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8月1日

 書感です。

「20世紀少年 6巻」
 著者:浦沢直樹
 出版:小学館ビッグコミックス
 定価:505円
 初版:2001年9月1日
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 今まであまり気にしていなかったのですが、この漫画ってサブタイトルに「本格科学冒険漫画」と書かれています。無論、これは冗談です。でも、ケンヂたち第一部の主人公は皆、70年代のテレビアニメや特撮ヒーロー、コミックを読んで育った世代。そして今、第二部ではその子供の代となる現代っ子たちが活躍しています。

 2000世界中に恐怖をまき散らしたウィルス散布事件を乗り切った日本は「ともだち」を中心とした友民党の支配を受けていた。国際化する犯罪に荒れた東京、規制される文化。日本を守ったはずのケンヂたちはどうしているのか?
 そんな中、新宿で起きた中国人射殺事件の目撃者を保護したケンヂの姪、カンナは何故か警察に追われる身となる。カンナを助けようと祖父の親友であった警視総監に相談した蝶野刑事もまた、警察を敵に回してしまう。一方、刑務所となった海ホタルに囚われていたオッチョはカンナの危機を知って脱走を決意する……。

 日本で起こっている混乱が、自分たちの子供の頃の空想とそっくりだという危機感から行動を開始したケンヂはかつての仲間を巻き込み、行方不明。何をやってもうまくいかなかったケンヂは結局、英雄にもなり損ねたのでしょうか?
 今回はちょっと展開が冗長な気がします。刑務所に入れられた漫画家の視点で現在のオッチョの様子が語られるのですが、読者は最初から危険人物=オッチョとわかっているのであまり引っ張って欲しくなかったです。次あたりで一気に話が進むのでしょうか?
 そして相変わらず気になるのがケンヂの行方です。
 カンナが墓参りをする場面があるので周囲には死んでいると思われているのかも知れませんが、それについては全く語られていません。2000年に起きた「血の大みそか」についても全く同様です。真相を知っているはずのユキジは黙して語らず。
 オッチョあたりの口から語られそうです。
 元々、この漫画は展開に緩急があるので、今は貯めの時期だと思いたいところです。浦沢直樹にはどうしても期待してしまいます。と、いうことで次巻待ちです。

8月2日

 書感です。

「もとの黙阿弥」
 著者:井上ひさし
 出版:文春文庫
 定価:300円
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 1983年に新橋演舞場で上演された戯曲の脚本です。
 井上ひさしは数多くの戯曲を書いているそうですが、大劇場で上演されたのはこれが最初だとか。
 残念ながら僕はあまり舞台を見た事がないのですが、舞台には小説とまったく違う独特の雰囲気がありますね。
 かつてシェイクスピアを初めて読んだとき、世界的に知られる劇作家の作品がどうしてこんなにも大げさで単純なのだろうと思ったものです。
 しかし、舞台上で役者がそれを演じると、想像していたものが全く違うとわかりますね。また、舞台は見てその場で泣いたり笑ったりしなければならいないため、多少大げさな感じになるのは仕方ないのでしょう。

 明治二十年ごろ、浅草の芝居小屋「大和屋」は興業停止をくらって「よろず稽古指南所」を始める。そこにやってきたのが華族の青年と政商長崎屋の一人娘。二人はそれぞれ結婚を控えて西洋舞踏と習いに来るのだが、親が決めた婚約者に納得できない。
 偶然にも二人とも相手の真の姿を知ろうと主従の入れ替わりを計り、お互い入れ替わった相手に恋をしてしまう。
 婚約者同士がお互いを好き合って一件落着というところだが、大和屋の師匠、飛鶴は二人が互いに相手の素性を見抜かせようと一計を案じるのだった……。

