越えて普遍なものなのでしょうか。それとも多くの人に愛されたが故に訳もより洗練されたものとなっているのでしょうか。
いずれにせよ、時代も言葉も越えて響いてくる詩にシェイクスピアの力を感じました。
今度はシェイクスピアについてもっと突っ込んだものを読んでみようと思っていますが、他の詩人たちについては理解が難しいと感じ、むしろ遠くなってしまったかも知れません。
興味深かったのは宗教的なものを描いた詩です。宗教というものがどういったものか、頭で理解したり想像したりする事は可能ですが、なかなか実感は難しいですね。
宗教は人を癒し、安らぎを与えるかも知れませんが同時に宗教的に苦しんだり縛られたりします。それは宗教がない人間とどれだけ違うものなのでしょうか?
幸せや苦しみといったものが宗教的な幸せや苦しみに変わるだけのようにも感じました。
あまり英文学の勉強になったという気分ではないですが、いろいろと考えさせられました。
文化の違い、言葉の違いというものは本当に大きいですね。
伝えるために書かれたものこそ、より違いを明確にするということなのかも知れません。
5月9日
書感です。
「つめたいよるに」
著者:江國香織
出版:つめたいよるに
定価:400円
初版:1996年6月1日
前々からいろんな方に薦められていた江國香織。この本が初めて読む作品となります。こんなに身構えてから読む本もなかなかないです。
読んだ印象としてまず感じたのは、この短編集は本来の江國香織のものとは少し違ったものなのではないかということです。どうも僕はそういうのが多いような気がします。
少し不思議で、ノスタルジックな話ばかりの短編集となっているこの「つめたいよるに」
郷愁というのは何も歳をとった人のものというばかりではなく、若くてもふとした瞬間に強烈に何かを懐かしく感じる事あるという、そんな話です。
江國香織の文章はとても優しく、丁寧に話して聞かせるかのように一つ一つの言葉が響いています。多くの人が薦めてくれたのがよくわかりますね。この人の作品は読んで理解するものではなく、感じるものなのです。まるで江國香織の感性が自分のものであるかのように入り込んで、その世界を味わう事ができました。
あまり予備知識がなかったので、江國香織は社会的なテーマなどを取り上げた現代の小説を書く人なのだと思いこんでいたのですが、少なくともこの本では古くも新しくもないです。
作家には様々なタイプがありますが、江國香織は声高に何かを主張するのではなく自分の語りで読者をどこかへ導いて行こうとする人なのだと思います。ある意味、それは音楽的なものなのかも知れません。
作品の中にあるテーマを説明するのが難しいですね。そこには悲しみも喜びもあり、幸せも不安もあり、出会いも別れも同時に存在します。濾過される前の混沌とした状態がそのまま物語の上に乗っかっているようです。
読んだ後になんとなく、しんみりとした気持ちが残る作品ばかりでした。感動というものがどこから来るのか、考えさせられます。もう少し、いろんな作品を読んでみたいです。
5月10日
最近、500mlのペットボトルにボトルキャップなどのおまけがついている事ってよくありますよね。ペットボトルのふたにキャラクターのフィギュアなどがついたあれです。
僕はあまりものを集めるという性質はないつもりなのですが、日常的に買うものだとついおまけのついたものに手を出してしまいます。
以前、ペプシコーラにスターウォーズのボトルキャップがついたときは、いつも飲んでいたコカコーラではなくペプシを買っていたものです。と、言ってもせいぜい10本くらいなんですけどね。ダースモールが3つも出たりしました。
最近ではコカコーラについていたピーナッツのボトルキャップです。スヌーピーが数種類とチャーリー・ブラウン、ウッドストック、ペパーミント・パティ、サリーなどアルバイト先に飾ってありますがなかなか出来が良くて満足。ライナスやシュローダーなどが手に入らなかったのが残念です。どうも僕は同じキャラクターを何種類も集めるよりはいろんなキャラクターを並べてその世界と楽しむといったほうが好きなようです。
コレクターと呼ばれるような人たちって同じキャラでも塗装やポーズの違うものまで全部集めたがったりしますよね。そういうコレクション癖が売り上げを伸ばすのでしょうか?
