|
8月16日
CircumやCodeRedなどのコンピューターウィルスが最近ニュースなどに登場しましたね。コンピューターウィルスというのは自分で自分のコピーを増やし、増殖していくといった性質を持つプログラムです。現在はネットワークを通じて感染するものがほとんどですが、たいてい拡張子がEXEとなった実行ファイルの形式でメールに添付され、送られてきます。そのままでは何の力を持たないのですが、うっかりダブルクリックすると実行され、ネットワークを司る部分に感染して勝手にメールを送ったりするわけです。結局のところ、スイッチを入れてしまうのは人間なのでたとえ知人から送られて来たファイルでもなんだかわからないものは実行しない方が良いですね。
ウィルスのほとんどは英語などの言語でメールが書かれているのでいかにも怪しいですが、これからは日本語のメールで送られて来る可能性だってありますね。僕だったら例えばタイトルを「見て!」本文を「面白いファイルを見つけたので送ります」などにします。これだったらけっこう引っかかる人間がいるのではないでしょうか?
もちろんですが一番安全なのはネットにつながず、ソフトのインストールなども一切しない事です。しかしこれは家にずっといれば泥棒に入られにくいというのと同様、ほとんど不可能ですよね。また、中途半端に知識を持っていると「これは大丈夫」などと安心して被害を受けてしまうかも知れません。
僕は今のところウィルスの被害などにあったことはないのですが、特に慎重だったからと言うより使用機種がMacで対応しているウィルスが少ないからです。
これまで知人などからウィルスメールが送られてきた事が何度かあって、そのたびに警告のメールを出したり対応方法を教えたりします。ものによっては、ウィルス対策サイトにつながらないようにしてしまう悪質なものもありました。
特にパソコンをはじめたばかりの人は引っかかってしまう事が多いようですね。メーカーなどによってはたぶんそういったものに対する警告を説明書などに入れていると思いますが、説明書は100%読まれているわけではないし、アンチウィルスソフトがインストールされていても常時ファイルが最新のものになっていなければ意味がありません。
さらに言うなら、アンチウィルスソフトは被害が出てから作られるのでそれよりも前に送られてきたらウィルスだと判定できないわけです。
結局のところ、どれだけセキュリティが固くても個人が気をつけなければいけません。
メールなどはどこからでも送られてくるものなので、怪しいと思う添付ファイルは捨ててしまったり、うさんくさいサイトにはつながないなどするのが何より大切ですね。
8月17日
書感です。
「おろしや国酔夢譚」
著者:井上靖
出版:文春文庫
定価:480円
初版:1974年6月15日
関連書感はこちら
タイトルの「おろしや」はロシアの事。酔夢譚とは酔いの中に見た幻の話、というところでしょうか。この小説、確か映画にもなりましたね。
時は18世紀。鎖国中の日本から台風によってはるか北方へ流された神昌丸の乗組員達は現地に滞在するロシア人と交流を持つに至り、船を建造して共にシベリアへと向かう。そこから日本へ送り返してもらおうと望む彼らだが、事は容易に運ばない。十年という月日を過ごし、十数人の仲間が死んでいった遙かな旅と滞在の記録。船長、光太夫の見たロシア、そして日本とは……?
