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6月1日

 書感です。

「メトロポリス」
 作者:手塚治虫
 出版:角川文庫
 定価:660円
 初版:平成7年2月25日

 漫画界で20世紀最大の巨匠と言えば、やはり手塚治虫でしょう。絵のうまい人も、すごい話を描く人も他にいくらでもいるかも知れません。でも、元をたどればどこかで手塚治虫に行きついてしまう、そんな印象があります。
 さて、5月末から手塚治虫原作、りんたろう監督、大友克洋脚本の映画「メトロポリス」が上映されています。その原作こそがこの本です。なんと描かれたのは1949年。50年以上も前の漫画ですね。

 近未来、太陽の黒点異常によって各地で異常な現象が頻発。
 そんな環境の中、人口細胞を作り出そうとした科学者の実験がついに成功した。だが、悪の組織レッド党に脅された科学者は超人的な力を持った人造人間を作り出す事になってしまう。
 その力を恐れた科学者は研究所に火をつけ、すべては灰になったはずだった。
 博士は密かに人造人間、ミッチィを隠し人間の子供として幸福な人生を歩ませようとする。しかし、真実を知ったレッド党に追いつめられ、ミッチィは自分の生まれを知ってしまう……。

 1949年と言えば太平洋戦争が終わってまもなく。その頃、漫画は子供達にとって希望や笑いを与えてくれるものだったはずです。しかし、この「メトロポリス」は冒頭で生き物の進化の歴史に触れて言います「人間もいつかは発達しすぎた科学のため、身を滅ぼしてしまうのではないだろうか」
 アメリカに敗北した日本にとって、諸外国の科学力は脅威であると共にあこがれだったはず。ですが、手塚治虫は思ったのではないでしょうか。
 発達した科学と科学がぶつかったらどうなるのか、と。
 高い科学力でロボットを生産し、奴隷として働かせているレッド党。党首であるレッド公は自らも科学者であり、単に力というだけではなく科学というものに魅入られています。
 だからこそ科学の生み出す究極の兵器は不格好なロボットであってはいけないと考え、世界で最も美しいと言われる天使の像に似せてミッチィを作らせるのです。
 人間として育てられ、自分に親がいないことを寂しがるミッチィ。誰よりも親を求めていたのに、自分が私欲のために作られたと知ったとき、ミッチィにとって人類は敵でしかなくなってしまいます。
 人間とロボットの対立、というのは今でこそメジャーなテーマで、数多くの優れた作品が描かれています。「メトロポリス」はその中で特に優れた作品ではないかも知れませんが、藤子不二夫がこの作品で大きな衝撃を受けたように、先駆者としての手塚治虫がこの中に詰まっています。
 劇場版の方は近々、見に行きたいところです。

6月2日

 書感です。

「殺人鬼」
 著者:綾辻行人
 出版:新潮文庫
 定価:514円
 初版:1996年2月1日
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「囁き」シリーズを読み終わって思ったのは、やはり綾辻は「本格」と言われるミステリの方がずっといいなという事でした。綾辻のサスペンス、ホラーは「読んでいるとき、一時的に怖い」といった印象。それは濃密な描写によるものが大きくて、その辺ではかなり非凡なものがあります。
さて、この「殺人鬼」は「スプラッタ・ホラー」と銘打たれた作品です。つまりは「十三日の金曜日」のような作品を小説化したものですね。スプラッタは好きじゃない、と言うよりはっきり言ってきらいなのですが、図書館の綾辻のところに一冊だけあったのでついつい借りてしまいました。

 人里離れた双子山の山中でサマーキャンプを楽しむ親睦団体「TCメンバーズ」の一行。メンバーの一人が戯れに「双子山の悪魔」の話をした時から、山の空気が変わり、次々と惨劇が起こっていく……。

