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9月1日
書感です。
「多重人格探偵サイコ 7巻」
原作:大塚英志
作画:田島昭宇
出版:角川書店
定価:580円
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しばらくぶりの「サイコ」です。
あまり長い間出ないのでその存在すら忘れていたのですが、昼休みに弁当を買おうと思って行ったコンビニで発見。一緒に「MONSTER」最新刊を見つけたのは妙な巡り合わせだと思いました。どちらも人為的に作られた特殊な人格が大量殺人の引き金になる……という話ですが、まったくアプローチが違うので面白いです。
伊園犯罪研究所の所長、伊園磨智の妹である女子高生、美和もその本質を表し修学旅行の飛行機をハイジャックする。彼女の目にも近年のサイコ殺人者達にあったバーコードがついていた。そこに現れたのは雨宮一彦。しかし、彼は西園伸二の人格に支配されたままだった。ハイジャックされた飛行機が向かうのは謎の組織「ガクソ」の実験船。西園伸二を巡る二つの流れがここで一つになる……。
主人公であったはずの主人公、雨宮一彦の人格は姿を消してしばらく。普通の女子高生だと思っていた美和が実はガクソの研究の対象だったというのはなかなかショッキングです。
結局すべては「ガクソ」のシナリオ通りだった、というのが僕としては一番嫌いなパターンですが、どうも西園伸二や伊園美和はそれをわかっていつつ敢えて軌道にのっていた、という事で少々微妙。しかし、下手をすると作者のご都合主義に陥りかねません。特に美和に関してはこれまでほとんど伏線もなく普通に女子高生をやっていただけに疑問が湧きます。
しかし、ここで重要となるのがキーワードの「多重人格」
ということ。「雨宮一彦」が西園伸二をコントロールするために必要なプログラム人格だったとしたら「伊園美和」もまた覚醒した人格と別の独立した個人だったのかも知れません。
一人の身体に宿る複数の人格、という複雑な要素がどうクリアされるのか、というところに作品の価値がかかってくるでしょう雨宮一彦、西園弖虎など複数の身体に宿る西園伸二という人格はいったい誰に統合されるのか?
そして、その元となったロック歌手、ルーシー・モノストーンとは?
その答えを知るのは当分先になりそうですね。
9月2日
教習所日記も第4回です。
教習6、7回目が終わりました。
1週間ブランクを空けたらだめだった事が出来るようになったと先週の第3回では書きましたが今週は単に感覚を忘れてしまっただけ。取り戻すのに10分くらいはかかりますね。
これまで同じ教官に当たったことは一度もありませんでしたが、本日は2時間とも同じ教官。合わないタイプだったら嫌かも知れませんが、同じ流れで押してくれるのでやりやすかったです。そもそもこの人はダメ、というタイプにはまだ当たった事がありません。運がいいと言うよりは自分の感覚の問題なのでしょうね。
さて、今回は狭路と進路変更、障害物への対応。後者の方は手順さえ間違えなければなんの問題もありませんね。教本でばっちり予習をしておきました。
実際に狭路を走る前に駐車場でレクチャーがあったのですが、そのときに教官が左の前後輪を水たまりに通し、駐車場のラインの角をそのまま曲がって車の内輪差を見せてくれました。なかなかプロっぽい教え方だと感心。でも雨上がりでなおかつ地面が乾いていないと使えないですね。一度で通る事よりも切り返しができるようになるのが重要と言われたのですが、どういうわけかS字とクランクをそれぞれ4回通過して一度も引っかからなかったので練習せず。以外と狭いところに車を通すのが得意らしいです。自転車で壁と電信柱の間を抜けたりするのが好きだからでしょうか?
