世網書庫
晴読雨読 百書夜行 文人累々 百日百話
メールマガジン登録

6月16日

 書感です。

「バトル・ロワイアル」
 著者:高見広春
 出版:太田出版
 定価:1480円
 初版:1999年4月15日
 関連:映画「バトル・ロワイアル

 2月の中頃に見に行った映画「バトル・ロワイアル」の原作小説です。本作の書感は映画との比較抜きには語れないな、と思います。

 太平洋戦争に敗北しなかったもう一つの日本。そこでは軍の実験プログラムとして毎年中学生50クラスの生徒に殺しあいをさせていた。主人公、七原秋也のクラスもその一つに選ばれ、修学旅行の途中に政府に拉致され、瀬戸内の孤島へと連れて行かれる。最後の一人となった者だけが生き残れるバトルロイヤル。彼らは本当に殺し合うのか……?

 バトルロイヤルと言うのは元々、格闘技の試合形式の一つ。
 複数の人間が戦って最後に残った一人だけが勝者となるものです。どんなに強くても残り全員が団結して襲ってきたらひとたまりもない。弱くても巧妙に立ち回り、疲労した人間とだけ戦えば勝てるかも知れない。強い者が勝つとは限らないのがこのルールなのです。
 さて、この作品は元々ミステリー小説賞やホラー小説賞などに応募された作品です。前者では一次選考も通らず、後者では最終選考まで残っていながら「不愉快」という評価を受けて選に漏れています。
 映画「バトル・ロワイアル」では監督の深作欽二が自分の戦争体験を投影してメッセージ性の強い作品に仕上げてはいますが、原作の方は高見広春自身が述べているように完全なエンターテインメント作品なのです。
 映画や小説にサバイバルものというのは数多く存在しますね。それらの中ではもちろん殺しあいが行われ、多くの人が死にます。そして主人公が最後に生き残る。小説「バトル・ロワイアル」においてもその基本は何も変わりません。
 ただ、主人公達が中学生であること。そして、本人の意思に反して殺し合いをせざるを得ない状況に追い込まれる事です。
 通常の状態ではどんなに憎んでいてもまず相手を殺そうなどとは思いません。しかし、それが許可されていて、しかも相手の生存=自分の死だったらどうなるのか。殺したくないと思っていても相手が襲ってきたらどうするのか。
 恐怖や疑心暗鬼が生徒達を蝕んでいきます。
 小説「バトル・ロワイアル」はもちろん、映画よりも登場人物達の内面などが深く掘り下げられていて設定なども細かくなっています。映画では中学生離れした知恵と楽天的な正確で大活躍した三村も小説では様々な葛藤に悩まされます。また、容赦なく人を殺していった相馬光子にはそうなるだけの理由があり、人間的な一面を覗かせる場面もありました。また、最大の敵となる桐山は小説だと何もかもに天才的な才能を発揮する人間という設定で、サバイバル小説のライバル役としては魅力的な役所です。
「バトル・ロワイアル」は小説として面白い作品です。
 しかし、同時にとてつもなく嫌な作品であることに代わりはないのでしょう。ですがこういった作品が問題小説として世に出なくなるのなら、世の中にあるアクション映画やホラー作品なども同列なのではないか、と思います。
 そう、結局は書く方ではなく見る方の問題なのです。

6月18日

 書感です。

「陰陽師」
 著者:夢枕獏
 出版:文春文庫
 定価:476円
 初版:1991年2月10日
 関連記事はこちら

 NHKのテレビドラマも「陰陽師」も終了したので早速、原作を読んでみました。ドラマの方は当初、雰囲気は悪くないと思っていたのですがこれといったところもないまま終わってしまったという感じです。予算があまりなかったのかセットや鬼の表現などがいまいちだったのはまあいいとして、脚本に面白みがないのは残念です。
 さて、原作を知っていた人は口をそろえてドラマ、陰陽師を酷評していましたが読んでみて納得。実を言うと夢枕獏の作品を初めて読んでイメージが大きく変わりました。
 夢枕獏=伝奇ロマンという固定観念があって菊池秀行のような作風を想像していただけに平安時代というゆっくりとした時の流れを感じさせる「陰陽師」に酔ってしまったような気分。