 結論から言うと、この本は読んでからかなり後悔。
 内容はと言えば、ただ殺人鬼が人を殺していくというただそれだけなんです。しかし、綾辻の濃厚な描写で殺人鬼の行動の一つ一つや情景を描写されてしまうと、金縛りにあったかのように動けなくなって、まるで自分が恐怖や痛みを味わっているかのような気分になります。精神的にじわじわと来る恐怖ではなくて、脊髄に電気が走るような怖さですね。
 スプラッタ映画が嫌いな人にはもちろんお勧めしませんし、好きな人でもこれを読んだら素直に映画を見られなくなるのではないでしょうか、というくらいのものでした。
 一応、綾辻作品であるだけに、ただホラーというだけでは終わりません。細かく読んでいれば途中の記述に様々な矛盾点を感じる事になります。その理由は綾辻らしい大胆なものなのですが、あまり作品そのものには関係ないです。
 元々、綾辻行人はホラー映画などの趣味があるようですね。
 悪趣味と言われるスプラッタ映画を敢えてそのまま小説にしてみた、というような趣向でした。
 途中の殺人描写は半分以上飛ばしてしまいましたし、二度と読みたくはないです。
 評判は信じよう、という教訓か。

6月3日

 書感です。

「完全犯罪研究室」
 著者:由良三郎
 出版:集英社文庫
 定価:619円
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 前に評論「ミステリーを科学したら」で紹介した由良三郎の推理小説です。医学博士で東大名誉教授という肩書きを持つ由良三郎は正確な医学的知識に裏打ちされたミステリを書くようです。

 ノーベル賞の呼び声が高いガン特効薬の発表前日、発表者である城南大学の瀬尾教授が脳出血で倒れた。しかし、後にこの脳出血は巧みに偽装されたものと判明した。
 特殊な知識を必要とする偽装殺人に、容疑者は絞られたものと思われたが……。

 現代ミステリを書くとき、障害となるのは警察の科学捜査です。現場に残したものからたちどころに犯人がわかってしまったら興ざめしてしまいますよね。だからこそ作家は警察が介入できないようなシチュエーションを作ったり、逆に証拠が残っても容疑者が絞られないような状況を作り出したりするわけです。しかし、この「完全犯罪研究室」はそういったものに正面から挑んでいます。医学的な知識を持った人間がたくらむ偽装殺人。あらゆる要素を計算に入れた犯人の行動は、かえって容疑者の幅を狭めてしまうのですが、記憶力、思考力に優れた容疑者たちはたちどころに仮説を否定するだけの論理を展開してしまいます。
 主人公となるのはすでにベテランでありながら医学博士の肩書きを得ようと大学院に入ってきた中年医師。彼の目から見た研究室の異様な雰囲気と人間関係、そして通常の医師としての活動とは関係のなかった様々な実験や作業が描写されていきます。それはただリアルな舞台作りのためではなく、全て事件を起こし、解決するための伏線なのです。
 物語に無駄がなく、奇をてらわず、ただ純粋に犯人が誰かを考えるという直球の推理小説として、この作品は高いクオリティを持っていて新鮮な感覚で読むことができました。

6月4日

 書感です。

「あずみ 22巻」
 作者:小山ゆう
 出版:小学館ビッグコミックス
 定価:505円
 初版:2001年7月1日
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 幕府の重鎮、天海から内乱を防ぐという使命を与えられ北国へと派遣されたあずみ。だが、陰謀の構造を見抜けず、内乱は始まってしまう。領民から天使のように慕われていた少年、静音は悪魔のような本性を表してあずみを捉え、彼女は絶対絶命の状況に追い込まれる……。

 物語を作り、それを絵で表現するという二つの違った作業を同時にこなさなければならない漫画というジャンルで、作者は異なる二つの才能を要求されます。原作と作画が別という人もいますが、やはり二つの才能の融合から生まれる作品の魅力は他と違うものがありますね。
「あずみ」の作者、小山ゆうは決して絵がうまくはないです。
「がんばれ元気」の頃とほとんど変わっていないような気がします。最初は絵がダメで敬遠していたこの「あずみ」ですが、まだ戦国の空気が残った江戸時代初期の容赦ない世の中を描くのに他の絵ではいけないような感覚すらあります。
 容赦のない話を書く小山ゆうの絵は、やはり容赦ない。
 主人公のあずみでさえ、一度戦いを始めたら相手が戦闘に不能になるまで戦い続けます。相手に苦しみを与えないために一撃で首を斬るという戦い方をする彼女ですが、それが難しいとなれば手を封じ、足を封じて徐々に相手の戦闘能力を削っていきます。情け容赦ない相手に勝つためにはあずみ自信も非常にならなければならない。しかし、あずみがそれほどまでに強いからこそ相手は卑劣な手を使ってでもあずみを倒そうとします。
 そうしていつまでも続く戦いはいっこうに止む気配を見せません。あずみにとって、人のために出来る事と言えば、誰かを傷つける人間を斬って倒す事だけなのです。
 あずみは北国の地で、何を学ぶのでしょうか?
 自分の無力さを実感し、相手の言うことを疑えなかったという後悔だけを胸に北国編を終わらせて欲しくはないと思います。