でも、駐車は苦手そうな気がします。
障害物への対応は路上に止めてあるバイクを教材に、見え方などを勉強。逆にバイクに座ってみて車がどう見えるか、などを体験しまたいがシートが熱くて閉口しました。しかし、路上駐車ってものすごく邪魔ですよね。これはほんとそう思いました。教習所の中でも面倒なのですから。
進路変更は、教官に方向を指示されると反射的にウィンカーを出してしまうというミスを連発。きちんと確認しながら出そうとすると今度は遅かったり。運転ってなかなか大変ですね。
とりあえず操作には問題ないと言われたので、次はきちんとあちこと気を配って走れるようにしたいと思いますがまた1週間空くのでちょっと不安です。
9月3日
書感です。
「MONSTER 17章/ただいま」
作者:浦沢直樹
出版:小学館ビッグコミックス
定価:505円
初版:2001年10月1日
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さて、今回何よりも注目したのは17章の巻末でした。なんとそこにあったのは「自称完結」の文字が。
長らく続いたMONSTERもついに次で終わりのようです。
「怪物」ヨハンを追っていた双子の妹、アンナはついに彼と巡り会う。そこでヨハンから聞かされた過去の記憶はしかし、アンナ自身のものだった。ヨハンを追い、ルンゲ警部、グリマーなどテンマと関わった人々、そしてアンナ、テンマがそれぞれドイツの田舎町へと向かう……。
巧みに人の心に巧妙に入り込み、その欲望や衝動を解放してしまうヨハン。カリスマを持った偉大な指導者を作り出そうとする実験によって育てられたとされる彼と同じ能力を、アンナも持っているのか?
「人の命は平等」と少年だったヨハンを助けた天才外科医、テンマ。しかし彼はその後、ヨーロッパ各地でヨハンが引き起こした惨状に苦しむ事になります。それがテンマの責任かどうかと言えば、違うでしょう。
おそらく本人にもそれはわかっているのです。しかし、ヨハンという存在を知ってしまった以上、放っておけない。そんな責任感が彼をつき動かしています。あるいは、彼が再びヨハンを救う事になるのかも知れません。
天使のように人の心を癒すヨハン。人と人とを殺し合わせるヨハン。この二つの存在は本当に同一のものなのか?
ヨハンは多重人格者なのかも知れない、というテンマの考えを立証するようなものはまだ何一つなく、天使と悪魔のヨハンは今のところ一つの人格として矛盾なく描かれています。
ヨハンの目的が何なのか、それは未だわかっていません。しかし僕としては「怪物」ヨハンをこの世に作り出した511キンダーハイムとそれに関わるものを全て抹殺することなのではないかと思っています。ヨハンのような存在が再び現れないように……。
次章、どんな結末が待っているでしょうか?
9月4日
最近、人を見て「若いな〜」と思うことがあります。
別に自分もそれほど歳を経ているわけではないですけどね。
そう思うのは、自分が通って来た道をその人が経験していると感じる時です。それは恋愛の悩みであったり将来の悩みであったり家族の事だったりと様々です。
そういう人に対して、自分が何か出来るかと言うと、何も出来ないと答えるしかないですね。いや、全く何も出来ないわけではないですが、せいぜい気晴らし程度だと思います。有効な事はできない、と言うことです。
もちろん、言葉をかけたりメールを書いたりする事がきっかけで元気になったりする人はいるかも知れませんが、それは本人の力なんですよね。
僕の周囲にはいろんな事に巻き込まれたり、本人が落ち込んだりする人が多かったです。僕は話し好きですし、相手に合わせるのがうまいと良く言われるのでそういう時に話し相手になる事がよくあり、人の浮き沈みをたくさん見てきました。
いろんな事を相談されたりする立場って、大変ですが自分の自信にもなります。ですが、最近になってみると上に書いたように別に何をしたわけでないなと思いました。
ごく最近ですが、友達がその友達の事でかなり悩んでいて痛々しい様子でした。以前だったら、自分もその話を聞いて心を痛めるんだと思います。でも、逆に冷静になってしまったんですね。その友達の立場が、かつての自分の立場とすごく似ているんです。
友達が心を痛めているときに、自分も心を痛めるというのは深い友情なのだ、と思います。しかし、冷たい言い方をすれば本当に心が伝わるわけじゃないですよね。基本的に自分の感情の変化は相手の言葉を聞いて相手の心中を想像する、というところから来ます。人にはそれぞれ自分の言葉があって自分なりの解釈をするし、話す方だって完璧に自分の心中を言葉として伝えられるわけではありません。また、本当に自分の心を正確に相手に伝えたいという人はまずいないです。
心中にはいろいろな事が渦巻いていて、決して美しいものばかりではありません。いろんな計算が働いたり欺瞞があったりします。人は自分の心を騙す事すらできますよね?