 平安時代、陰陽師と呼ばれ鬼や霊といった闇の存在を相手にする人々がいた。その中でも並はずれた力を持つという安倍晴明は親友、源博雅と共に様々な事件を解決する……。

 ドラマ「陰陽師」では稲垣吾郎が演じ、孤独感の強い陰のある人物として描かれていた晴明ですが、原作の方では以外と陽気で飄々とした人物として描かれています。
 鬼は人間の心の闇から生まれます。晴明が陰陽師として優れているのはその闇を知り尽くしているからとも思えます。
 それでいて、世を捨てずに人と関わり合っていられるのは博雅というあまりにも真っ直ぐな人間が側にいるからです。武士としての剛直さと音楽を愛する風雅な心を併せ持った博雅もまた、晴明に負けないだけのヒーローなのです。
「陰陽師」のストーリーは基本的に晴明と博雅の会話でほとんどが進みます。博雅の話す宮中の噂や誰かの困り事。晴明の語る陰陽の蘊蓄や事の真相。二人で酒を飲みながら夜が更けていくという時間の流れに乗って、読者は平安時代の空気を楽しめます。
「趣のある」という言葉がぴったりくるこの「陰陽師」
 時にはミステリのような推理を交え、時には本物の鬼と遭遇し、と言った具合にまるで飽きさせません。ゆるやかにはじまり、余韻を残して終わるという話運びは短編としてよく出来ています。傑作と言われるだけの作品です。

6月19日

 書感です。

「ドラゴンクエストVIIのあるきかた」
 著者:CB'S PROJECT
 出版:エニックス
 定価:1238円
 初版:2001年4月23日
 関連はこちら

 ドラゴンクエストVIIに夢中になっていたのは去年の夏のこと。早いものでいつの間にか10ヶ月が経過しています。
 この本はいわゆる攻略本ではなくて、とにかくドラクエをやりこんでいろいろ調べてみようという企画ものです。述べ5000時間におよぶその作業量には脱帽です。
 読んでみるとほんとに懐かしい言葉ばかり。自分で遊んでいたときに苦労した事や、楽しかったことを思い出してしまいます。しかし、そんなドラクエも「モンスターを全部なつかせる」とか「一度の戦闘で経験値100万をかせぐ」などの目標を掲げてのプレイとなるとほとんど苦痛としか言いようがないでしょう。もちろん自分ではそんなことやりませんが、そこまでやってそれを出版しようという企画が成り立つ事そのものがドラクエというゲームの偉大さの証明ではないでしょうか。
 本としてはただそうやって時間をかけただけではなく、普段なにげなくやっていても気づかない事や、ドラクエならではの芸の細かさ、そしてあちこちにあふれた遊び心などを紹介していきます。生き生きとした仲間たちや作りこまれた村や街のおかげでプレイヤーは深くゲームに没入できるのですね。
 モンスターの生息地域を調べて、その時代による移り変わりに歴史を見たり、全世界の人口を調べたりといったコーナーでは執筆者達も自分の想像を楽しんでいるように思えます。
 最近はゲーム雑誌などでも自分のやりこみを投稿するコーナーがあったりしますが、ただレベルを上げたり早く解いたりといったプレイだけではなく、自分で想像を広げて楽しくするという事をこの本は教えてくれるような気がします。
 それこそドラクエのプレイにおいては王道ではないでしょうか。ドラクエをやっている人ならば読んでみて損はないと思える一冊でした。

6月20日

 書感です。

「陰陽師 飛天の巻」
 著者:夢枕獏
 出版:448円
 定価:448円
 初版:1998年11月10日
 関連書感はこちら

 先日紹介した「陰陽師」の二巻です。同じシリーズの本は続けて読まないという傾向があったのですが、これは面白かったのでつい手が伸びてしまいました。続きものではないのでゆっくりと楽しんだ方が得かな、とは思うのですが。

 平安の都を闇から守る陰陽師、安倍晴明と親友の源博雅。
 二人で酌み交わす酒の席には様々な相談事や怪異が話題となる。「ゆくか」「ゆこう」平安のゆったりとした時の流れの中、友情で通じ合った二人は次々と事件を解決していく……。