6月5日

 書感です。

「『家族の幸せ』 ちょっとした法則」
 編者:畑正憲
 出版:講談社
 定価:1165円
 初版:1995年10月26日
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 実は畑正憲のエッセイを何か借りようと思ったのですが、日曜日の5時で図書館の閉館間際だったために手近な一冊を持ってカウンターへ。
 で、後で読んでみたら畑正憲著、ではなくて編だったというわけです。家族についての手記をムツゴロウこと畑正憲が選りすぐって本にした、という事ですね。どういう人たちからよせられた手記なのかはまえがきにもないのに不明です。
 ただ、言えるのはどれも名文だと言う事ですね。畑正憲曰く「誰でも、一生のうち、いくつかはエッセイが書ける」
 ただ一度の経験ではなく、長年つきあいのあり、その先も続いていく家族がテーマなだけに文章にも深みが出るのでしょうか。僕は普段、こういったものは読みません。せいぜい朝日新聞の投書で読むくらいでしょうか。面白おかしく家族を描写しているものが好みです。
 逆に言うと、いわゆる「いい話」というのはあまり読まないです。別に嫌いな訳ではないんですが、世の中にはいい話も悲惨な話もたくさんあるので、わざわざ読むまでもない、と思うからです。
 では、なんで小説が面白いのかと言うと、作られた物語にはそこに人間の意図が働いているからですね。
「こうなったらどうだろう」とか「こうだったら面白い」という作家の意図が物語を面白くします。
 この本がもし、単なる「いい話」集だったらきっと読んでもそんなに良くはなかったと思います。
 タイトルに「ちょっとした法則」とあるように、選ばれたエッセイはきっと編者の畑正憲が「家族ってこういうものだ」と共感したり「こうであるといい」と感心したりしたものを集めたのでしょう。それは夫婦の関係だったり、親と子であったり逆境に際しての家族の結びつきに関してだったりします。
 僕自身は普段、家族っていいものだとか、家族が大切だとか意識することはまずありません。それは今の家族というものが自分にとっては「普通」だからなのでしょうね。
 もしかしたら他人が見たらうらやましがるような家族関係なのかも知れません。収録されたエッセイを書いている人たちもそうなのではないでしょうか?
 章と章の間には「OL進化論」などの漫画家、秋月りすの4コマ漫画が入っていてこれもなかなか笑えます。この人の人間関係に対する観察力は鋭いですね。
 文庫化もされていないし、なかなか読む機会はないでしょうが、こういう本もある、という事で。

6月6日

 書感です。

「月下の棋士 32巻」
 作者:能條純一
 出版:小学館ビッグコミックス
 定価:505円
 初版:2001年7月1日
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「将来の名人なり」という書き付けと共に将棋会館に現れた少年、氷室将介。長い戦いの末、ついにたどりついた滝川幸次との名人戦。
 月下の棋士、最終巻です。

「人を捨てる」と宣言し、最愛の人を遠ざけて名人選に臨んだ滝川幸次。氷室との決戦は持ち時間無制限、一番勝負という前代未聞のルールで行われた。95手目で氷室を詰ませると言う滝川。それを承知で勝負を続ける氷室。二人の対局は意外な結末へ……。

 これまで二人の対決の行方にばかり気をとられていましたが、この最終巻を読み進めるに従って沸き上がってきたのは、対局の後、二人はどうなるのかという疑問。
 氷室の目標は滝川幸次を倒す事。そして滝川も氷室と戦うために名人として君臨してきました。
 二人にとって、将棋を指すという事は人生に等しい。
 しかし、その究極の目標を失ってしまったらどうするのでしょうか?
 多くの作品では、最後の決戦の後は無難な結末にまとめてしまうでしょう。しかし、能條純一とこの「月下の棋士」に鍵ってそんな事はないだろう、と思ったのです。
 高知に戻って平穏に暮らす氷室将介や、どこかに引退してしまう滝川幸次、そんなものはそもそも見たくありません。
 結論を言ってしまえば、32巻の結末は長く続いた「月下の棋士」にふさわしい素晴らしいラストでした。それは読者の想像を大きき超えていたのではないでしょうか。
 将棋を通じて語られる能條純一の人生観、勝負観は鮮烈の一言に尽きます。
 現実の将棋会館に駒の音が絶えないように、氷室将介の将棋も終わることはありません。