言葉になって出てくるのは、相手の主張の一番強い部分だけです。そういったものをまともに自分の心で受けてしまっては辛いばかりです。
自我というのは自分と他人の区別から始まります。どんなに親しくても相手の悲しみは自分の悲しみではないのです。もちろん、感情というのはそんな風に割り切れるものなのではないかも知れません。
でも、友達ほど若くない僕は、どんなに辛くてもいつかは立ち直るものだというのを知っています。人の心は癒せないけど、癒えるまで待っていてあげれば、そして自分も辛くなるんじゃなくて友達が辛いという事を忘れないでいてあげればそれでいいのだと思います。
9月5日
書感です。
「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 8巻」
著者:荒木飛呂彦
出版:集英社ジャンプコミックス
定価:390円
初版:2001年9月9日
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毎度、「ぶっとんだ」設定と話運びで読者を楽しませてくれる荒木飛呂彦ですが逆転の発想やとんでもない人物、敵などが当たり前になってくるとだんだんマンネリになってきますよね。そこで主人公を女性とし、雰囲気なども新たにしたのがこの「ストーンオーシャン」シリーズだと思うのですが、どうも小難しい能力やちょっと屁理屈過ぎる能力が途中いくつもあって欠点も目立っていました。
しかし、この巻ではかなりすごいのジョジョ的発想を読むことが出来て嬉しく思っています。
人間の闘争本能を刺激するスタンドの影響によって突如皆が争いを始めた特別懲罰房。徐倫の相手となったのは看守の大男でその肉体的な能力と同時に見えないスタンド能力に苦しむ。
敵の能力を見破り、新たな相手と対面した徐倫。助けに入ったフー・ファイターズと戦うこのスタンド使いはなんと78歳の老人だった……。
超能力というものに対する荒木的解釈が「スタンド」
普通の漫画ではテレキネシスとして手を触れていないのに者が移動したりするような現象を、荒木飛呂彦は人の形をした常人には見えないエネルギーという表現で描きます。同じ物を動かす能力でも、徐倫の力は「糸」
遠くの物をたぐりよせる事はできても押すことはできません。こういった「不自由さ」をどの能力者も持っていて、それが戦いを面白くします。
さて、今回のサブタイトル「燃えよ龍の夢」の元となっているのが老人のスタンド「龍の夢(ドラゴンズドリーム)」
78歳の老人、ケンゾーは暗殺拳の使い手。しかし、その強さの秘密は風水にあります。スタンド「龍の夢」は攻撃手段を全く持たず、本人の味方でも敵でもありません。
「龍の夢」はただ、自分と相手の「凶」となる方角を示すだけ。老人はそれに従って正確に足を運び、攻撃をします。
何が起こるかは老人にはわからない。しかし、風水に従えば必ず望んだ結果を引き起こせます。
これこそ荒木飛呂彦の想像する達人というものなのでしょう。「龍の夢」は強力でありながら有効活用するのが難しい能力です。示されたものを読むという力は老人の長い経験から得た力。ここに単なる超能力合戦ではないスタンド使い同士の戦いの魅力があるのです。
大ピンチのフー・ファイターズが勝つ道はおそらく「龍の夢」の能力を逆用することだけ。しかし、そうやって負ける可能性があると言うことをもちろん老人も予測しているのがジョジョの登場人物。さて、勝負の行方はどうなるのでしょう?