 陰陽師は古今東西の術に通じ、天皇に仕えて都を守る職業。
 しかし、短編中では晴明の宮仕えの様子は最初に少し紹介されたきり出てきません。
 宮中の噂を仕入れて晴明に話すのはいつも博雅。しかし、不思議と晴明はあらゆる話に通じています。
「式神か」「そんなものだ」
 博雅自信も、晴明の使う術についてはほとんど知識がありません。それでも晴明は博雅を自分と対になる存在として認めています。「教えられなくても真理を知っている」というのが晴明の博雅評。
 この「飛天の巻」ではそんな博雅の「良い漢」ぶりが際だっています。それは晴明にとってだけではないのです。ドラマの「陰陽師」では嫌な権力者の代表として書かれていた藤原兼家も原作の方では博雅の人柄についつい甘えてしまうというような描かれ方。博雅の笛は万人の心を慰め、素朴でまっすぐな人柄は男女の分け隔てなく好かれています。
 シャーロック・ホームズに対するワトソン、という役割ではないんですね。人の心の闇に通じた晴明は、ともすれば忘れがちになる人の良さというものを博雅から感じているのではないでしょうか。憎しみや怒りは、あくまで人間の闇の部分でしかありません。光があるからこそ、闇も生じるのです。そのよどんだ闇を始末する陰陽師とコンビを組むのに、これほどの人物は他にいないでしょう。
 希代の陰陽師、安倍晴明と共に、源博雅の活躍もまたあるのです。

6月21日

 さて、僕は結局のところ、iBookを買ってしまいました。
 前にiBookに関する話題を書いたときにはほとんどもう買うつもりになっていました、実は。
 で、今はiBookでこの晴読雨読を書いています。
 ちなみにこれまで使っていたPowerMacintoshG3/450は売却してしまいました。もちろん愛着はあったのですが、性能的には多少iBookより劣るため、メインマシンそのものをiBookにしてしまったからです。家にデスクトップマシンが据えてあるという安心感はいいものですが、売ってしまってiBookの装備を充実させようという意図があります。
 G3は218,000で購入し、売値は丁度半額くらい。そのお金でiBookにメモリを256MB追加しました。現在、メモリの価格は大暴落という状態で、G3用の128MBのメモリを12,800円で購入したのが嘘のよう。iBook用は256MBで12,800円でした。
 家のTAがシリアル接続なので、USBポートからシリアルに接続するためのアダプタが約7,000円。持ち運べるコンパクトな光学ホイールマウスが約4,000円。他に、ADSL回線への移行に備えて様々なアクセスからパソコンをブロックするNorton Internet Securityと会社でWindowsネットワークに接続するためのVirtualPC4.0などで合計5万円ほど散財しました。
 新しい物を買うとより多くの物を買ってしまう、という法則に見事にはまっています。
 G3で使っていたディスプレイは残してあったのですが、iBookの液晶は以外ときれいなのであまり使い道がなさそうです。DVDを見るときのためにとも思っていましたが、画面をテレビに出力することもできるのでディスプレイも売ってしまおうかと思っています。
 実際、数日使ってみて思ったのは意外と反応が鈍いという事でしょうか。CPUのクロックは450から600と上がっているしメモリも前より128MB増えているので軽快になるかと思っていたのですがそうでもないようです。期待感から遅く感じるだけ
かも知れません。いずれにせよ、遅いと感じるような事はもちろんないです。
 実はノートパソコンを日常的に使うというのはまったく初めて。持ち歩いてみると2.2kgという重量は意外と重いことに気づいたりもします。しかし、これまで部屋が火事になったらパソコンだけは持って逃げようと思っていたくらいなので、手元にパソコンがあるという安心も強いです。壊してしまうかもという不安も表裏一体ですがそこは丈夫さを売りにしているiBookのこと、Appleを信じたいです。
 パソコンが変わるのって自分の感覚としては学校が変わるのに近いです。新しい環境で新しいことを学び始めるといったところでしょうか。とにかく、なんとなく楽しく毎日を過ごしています。