6月7日

「ひるめしのもんだい」
 著者:椎名誠
 出版:文春文庫
 定価:450円
 初版:1995年8月10日
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 椎名誠のエッセイ集です。
 この人ほど自由奔放に文章を書ける人って他にいないと僕は思っています。文章だけではないですね、訪ねたいところを訪ね歩き、したいことをするという人生を送っていそうな雰囲気があります。
 この「ひるめしのもんだい」は週間文春に「週間赤マント」として連載されたエッセイを収録したものです。
 挿し絵は椎名誠の本を読む人ならお馴染み、沢野ひとしで相変わらず脱力するような力の抜けた絵を描いてくれます。
 何故か毎回、マントをつけた謎の人物が描かれていて疑問に思っていたのですがあとがきで連載時のタイトルを知って疑問は氷解。なぜそんなタイトルだったのか、という疑問は残ってしまいましたが。
 さて、タイトルともなった「ひるめしのもんだい」はまさにそのままの話。椎名誠は昼時になると一人で仕事場を出て昼ご飯を食べに行くそうですが、最初の頃はいろいろと迷ってなかなか決まらず、遠くまで歩いてしまう事が多かったとか。
 要約してしまうと「たったそれだけ」の話なのですが、椎名誠の語り口調にかかるとこれは本当に真剣に悩んでいるんだって思うんです。
 表題にまでなっているくらいなので、本人とっては余程大事な事なんでしょうね。もちろん、語られる話題はそういうものばかりではなくて、海外で日本の文化について思うことや、最近の風潮についてなど多岐に渡っています。
 ただ、それらには重いとか軽いとかがなく、本人にとってはみんな「ひるめしのもんだい」と同程度の事。または同程度に重要、という事なのではないでしょうか?
 椎名誠が面白いのは「ありのまま」だからなんでしょうね。
 大自然を相手に冒険しているからと言ってすごく心が広いわけでもなく、かと言って説教クサイというわけでもない。
 結局のところ、本人の好き嫌いだと言うことを自覚しているわけです。飾らないようでいて、微妙に格好をつけているような気もします。
 漠然と言うならとても人間くさいんですね。
 この人の本からは、そこにそういう人間がいるという存在感が漂ってきます。
 だから、友達に飽きることがないように椎名誠の本には厭きが来ない、と思っています。

6月8日

 FIFAコンフェデレーションカップ準決勝、日本代表VSオーストラリア代表戦を見に行ってきました。日本が準決勝まで行くとは思っていなかったのか、チケットはけっこう余っていたようですね。その予想も当然と言えば当然。コンフェデレーションカップは各大陸のカップ戦で優勝したチームによって戦われるわけですからね。アフリカ優勝のカメルーン、南米優勝のブラジルが1、2を争うというのが普通の予想でしょう。
 しかし、日本は予選をなんと無失点で1位突破。ホームでの優位があるとは言え、素晴らしい結果です。
 さて、オーストラリア代表戦と言えば1994年のキリンカップ以来。そのときは1-1で引き分けています。大雨の中の試合でしたが、今回の準決勝もやはり大雨。横浜国際は屋根が大きく、2階席は全面的に覆われているため快適に観戦できましたが前の方だったら試合どころではなかったかも知れません。
 かつて戦ったオーストラリア代表はとにかくスピードとパワーに溢れた巨人の集団というイメージでしたが、今回はそれほどの差を感じませんでした。主力FWが不在で高さを活かす攻撃をしてこなかったからかも知れませんね。
 僕は代表戦って初めてでした。浦和レッズ、横浜マリノスなどJリーグの試合は何度か見に行っていますが、応援の熱気はまったく桁違いです。僕自身も、試合前からかなりの高揚感がありました。
 さて、試合が始まってみると苦戦とまではいかなくてもカナダやカメルーン戦のような安心感はあまりありませんでした。
 危機感もあまり感じませんでしたけどね。大雨でピッチ状態が悪いため、ミスなども重なってヒヤヒヤしました。前半の終わり際に中田の直接フリーキックが決まって一安心。
 このフリーキック、カナダ戦で小野が190センチの壁を越えて入れたのを見ていただけに期待は大きかったのです。後で家に帰ってみたらほとんどないくらいの隙間を通した正確なキックで驚きました。直接フリーキックを決められる選手が複数いるなんてかつての日本代表では考えられない事でした。
 後半、どちらもそれなりの攻めを見せていると思ったらFWの鈴木が退場。結局理由は不明。
 優位に立っていたのが一気に大ピンチ……と思いはしたが意外と一人少ないというのが感じられず、中盤でボールをカットして逆にチャンスを作る場面が見られました。それでも何度か危ない場面を迎えはしましたが、オーストラリア側も退場者を出して互角に戻り、試合はそのまま終了。
 トータルして見ると、どっちかと言えば日本の勝ちという感じでしょうか。5戦したら3勝2敗くらいの雰囲気。
 後半に中田や森島がいい攻めを見せていましたが得点につながらなかったのが残念です。
 さて、これを書いている今でも、興奮がさめやらぬという状態。最高の試合、というわけではないと思いますが代表戦には他に代えがたいものがありますね。