島国日本と比べてあまりに広大なロシア。距離的には日本の方がはるかに近いのに遠く旅をし、少しでも国の中央に近づかなければ送還してもらう事も出来ないという矛盾の中、光太夫たちの旅は続きます。日本など辺境の人間は誰も知らず、ごく一部の学者の間で興味を持たれているのみ。光太夫は一介の漂流民でありながらも強大なロシア帝国に対し、自分の言葉が日本を代表しているという意識を持ちます。必ずしもロシアの方が優れているという書き方はされていないながらも、漠然と「世界」というものに取り残されていると感じる光太夫は当時誰も持ち合わせていなかったグローバルな視点の持ち主と言えるでしょう。
この話は、主にサバイバルを描いています。それは通常の冒険小説などで書かれる無人島ライフや自然との闘いではありません。未知の土地でとうやって生きていくのか、萎える精神と肉体をどう制御していくのか。日本へ帰ろうと思うからこそロシアに適応し、中央に近づかなければならないと決断した光太夫は「自分の身は自分で守れ」と仲間達を叱咤します。
ロシア人たちは光太夫を客人としてもてなしてはいるものの、それは国の制度や中央の命令によるもので必ずしも親切心から来るものではありません。加えて彼らは日本の風土や気候を知らず、ロシアにとっては当たり前の冬でも光太夫たちには命の危険を伴う致命的なものだと気づかない事だってあるのです。身を守るために必要なのはまず言葉、そしてそれを使ったコミニケーションです。
生きて故国の土を踏もうという強烈な意志はかえって光太夫を冷静にし、的確な判断を下させます。
このタイトルが「酔夢譚」なのが読んでいて不思議でした。
しかし、終わってみれば納得。ロシアでのどんな体験もそれは本人のものでしかありません。いくら話しても、光太夫の体験を他人が共有できるわけではなく、彼が旅の間に得た有益な情報や日本の国際的な地位を理解させる事もできないのです。
この物語はロシアに漂着して日本へ帰ってきた英雄の話ではありません。もしかしたら大きな役割を果たしたのかも知れないという可能性だけを残し、歴史の狭間に消えていった人間の話です。壮大な物語も、結末はあまりにはかない。しかし、それがこうして小説として表されているのは偉大な事かも知れないと思います。
8月18日
本日は教習第3回でした。一週間間が空いているのでかなり感覚を忘れています。教習所の教官は割りと歳の方ばかりかと思っていたのですが同年輩くらいの若い先生だったのでちょっと意外。理論的でたいへんわかりやすい教え方でした。
さて、今回は主に車体感覚の事。車は右側に運転席があるので当然右と左の感覚が違うわけですね。自転車は左右同じでハンドルの幅が最大なのでそのあたりの感覚がつかみやすいという事がよくわかりました。けっこうぎりぎりの狭いところでも通れますよね?
この文章を書いているのって半分習った事の復習のようなものですが、だいたい右のタイヤがアクセルペダルの位置と把握。具体的に身体と結びつけるとわかりやすいですね。反面、左は距離がつかみにくいです。コーナーの時など、車体を意識しすぎると右コーナーでは右へ、左コーナーでは左へずれてしまいます。対向車に気をとられると対向車の方に寄るというのはなかなか恐ろしい話です。
前回の教習でなめらかな発進、停止ができないと書きましたが今度の先生によってその理由が判明。アクセルはゆっくり踏み始めたらその後はそのまま押し込む、ブレーキは一度踏み始めたら効いたままの状態を保てとのこと。
アクセルは踏むと急に動き出し、あわてて緩めてしまうので次に踏むときはまた急に加速するという悪循環。ブレーキは踏んだり離したりしていると効き始めるまでのラグが何度も出るので無駄なわけですね。
前回はせいぜい25Kmくらいでしたが今回メーターを見たら33km出ていて少しは力強く加速ができるようになったらしいです。どうもエンジン音に騙されるらしく、加速のために回り始めるとかなりスピードが出ているような気分になってしまうようですが、これは慣れの問題ですね。
コーナーはかなりうまく曲がれるようになったと自負しているのですが加速と減速にめりはりがないと言われました。確かにアクセルを踏まないで流している時間が多いです。前述のようにしっかり加速、しっかりブレーキしないとダメですね。
と、いうわけでこれは次回の課題になりました。
第一段階はあと9時間です。
8月19日
書感です。
「石濤」
著者:井上靖
出版:新潮文庫
定価:320円