 入れ替わりものというのはとにかくドタバタになりますね。
 井上ひさしの軽妙なやりとりであれよあれよという間に展開していく話は舞台で見たらさぞ愉快だっただろうと思わせます。華族の青年と政商の娘はお互い相手の従者だと思って出会い、恋に落ちてゆきます。どちらも人は悪くないのですがとにかく世間を知りません。義理と人情の浅草下町で二人に真の絆を芽生えさせようとする飛鶴師匠が粋です。
 芝居小屋が舞台となるだけに、劇中劇が演じられたりするのですが面白かったのは華族の青年の姉が演劇改革を目指していてとにかく「嘘のない舞台」を主張すること。
 ですが、このおかしな舞台の前ではこの主張もまったく無意味になってしまいますね。
 嘘の中に真実を描いていると思わせるのが演劇。抱腹絶倒のドタバタの中には思いがけないリアルさがあったりします。
 この作品、舞台で見てみたかったと思います。

8月3日

 書感です。

「陰陽師 8巻」
 作者:岡野玲子
 出版:白泉社
 定価:771円
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 夢枕獏原作の「陰陽師」コミック化作品の第八弾です。最初は「漫画化」という印象で読んでいましたがここまで来ると原案が夢枕獏のオリジナルコミックと言えます。

 日照りの続く平安京。雨を降らせるため、様々な雨乞いの儀式が執り行われる。陰陽寮の賀茂保憲が執り行う五龍祭に晴明は関わらず、博雅を伴って雨乞いのための旅に出る。土地が描く壮大な図形に、晴明は何を見出しているのか……?

 小説と大きく様変わりしたコミックの陰陽師は実にスケールの大きな話となっています。これも作者の岡野玲子が陰陽師を描く課程で陰陽というものにはまっていったからではないでしょうか?
 陰気と陽気の入れ替わりが万物のエネルギーであるという陰陽の思想。日常の様々な現象が世界の理の力だと思えば話は自然と大きくなるのかも知れません。
 大地が乾き、人が荒れるのは自然な事、と晴明は感じています。雨乞いは人間が雨を降らせるのではなく、やがて降る雨のために人が祈るという儀式。いつ雨が降るかではなくどういう雨が降るの方が重要だという晴明は慣習や儀式には関わらず、自らが感じたままに行動を始めます。
 各所を回り、瓜を納めるという晴明の旅は失われた力同士の関わりを再び結びつけるための儀式なのでしょうか。
 大きな気脈を結びつけた晴明はいったいどのような存在として人界にいるのでしょう?
 この巻では、晴明の孤独が際だちます。
 原作の方では、同じように陰陽師の孤独の象徴として晴明のライバルとも言える道満が出てきますがコミック版には未登場。博雅は晴明の側にいながらも、晴明の孤独を理解することは出来ていません。博雅はまた晴明と対称の存在で、孤独というものとは無縁なのです。例え人がいなくても彼には楽があり、その笛の音は鬼や精霊までをも虜にします。
 様々な者が結びつきを失っていると感じる晴明は、浄化のための雨乞いをしたようです。
 晴明の内部で何か今までとは違った事が起こり始めています。これは次巻以降、重要な流れになりそうです。

8月4日

 書感です。

「メルセデスの伝説」
 著者:五木寛之
 出版:講談社文庫
 定価:480円
 初版:1990年6月15日

 歴史の淵に消えた一台の名車を追ってドイツから日本へと繰り広げられる壮大なドラマ。五木寛之の歴史ミステリです。

 ヒトラーの時代にベンツ社が作った名車、グロッサーベンツ。ごく少数の人間のみが乗ることを許されたその中で、最高傑作とされる幻の一台があった。純白と銀の車体を持ち、菊の紋章をつけた公式儀礼車、ジルバーン・メルセデスを番組で取り上げようと取材を開始した女性プロデューサー島本梨絵に協力を依頼され、彼女の元夫である鳥井貢はドイツへ飛ぶ。
 グロッサーの魅力を追っていたはずの貢は、やがて自分がその仕事に関わったのが偶然でないと知ることに。やがてそれは日本昭和史の闇へと突き当たる……。