おまけと言えば僕が小学校の頃にはキン肉マン消しゴムやビックリマンなどがはやったものです。どういうわけかどちらも興味ありませんでしたが、友達がダブったものなどをわけてくれたのでそこそこ持っていました。
ビックリマンが最近また売っているようでなかなか懐かしいです。でも、最近のコレクション系のお菓子といえばやはりチョコエッグでしょうね。卵形のチョコレートに入った組み立て式の動物フィギュアなのですが、中途半端にリアルなのがちょっと怖い。どうしてそんなにもコレクション欲を刺激するのかはよくわからないですが、箱ごと買ったりする人もいるみたいですね。身近にも集めている人がいます。
組み立てるものでは昔、BIG1ガムというのがあってソフトプラスチックの簡単なプラモデル入りガムがありました。あのくらいになるとお菓子の方がおまけみたいなものでしたが可動部分も多く、部品も細かく出来が良かったです。今でもあるんでしょうか。最後に見たのは高校生の頃だったと思います。
コレクションと言えば、本に関してはあまりコレクターって言いませんよね。僕は図書館派なのであまり買いませんが、森博嗣や京極夏彦の作品などは家で揃えています。どちらかと言えば人に貸すのと、早く読みたいというのが購買理由です。
何かを集めるのってそれまでの足取りを振り返るという意味でも面白いのかも知れません。僕はたぶんこれからもなんとなく集めてみたりやめたりしそうです。欲がないのかあるのか謎ですね。
5月11日
アルバイト先の会社が引っ越し中です。
と、言っても社内でフロア移動をしているだけなんですけどね。どの机にもパソコンがあるので、それが一番の荷物ではないでしょうか。パソコン本体にディスプレイ、それをつなぐケーブル類でなかなかの大荷物です。
後、かさばるのは紙などの資料です。単独では軽くても、箱などに詰めてしまうと密度が高いので重いですよね。
しかも、いるのかいらないのかわからないようなものが多いです。今の部署にはけっこう長くいるので個人的な荷物などもあって引っ越しの準備作業には半日かかっています。
僕はそんなに体力ないのですがとりあえず力はあるので、重い物を持たされる事が多いです。筋肉痛などには滅多にならないのですが、当然ながら力仕事なんてしないに越したことはありません。昨日の引っ越し準備ですでにけっこう疲れているので当日が思いやられるところです。
僕は今のアパートに移ったとき、一度引っ越しを経験しているのですが、そのときはとにかく荷物が何もなくて、後から段々と買いそろえていったので、引っ越しの手間自体はほとんどありませんでした。ですが、今の部屋にはかなり荷物があるのでこれから引っ越しをするとなるとかなり大変な事になるはずです。本が好きな人にはよくある事かも知れませんが、とにかく部屋には本が多い。上でも書いた通り、紙は重いのでそれが一番大変でしょう。
本を捨てられなくて大変な事になっている人はよくいますが、僕の場合は捨てたり売ったりしていながら今の有様なので引っ越しの時に冊数を減らすということはあり得ないです。
いずれ、間違いなく今の部屋は出るのでそのときの事を考えるとぞっとしますね。
友達の引っ越しなどを手伝ったことも何度かありますが、みんなけっこうコンパクトでした。まあ、中には当日まで荷物の梱包すらしていないという人もいましたけどね。
引っ越しのノウハウってやっぱりしたことある人が一番溜まっているでしょうから僕もいざというときは友人頼みかな、と無責任な事を考えています。
5月12日
書感です。
「ダリの繭」
著者:有栖川有栖
出版:角川文庫
定価:660円
初版:1993年12月10日
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シュルレアリズムの巨匠、サルバドール・ダリ。そのダリを崇拝していた宝石店の社長が殺さた。そして、その顔からは自慢のダリ髭が失われていたのだ。母親の胎内に近いと言われる巨大な「繭」フロートカプセルの中ではいったい何が起きていたのか……。
犯罪学者、火村英生と推理小説家、有栖川有栖のシリーズです。タイトルだけ見て借りたので読んでみておなじみのシリーズであることに少し安心、少しがっかりです。
あいかわらず著者、有栖川有栖と主人公、有栖川有栖がオーバーラップする作りになっていますが、主人公のアリスがまだまだ理解できないという親友、火村英生は作者にとっても未知の領域なのかも知れません。学生、有栖川有栖のシリーズに登場する名探偵、江神先輩も似たような存在です。
さて、今回のキーワードはタイトルにある「繭」です。
外界から自分の精神を守るため、意識無意識に作りだす防護壁のようなものが誰にもあると言います。主人公、有栖川有栖にとってそれは小説を書くこと、火村助教授にとっては犯罪の現場を検証し、犯人を割り出すこと。被害者となった宝石店の社長はダリのような髭を生やし、ワンマン経営で宝石店を大きくしたひとかどの人物です。そんな彼も、週末は自分の別宅に籠もって過ごし、瞑想効果があるという高価なフロート・カプセルに籠もります。たった40分の瞑想は、彼に何を与えていたのか。被害者が一つの謎になっているのです。
被害者宅を訪れた有栖川有栖の友人、吉住がフロート・カプセルに入っている間に社長は殺され、第一容疑者として疑われます。
それほど入り組んだ人間関係でもなく、殺されるほど憎まれるたり仕事上のトラブルを抱えたりはしていないという社長。
それはある意味「誰が殺していてもおかしくはない」という状況より遙かに難しいものです。だからこそ、動機のあるなしより物理的な可能不可能が問題となるのです。
もし、同じ家にいた吉住が犯人でないならばいったい誰が社長を殺したのか……?