初版:平成6年7月1日
関連書感はこちら
井上靖が晩年に出した短編集です。
語り口調がなんとなく前の「孔子」に似ていると思ったのですがどうも晩年は語り手が読者に向けて話す、という形式を好んだようです。こうなるとだんだん作者と語り手の境目というのがあいまいになってきますね。
表題作「石濤」は語り手の家にふと石濤の絵が舞い込むという話。突然、家に現れた老人が預かってくれと置いていったこの絵が語り手は何より気に入ってしまうのですが、その頃から段々とアレルギーに悩まされるというものです。何故、石濤の絵が家に届けられたのかという妄想があちこちへと広がっていきます。多少ホラーじみた話ではありますが、あらぬ想像をしてしまうという経験って誰にでもありますよね。
その後は「川の畔り」「炎」という作品が続きます。どちらも旅先で見た川について語る、というもので同一の語り手らしく連作のようになっています。井上靖は川に対して特別に思い入れを持っているようです。山は下手をすると人が足を踏み入れる場所ではなくなるけれども、川は人の生活と共にあるという事です。トルコ平原を車で走る場面では、傍らを流れる川が地下に潜ったり出てきたりするという描写があって、そこに雄大な風景を感じました。これも体験なのではないかと思います。どちらも特にこれという物語はついていないのですが、これほどまでに圧倒的な風景を伝えてくる作品はなかなか見ないですね。
「ゴー・オン・ボーイ」も同様に旅の話。一行の車に飛び乗ってどこまでもついて来る少年の事を書き綴っています。心配し、いろいろと彼の身の上を想像しながらも結局、少年の無謀な行動を賞賛し、応援しています。男の子、というものに対する共感でしょうか。素直と意地っ張りの同居した少年の様子が清々しいです。
最後の「生きる」は著者の闘病生活の話。集中治療室の不気味な印象、病院で見る幻覚などがなまなましく描かれています。中には「孔子」執筆中の連載などの話もあり、想像以上に厳しい体調で書いていたのだという事がわかりました。
闘病というのは本当に一人の世界。どんなに家族の応援があっても、自分の痛みは自分のものでしかないのです。それでもたくましく生き抜こうとする井上靖の姿が力強く、この人の作品に流れるものを感じます。
亡くなってしまったのは本当に残念な事ですね。
8月21日
書感です。
「バガボンド 11巻」
漫画:井上雄彦
原作:吉川英治
出版:2001年8月20日
定価:524円
関連書感はこちら
柳生の城に入り込んで騒動を起こした武蔵。
四天王を退け、入り込んだ先はなんと柳生石舟斎の寝室だった。目の前で眠っている「天下無双」の老人を討とうとした武蔵だが、そのあまりの大きさに感動する……。
「我が剣は天地と一つ」
かつて若き日の柳生石舟斎、そして宝蔵院胤栄と対した剣聖上泉伊勢守は言った。そして歳を経た石舟斎もまた武蔵に対してそう言い放つ。
「天下無双とは何か?」という疑問を持ち、そう言われる石舟斎の元へ乗り込んだ武蔵は未だその大きさを測る事ができません。かつて武蔵の父、無二斎も「天下無双」にこだわり、他に達人はいらぬと何度も武蔵を殺そうとしていますが、そこに見たのはそんな父を遙かに越えるスケールなのです。
それにしても、この漫画に出てくる老人はすごいです。石舟斎をはじめ、宝蔵院胤栄、上泉伊勢守など言葉で表すことのできない迫力を井上雄彦の絵は伝えます。
「兵法の舵はとりても戦国の世は渡りかねたる石の船かな」という詩は世渡りの下手さを詠んだもののように言われてはいますが、バガボンドでは敢えて戦国の世に関わらない事によって柳生という剣法王国を守ったという解釈になっています。
歳を取って子供のように無邪気な石舟斎はまた、世の中を見る目にも優れ、己だけでなく様々な人間と関わって楽しげに生きていく人生の達人でもあるように思えるのです。それは剣のみに生き、孤独な存在である武蔵と対照的。
そしてその武蔵にさえ「このじいさんが好きだ」と感じさせるだけの大きな魅力を持っています。
一方、武蔵の親友であった又八はあいかわらずのダメ人間ぶりを披露。佐々木小次郎を名乗りながらも剣の修行もせず、世間の評判にだけ乗っかって生きています。次巻の予告では又八の人生にも転機が訪れるど書かれているのでどうなるのかが楽しみです。
8月22日
書感です。
「幕末遊撃隊」
著者:池波正太郎
出版:集英社文庫
定価:370円
初版:1977年11月30日
関連書感はこちら