9月6日
書感です。
「有栖川有栖の本格ミステリ・ライブラリー」
編者:有栖川有栖
出版:角川文庫
定価:705円
初版:平成13年8月25日
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有栖川有栖が「これは本格」と認めた古今東西の作品を選りすぐったアンソロジーです。
が、読んでみると「ほんとに本格?」という作品ばかり。
疑問と言えば疑問ですが、この選び方には有栖川有栖らしいユーモアがたっぷり詰まっています。
当然の事ですが、本当に本格ミステリとして素晴らしい出来だったらここに収録されるまでもなく世に知られているでしょうからね。
「本格ミステリ」の定義は人それぞれ。これは語ると一冊の本になってしまうくらい深いと思うのですが、僕の簡単な解釈としては「ユーモアミステリ」でも「旅情ミステリ」でも「社会派ミステリ」でもないミステリなのだ、というところでしょうか。もっとも無骨でそっけないミステリかも知れません。
だからこそ本当に好きな人じゃないと楽しめないでしょう。
さて、選ばれた作品群はたいてい、傑作と言えなくても読めばなにかしらうならされるものばかり。他に見たことのないほど奇抜なトリックやばかばかしいトリックもありますし、つのだじろうのミステリ漫画や台湾人の書いた鉄道ミステリなどなかなかお目にかかれない珍品などもあります。その台湾人作家の「生死線上」などは収録された作品の中で、トリックも文章の風格もすばらしく、最も面白いと感じた作品でした。あちこちにヨーロッパや日本の推理小説の影響を感じますが、だからこそ王道とも言える堂々とした話運びをしています。
また、ワトソン博士やヘイスティングス、ニッキー・ポーターなど助手役として活躍していたキャラクターが一同に会して事件に遭遇する「<引き立て役倶楽部>の不快な事件」などは笑いをこらえるのが大変です。設定だけではなくトリックも両立し、事件被害者の正体にも驚かされるという作品。
巻末には北村薫との対談もあって、有栖川と両方のファンである僕には嬉しい内容。北村薫はミステリの話をすると評価が厳しくてなかなか怖いのですが、のらりくらりとそれをかわしてしまう有栖川有栖もなかなか素敵です。
こういったものは暇つぶしで読むという雰囲気が強いですが最初から最後まで濃い内容で楽しませてくれました。
9月7日
書感です。
「NANASE The Telepathic Wanderers」
原作:筒井康隆
漫画:山崎さやか
出版:講談社ヤングマガジンKC
定価:505円
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筒井康隆のテレパシスト火田七瀬を主人公にしたシリーズのうち、「七瀬ふたたび」のコミック化作品。
原作の方では多少、舞台の古さを感じましたがコミック化にあたって現代っぽくリニューアルされています。
山崎さやかはわりと鋭い絵を描く人で、華奢だが芯が強いという感じの七瀬を想像していた僕としてはちょっと違和感がありましたが原作にも見事なプロポーションだと書かれているのでこれが正しいのかも。
さて、内容の方は七瀬が初めて自分以外の能力者と出会う最初のエピソードの前に「七瀬、故郷に帰る」というオリジナルの部分が加えられている以外はほぼ原作そのまま。
絵の方は可もなく不可もないという感じで、演出なども特にこれはと思うような部分はないです。山崎さやかという人が普段なにを書いているのかは知らないのですが、原作ものとしては「忠実な漫画化」というのが妥当な評価でしょう。
岡野玲子の「陰陽師」のようなものはむしろ特殊なのかも知れませんね。夢枕獏と岡野玲子というコンビの場合は、お互いが互角と言える実力を持っているからこそ昇華できるのでしょう。それに大して筒井康隆というビッグネームは漫画家にとってかなり大きな壁になるのではないでしょうか?