 車と言うのは人を虜にするだけの魅力を持った機械です。
 この物語に出てくるグロッサーベンツもまた魔性の車として描かれています。巨大なだけではなく全体に防弾のための鉄板を内蔵し、それを動かすだけの強力なエンジンと繊細な運転機構を持った車。人を圧倒する外見はナチスドイツの権威の象徴であり、機械と権力、芸術との融合とも言えるものになっています。
 グロッサーベンツが人を惹きつけるのは、その背後に大きな狂気とも言えるものが存在するからなのではないでしょうか。
 主人公、鳥井貢はその秘密を探っていくうちに、多くの人の生死が関わっている事を知ります。しかし、彼のグロッサーに対する思いは段々と好奇心や歴史の探究というものを越えていくのです。それを作ったのが狂気の独裁者でも、多くの命がその車に関わることで失われていても、ジルバーンメルセデスが最高の芸術作品であり、驚異的な性能を持つ車であることには変わりがありません。いや、背後に多くの血が流されているからこそ魅力的になるのかも知れませんね。
 昭和史にナチスドイツ、ユダヤ人で構成される世界規模の組織など、この物語には面白い要素が数多く存在し、五木寛之はまったく申し分なく物語を楽しませてくれます。
 しかし、やはり最後に印象に残るのは中心となるグロッサーです。純白と銀のグロッサーが鳥井貢の手によって疾走する様子は目に浮かぶようでした。
 普通に読んでも傑作ではありますが、車が好きな人間ならば誰もがさらに熱中する作品です。

8月5日

 書感です。

「45歳たちへ。」
 著者:泉麻人
 出版:新潮文庫
 定価:427円
 初版:平成8年2月1日
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 コラムニスト泉麻人が同世代の人間に向けて書いたエッセイです。90年代を冷めた視線で見つめる、というコンセプトらしいです。「B級ニュース図鑑」や「地下鉄の友」など泉麻人のエッセイは見るからに妙なテーマを扱っていたりする事が多いので、この割とストレートなエッセイは逆に変わりダネです。
 僕は泉麻人と同世代ではないので、当然作者が子供の頃のネタは僕にとってはらレトロな話題となります。
 面白いのは泉麻人がいたずらにそれを懐かしがったり賛美したりすることなく「馬鹿なことをしてたな」というように一蹴してしまう事です。
 当人に取って、自分の体験してきた文化を語ったり語られたりする事に照れがありのかも知れませんが、確かに元々はやりものというのは大したものではありませんよね。
 自分の生きてきた文化を「○○文化」「○○世代」と言われるのが作者はかなり嫌な様子です。もちろんその世代の人間が共通の土台から育っている事は間違いないのでしょうが、例えば泉麻人にとってはウルトラマンは何の象徴でもなくて半分からかいつつも親しみの持てる存在で、長嶋巨人は好きだったけど熱狂するほどではなかった、という感じで少し冷めた感じで語られています。
 僕の世代なんかは特にこれといったものがないような気もしますが、もしかしたら10年くらい経つと「○○世代」とか言われるようになるのかも知れませんね。それはかなり嫌かも。
 泉麻人が面白いのは、のらりくらりとしていてなかなか自分の主張をずばりと言わない事です。でも、どうでもいいような事を書いているようでそこからは何かしら感じるものがあるんですね。
 人間、確かに声高に主張したいことばかりとは限りません。
 言っておきたいような、わざわざ言う必要はないような、そんな微妙な強さの主張を泉麻人の文章は持っているように思えます。
 泉麻人は1956年生まれなので、今は45歳くらいでしょうか。
 なんとなく若さの残った感じのあった「35歳たちへ。」でしたが「45歳たちへ。」をやるなら読んでみたいものです。
 自分の世代にもこういったコラムニストがいると先々楽しいのではないかと思えます。