大政奉還の世にあって遊撃隊を組織し、官軍に挑んだ心形刀流伊庭道場の跡継ぎ、伊庭八郎。不治の病に冒されながらも激しく生涯を送った男の生き様を描く……。
剣豪好きならば知っている名前でも、伊庭という名前はそんなに有名ではありませんね。僕自身も小説中の人物としてしか知らないため、歴史上での評価はよくわかりません。
しかしながら、池波正太郎の描く伊庭八郎はいかにも人情と魅力に溢れた人物として登場します。学問好きで病弱ながら16歳にして剣を取れば伊庭道場に並ぶもののない天才剣士。頭も切れれば腕も立つが、どこかに影のある人物像はまさに時代劇ヒーロー。不治の病で長く持たないと思えばこそ、死ぬ気になればなんでもできるという伊庭八郎は、幕府を見事に畳んだ徳川慶喜や孝明天皇の働きを後世の記録に残したいというそのために長州や薩摩の支配する官軍に立ち向かいます。
幕末を彩った一人の剣士に過ぎないながらも、その視点は遙かに高く、日本と世界の行く末を見通している八郎。彼は元々そういった志を持って生きていたわけではありません。
しかし、ただくすぶりながら消えていくという人生を嫌った彼は幕末という世の中にあって輝きます。鉄砲全盛の戦争にあっても刀を持って陣頭に立ち「相手を吸い寄せては切り捨てて」いくという剣は最後の武士にふさわしい活躍ぶり。長く続いた江戸時代において忘れ去られたと思われた武士の魂は受け継がれているのです。
道場のライバル、杉沢との因縁や料理人鎌吉との友情。義理の父親との信頼関係に遊女小稲と交わした情。長くない人生の中に、多くの幸せな人間関係を抱え、満足の内に死んでいく。
池波正太郎はここに一つの理想的な激しさを見出しているように思えます。目まぐるしく流れていく歴史とエピソードの数々。それは一瞬の幻のようでありながら深く心に刻まれました。
8月23日
書感です。
「吠えろペン 1〜2巻」
作者:島本和彦
出版:小学館少年サンデーGXコミックス
定価:533円
関連書感はこちら
「炎の転校生」「逆境ナイン」など無意味に熱い漫画を書き続ける島本和彦が描く漫画家の日常がこれ。
この前にも「燃えよペン」という作品があり、直接の続編というわけではなさそうですがコンセプトは似ています。
月刊連載2本、隔週1本をかかえる平凡な漫画家、炎尾燃。
スケジュールは毎回のように予定通りは進まず、追い込まれてピンチに。そんな時、それを乗り切るための力はただ一つ「根性」のみ!
命がけで漫画を描く炎尾プロ。果たして原稿は上がるのか?
「燃えよペン」の方は多少経験に基づき、エッセイ風の味があったのですがこちらの「吠えよペン」はそんな現実くささを飛び出してまさに熱血ヒーロー漫画のノリになっています。
漫画の中でも再三に渡って「魂を込める」という言葉が出てきますが大迫力の作画にはまさに魂がこもっているとしか思えません。ギャグ漫画であっても空想であっても、そこに確固とした主張がこもっているのを感じます。
漫画の場合はなんでもそうですが、どれだけ主張があっても物語があってもそれを伝える絵がなければダメになってしまいます。絵を通して何かを伝える、というのが漫画の技術ならばまさに島本和彦のは名人芸かも知れません。このバカバカしさは漫画でなければ伝われない。バカバカしいけれど、感心してしまう。真面目に主張すると照れくさいので逆を交えて言いたい事を言ってみました、といった感じの島本節は今も昔も変わりません。
僕はこの島本和彦の漫画が大好きで、メジャーな雑誌などでは見ないものの単行本などが出ていると安心してしまいます。
井上雄彦などとはまた違った形で漫画というジャンルを最大限まで活かした作品を続ける島本和彦。炎尾燃ではありませんが、その右腕は本当に燃えているのかも知れないと思ってしまいます。
8月24日
書感です。
「ひとめあなたに…」
著者;新井素子
出版:角川文庫
定価:505円
初版:昭和60年1月10日
関連書感はこちら
SF作家、新井素子の名作「ひとめあなたに…」です。
かなり前から読もうと思いつつここまで来たのですが、たまたま図書館で見つけたので読んでみました。
新井素子作品では「グリーンレクイエム」などちょっとセンチメンタルな感じのものが好きです。
地球に隕石が激突し、あと1週間で人類は滅びる……。
そんなニュースが流れる中、主人公の圭子は別れたばかりの恋人会うため徒歩で練馬から鎌倉を目指す。週末の地球、狂いつつある人々。圭子は様々な事件に遭遇する……。
地球が滅びるとき、何がしたいか?