作者にとって、状況が派手ではければよりいっそう物語を組み立てるのは難しい。しかし、それを緻密にやってのけるのが有栖川有栖の特徴です。今回も結末にうならされました。
「よく考えてみれば読者にもその可能性が推理できた」という何度のさじかげんが絶妙です。出された結末が「自分では考えつかなかった」というようなものならば推理は完全に作品の探偵に任せてしまいますが、読んでみるとしっかり証拠は示されているのです。逆に読者を誘導するために探偵が余計な事を言ったりもしないのが作者の強気でしょうか。
推理というものを純粋に楽しむなら、有栖川有栖は秀逸ですね。
5月13日
今日は床屋へ行って来ました。
と、書くと実に日常的な事に思えますが、僕にとって床屋へ行くのは実に10年ぶりくらいです。
もちろん髪を切らなかったわけではなく、ずっと美容院へ行っていたからです。小学校6年生までは家の裏手にある床屋へ行っていたのですが、近くの中学校が基本的に坊主頭という校則だったためか、中学生以上はとにかく短くされてしまうのでやめたのです。別に短いのが嫌いなわけではないのですが、僕はかなり髪の毛の癖が強く、短いと跳ねてしまうので適度な長さがないと困ります。
そこでそれから今までは駅前の美容院に通っていました。
しかし最近どういうわけか仕上がりが悪くてけっこう不満。
ついでに、顔を剃ってもらえた方が便利かなと思い直し、床屋へ行こうと思ったのですがどうも美容院ばかりで適当なところが見つかりません。そういうわけで、はるか昔に通っていた床屋へ再び行くことになりました。
終わってみると仕上がりはいつもの美容院とあまり変わらず、こっちの方がお得かな、と少し思いました。
関係ない事ですが、美容師さんに「髪の毛のウェーブがうらやましい」と言われました。「癖毛」も「ウェーブ」と思えばおしゃれなのかも知れませんね。しかし、僕はそれを活かしきれないのでどちらかといえば迷惑な髪の毛です。
さて、美容院と床屋ってどう違うんでしょうね。
床屋は火曜日が休み。美容院は月曜日が休み。
床屋にいるのは理髪師、美容院は美容師。
床屋はカミソリで顔を剃れるが美容師は許可されない。
……などでしょうか。どう違うかはわかっても、何故髪を切る職業が2つあるのか謎ですね。感覚的には床屋は「身だしなみを整えるところ」で美容院は「おしゃれをするところ」といったところです。
傾向としては床屋の方が安いですよね。しかし、美容院よりサービスがいいような気がします。これはお店によるかも知れませんが。ずっと通っていた美容院の美容師さんは仕事がかなり手早くて、ともすれば雑といった感じでしたが仕上がりがいいときは自分の希望よりも上の出来といった感じでした。芸術家肌なのかも知れませんね。おまけに、そこで切ったときは髪の毛が伸びてしまってもきれいに整います。一度か二度、近くにある他の美容院に行った事があるのですがそこだと最初の仕上がりはよくてもなかなか長持ちしなかったです。この辺りは腕の差だけではなく仕事に対する姿勢の違いも現れているような気もします。
一度髪の毛を切りに行くと40日くらいは行かないので、仕上がりはけっこう重要ですよね。その後の経過も大切です。床屋さんの真価がわかるのは、髪の毛が伸びて次に切りに行くときにどちらを選ぶか、というところで決まるでしょう。
5月14日
13日の日曜日はヤイコこと矢井田瞳のライヴへ行ってきました。けっこう取るのが難しいチケットだったらしいので取り逃したファンの方には大変申し訳ないのですが、実は矢井田瞳にの事はほとんど知らず、成り行きで手に入ったチケットでした。場所は渋谷公会堂。ここは元々あまり広くないのでステージ上の人の表情まではっきり見えます。僕は1階の20列くらいの場所で端ではありましたがなかなか良いポジション。