8月6日

 8月4日土曜日には日本テレビで「鳥人間コンテスト」が放映されました。この番組、昔から好きで小学校に入り立ての頃から熱心に見ていた記憶があります。
 鳥人間コンテストは手製のグライダーや人力飛行機で到達距離を競う、という番組で琵琶湖を舞台に様々な作品が飛んだり落ちたりします。
 かつては人力でも1000m行くか行かないかという感じでしたが現在では数キロ飛ばないと優勝出来ません。こうなると本当に飛行機ですね。
 ちなみに優勝賞金は100万円ですが、飛行機作りにそれ以上のお金をかけている事は間違いないです。金額だけではなくそこにかける時間、発揮される技術には目を見張るものがあります。空を飛ぶ、という夢を抱いている人は多いです。
 近年の記録の伸びは飛行機を組み立てるための素材が良くなったのと共にコンピューターによってシミュレーションができるというのが大きいのでしょうね。
 距離を伸ばすために極限まで軽くした飛行機は同時に構造が弱くなります。おそらく、完成してから実際に飛ばしてテストをするチームはほとんどないと思われ、そもそも飛ばないという期待も数多くあります。
 滑走台から出た瞬間に自重に耐えきれず、翼が折れてしまうというパターンが最も多く、強度計算が甘かったのか仕上がりが悪かったのかはわかりませんがかけてきた時間を考えるとかなりショックだろうと思います。
 飛ばす、というだけならば無難に作る事もできるかも知れませんが、距離を飛ばすという事によって設計は格段に難しくなります。空気抵抗が少ないという事は、直進安定性が悪くなるという事で、機体が軽いというのはそれだけ弱いと言うことで、操縦性能の良さは機体の脆弱さにつながります。
 今はある程度の出来になると延々と飛び続ける事が出来るのでパイロットの脚力と体力にかかっていますが、そこで初めて効率よく前に進む事ができるかどうか、という問題が出てきます。また、距離は滑走台からの直線で計っているので真っ直ぐ飛ぶことはかなり重要です。たいていの機体は飛んでいるうちに左右に旋回して距離を無駄にしてしまいます。
 今大会ではずいぶんとスマートな機体も増え、プロペラが後部についたプッシュ型なども見られるようになりました。
 プロペラが前部にあるトラック方よりもプッシュ型の方が効率良く機体を前に運ぶ事ができますが、技術的にまだ難しいのかも知れませんね。
 惜しいのはこの番組、技術的な解説がほとんどない事です。
 自分で機体を見ながら、設計者の意図や工夫点を考えるのも楽しいですが、せっかくですから専門家の解説が聞きたいなと思います。NHKならやってくれるのでしょうけどね。
 鳥人間コンテスト、来年もきっと楽しませてくれると思います。

8月7日

 書感です。

「ヒカルの碁 13巻」
 原作:ほったゆみ
 作画:小畑健
 出版:集英社ジャンプコミックス
 定価:390円
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 プロとなった進藤ヒカルは、昇段のための対局、大手合によって昇段が決定する。その最初の相手はヒカルがずっとライバルとして追い続けた塔矢アキラだった。しかし、対局当日、アキラの父親である名人、塔矢光洋が倒れ、手合いは不戦勝になってしまう。入院中の塔矢光洋がネット碁を始めたと聞いたヒカルは無理に頼み込み、佐為との対局を実現させる。
 かつてネット碁の世界を震撼させた謎のプレイヤーsaiと囲碁名人toya koyoとの対局が始まる……。
 無念の入水自殺を遂げてから千年間も囲碁の世界を見つめ続けた藤原佐為。その彼が「神の一手」目指し、競い合う相手として選んだのが名人、塔矢光洋です。ヒカルも塔矢アキラも成長は著しいものの、佐為とはレベルが全く違い、アキラさえも佐為と対局すれば指導碁を受ける立場になってしまいます。
 霊であるため、ヒカルを通してしか碁を打つ事ができない佐為は、ヒカルが碁の世界に入り、自分の碁を打つようになってからかえって碁を打てなくなっていました。そこで一時期入り込んでいたのがネット碁の世界なのですが、誰もが最先端の対局を求める碁の世界ではネット上も現実世界と切り離すことが出来ません。かえって世界中の棋士たちの注目を集める事になってしまいます。
 囲碁名人、塔矢光洋は負けることが許されない存在。
 佐為との対局も、もはや遊びではありません。
 ヒカルとアキラ、佐為と塔矢光洋。二組のライバルが絡み合う「ヒカルの碁」は目が離せない展開です。