ともあれ、つまらないわけではないので続く巻も買っていくと思います。これから出てくる超能力者たちがどう描かれるのか楽しみです。また、「陰陽師」のように原作を離れて大きく化けるかも知れません。
個人的には終盤の超能力者狩りの話を背景からきっちり描いて欲しいところです。
9月8日
書感です。
「串刺し教授」
著者:筒井康隆
出版:新潮文庫
定価:350円
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筒井康隆の短編集です。この本は読了したときはかなり疲労感がありました。文章に脈絡がなかったり、話があちこちへ飛んだりするのはもちろん、話が唐突に終わってしまったり、読み終わっても意味がつかみきれていなかったりします。
もしかしたら一度読んだだけではだめなのか、とか本当は別に意味なんかないんじゃないか、とか思ったり。しかし、これが筒井ワールドへの誘い方なのかも知れないですね。
一つ一つ解説するのも多少ばかばかしさを感じるのですが、この短編集には現実の作家やSF界、著者本人などをオーバーラップさせたものが多く、たいていはかなり皮肉に書かれています。「日本古代SF考」は未来の人間が現代の文献を元にSFについて考察する、というものです。SFというジャンルが白眼視される中、集まっては愚痴を言い合う作家たちが描かれていますが本人達はあきらかにそれを楽しんでいる様子。わざわざ地下のバーに集まったりするところが笑えます。
また「シナリオ時をかける少女」はドラマの脚本風になっていますが、荒んだ社会を背景に虚構の人物が無理に演技を続け、結局は現実に飲み込まれて中止になってしまうという筋。 自らの作品をパロディにするというのもすごいですが、娯楽作品としてのSFが糾弾されるという現実に対する皮肉な主張です。他にも小説家としての筒井康隆が物語中に顔を出す世買う品がいくつもあります。
この本の発行は昭和60年なのですが、その当時、筒井康隆はこういった内容のものをあちこちに書いていたらしいですね。そういえば当時、大江健三郎の「『雨の木』を聞く女たち」が「SFまがい」と評価されてSF作家の誰かが「SF」という言葉を批判的に使っている事に対して憤りを示していましたが、今考えてみると筒井康隆だったかも知れません。
他の作品も筒井テイストに満ちていますが、特に変だったのは「追い討ちされた日」という短編で、筒井康隆にはめずらしい時代劇。と、思っていると追いかけられる侍の周囲にだんだんと現代の用語が飛び交い始め、最後はジャズ・クラブで斬られるという内容。特に時代背景も何も説明がなく、もちろん侍が現代にタイムスリップするような話でもありません。言葉遣いや単語から勝手に時代劇を想像した読者が悪いんでしょうか?
筒井作品で短編はとりわけ変なものが多いですね。読むたびに、ついていけないからやめようと思うのですが、またしばらくすると読んでしまいます。筒井康隆が読者に優しい作家ではないというのは明らかですが、たまにはこういった殴り合いのようなものも必要なのかも知れません。
9月9日
教習所日記、第五回目です。
土曜日は1限から行って2限のキャンセル待ちを狙いましたがあまりに混んでいてダメ。2人のキャンセルに15人くらいの人がいました。
さて、土曜日は教習9時間目。項目は「標識・表示に従った走行」と「信号に従った走行」で、どちらも外に出れば当たり前の項目ですよね。教習所にいればどちらも当たり前のようにやっているので特に新しい事を習うでもなく、簡単に終わりました。どちらかと言えばそれまでの総復習です。時間が余ったのか次にやる予定のだった「交差点の通行(直進)」まで原簿をつけてくれました。
日曜日は2限の予約でしたが1限から行ってキャンセル待ち。どうも台風が近いという事で降ったり止んだりでした。でも少しの晴れ間を狙って自転車で教習所へ。雨模様だったので人が少ないかと思ったらそうでもなく、キャンセルは2つ。
同様にキャンセル待ちをしていた人は3名だったのでくじになり、無事に乗れました。