6月22日

 書感です。

「しあわせのわけまえ」
 著者:浅川純
 出版:講談社文庫
 定価:580円
 初版:1995年7月15日

 予備知識もなく適当に見繕って借りてきた本が面白いと世の中にはまだまだ傑作があるんだろうなって思います。この本もそんな中の一つです。
 朝から晩まで猛烈に働く日本の会社員。上司に部下、顧客といった会社の人間関係だけでなく、家族の中にもそれぞれの思惑があって人は生きている。ビジネスマンとその家族を襲う突然の事件を描いた短編集。
 解説の部分ではこの本、「カイシャイン・ミステリー」と紹介されています。ミステリと言っても殺人や誘拐など犯罪的な事が起こる事件はまるでなく、登場人物達の意図が交錯しながら事件が進んでいくというところに面白さがあります。思惑があるのは自分だけではない、騙し騙されるというコン・ゲームのような展開です。しかし、不思議と勝ち負けがなくて、痛み分けというよりはお互いにうまくやったという結末に落ち着くことが多いのがうまいところ。表題作の「しあわせのわけまえ」などはまさにそういった感じの話です。
 中でも良かったと思うのは「キャンドルサービス」という短編。東大ででありながらアルバイトでバーテンを続けている若者が自分に心を許してくれる客のため、自分の頭脳と様々な情報、コネを駆使して活躍するという話です。
 他の登場人物達が会社や家庭という枠組みに縛られている中、彼だけは完全に自由な人間。株価の操作を仕組んだのも資産運用に失敗して首が危ういお客のためなのですからかっこいいです。
「熱砂のほとぼり」は中東へ出張へ行っているサラリーマンの元に奥さんが離婚届を突きつけにいくという話。しかし、不運な事に湾岸戦争が勃発し、人質となってしまいます。お互いが難いわけではない、しかし仕事も大事、自分の幸せも大事という難しい状況。安易に家族の絆を振りかざさず、普通の家庭に戻っていく様子がリアルでした。
 360ページの文庫本で6編なのでどれもそこそこの長さがあります。一片一片はアイディアだけでなく、背景などもよく練り混まれており、浅川純は丁寧に話を作る人だと感じました。
 代表作の「社内犯罪講座」も探してみようと思います。

6月23日

 今日はゲームの紹介です。
 最近はまってます。

「ファンタシースター オンライン ver.2」
 機種:ドリームキャスト
 開発:セガ
 ジャンル:ネットワークRPG
 関連:ディアブロII

 ちょうど1年ほど前、パソコンのネットワークRPG、ディアブロ2にはまっていました。僕はパソコンゲームってほとんどやりません。ゲーム専用機の方が操作しやすいし確実に動きますからね。それでもやってみるくらいネットワークRPGというジャンルへの興味が強かったわけです。
 ですからセガが「ファンタシースター オンライン」を出したときはかなり興味を惹かれました。「ファンタシースター」は元々、セガの名作RPGのシリーズ名です。それをオンラインで復活させたのがこの「PSO」僕がプレイしているVer.2はその改良版に当たります。

 異なる惑星への移民のため、派遣された宇宙船パイオニア1は地表の調査を終え、本格的な移民船パイオニア2が母星から飛び立った。パイオニア2がパイオニア1との交信を始める寸前、突如起こった大爆発によりパイオニア1は沈黙。事態を重く見たパイオニア2の総督はハンターズと呼ばれる賞金稼ぎに惑星ラグオルの調査を依頼する……。

 プレイヤーはハンターズの一員となって惑星ラグオルの探索に加わります。ポリゴンで作られた3Dの世界で、主人公を自在に操作して敵と戦います。ネットにつなげないオフラインモードでは一人で探索を続ける事になりますが、一度ネットにつなげば自分と同じように惑星ラグオルに降りようとしているハンター達が大勢います。友達同士でプレイしたり、知らない人とのコミュニケーションを楽しんだりと遊び方は多彩。
 チャットを楽しむためにドリームキャスト用のキーボードまで買ってしまいました。
 僕はこれまでセガのゲーム機と相性があまり良くなくて、多少やりたいゲームがあってもセガのマシンは買いませんでした。しかし今回はPSOのためだけにドリームキャストを購入。
 もちろん値段が9800円まで下がっていることもありますが自分でも驚きです。しかし、実際始めて見るとセガという会社を見直さざるを得ません。今まで食わず嫌いだったような気もします。特に優れていると感じるのはネットワーク接続の機能でしょうか。最初から付属のソフトを使って本体に接続のための情報を記録するので、ゲームごとに設定する必要もありません。ネットワークへの対応を見越した設計ですね。セガにはこれからもあちこちでがんばって欲しいと思います。
 PSOのためにけっこう出費をしてしまっていますが、この後半年くらいPSOで遊んで取り返す予定。
 もしプレイされている方がいらっしゃったら声をかけて下さいね。

6月24日

 書感です。

「からくりサーカス 18巻」
 作者:藤田和日朗
 出版:小学館少年サンデーコミックス
 定価:390円
 初版:2001年7月15日
 関連書感はこちら

「からくりサーカス」最新刊です。

 前の巻で「真夜中のサーカス」本拠地へと突入したしろがねたち。集まった数万人のしろがねの中で、精鋭20人が時間稼ぎのために人形達とゲームを繰り広げる。予測不能の人形たちに次々と命を落としていくしろがねーOを見て鳴海は怒りを爆発させる。果たして、その理由は……?