8月8日

 書感です。

「英国庭園の謎」

 著者:有栖川有栖
 出版:講談社文庫
 定価:571円
 初版:2000年6月15日
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 ミステリのタイトルに「英国」とついていたらどうしてもそこに何か期待してしまいます。ホームズもポワロも、英国人作家が書いたものですからね。犯罪が日常、という世界でないからこそ紳士的な探偵は映えます。彼らは戦士ではなく、ただ穏やかな日常を乱す者をこともなげに片づけて見せるのです。
 有栖川有栖にとっても英国は特別なのでしょう。作中の小説家、有栖川有栖もやはり英国式の庭園にミステリの匂いを感じています。
 さて、この本は有栖川有栖の短編集。小説家有栖川有栖と犯罪学者火村英生のシリーズです。
 今回もまたなかなかの傑作揃いで、トリックだけではなく登場人物やシチュエーションに有栖川作品独特のセンスを感じます。主人公、有栖川有栖の優しげな視線と、単に正義感からではなく犯罪と戦おうとする火村の対比が鮮やかな長編とはまた違い、二人の日常の名コンビぶりがよく描かれています。
 また、短編にちょっと違った雰囲気を導入しようという意図からかいつもの有栖川有栖の一人称だけではなく、火村の側の視点を入れてみたり、犯人視点で物語が語られたりもします。
 犯人の視点で見てみると、火村英生は実に嫌な感じです。
 練り上げられた完全犯罪も、火村の淡々とした口調に解かれてしまってはあきらめざるを得ないでしょう。
 残念なのは、犯人一人称の「完璧な遺書」に有栖川有栖が登場しない事でしょうか。端から見てアリスがどう見えるのか知りたかったものです。
 今回、ちょっと面白いなと思ったのは巻末の解説です。
 有栖川有栖の小説は稚気にまみれている、と言います。
 なるほど、そう言われればそれは見事な表現です。
 有栖川有栖の視点も、火村の情熱も少年っぽさを失っていない証拠なのかも知れません。

8月9日

 先日、風呂でシャンプーをしていてふと顔を上げると、シャボン玉が浮かんでいました。直径は5mm程度、確認した数は4つでふわふわと上昇していきました。別に驚く程の事ではありませんよね、現象としては十分にありえる事です。
 が、僕は今まで風呂に入っていて意図的にではなく出来たシャボン玉を見たのは初めてです。これまで9000回くらいはシャンプーをしているはずですが、それほど確率の低いものとは思えませんよね。
 シャボン玉発生のために必要な要素はいくつかあると思われます。まず、シャンプーと水の比率ですね。子供の頃は何度かシャボン玉を飛ばした事がありますがなかなか「屋根まで飛んだ」というわけにはいきませんね。今、思えば子供の頃に遊んでいたシャボン玉液は少々薄かったような気がします。原液の性質によるのかも知れませんが。風呂場でできたのはごく小さい、軽いシャボン玉でした。割と絶妙な濃度だったのかも知れません。その日はシャンプーの瓶が新しかったので量が多めで頭にかぶったお湯の量は少なかったと思います。なんとなく感触がいつもより重いと感じていました。
 もう一つ思い当たるのは、髪が伸び気味だったという事ですね。僕の髪は割と癖が強くて、ある程度の長さになるとウェーヴがかかってからまるようになります。おまけに髪の毛が硬いのでお湯をかぶっても髪の毛の隙間に空気が溜まりやすいと考えられます。シャンプーとお湯の比率が適当ならば髪の毛をこするときに隙間から空気が出て石鹸水の膜を押し出し、シャボン玉を作るという仕組みになります。
 こう書いてみると、今まで何度もシャボン玉を見ていておかしくないような気もしますね。まあ、偶然が重なったと言ってしまってはそれまでですが、意図的に作り出せるようになるとかえって面白くないので、これからはシャンプーをする時に偶然シャボン玉が出来ないかどうか楽しみにして風呂に入る事にします。こういう疑問って考えている時が一番楽しいです。
 他にもお湯と水でシャボン玉の出来易さが違うのか、とか疑問は尽きないですがとりあえず調べずに考える材料として残して置こうと思います。