と、いうところで「別れた恋人に会いたい」という圭子。まさにタイトルにある通り「ひとめあなたに…」なんですね。
彼女の思考には「会ってどうする?」とか「本当に会えるのか?」とかいう疑問はありません。ただ、最後の瞬間に自分が自分でいるため、恋人を必要としています。
人は何のために生きているのか、という事を考え始めるときりがありません。人は何かを求められて生まれてくるわけではないからですね。最後の瞬間だからこそ、純粋に自分が何をしたいのかがわかる。新井素子はそうやって何人かの最後を描いていきます。
最後の瞬間まで愛する夫を自分の元に置いておくため、殺してしまう女性。地球が滅びるとわかっていても受験勉強を続ける少女。世界は自分の夢で、起きたら別な世界が広がっていると思い込み「目覚める」ために眠り続ける女の子……。
圭子は少しずつそういった人たちに関わっていきます。
人の心の様々な形を見せつけられながらも、圭子はまったくゆらぎません。頭の中には恋人と会うというただそれだけの事しかないのです。
死んでしまったら、人間は何もかも終わり……ではない。
もし目の前の人が死んでも自分には何かが残るように、自分が死んだときには誰かに何かが残るのです。
人類が死に絶えてしまったとしても、やっぱり後には何かが残る。小説のラストでは、そんな気がしてきます。
8月25日
任天堂の新作ソフト、ハードの展示会「NINTENDO SPACE WORLD 2001」に行ってきました。東京ゲームショウほどの人の入りはないでしょうが、今回はNINTENDO
GAMECUBEを触れる最初の機会だけに期待大。
会場は幕張メッセで、最寄りは京葉線の海浜幕張なのですが総武線の幕張から行ったためけっきょうな距離を歩くはめに。
多少乗り換えが遠くても京葉線で行くべきでした。
さて、NINTENDOと言えばやはりマリオとゼルダですが今回の出展はなし。しかし前日の新作発表会で映像が流れたらしく話題になっていました。主な出展としては「スターフォックス
アドベンチャー」や「ピクミン」「動物番長」「ルイージマンション」「大乱闘スマッシュブラザーズ DX」など。
「スターフォックス」は3Dシューティングからアクションへと変わりがっかりだったのですが凛々しいフォックスがなかなかかっこ良く、ステージ間の移動はいままでのシューティングと二度おいしいゲームに仕上がっていそう。「スマッシュブラザーズ」はあいかわらずの出来で、対戦は盛り上がる事間違いありません。今回は一人用のステージも大幅に追加しているようです。また、新キャラにピーチ姫やクッパの他懐かしいアイスクライマーがいて驚き。
「ルイージマンション」は常に日陰にいたマリオの弟、ルイージの初主演作。不気味な洋館でお化け退治という内容なのですが終始怖がってうなっているルイージがナイスです。館内のグラフィックやギミックの細かさなどが任天堂らしく、マップ画面を表示するハンディコンピューターは「GAMEBOY
HORROR」などとなっていてなかなか笑わせてくれました。
「動物番長」は世界初の狩りゲーと銘打たれたゲームで動物をつかまえて食べ、進化して百獣の王を目指すというもの。四角いブロックの動物ですが獲物に食いつく様子などがなかなか生々しいです。
今回、一番注目したのは「ピクミン」
不時着した宇宙人が謎の生物「ピクミン」の助けを借りて宇宙船の部品を集めるというものなのですが、かなり斬新な感じです。主人公はたくさんのピクミンを従え、ピクミンはその数を力として様々な仕事をします。しかし、周囲はピクミンを食べる巨大な生物だらけ。カエルやダチョウのような生き物にオパクつかれるピクミンがかなり哀れです。
どうも見ていると敵の生物が巨大と言うよりは宇宙人やピクミンが小さいらしく、ステージもその辺の公園などのような印象でした。生き物もステージも恐ろしいほど質感に溢れていてほとんどゲーム画面には見えません。
他にも映像でスノボゲーム「1080 GC」や「メトロイド プライム」などが発表され、セガの「ファンタシースターオンライン」や「バーチャストライカー3」「ソニックアドベンチャー2」などが出ていました。
任天堂のゲームはどれも期待度が高く、触ってみて面白いです。最近はあまりゲームの映像で驚かなくなりましたが「ピクミン」と「ルイージマンション」の質感や光の表現などはかなりのものがあります。
任天堂のゲームは元々長く遊べるものが多いので、ソフトメーカーが少なくてもハードを買って損はしないですね。
10月のピクミンに合わせて購入するかも知れません。