 今回で初めて明らかになった鳴海の年齢はなんと19歳。
 劇中でも言われるように20代後半だと思っていました。
 第一部でマサルに強くなるための心得を説いていたときはかなりの人生経験を積んだ人物に見えましたがここ数巻で、起こる出来事の理不尽さに涙する様子を見ればなるほど、若いというのも納得できます。
 しろがねは自動人形と戦い、殲滅するために生きている。それをわかっていながらも、自らの命を省みず向かっていく彼らに怒りを感じる鳴海。それは、「命の水」によって自分たちが人形達のばらまく病気から逃れ、その被害者の代表として戦っているという事を強く意識しているからです。
 自分の命はもはや自分たちだけのものではない。だからこそ簡単に命を捨ててはいけない。そう鳴海は語ります。
 しかし、しろがねたちも完全に感情を捨て去っているわけではありません。家族を持っているものもいれば、早く戦いの終わりを望んでいるものもいます。ルシールやギィと言う最前線で人形達と戦い続けているしろがねだけではないのです。
 さて、これまでマサルを主人公としたサーカス編と鳴海を主人公としたからくり編で同時進行していた物語ですが今回はサーカス編が一切なし。それだけ絡繰り編の佳境にきていると言うことですね。マサルたちのサーカス編がこれからどう話に関わってくるのかは未だ読めませんが、緻密なプロットを組み立てている(と思われる)藤田和日朗の事、きっと意外なストーリーを披露してくれるでしょう。

6月25日

 書感です。

「東京自転車日記」
 著者:泉麻人
 出版:新潮文庫
 定価:667円
 初版:2000年3月1日
 関連書感はこちら

 泉麻人のエッセイです。タイトルから想像される通り、泉麻人が自分の自転車で自宅の杉並を中心にあちこちへ繰り出していろいろな事を書く、というもの。
 前にも書いたことがありますが、僕は自転車が好きで春や秋には地元の埼玉県川口市から東京都北区の図書館や豊島区池袋周辺までサイクリングに行ったりします。荒川の河川敷や、浦和、大宮の方へ行けばもっとサイクリングっぽいのかも知れませんが道がよくわからないので敬遠してます。さて、自分の事はさておき、泉麻人の住んでいる都区内は自転車の散歩にいいところだなと思います。都区内はけっこう電車の路線が入り組んでいますが、私鉄などだとどの沿線にあるかでけっこう雰囲気が変わるものです。ちょっと走っていくと違う街並みに出会えるんですね。また、サイクリングに適した郊外ではなく逆に下町の方へ向かうと「昔ながら」といういような風景がたくさん残っています。泉麻人が求めているものも、ちょうどそんなもの。時折、昆虫少年や鉄道少年であった著者の子供の頃の顔がのぞいたりして読んでいても楽しいです。
 僕自身はあまり昆虫趣味というのはないですが、鉄道やバスなどに心躍るというのはよくわかります。狭い道をバスの運転手さんが技術を駆使して通り抜けていく、というシチュエーションにはロマンを感じます。
 さすがに近所のサイクリングだけではネタ切れになってしまうのか、後半になると取材地の江戸川や五日市までいってレンタサイクルを借りたり、夜の道を走ってみたりしていますがなかなか企画そのものが楽しそう。一日に50キロも走ったりするのは大変そうですが。
 街並みというのは、その土地が育てたもので見ていると面白いですよね。ちょっとした外出でも、普段住んでいる川口市と千葉県の船橋では違うと感じますし、浦和の街並みや湘南の国道沿いなどはそれぞれの雰囲気を持っています。山沿いにある八王子の住宅街なんかも好きです。
 泉麻人の文章はサイクリングで風を受けて走りながら見る街の風景を実況中継のように伝えてくれて、自分でもこのくらい書ければな、と思います。
 沖縄でのサイクリング日記などもありましたが、僕が走ってみたいのは北海道ですね。もっとも、北海道の道はひたすら長いので同じ景色を見ながら一日中サイクリングでは飽きてしまうかも知れません。
 と、いう感じで久々に自転車で遠出をしたくなる一冊となりました。