項目は「交差点の通行(左折)」と「交差点の通行(右折)」でした。どちらも簡単、と思ったのですがどうも左折してから次の角も左折、というときに寄ったままの走行が維持できず、中央に戻ってからもう一度寄るという習性が。
これって車に限らず、何をやるときにも出る癖です。つまり、基本の状態からどう変化するか、という憶え方ですね。
道を憶えるときも駅が基準にになっていて、駅からA地点、駅からB地点は行けるけどA地点からB地点にはすんなり行けなかったりします。
最適化するには慣れが必要ですが、どうも初期の頃の2足補講ロボットみたい。P3とかASIMO以前ですね。
基本は出来ている、と言うことでそれも通り、予約した次の時間は「見通しの悪い交差点の通行」と「踏切の通過」これはどちらも慎重に、という程度でしょうか。しかし、教習所内には歩行者がいないので注意が甘い、と自覚しました。トラックの影とか危ないですよね。前の時間でうまくできていなかった、左折してそのまま左、右寄せというのもしっかり出来たのですが「左寄せすぎ」と言われました。前の時間の先生はこのくらいと言ったんだけどな、と思いつつも確かに寄せすぎでした。あと、左コーナーを走行しながら左寄せし、次の角で左折というときに前の時間の先生はウィンカーを出しながらコーナーに侵入し、曲がりきってウィンカーが消えたらもう一度入れると指導しましたが、次の時間の先生は行動が無駄になるので曲がりきってから、と指導。どちらが正しいんでしょう?
個人的には後者の方が実際の走行に近いように思えます。
さて、今週は終了。次の週の急発進、急加速を終えたら仮免の見極めです。路上を走る日も近いようですね。
9月10日
書感です。
「頭文字D 22巻」
作者:しげの秀一
出版:講談社ヤングマガジンKC
定価:505円
初版:2001年9月6日
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21巻で東堂塾出身のレーシングドライバーに勝利した主人公、藤原拓海。こういう漫画の難しいところは、次々に早いライバルを出してしまうとそのうち速さがインフレしてしまう、という事ですね。さて、今回はどうなるのでしょう?
東堂塾とのバトルで改めてリーダー、高橋涼介の実力を実感した拓海。そんな時、拓海は秋名の山中でこれまでのレベルを越えた最強の車に遭遇し、敗北する。一方、次回の遠征のためコース偵察へと赴いた高橋啓介はそこで走り屋の少女、岩瀬恭子と出会うが彼女こそ次のバトルの相手だった。高橋啓介を夢に描いた理想の相手と重ねて恋に落ちた恭子は最高のモチベーションで勝負に挑む。苦手なコースに、高橋啓介は勝利できるのか……?
すでにほぼ最高の技術を身に付けている拓海の課題はメカニックと走行理論。プロジェクトDでその両方をたたき込まれつつある拓海は大きく成長をしているのですが、毎回ギリギリの勝負になってしまうため実感がありません。スプリンタートレノという旧車で新型のチューニングマシンと戦っている拓海は他の走り屋たちから見れば驚異的な存在。しかし、トレノにしか乗らない拓海にはそれがわかりません。拓海の師匠である父親の文太のみが拓海の事を「ヘタクソ」と言い、自分の方が早いと主張していましたが、今回、注文していた4WD車、WRXの試乗中に拓海と遭遇。初の親子対決となりました。
藤原文太と高橋涼介、そして高橋啓介。高橋兄弟とは一度勝負をしているものの、この3人とはまだバトルがありそうな気がします。今回では怪物ドライバーになりつつあると思っていた啓介に苦手な部分があるという事が露見するという展開で、まだ拓海を越えるライバルとしては描かれていませんが、その辺りの成長が次巻のメインとなりそうです。
プロジェクトD編はどうも人間ドラマが希薄でいまいち乗り切れなかったのですが、今回はかつてのテイストを取り戻した感じ。このまま続けて欲しいところです。
9月11日
書感です。
「六人の超音波科学者」
著者:森博嗣
出版:講談社ノベルズ
定価:820円
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森博嗣のVシリーズ最新作です。
