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11月16日
書感です。
「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 9巻」
作者:荒木飛呂彦
出版:集英社ジャンプコミックス
定価:390円
初版:2001年11月
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敵の弱点と自分の安全地帯を示す異色のスタンド「龍の夢」を相手に苦戦するフー・ファイターズことFF。決死の覚悟によってわずかの水を得た彼女の反撃とは!?
次々と登場する敵のスタンド使い。スタンドとは本人が潜在的に持っている能力が守護霊として顕在化したもの……と解釈しています。常人には見ることさえできないそのスタンドも能力を持った者同士には相手の持つエネルギーの形として視覚化されます。第三部のスタープラチナや第五部のゴールド・エクスペリエンスに比べるとどうもビジュアル的に弱いという印象のある徐倫のストーンフリーですが、力ではなく自らが出す糸の性質を巧みに利用する徐倫の戦いぶりは第二部以前の主人公たちを連想させます。
第六部となるこの「ストーンオーシャン」にはパワーのあるスタンドがほとんど出てきません。さすがに舞台が刑務所というだけあって、能力者本人の性格と大いに関係があるとされるスタンドの力は実に様々で不気味。
その中にあってかなり自由度が高く、耐久性もあるFFは血管を流れるプランクトンが本体というスタンド。FFの身体はすでに死体で、プランクトンが生きるための環境でしかありません。最初はただ与えられた使命を果たすというだけの存在だったFFですが、徐倫によって「生きる」という事に目覚めます。
人間とは大きくずれた感覚が笑いを生む彼女ですが、誰よりも生きるという事に執着し、それでいて徐倫を守るためにはその命を危険にさらすことも厭いません。
群体生物であるFFはわずかにも生き残れば復活可能。だからこそ大胆に自分の命をぎりぎりまで削った作戦を考案し、実行しますが、これは第五部のジョルノ・ジョバーナにも見られた「死を恐れはしないが絶対に生き残ってみせる」という荒木漫画の大きなテーマを体現しているとも言えるようです。
さて「龍の夢」を倒した徐倫たちは特別官房を脱出。今度は刑務所に庭での脱走劇を繰り広げます。この展開がまた恐ろしい。今度は、じわじわと迫ってくる恐怖との戦いになりそうですね。
11月17日
書感です。
「ファウンデーション ー銀河帝国興亡史1ー」
著者:アイザック・アシモフ
訳者:岡部浩之
出版:ハヤカワ文庫SF
定価:560円
初版:1984年4月30日
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これまでアシモフは主に「ロボット史」のシリーズを読んできました。一定の主人公を持たない代わりに一つの世界、一つの歴史を追い続ける連作短編という趣向は短編での起承転結と長編としてのテーマ性、連作長編としての壮大なストーリーをすべて楽しむことの出来る素晴らしいエンターテインメントでした。僕としてはこれがアシモフの基本です。
さて、この「ファウンデーション」シリーズは「ロボット史」と並ぶアシモフのライフワークとも言える「未来史」シリーズの最初の1冊です。ロボット史と未来史はやがて一つの物語にまとまり、さらに大きな広がりを見せるという事です。
何世紀にも渡って繁栄を極めた銀河帝国は少しずつ崩壊の兆しを見せ始めていた。歴史心理学者ハリ・セルダンは帝国の滅亡が三万年に渡る暗黒時代を導くと計算し、それを一千年にまで縮めるため、科学財団ファウンデーションを設立した。
科学技術の交代した人類社会に対し、あるときは宗教の力で、あるときは経済の力で影響力を発揮するファウンデーション。荒廃してなお強大な力を誇る帝国。権力闘争に明け暮れる周辺諸国。ハリ・セルダンの計算したルートを通り、ファウンデーションは再び人類の繁栄をもたらせるのか……?
人類の暗黒時代を「たった一千年」に縮めようという恐ろしいまでに長いこのファウンデーションの物語の発端となるのが「歴史心理学者」ハリ・セルダンです。個体の未来は計算できずとも、集団となるとある法則に従って歴史が進むというセルダンの理論がこの物語の中核。すべての主人公たちはこのセンルダンの予測未来を実践するため、活躍します。当然、彼らはどんな未来をハリ・セルダンが予測しているのか知りません。
しかし、ファウンデーションの歴史的な進路は「必然の選択」の積み重ねによって決まるというセルダンの言葉により、そのときに考えられる必然の未来を選択します。
ファウンデーションの政策はセルダンによって決められてはいません。その時代に合わせ、状況に合わせ、ファウンデーションは必要な力を使い、支配するためのシステムを作りあげるのです。宗教によって周辺諸国を支配し、その効力がなくなると予測されれば次は経済。国家は繁栄するのと同じ理由で滅びるという言葉がありますが、ファウンデーションの柔軟性はその言葉を寄せ付けません。
この本を読み終え、すでに一時代が終わったファウンデーションですがまだその行く手には数百年の未来が待ち受けています。いかなる冒険小説でも味わえないこの興奮は、しばらく続きそうです。
11月18日
書感です。
「木曜組曲」
著者:恩田陸
出版:徳間書店
定価:1600円
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「六番目の小夜子」や「球形の季節」など日常に潜むファンタジーを描き続ける恩田陸のミステリ作品です。
重松時子という偉大な作家の命日に集まる、5人の女性は皆、時子と親戚関係にあり文筆業に関わる者たち。その会合に届けられた花束とメッセージは時子が殺されたという事を示唆していた。5人それぞれが抱える秘密をパズルのように組み合わせたとき、真実は明らかになるのか……?