見回して見ると観客は男女半々くらい。若い女の子がけっこう多くて始まる前から「ヤイコ」と叫ぶ声がちらほらと聞こえ、盛り上がりそうな予感が。
開場が17時、開演が17時30分と健全なライヴは少し遅れてスタート。バンドのメンバーが入ってきただけで会場はすごい盛り上がりでした。
考えてみればこういうライヴって初めてです。これまで何度か電話予約を試みた事はあったのですが、取れた事ってないんです。それほど根気よくやったわけでもなかったですしね。
オーケストラなどを生で見たときも思いましたが、やはりCDで聞いたりするのとはまるで違います。重低音が身体に響くというのはもちろんですが、何よりの違いは音の立体感でした。
ステレオは左右のスピーカーのバランスを変える事によって音の響いて来る方向を変える事ができますが、それでも奥行きや上下の感覚、視覚との一体感にはまるでかないません。
音楽が好きな人はギターやベース、ドラムなどにもこだわりますがこれは行ってみて初めてわかる感覚だなと思いました。
曲の方は結局、ほとんどが知ってる曲でした。
僕はあまり歌手が誰か気にしないので耳にしていても誰の曲だかわかっていない場合が多いです。実は知らずに聞いていた曲が多かったようですが、周囲みたいに前奏が始まったところで大騒ぎといかないので少し寂しいかも。
ライヴはジェットコースターのようなもので、激しい音の洪水に巻き込まれてあっという間に終わってしまったという感覚ですね。CDを聴いて、曲を知っていたらもっと「生」を楽しめたのだろうと思います。
声援に手拍子、パワーのある歌声に迫力あるバンドでかなり
満足です。矢井田瞳はライヴでいっそう力を発揮する人なの
かも知れません。
とりあえず矢井田瞳はレンタル予定リストに加えました。
しばらくはCDを聴いたらライヴの余韻にひたれそうです。
5月15日
書感です。
「暗闇の囁き」
著者:綾辻行人
出版:講談社文庫
定価:619円
初版:1998年6月15日
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「緋色の囁き」シリーズに続く「囁き」シリーズの第二弾です。
大学生、拓也は卒論のため、10年ぶりに叔父の別荘を訪れる。近くの別荘に滞在する美しい兄弟と知り合った拓也だが、兄弟の家庭教師から前任者の変死を調査して欲しいと頼まれる。切られた黒髪が意味するものはなんなのか?
その日を境に次々と事件が……。
山奥の教会には何かが棲んで、子供達と遊んでいます。
そして、その「何か」のために子供達は……という筋を書くとなんとなくスティーブン・キングなどを想像してしまいますね。綾辻自身、囁きシリーズは名作ホラーへのオマージュと考えているようです。前作、「緋色の囁き」は「サスペリア」そして今回の「暗闇の囁き」は「悪を呼ぶ少年」
残念ながらどちらも見ていません。
昔から、子供の残酷さを扱ったものは多いです。子供は純粋なのかも知れない。だからこそ「悪」と認識したものを絶対に許さなかったり、徹底的に痛めつけたりします。力も知恵も劣るはずの子供に大人が負けてしまうというのは十分な恐怖を与えてくれますね。
大人がネバーランドに行けないように、子供には子供にしか見えない世界がある。大人はそこに引きずり込まれてしまったらもう何もできないのです。
今回の「暗闇の囁き」は前作よりも楽しめました。
前よりかなりミステリ色が強いのですが、後半に行くに従ってサイコサスペンスの様相を帯びてきます。主人公がたださっそうと事件を調査するだけという存在ではなく、子供の頃はいろんな空想をしてそこに浸っていたというのは物語を面白くするポイントだったと思います。
言葉は人を縛るのですね。
もしかしたら何気ない一言や他愛のない嘘が人の一生を縛り続けてしまったりするのかも知れません。 |