6月26日

 書感です。

「涙はふくな、凍るまで」
 著者:大沢在昌
 出版:朝日文庫
 定価:560円
 初版:2000年10月1日
 関連書感はこちら

 6月1日に紹介した「走らなあかん、夜明けまで」の続編になります。前作で、平凡な会社員でありながら大阪ヤクザの抗争に巻き込まれ、一晩中走り回るはめになった坂田勇吉がまたもや事件に巻き込まれます。

 北海道へと出張した坂田は2日の自由時間の間に寄った小樽で追われるロシア人女性を助けようとし、捕まって監禁されてしまう。助けてくれたなぞの外国人は自信をクラープと名乗り、助けた代わりに稚内へメッセージを届けて欲しいと坂田に依頼する。高速バスで稚内へと向かった坂田を待っていたのはロシアマフィアの抗争だった……。

 大沢在昌の代表作「新宿鮫」シリーズでも犯罪のボーダーレス傾向について何度か述べています。島国といっても様々な人種が出入りする日本。彼らは「ガイジン」として扱われるからこそ独自のコミニティを作り、日本人に見えない社会を形成するのではないでしょうか。前作の「走らなあかん」と共通のテーマである「国内の異文化」は今回、北海道ではすぐ隣国だあるロシアについてです。
 ロシアからカニを運んできて、帰りには日本の車や電化製品を積んで帰る船。そこはマフィアと呼ばれる者たちの息がかかっているかも知れない。大沢在昌はそんな想像をふくらませて物語を作っています。強大な社会主義国家、旧ソ連の崩壊後、国は民族ごとに分裂し、国家は物事を解決する手段を持たない。人々は自分の持つ才覚のみを信じて「商売」を続けています。日本では犯罪かも知れませんが、彼らのほとんどは人を傷つけたり殺したりするわけではありません。
 あくまでフィクションという事ではありますが、大沢在昌の作品には他にないリアルさがあります。自ら取材嫌いと言うのは意外です。おそらく大沢在昌はは想像力より洞察力が発達し、断片的な情報から様々な事柄を組み立てて行くのが得意なんでしょうね。
 今回は前作のコミカルさや楽天的な雰囲気があまりなく、元特殊部隊のロシアマフィアや厳しい冬の寒さなど、灰色がかった物語展開となっています。「走らなあかん」で自分の信念を貫き通した坂田は、今回も銃や暴力を恐れながらなんとか真っ直ぐに進もうとするのです。
 こちらの方が大沢在昌が本来持つハードボイルドの味かも知れませんね。新宿鮫の鮫島だって決してヒロイックな人物ではないのです。
 当たり前のサラリーマンでありながら戦える、という坂田のような人物にはあこがれますが、誰でも自分は平穏無事に過ごしたいものですよね。それでも、いざというときの力は、日々培われていくものです。そういうときに悔いのない行動ができたらと思います。

6月27日

 書感です。

「スカイ・クロラ」
 著者:森博嗣
 出版:中央公論社
 定価:1700円
 初版:2001年6月15日
 関連書感はこちら

 僕は日頃、文庫本を愛用しています。
 図書館でハードカバーや新書版で借りていても、ここに書くときは文庫版が出ているかどうかを調べて出版情報や定価を載せています。文庫の方が携帯性に優れいてるし、安いです。
 先にハードカバーや新書版で出すのは出版社の都合であって、読者のためではないですよね。
 しかし、手にとって驚くようなハードカバー作品と言うのは存在するものです。この「スカイ・クロラ」の装幀はあまりに素晴らしいです。森博嗣自身が公式サイトの近況報告の中で絶賛しているだけはあります。本体にはどこまでも続く青い空。
 それは途切れることがありません、表紙、裏表紙、折り返しまでが空と雲の写真なのです。そこには出版社も値段もバーコードもありません。透明なカバーがかかっていて、そこに
記されているという仕掛けです。
 と、いうわけで読む前からかなりテンションが高かったこの作品です。読むのも一日で終わってしまいました。本来、読書に使う時間を決めてしまっている僕にはなかなかない事ですが、森博嗣作品は少し別。