8月26日
さて、今週の教習所所日記です。
2回しか乗っていなかったのですが、土日で3回乗って一気に5回目まで来ました。
土曜日は9時前に教習所へ行ったものの実は時間間違いで予約は11時。ついでなので仮免の学科試験前に受けなければならない効果測定を受けました。練習問題などをやって問題のパターンはほぼ掴んだという自信がついていただけに受けてみたら98点で無事合格。2回合格すれば良いのでもう一回受けたらそちらも98点でした。しかし、100点ってとれないものですね。
教習の方は発進と停止。外周を回りながら決められた場所で停止し、再び発進するという練習です。前の週ではいまいちアクセルを踏み込めていなかったのが1週間のブランクを空けたらきっちり加速減速ができるようになっていました。こういう事って昔からあります。言われた時はできなくても後からイメージが出来てくるのかも知れません。
発進と停止の方は、左のギリギリまでよせるのがちょっと怖かったのですが何度か繰り返すうちにうまく位置取りができるようになりました。ブレーキの方は問題なく、狙ったところで止められます。時間が少々余ったので交差点の練習をし、その日は終了。
日曜日は今度こそ朝から。前日、交差点の予習をしていたので楽勝かと思ったのですが、ウィンカーを出すタイミングが早すぎると言われました。曲がると言われるとついすぐに出してしまうようです。なんとか修正。交差点は30分くらいでOKが出たので次の坂道停止、発進をやりましたがAT車なのでただサイドブレーキを引くだけですね。あと、急な下りではシフトレバーをLに。そのまま教習は終了しましたが、次の時間にキャンセルがあったので連続で乗れました。
坂道はすぐクリアして、その次の後退へ。これはちょっと苦戦しました。ハンドル操作をしようとするとついブレーキが緩んで速度が上がってしまいます。そもそも遅い速度の車でハンドルを大きく切って動かすのが苦手なようです。
余談ですがバックは「左右が逆になるので難しい」と何度が聞いた事がありますた。この左右逆という感覚がよくわかりません。前進も後退も車を右に動かすにはハンドルを右ですよね。バックは多少不安が残るもののOKが出て終了。教習21段階のうち10段階までいきました。最短12時間でいけそうな感じですね。
次回は狭路だそうです。ぶつけないように気をつけます。
8月27日
書感です
「ステッセルのピアノ」
著者:五木寛之
出版:文春文庫
定価:485円
関連書感はこちら
日露戦争後にロシアのステッセル将軍から乃木将軍へ送られたとされるピアノが日本各地にあると言う。何故複数のピアノに似たような伝説がついているのか?
作者は真実を追って日本とヨーロッパの各地を飛び回る。
この本、小説というのは少し語弊があるのですが、どうも純粋なノンフィクションではないらしいので何とも分類がしにくいですね。各国での取材を元に構成した歴史語り、というところでしょうか。
日露戦争に勝利した乃木将軍はロシアのステッセルと会談。 そのときの様子は歌にまでなり、ステッセルと乃木の両者を英雄として湛えたと言います。しかし、ソ連となったロシアにおいてステッセルの評価は散々で、敗者として叩かれ、不遇の人生を送ったとされます。それは単に、戦争の勝者と敗者という立場の違いなのでしょうか?
作中で、ロシアの取材をした作者が現地の女性と交わした会話の中に「傷ついた人ほど美しい物語が必要」という言葉がありました。勝者でありながらも多くの兵が犠牲となった日本もやはり深く傷ついていた、と作者は分析します。ピアノは単にロシアから奪ってきたものかも知れませんが、そこに美談を加える事によって誰かの沈んだ心を癒そうとした人がいたのかも知れませんね。
結局のところ、この物語中に「真実」というものはシメされません。著者は色々と想像しますが、取材によって決定的な証拠や証言を得ることはできないでいます。
しかし、略奪品としては不似合いなピアノという楽器が人の心を刺激し、数々の物語を作り上げたのかも知れないという作者の想像には、同じ物語の作り手として作者の暖かいまなざしが感じられました。
8月28日
未だに以前紹介した「ファンタシースター オンライン ver.2」にはまっているのですが、最近いろいろなサイトを巡っていると画面を取り込んだ写真がかなりあってなかなか楽しいです。
PSOはキャラ作成時に顔や髪の色だけでなく、身長やプロポーションまで選べるのでキャラの個性がきちんと出ややすくなっています。自キャラをサイトで紹介している方なども多いようですね。