6月11日

 書感です。

「奇妙な昼さがり」
 作者:阿刀田高
 出版:講談社文庫
 定価:460円
 初版:1996年1月15日
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 阿刀田高のショートショート小説集です。
 巻末についている初出一覧を見ていると、様々な雑誌や新聞などに連載されたものを集めたもののようです。
 だから、テーマも長さもバラバラ。実に多彩なショートショートを読むことが出来ます。
 ショートショートという言葉を初めて知ったのは星新一の本ででした。星新一は常に一定のペースで一定のリズムのショートショートを書くといった印象が強く、自由奔放な感じのする阿刀田高とはちょうど反対ですね。
 この「奇妙な昼さがり」には男女関係の話が多いです。
 ふとした事ですれ違ってしまう話や偶然の出会いなど、それだけでもずいぶんと色々な話が書かれています。男女の出会いの数だけ話がある、という事なんでしょうか。エッセイを読むとそれほど男女の機微に長けているという雰囲気ではないのが不思議です。
 阿刀田高のショートショートには型がないのです。
 驚くようなオチがつく場合もあるし、ただいい話やで終わる事もあります。不思議な話のようでいて最後にはちゃんと説明される事もあれば、本当に不思議な何かが起こる事もあります。作者と読者の間の約束事のようなものをまるっきり排除することで、読む方は常に緊張感を持たされます。
 もちろん、それには上記で書いたように載っている雑誌が違うなどの理由もあるのでしょうが、この雑多なところが阿刀田高らしいと僕は感じました。
 ところでこのショートショート集、章ごとのタイトルが「夜の歌」「バーボンの歌」「海の歌」というようにまとめられています。「夜の歌」は男女の話、「バーボンの歌」は酒場での話、「海の歌」は人生にまつわる少し不思議な話といった分類になるでしょうか。
 阿刀田高にはこういうタイトルのようなちょっと気取ったところがありますね。びしっと決めているわけではないけどどことなくお洒落、といった雰囲気の小説を書いてくれます。
 あとがきで、作者本人がアイディアの枯渇について話していますが、とんでもない。これだけ雑多な思考を持った人なら永久に小説が書けるように思えます。

6月12日

 書感です。

「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 7巻」
 作者:荒木飛呂彦
 出版:集英社ジャンプコミックス
 定価:390円
 初版:2001年6月9日
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 エルメェスは姉の仇、スポーツ・マックスを追いつめる。だが、マックスは見えないゾンビを作り出すスタンド能力を持っていた。「復讐」を果たし、自分の未来を切り開いたエルメェスは重症。徐倫もウルトラセキュリティ懲罰房へと送られてしまう。しかし、そこには人を戦わせるスタンド「サバイバー」と3人のスタンド使いが待ち受けていた。
 前代未聞のスタンドバトルロイルが始まる……。
 巻が進む事に過激になっていく徐倫。父親の記憶の入ったディスクを取り戻すための「覚悟」は強固な意志となって何者にも負けない力を生み出しています。これまでの主人公たちの中でもひときわ「耐える」力の強い徐倫。これは荒木飛呂彦の女性観でしょうか。1巻の作者の言葉にも「聖母のような」主人公を書きたいと言っていました。
 もちろん、荒木飛呂彦の描く「聖母」は単純なものではありません。慈愛に満ちた優しい女性を荒木飛呂彦に描かせるとこうなる、という事でしょう。徐倫がどんなに身を危険にさらしてでも自分の目的を成し遂げようとするのは、父親を助けたいと思うからこそです。
 そしてまた、危険な人間の集まる刑務所内で彼女が信用する数少ない人間達に対し、彼女は限りない力を発揮します。
 さて、今回始まったバトルロイヤルはいつもとずいぶん雰囲気が違うようです。まるで拳法の試合のように一対一で正面から戦うというのはジョジョにおいて珍しいこと。人間を好戦的にする「サバイバー」の範囲内であることの出来事なのですが、バトルロイヤルであるからにはこれから多対多の複雑な戦いが始まるはず。かみ合わせによって勝敗が決まるスタンドのバトル。徐倫がいかに他のスタンドを利用して勝つかがポイントになるでしょうね。
 通算71巻になっても新鮮さを失わないジョジョ。もちろん今後も続いて欲しいです。