 カンナミ・ユウヒチは戦闘機乗りで、会社の命令に従って飛び、敵機を撃墜する。敵を射程に捉えた時、彼の目はもう次の目標を探している。彼の右手は機銃のトリガーを引いて敵を殺す。空を飛び、地上に降り、そんな毎日が繰り返される。もしかしたら、永遠に……。

「スカイ・クロラ」の内容に関しては、語れる事が少ないかも知れません。それは内容が少ないからではなく、言葉になる境界ぎりぎりの世界を描いているからではないだろうか、と思います。説明できるのは表面張力で言葉の側にあるほんの少しの部分だけなのです。もう少し多ければあふれてしまう。少なければわけがわからない。そんな絶妙なバランスです。
少し、付け加えるなら、最近の森作品には人間の連続性というものに関して疑問を持ってしまうようなものが多いです。ただ器が同じというだけで、それが同じ存在だと言えるのか。続ける事にも、存続する事にも本当は意味なんかなくて、ただやめてしまわないというだけの話なのではないか、という。
 それでも、その瞬間瞬間、人は物事を考え、行動しています。化学反応のように、現象は起こります。森博嗣の小説は、何かを訴えるものではないかも知れません。しかし、ただ自然の風景を眺めたり、空を見たりするのと同じように、流れて来る言葉に思考を委ねる事ができます。
 飛ぶことに意味はないのかも知れない、それでも空を飛ぶ。
 何事も、行きつくのはそこなのかも知れませんね。

6月28日

 親戚に子供が産まれたので、プレゼントに絵本を買いに行きました。まだ生後十数日なので、もちろん読めるようになるには時間がかかるでしょうが、人間が生まれて始めて目にする本を選ぶ、というのは貴重な体験ですよね。
 と、いうわけで新宿の紀伊国屋へ行き、いろいろな絵本を物色してきました。
 僕も小さい頃はずいぶんと本を買ってもらいました。
 三つ子の魂百まで、といったところか今の本好きはその頃から続いています。今、本屋へ行ってみると自分が小さい頃に読んだ本ってまだまだ置いてあるものですね。はやりすたりというのはあるのでしょうが、名作はいつまで経っても名作ということです。
 児童書売り場を少し見回しただけで目に付いたのは「フレデリック」です。北欧あたりの絵本だと思うのですが、主人公フレデリックのしっぽが緑だったり、仮面をかぶった絵があったりとトーンも暗いし子供心に怖くなかったのが不思議。今、思い出すとけっこうシュールです。童話はほとんどそうなのですが、作者名を憶えていません。あと、シリーズで読んでいたのが「おばけのバーバーパパ」シリーズ。おばけと言うか、粘土みたいな生き物でした。一家がたくさんいるのが特徴で、一人一人キャラが立っています。あとはねずみの「ぐりとぐら」シリーズです。これはおそらく日本の作品だったと思います。
 人間の作った砂山の中で遊ぶ、というシチュエーションがうらやましかったです。あと、読んだのは幼稚園の頃だと思いますが「おしいれのぼうけん」という作品が好きでした。押入の中からおもちゃの汽車と車に乗ってねずみの魔女と戦うという話で、テーマが身近だったのであこがれました。
 自分の過去に読んだ本を見ているとけっこうトーンが暗かったり色が淡かったりします。もしかしたら自分の色の好みが影響されているのではないかと思います。
 そこで、プレゼントには色のきれいな絵本にしようと考え、いろいろ見たところ目に付いたのが「虹色のさかな」という絵本でした。色とりどりの魚がきれいに描かれた絵が非常に印象的。タイトルの通り、主人公の魚には虹色のうろこがあって、絵でもうろこの部分だけがきらきらと光るようになっていました。話の内容も、自分のうろこを鼻にかけていた魚が仲間とその喜びを分かち合う事を憶える、といったもので子供に読ませるにはいいかなと思いました。
 ついでにその虹色のさかなのマスコットが売っていたのでセットで包んでもらいました。
 本はまだ枕元に飾ってあるだけですが、大きくなったらこんな本を読ませよう、といった感じで今から計画してわくわくしています。