8月12日

 書感です。

「ももこのいきもの図鑑」
 著者:さくらももこ
 出版:集英社文庫
 定価:552円
 初版:1998年5月25日
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 さくらももこの場合って何故この人の周囲でこんなに面白い事が起こるのか不思議に思います。面白い事を引きつける才能ってあるんでしょうか。本人が面白い人であるために類は友を呼ぶ、という風になっているのかも知れませんが。
 この本は、いきものに関して綴られたエッセイ集です。
 アオムシ、ヒヨコ、ゴキブリにテントウムシなどマニアックさはかけらもなくて誰もが一度は出会ったことのある生き物やコアラなどのメジャーな動物について書いています。
 昆虫少年などは図鑑を読んだりしてだんだんとマニアックな方向に流れていくものですが、さくらももこの場合は一般的な視点を失わないのが面白いです。せいぜい「好き」という程度なんですが、そのレベルが一番楽しいのかも知れませんね。
 僕は昔から虫などが苦手で、近寄りもしないというタイプなので、もし幼少のさくらももこが身近にいたならば気味悪がった事は間違いないだろうと思います。実家の庭はけっこう広くて、近所で見かけるような虫は一通りいますが未だにさっさと通り過ぎてしまいます。
 虫の他にも夜店で買ったひよこや魚などの話題が見られましたがあまりきちんと飼っていないためか死んでしまうのが早いようです。子供の頃ってそういう後悔の経験、あるものらしいですね。うちは一度、金魚を飼っていましたが両親が何事も調べてから始めるという質だったためか、これでもかというくらい長生きをしていました。金魚がそう何年も生きるものだとは思っていなかったので驚きです。
 この本って特に感心したり、勉強になったりするような事ってありませんが、読んで「ああ、あるある」と頷いてしまうようなエピドードがけっこうありました。さくらももこのエッセイってそういう日常的な魅力がありますね。

8月13日

 書感です。

「ポケットの中の記憶」
 著者:五木寛之
 出版:集英社文庫
 定価:320円
 初版:昭和59年3月25日
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 五木寛之のエッセイ集です。
 本人もエッセイを書くのが好きだと言うだけあってなかなか筆が走っている感じがします。これまで五木寛之って漠然と知っていただけだったので実は戦前生まれだと言う事を知りませんでしたが、前に読んだ「メルセデスの伝説」のネタなどから考えると割りと当たり前の事なのかも。
 これまでにいろんな人のエッセイを読んでいますが五木寛之のはなかなかワイルドな雰囲気を漂わせていていかにも「作家」という感じがします。つまりは「旅と女と人生」っていう事ですね(笑)
 読者に対してフレンドリーになっていろいろ話すと言うよりは、飲みの席で自分の事をいろいろ語るというような印象。
 笑わせようとして書いているのかな、と思うようなところもけっこうつまらなかったりするのがご愛敬です。ただ、戦後の混乱を生き抜いてきたという人の昔語りには今の人間にない迫力があるのは確かで、これからの作家にはこういう雰囲気の人って出てこないだろうと思います。
 この年代の作家の本って時代小説以外はほとんど読まないのですが「メルセデスの伝説」などはなかなか面白かったので他にもあさってみたいところです。