PSOには元々、画面をキャプチャーする機能がついていてコントローラーとメモリを複数持っていればゲーム上で写真を撮ることができます。それをドリームキャストからPSO公式サイトのビジュアル掲示板へ転送し、パソコンで見に行けば画像を得られるという仕組み。ネットワーク機能内蔵機種ならではの機能ですね。必要となるのは追加のコントローラーとメモリ。
そう何枚も撮れるものではないので要領の大きなメモリを買おうとすると合計で7000円近く。これはけっこうな出費です。
そこで目を付けたのがパソコン用のUSBビデオキャプチャです。要はパソコンにつけるビデオ取り込み機。実は昔から欲しかったのですが、値が張るので手を出さずにいました。
最近の価格を把握していなかったので調べてみると、TVチューナーがなければ実売価格が1万円ちょいでけっこうお手頃。こちらを購入することに決定しました。
しかし結局、画面の視点移動のために追加のコントローラーも購入。凝ろうとするときりがないですね。
IOデータのUSB-CAP2を買って家に戻ったらさっそくソフトをインストール。再起動してキャプチャ機器をつなげ、テレビのビデオ出力端子(便利です)を差し込んでソフトを起動するとあっさり画面が出てきました。
静止画像で取り込もうとするとタイミングが難しいので、ビデオで取り込んで後で編集するという方式に。こうなるとごく簡単で、録画をしながらキャラクターにいろいろなポーズを取らせてみればいいわけです。おかげでいい紹介写真ができました。テレビが画面を出力しているので別にゲームに限らず、テレビに写っているものならなんでも取り込めます。割りと安価でいい買い物をしたかも知れません。最も、すべて趣味の領域ですけどね。
久々にパソコン関係の買い物でした。
8月29日
書感です。
「西郷隆盛」
著者:池波正太郎
初版:昭和54年4月25日
関連書感はこちら
「幕末遊撃隊」に続いて池波正太郎の幕末、維新ものです。
幕軍について最後まで戦った「幕末遊撃隊」の伊庭八郎に対し、こちらはあまりに有名な薩摩の英雄、西郷隆盛。
この「西郷隆盛」にも「幕末遊撃隊」からの引用があり、作品が対として書かれたのではないかと思わせます。
西郷隆盛という人物はその大局的な視野に加え、人間としてのスケールの大きさが強調されています。大きな体とぎょろっとした目だけでもすでに「ただものではない」という風貌。
誰もが「西郷さん」と頼り、ついつい嫌な役も引き受けてしまうし相手も西郷が出れば受け入れざるを得ない、という役所です。
そんな西郷ですが、彼は根っからの「政治家」ではありません。人を惹きつける指導者であり、教育家であり、思想家ではあっても激動の世の中を手段を選ばずに乗り切っていくという資質には欠けています。かつて親友であった大久保利通は逆に手段のためには目的も選ばず、必要な時には友さえも切り捨てるという男です。名コンビであった彼らも時代の動乱の中でやがて対立していきます。
池波正太郎は政治家としての大久保利通、思想家、指導者としての西郷隆盛を実に魅力に描き、維新の流れを語っていきます。「幕末遊撃隊」では孝明天皇や徳川慶喜の働きを「なかったこと」にされないために伊庭八郎は戦い、果てていきますが西郷もまた派閥政治となった新政府に自分の場所を持たず、やがて政府に対し半期を翻した、という立場に追い込まれます。
見方によっては、政府への不満分子をまとめあげ、自分と一緒に滅ぼした西郷は、政府軍の戦いぶりに日本の未来を託せると感じ、部下に解釈をさせてその生涯を終えるのです。
流血と陰謀の幕末、維新にあって池波正太郎の西郷はあくまでそういったものを望まず、ただあるがままに自分の力を発揮します。徳川幕府は決して悪ではなかった。そして、薩長も中央集権を実現した自分たちの派閥体勢に不満を持っていた。
それでも皆、時代の流れに飲み込まれていきます。
あまりに多くの人物と勢力が浮き沈みし、小説としてはあまり濃くない作品かも知れませんが、逆にそれが激動の時代を感じさせました。
8月30日
書感です。
「全面自供 浅見光彦と内田康夫 言いたい放題」
著者:内田康夫
出版:講談社文庫
定価:448円
初版:1998年6月15日
関連書感はこちら
関連書感を見るとわかるのですが、実を言うと僕は内田康夫作品って「後鳥羽伝説殺人事件」しか読んだ事がないんです。
で、この本はと言うと内田康夫の対談集。
何故そんなにも詳しくない作品の作者の対談なんか読んでいるんでしょうね。