6月13日

 書感です。

「走らなあかん、夜明けまで」
 著者:大沢在昌
 出版:講談社文庫
 定価:590円
 初版:1997年3月15日
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 サラリーマン、坂田勇吉は箱根から西へ足を踏み入れた事がないという筋金入りの関東人。出張で初めて大阪へ行ったその日、勇吉は新製品のサンプルが入ったアタッシュケースを持ち逃げされてしまう。右も左もわからない大阪で、ヤクザの抗争に巻き込まれた彼は、無事に生還することが出来るのか?
「新宿鮫」の大沢在昌が書くエンターテインメント小説です。
 大阪に迷い込んだ東京人、という一見コミカルな設定ですがコメディではなく、かと言ってハードボイルドではなく、たった一晩の冒険行をスリル満点に描写しています。
 修学旅行以外ではほとんど西へ行った事のない僕としては坂田勇吉にかなり感情移入できました。
 坂田勇吉は本当に普通のサラリーマン。特別に根性があったり正義感が強かったりするわけではありません。ただ、慣れない大阪の地で自分を助けてくれた真弓という女性の恩に報いるため、事件に巻き込まれた彼女を救おうと奔走します。
 大沢在昌自信もほとんど大阪という街を知らなかったようで、坂田勇吉の見る大阪の街には作者自身の視点がかなり投影されているのでしょうね。
「新宿鮫」でもそうですが、大沢作品というのは余計な要素を一切排除している感じがします。ただひたすらに主人公の思考と行動を追い続け、いたずらに読者の感情をあおったりはしません。読者ー作者ー主人公というつながりではなく、読者ー主ジョン行といった感覚が強いからこそ、主人公と一体になってダイレクトに物語を楽しむことが出来るのです。
 物語は夕方から始まり、次の日の朝まで。ノンストップという言葉は、展開の速さにではなく、切れ目のない描写にこそふさわしいと思わせます。
 主人公に感情移入して体験する大阪の夜は、魅力と刺激に満ちています。
 この小説は関西の人と関東の人ではずいぶんと楽しみ方が違うはずです。物語を十分に楽しめる東の人間が得なのか、魅力的に描かれた大阪を誇れる西の人間が得なのかはなかなか微妙なところでしょうけどね。

6月14日

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「湾岸MIDNIGHT 18〜20巻」
 作者:楠みちはる
 出版:講談社ヤンマガKC
 定価:各505円
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 一気に17巻まで購入してしまってからしばらく途絶えていました。先日、本屋で新刊を見つけて買おうとしたらそれが20巻だったのでびっくり。どうやら18、19と新刊を見落としていたようです。「湾岸MIDNIGHT」は地味だから目立たないのかも知れません。
 そもそも「頭文字D」で車の漫画にはまったのですが「湾岸MIDNIGHT」はまったく異質のもの。絵はあまりうまいとは言えないし、車の描写でさえそんなに綿密ではありません。
 車好きの人間が勝負という枠ではなくただ車を速く走らせるというのもなかなか簡単には理解しにくいです。
 しかし、今ならこの漫画の持つ魅力をかなりわかっていると思います。ただ、どうしてもこの漫画の持つ雰囲気を言葉にできないんですね。それが歯がゆいです。