8月14日

 さて、自動車学校でついに実車に乗りました。
 先に第一段階の講義10時限を終わらせてしまい、そのまま模擬へ。シミュレーションと言うからもっとコンピューターを使った画面で発進停止やカーブを勉強できるのかと思いましたがビデオ映像が流れてその通りに操作するだけ。機械が古いんでしょうね、これは。
 それでもとりあえず運転席に座って操作するという感覚だけは憶え、同じ日の第2時限目教習へ。自動車学校に関してはいろいろな人から聞きますが、とりあえず嫌な先生でなければいいやと思いながら休憩時間中指定された車の助手席で手順を勉強しながら待っていました。こういうとき、緊張しない性質なのは楽です、たぶん。
 来た先生はなかなか丁寧で親切な方だったので安心。一通り発進までのプロセスを見せてもらって自分が運転席に座りました。シートベルトをしめてシフトレバーとサイドブレーキを確認し、キーを回し……というような事は緊張さえしていなければまず失敗しませんよね。OKをもらったので早速発進、というかドライビングに入れるとオートマなので前に出ます。
 しばらくアクセルを踏まずにハンドルを切って曲がり具合を確かめ、指示が出たのでアクセルを踏むと車がガクンと発進。
 自分では少し踏んでいるつもりだったのですがいきなりなめらかな発進は難しかったようです。踏み込むスピードが早かったようですね。少ししか踏まなくても急にそこまで踏み込むのではなくてゆっくり踏まなければならないと気づき、やってみましたがアクセルは思いの外敏感でした。レースゲームではアクセルって思いっきり踏み込んでコーナーで緩める程度ですから実車の方が繊細な操作を要求されます。
 ブレーキもまったく同じ事。こちらはアクセルの反省点を活かして少しずつ踏んで車をゆっくり減速させたのですが止まるというときに大きく踏み込んでしまい最後の最後で急停止。
 いきなりはうまくいかないでしょうがけっこう悔しいです。
 結局、学んだのはどこまで踏み込むかというのを経験的に知らなければならないという事。要は何度もやらなければできないと言うことですね。
 次はコーナー。ゆっくり減速して曲がろうとしたのですが減速がゆるやか過ぎてオーバースピード。ハンドルを切れば余裕で曲がれますが多少Gがかかります。スローイン、ファーストアウトはレースの世界だけじゃないんだと実感しつつ何周かしたら3周目くらいでそこそこうまく曲がれるようになりました。
 50分の教習はあっという間に終わってしまいましたが先生にほめられちょっと上機嫌。こうなると俄然どんどん乗りたくなってきますがお盆前後で教習に空きがあまりないんですよね。まあ、こつこつやっていきたいと思います。

8月15日

 書感です。

「陰陽師 9巻」
 原作:夢枕獏
 漫画:岡野玲子
 出版:平成12年3月5日
 定価:790円
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 コミック版「陰陽師」の9巻です。
 原作の方も5巻まで出ているようですが、文庫はまだ3冊しか出ていないのでまだ読んでいないです。ですが、これまでの感じから言ってもコミックはやはりオリジナルの道を歩んでいる様子です。
 さて、9巻のエピソードはまず原作にあった管狐の話。
 五条堀川にあると言う化け物屋敷に赴く晴明と博雅ですが、どことなく微笑ましい怪異の数々がコミック版ならではです。
 怪異は唐から来た方士の飼っていた管狐の仕業なのですが、狐を取りに来た方士が語る博雅についてのエピソードが驚きです。元々、楽に優れ人ばかりか鬼や精霊まで惹きつけてしまう博雅はやはり天から愛される存在。博雅の周囲では様々な事が起こりながらも、絶対に本人に害が及ばないという運命の元に生まれています。
 原作では普通に気の合う仲間と言った感じの晴明と博雅ですが、コミック版では運命的な結びつきとして描かれているようです。
 第2話はその博雅のエピソード。楽にばかり夢中な博雅を心配する家臣たちが示し合わせて博雅に姫をあてがおうとする話になっています。前述した博雅の力の話で、何か大きな事が起こりそうな予感がしながらもちょっと外されてしまって拍子抜けですが、なかなか笑わせてくれました。
 方違えと騙され、由緒ある姫のところに置いていかれながらもそれと気づかず、やはり置いてある楽器に夢中になってしまう博雅がおかしいです。
 さて、吉事と凶事が交互に起こるのが世の理。
 作者の岡野玲子は作品にもそれを取り入れているのか、めでたく夫婦となった博雅でしたが次は内裏炎上という大事件が起こります。権力の象徴である内裏も博雅にとっては様々に思い入れのあり、大切な楽器や楽書の秘蔵された場所でもあります。しかし、涙する博雅に晴明は語るのです。炎上は再生の始まりである、と。火防せの山、愛護が紅葉に燃える最後の場面が白黒であるのに鮮明に頭に浮かびました。


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