前回の「恋蓮連歩の演習」からそんなに日が経っていないのですがずいぶんペース早いですよね。
この作品、タイトルからVシリーズだと気づかず、短編集か単発の長編だと思っていました。森博嗣にしてはずいぶんとあっさり味のタイトルです。英語でつけられたサブタイトルも「Six
Superspnic Scientists」でそのまま。
そんな感じで、中身も割りとあっさりめのエンターテインメントという感じでした。
六人の科学者が最先端の研究を続ける土井超音波研究所に招かれた瀬在丸紅子と小鳥遊練無。その二人を送って山中に車を走らせた保呂草潤平と香具山紫子。この阿漕荘メンバーが揃うと必ず起こる殺人事件。案の定、研究所では博士が殺され……。
森博嗣はもともとあっさり目の作品を書く人ですが、今回特にそう感じたのは軸となる人物がいなかったからでしょう。それは阿漕荘の誰かであったり、レギュラー以外の誰かであったりします。前回の「練恋蓮歩の演習」でも途中まであっさりしていると思っていましたが最後で大逆転。「魔剣天翔」では小鳥遊練無の内面に突っ込むところが多く、それ以降彼に対するイメージが変わったくらいでした。強いて言えば今回スポットが当たったのは準レギュラーの祖父江七夏。彼女の恋人は上司の林警部で瀬在丸紅子の元夫という複雑な立場のキャラクターです。毎回、瀬在丸紅子に一歩を譲っているという感じで見ていてかわいそうではありますが、悪いのははっきりしない林警部ですね。
さて、全体的にあっさりしたイメージの「六人の超音波科学者」ですがもちろん最初から最後まで楽しめます。
同じシリーズにも料理の仕方はいろいろある、という事ですね。本には森博嗣撮り下ろしの写真集「アイソパラメトリック」の予約用紙が挟まっていて、買うかどうか迷い中。
9月12日
書感です。
「マスカーワールド 石ノ森章太郎恐怖アンソロジー」
作者:石ノ森章太郎
出版:角川ホラー文庫
定価:648円
初版:平成13年9月10日
最も尊敬する漫画家は、と聞かれたら迷わず石ノ森章太郎と答えます。僕にとってはこの人が少年漫画の王様です。
その石ノ森章太郎の作品からより抜かれた作品群はどれも恐怖漫画として傑作揃いで選者の目の良さも感じさせます。
タイトルに恐怖アンソロジーとあり、ホラーとなっていないのはここに収録された作品のほとんどがホラーとして描かれたものではないからでしょう。
収録作品は「変身忍者嵐」「イナズマン」「ロボット刑事」「サイボーグ009」などのヒーロー作品に日常ホラー一編を加えたもの。石ノ森ヒーローの何よりの特徴は、敵と同じ能力を持っていながら善と悪に別れて戦う、という事でしょうか。
この場合、敵の怖さはそのまま主人公達の怖さにつながります。「変身忍者嵐」は母性本能が異常に強い女忍者が敵。主人公、嵐を赤ん坊にまで退化させようと迫ります。「イナズマン」は世界征服をたくらむ超能力者の集団と戦う少年超能力者の物語で、日常に潜む超能力者からつけねらわれる様が不気味です。主人公は一時も油断する事ができません。「ロボット刑事」は突如警視庁に配属されたロボット刑事の話。相棒の年輩刑事から信用されず、その機械の身体は恐れられもします。彼はそれを気にしたり悲しんだりする様子はありませんが、無表情な仮面の下に何故か人間らしさを感じます。黙々と人間社会に溶け込もうとする健気さがあるからかも知れません。この話でも敵はやはりロボットです。石ノ森作品の怖さは、こうしたテーマ性にあると思います。漫画だからと言って非日常を当たり前にせず、きっちり日常の中に組み込んでいるのです。
また、シンプルでありながらも背景などは細部まで書き込まれ、迫力を醸し出します。「奇妙な友人」は作者が遭遇した人を動物になぞらえた連作らしく、この回はガマガエル。すべては石ノ森の想像なのですが、しかし「もしかしたらこんな事もあるかも」という思いが残ります。
最後の一編は「サイボーグ009」
加速装置の故障によって停止した時間の中に取り残されてしまう009こと島村ジョーの日々を描いたものです。僕は石ノ森作品の中でこの「009」が一番好きなので、この短編もかなり嬉しかったのですが、少女漫画を連想させるジョーの独白には悲壮感が漂っています。