と言いつつも、浅見光彦シリーズは周囲にファンが多く、テレビドラマ化される事も多くてけっこう親しみのある作品でもあります。いかにも好青年の探偵と全国各地の名所をからめたミステリのシリーズはもう当たり前のパターンですが、考えてみるとそれを作り出したのがこの内田康夫なんですよね。
そういうわけでつい舞台裏のようなものを覗いてみたいと思いました。
僕としては浅見光彦シリーズってあまり真剣になって読んだり感想を書いたりする作品ではないです。
でも読めば面白いし、作品をいろいろからかうという楽しみもある、という感じ。真面目な内田康夫ファンの方には悪いなと思うのですが、しかし対談集を読んでいると「あ、こんな態度でいいのかも」と思わせるようなものがあります。
対談の相手は小池真理子や赤川次郎、笹沢佐保などの作家もいれば辰己拓郎や榎木孝明のような浅見光彦役の俳優もいます。どうも同じような話が何度も出てくるな、と読みながら思いましたが普通の対談集と違ってこれはみんな内田康夫がゲストなんですね。だから作家になったきっかけや浅見光彦の名前の由来などはみんな質問するわけです。
浅見光彦がやたらとハンサムで快活だったり、作家本人が作中に登場したり何かとミーハーな雰囲気が漂ったりもしますが結局のところ「これはこれでいい」のでしょうね。嫌いなら読まなければ良いわけで。
僕は割りと赤川次郎とか内田康夫、西村京太郎などがあまり好きではなかったのですが最近はこの人たちの多作ぶりを尊敬してしまいます。芸術家、ではなくて職人なんですね。
全体的に人のいい面白いおじさん、という雰囲気の漂う内田康夫。「天河伝説殺人事件」くらいは読んでみようかな、と思いました。
8月31日
書感です。
「R.P.G.」
著者:宮部みゆき
出版:集英社文庫
定価:476円
初版:2001年8月25日
関連書感はこちら
宮部みゆきに外れなし、と経験的に思っています。
これだけいろんなタイプの小説を書いていてどれも面白いというのは偉大です。基本的にこの人は文体や設定によらず、ストーリーを楽しませる人だからなのでしょう。
さて、この「R.P.G.」は2日間でじっきり読もうと思っていたのに結局1日で読み終わってしまいました。続きが気になって仕方がない、というところですでにはまっています。
刺殺された被害者は平凡な家庭を持ったサラリーマンだったが、彼にはネット上の掲示板で展開される4人家族のお父さんというもう一つの顔があった。様々な人間関係に、ネット上の家族を加え、複雑さを増していく事件。果たして、犯人は「お母さん」なのか……?
この小説、「クロスファイア」の石津刑事と「模倣犯」の武上刑事が登場し、重要な役割を担います。本の解説にもそう書いてあるのですが、とりあえずどちらの作品も読んでいなくて問題ないのでご安心を。僕も読んでいませんでした。どちらも傑作の呼び声高いのでいつかは読むでしょう。
さて、タイトルの「R.P.G.」は決められた役割を演じる事を意味しています。ネット上で集まった4人家族を意味しているのは誰の目にも明白です。しかし、読んでみると必ずしもそうというだけではありません。
近頃、ネットを通じた事件やそれを扱った小説、テレビドラマなども多いですよね。僕はそういうのがあまり好きではありません。僕自身も長くネットをやっていますし、長く深いつきあいになる友達もいます。安易にネットワーク上の人間を信じる事の危険性を警告するものは多いですが、僕にはそういう警告そのものが安易であるように感じます。興味本位や危機感過剰のどちらかに分化してしまうだけのような気がするんですね。この小説を読んでいる途中、ネット上に集まった「家族」がたいへん嘘っぽく書かれていて少し嫌な感じがしていました。嘘だとわかっていても、役割分担された言葉のやりとりに浸っている「家族」のメンバーの様子はなかなか寒い感じがします。しかし、宮部みゆきが見事だと思うのはここからです。
疑似家族の様子を特異に感じる捜査官達ですが、やがてどういった経緯でそういうものができあがるのか、彼らが何を求めて集まっているのかという事が徐々に解きほぐされていくのです。それは理性的な「理解」ではなくて「実感」なんですね。
この作品はミステリというジャンルに入りますが、解き明かされる謎は犯人ではないのです。
書けないのが残念ですが、物語はなかなか衝撃的な最後を迎えます。それは、鋭く突き刺さるのではなく、全体に響くような衝撃なんですね。つまり、人の性質、人の弱さというものを感じさせるんです。人は人を必要としている、というごくごく基本的な事を、宮部みゆきはこの書き下ろし長編の中に織り込んだんだと思います。
|