 ランサーエボリューションと共に大阪からやって来たエイジ。「ただやりたい事をやれ」と言われ、切り盛りしていた会社を家族に預け、首都高へと乗り出す。大手チューンショップRGOの社長とそのエンジンチューナーとしての血を受け継いだマキ、そして悪魔のZに乗ったアキオとの出会い。エイジは走りの先に何を見つけるのか……?(18、19巻)

 売れっ子の自動車評論家、城島はかつて白いFCを駆って最高速記録を出し続けたドライバーだった。深夜の自動車番組でレイナと組んだ城島はその縁で昔の仲間たちと再会する。アキオのZを見て騒ぐ走り屋、城島の血。自らが再び走り出すため、彼はアキオに全てを伝えようとする……。
 スポーツ漫画には本当の意味での敵というのは出てきません。対戦相手は同じ競技をつきつめようと進む者たちであり、ある意味では仲間です。「頭文字D」はそういう意味でスポーツ漫画と同じ系統だと思っています。
「湾岸MIDNIGHT」にも同様に「敵」はいません。出てくる走り屋たちは皆、アキオのフェアレディZと走るために自分の車を改造し、最高の状態に仕上げていきます。しかし、それは勝負のためではないのです。同じステージに上がった者だけが体験できる空間。一緒に走ったという記憶。そういったものを共有するために彼らは走ります。
 彼らはレーサーではありません。だから普段の生活は首都高と別なところにあります。ある者は自分の生活をなげうって、ある者はなんとか時間を作って首都高へやってきます。そんな時間を特別にするのがアキオのZなのです。型式だけではなく、機械としてもピークを過ぎてしまった70年代の車が最新鋭の戦闘機とまで言える車に負けないのは何故か?
 皆、アキオと共に走ってその理由を探します。
 何よりも雰囲気が大切なこの漫画ですが、20巻に来て作者の実力を痛感します。20巻はあまり走る場面がなくて、城島とアキオの会話がひたすら続きます。しかし、それは全く退屈な場面ではないのです。彼らにとっては走る事が日常。そして、ファミレスでの会話の中から新しい発見をしていく事の方が特別な時間なのです。
 20巻から読み始めたらそれはまったくわからない。
 しかし、ここまでこの漫画を読み続けてきたことでその会話の魅力がわかるだけのものが自分の中に蓄積しているという事が読んでいて何より嬉しいです。
 Zの寿命は残り少ないかも知れない。別れは唐突にやって来るような気がします。その時までアキオがどう走り続けていくのか、共に時速300キロの世界を体験しながら読んでいきたいと思います。

6月15日

 書感です。

「三国志 1〜2巻」
 原作:寺島優
 作画:李志清
 出版:メディアファクトリー
 定価:各590円

 三国志を元にした漫画と言えばまず横山光輝の大長編が有名ですね。最近のものだと「蒼天航路」などでしょうか。
 今回紹介する三国志は日本人の原作者が書いたものに、香港の漫画家が絵をつけるという企画ものです。
 時は漢王朝末期。乱れた朝廷を打つために結集したはずの黄巾党は規模が大きくなるにしたがって規律を失い、各地で略奪を繰り返してきた。草鞋売りの劉備は義軍の募集に対し「自分の力ではどうにもならない」と嘆く。だが、劉備の人を惹きつける力に指導者としての資質を見いだした関羽は弟分の張飛と共に劉備を対象として義軍を結成する……。
 吉川英治の三国志を読んだのは中学校の頃だったので、もう細かいところはほとんど憶えていません。確か横山光輝のコミック版三国志は吉川英治原作だったと思います。李志清の三国志が吉川英治のとどう違うのかはちょっと比較できないのですが読んでいてとても懐かしいです。
 李志清は日本でも中国もの小説の挿絵や装丁画を手がけているそうで、見覚えのある絵でした。香港の水彩画展で入賞し、香港芸術館にその作品が所蔵されているというだけに、劇画としての迫力はかなりのもの。三国志に登場する数多くのキャラクターも魅力的に書き分けられています。ただ、いかにも悪人面をした人間が多いのが少し気になるところです。
 1、2巻はまだ後漢時代。黄巾党の乱が平定され、董卓の専横が始まる辺りの話です。物語はこれから劉備と曹操の対決に発展していくのでしょうが、今はまだ同じ目標を掲げる同士といったところです。ペースから考えると20巻前後の作品になると思われますが、未登場の武将達がどんな風に描かれるのかが非常に楽しみです。


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