こうして一つのテーマをもって様々な石ノ森作品を見せられるとそのアプローチ、表現の多彩さには驚かされます。やはり石ノ森は少年漫画の王様だと再確認しました。
9月13日
書感です。
「田辺聖子の今昔物語」
著者:田辺聖子
出版:角川文庫
定価:460円
初版:平成5年12月25日
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ユーモアのあふれるエッセイや短編小説を書く田辺聖子が今昔物語を自分流に解釈、現代語訳したのがこの作品。
僕は古典けっこう好きですが、原文を読むほどではありません。だから理解の深い人が作者の意図をくみ取ってうまく訳してくれたものが一番おもしろいと思っています。
今昔物語は仏教系の説話集ですが、ここに選ばれたものを見ている限りではどうも元々ユーモアにあふれた内容で、おもしろおかしくいろんな話を聞かせようという意図があるように思えます。そもそも、古典ってそんなに難しい内容ではないですよね。そういう雰囲気を伝えるという点で田辺聖子の訳はすばらしいと思います。
内容についてはまあ、今更解説するまでもないと思いますが、僧侶の恋や大力の女性など同じテーマで複数の話があったりするのが面白いですね。
こういうのはうわさ話に尾鰭がついたりして、段々おもしろおかしく仕上がっていくのだと思いますが、ひねったオチがついていたり最後にほっとさせられたりするところもあり、昔から創作の手法は変わっていないのだと思います。
源氏物語と伊勢物語を読むと古今東西のあらゆるパターンの人間関係と物語があるという事を昔、習った事を思い出しました。そう言えば夢枕獏の「陰陽師」にも瓜法師など今昔物語からのネタがありあました。
古典の現代語訳はクラシックと同じで、訳者が違えば同じ話でも楽しめます。これを機会に他の古典作品も読んでみようかなと思っています。
9月14日
書感です。
「TVピープル」
著者:村上春樹
出版:文春文庫
定価:380円
初版:1993年5月8日
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村上春樹の短編小説集です。ここのところずっと、村上春樹はエッセイしか読んでいなくて、小説を読んだのはもう10年ぶりくらいです。
表題作「TVピープル」は奇妙な小人が突然、部屋にテレビを運んでくるというシュールな作品。シチュエーションも奇妙ですが、それに対する主人公の冷めた視点が村上作品の特徴でしょうか。もちろん、主人公は常に冷静というわけではないのですが、驚いたり恐れたりしてもそれを他人事のように語っているような感じがします。一人称と二人称の中間くらいの状態ですね。
主人公が奇妙な状況に放り出され、淡々と物語は続いて突然破局する、という展開には日常からの脱却を望む心と、日常につかっている安心感の間での葛藤を示しているようにも思えます。村上春樹の小説中の人物は外面的にはごく普通の人間として生活していても、内部になにかしら違うものを持っています。そのずれがだんだんと大きくなったために最後は崩壊してしまう、という事なのかも知れません。
誰でも日常を脱却したいという願望があるのではないでしょうか?
しかし、一度そこから飛び出てしまったら何が起こるかわからない。そういう怖さがここには見えます。
著者本人は海外で生活して小説やエッセイを書くという日々を送っているわけで、そういう意味ではやはり普通の日常を送っているわけではないですよね。そうやって世間一般の日常を離れ、村上春樹は自分の日常を手に入れたのでしょうか?
冷めた視点で夢の世界を描いたような村上春樹の小説にはそこでしか味わえないものがあります。読み終わった後、どうもすっきりしない感覚がありますが、こういうのって読後しばらくしてすっとはまったりしますよね。
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