6月29日

 書感です。

「寛永武鑑 本伝御前試合」
 著者:吉川英治
 出版:講談社
 定価:1800円
 初版:1997年9月7日

 これは吉川英治、幻の作品らしいです。
 本の背表紙にも吉川英治と並んで、霜田史光という名前があります。借りるときは合作かとも思ったのですが、どうやら解説を読むと吉川英治が霜田史光名義で書いた作品ということのようです。霜田史光というのはあまり聞き慣れない名前だと思いますが、詩人であり大衆文学作家であった人で剣客ものの小説などを書いていたらしく、霜田史光病気の折りに吉川英治が代わって「本伝御前試合」を執筆したとの事。そのいきさつだけでも本になりそうですね。

 寛永十一年、全国各地より名だたる剣豪が柳生但馬守の屋敷へと集まった。武家大名、町方、そして将軍家。始まる試合に皆が胸を躍らせる。やがて始まる試合はどれを取っても天下に恥じない名勝負ばかり。しかし、そこにたどり着くまで、彼ら剣豪達には様々な苦労があった……。

 実在、架空の剣客を合わせて十数名もの人物が登場するこの「本伝御前試合」は剣豪小説と言うより人情時代劇といった雰囲気が強いです。剣で名をとどろかせる者といえども人間。
 師匠や親、妻や子など周囲には様々な人々がいて、それぞれに負けられないだけの理由があります。ある者は死んだ親の無念を背負い、ある者は一家の行く末を賭けて試合に臨むのです。試合の描写からそれぞれの回想へと移る手法はなんとも映画的。語り口調は講談そのままで、少しレトロな時代劇を見ているような気分になります。
 一勝負ごとに短編になっていて、一冊の中で七番の勝負について語っているのですが残念なのは七番目の勝負が途中で終わってしまっている事ですね。霜田名義で書き続ける事ができなくなったのでしょうか?
 こうなると吉川英治という人物そのものについても興味が出てきます。数多くの歴史ものを手がけた氏ですが、その本人にも歴史ありというところですね。
「バガボンド」などで割と時代劇について興味を持っている人も多いのではないかと思います。ちょっと人情が鼻につくかも知れませんが、ただ強さを求めるだけではなく、武士道というものにロマンを描いた面白い作品になっているので読んでみる価値はあると思います。

6月30日

 書感です。

「墜ちていく僕たち」
 著者:森博嗣
 出版:集英社
 定価:1500円
 初版:2001年6月30日

 さて「スカイ・クロラ」に続いて森博嗣の新刊。
 ハイペースでありながら毎回違うものを書いていける作家ってなかなかいないですね。この「墜ちていく僕たち」はこれまでのミステリシリーズとも「スカイ・クロラ」や「女王の百年密室」などとも全く違う作品になっています。
「墜ちていく僕たち」は突然異性に変わってしまうというテーマを共通とした中短編小説集です。昔から、男女の入れ替えというテーマは数多くあります。主人公や周囲の混乱ぶりをコミカルに描いた作品が一般的でしょうか?
 性転換というテーマだと今度は重いものになりますね。
 しかし「墜ちていく僕たち」はやはり森流。登場人物達もひと味違うようです。
 それぞれの主人公達の生活は様々で、普通に大学生活を送っていたり同人作家をやっていたりします。皆、似ているのは流されやすいというところでしょうか。なんとなく環境や周囲に流されてしまう彼、彼女らは男女が変わってしまっても段々とそれに適応してしまいます。
 人間の精神というのは器が変わってしまえば変わってしまうものなのか、それとも社会が男女という形を作っているためにそこにはまってしまうのか。
 性別が変わることで彼らはメンタリティも変化します。
 そもそも、個人をその人たらしめているものはなんなんでしょうか。「スカイ・クロラ」でも書きましたが、森博嗣の小説には人間の連続性に疑問を感じさせられるようなものが多いです。奇想天外な内容でありながらも、もしかしたら人はこんな状況においてこういう反応をするかも知れない、と思わせるような微妙なリアリティがあります。
「我思う故に我あり」という言葉がありますが、個人を個人としているのはそれに対する疑問なのではないでしょうか。
 そもそも個人という概念そのものが、それが何かを問うためにだけ存在するのかも知れません。


世網書庫
晴読雨読 百書夜行 文人累々 百日百話
メールマガジン登録