ノンフィクションライターの絵里子、純文学を書くつかさ、ミステリ作家の尚美、出版プロダクションを経営する静子、そして公私ともに時子のマネージャーであったえい子。
重松時子の才能は血筋から来ていると言わんばかりに彼女たちは皆、それぞれの才能を持っています。時にははげしく議論を戦わせ、時には意気投合して過ごす命日の集いは、時子が亡くなった木曜日と前後の合わせて3日間。
皆が時子の死に疑問を感じながらも漠然と過ごしていたのですが、投じられた花束によってその日々は終わりを告げます。
皆にとって目標であり、尊敬の対象であった時子は聖人君子ではなく、そのエネルギーの強さゆえに憎悪の対象ともなり得る存在です。つかさや尚美は時子の影響で小説を書き始めたものの、時子自身にはまったく相手にされていません。えい子や静子は晩年の時子のスランプ状態をもどかしく思い、様々な忠告などをしていながら、聞き入れてもらえずにいました。
探偵もののミステリと違い、推理を組み立てる役が特に存在しないこの小説では、5人がそれぞれ相手の話の矛盾点を指摘したり、疑問を話したりして徐々に真相を明らかにしていきます。互いの持っている情報に驚き、時子との意外な確執や抱いている感情などが明かされていく展開はサスペンス風で、何か知ってはいけない知識の扉を開けてしまうような怖さがあるのです。
「誰が時子を殺したのか」という真実を追い求めたこの小説ですが、結末では5人それぞれが自分の「真実」を見つける事になります。事件というものを解決するのがミステリの基本ならば、これはごく個人的な事件。私ミステリ小説を言えそうです。一つの事柄に対して人が抱く解釈や感情の違いこそが本当に解決しない最後のミステリなのかも知れません。
11月19日
書感です。
「コミック 三国志 5・6巻」
原作:寺島優
作画:李志清
出版:メディアワークス
定価:590円
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メディアワークスの「三国志」は現在8巻まで刊行されているのですが買い逃していたのでとりあえず6巻まで購入しました。
5巻は三国志最強とされる無双の剛勇を誇る呂布の最期。
6巻は劉備とはぐれ曹操の元にいた関羽が甘夫人と共に劉備の元を目指すという内容です。
横山光輝の三国志は単行本で60冊。文庫でも30冊という大長編になっていますが、李志清の三国志もこのペースを考えるとそのくらいになってしまいそうな気がします。劉備と曹操を中心に据えていて他の武将に関してはあまり深く触れられていないのが残念なところ。もっとも、細かく様々な将を登場させていたらいくら巻数があっても足りませんよね。
おおまかな筋は割と多くの人が知っているだけに、ストーリーだけではなかなか読めません。ですが、李志清の描く三国志の世界がすばらしいのと、要所要所のエピソードで登場人物たちがそれらしく活躍しているので満足です。台詞などもけっこう練っている感じがします。
今回、個人的に残念だったのが呉の「小覇王」孫策が病死してしまう事。これはもう史実だからどうしようもないのですが、10代で父・孫権の後を継いで人心を得、その武によって太史慈を従え、呉をうち立てるまでのエピソードがあまりに爽快だったため、がっくりきました。
三国志全般に言える事ですが、武力を誇った武将はたいてい戦場で散らず、だまし討ちや病死で消えていきます。この無情さが三国志の一つの魅力とも言えますね。
さて、ちょっと気になるのが、このコミックであまり伏線が張られていない事です。史実や三国志演義にはなくとも、後のストーリー上で重要となるような場面につなげるため、ちょっとした配慮が欲しいですね。後から言葉であっさりと説明されてしまう事が多いです。劉備とはぐれた関羽を張遼が説得する場面などでも、以前の巻で関羽と張遼の交友が描かれていればもう少し盛り上がる事は間違いありません。また「関羽雲長」とか「曹操孟徳」のように姓名と字を同時に表記しているのも気になりますね。
それでも、三国志のコミック作品として魅力は十分で、これは李志清による絵の力がかなり大きいでしょうか。せっかくですからメディアワークスも歴史シリーズとしていろいろ出して欲しいところです。
11月20日
書感です。
「Pの密室」
著者:島田荘司
出版:講談社ノベルズ
定価:800円
初版:2001年11月5日
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島田荘司の御手洗シリーズ、中編2編を収めたのがこの「Pの密室」です。探偵の若い時代を書いた小説は数多くあるかも知れませんが、特筆すべきは最初の「鈴蘭事件」では御手洗潔がなんと幼稚園児、「Pの密室」では小学生という低年齢時代を描いたものだという事でしょう。
さて、幼稚園児・御手洗潔はまさに天才児。大人を相手にもまったく物怖じしない態度と、あいかわらずの行動力、洞察力で事件を解決していきます。大人の御手洗潔と違い、ある程度の事は大人の助けを借りないとできないためか、辛抱強く相手を説得するだけの忍耐も持ち合わせています。逆を言えば、大人になってからの御手洗のわがままは性格と言うより自分に対する自身が大きいのでしょうね。
御手洗が外国へと去り、一人で暮らす石岡和己の唯一の心の支えは竜臥亭事件で知り合った犬坊里美。彼女が通うセリスト女子大の中で幼少時代の御手洗は育ったというのですから驚きです。これまで謎の多かった御手洗の生い立ちなどについてもしっかりと背景が書かれていますが、総合してしまうと「御手洗は天才だった」と言うしかありません。幼稚園児ですでに探偵としての資質は十分。さらには様々な才能を持ち合わせているわけですからね。そしてまた、その才能が彼自身に幸福をもたらしていない、ということも同じ。周囲の大人達の持つ様々な欲望が見えてしまう事に、御手洗自身はかなり打ちのめされていたようです。事件を解決する喜びより、それによって失ってしまうものの方が彼には大切だったのかも知れません。
例によって帰ってこない御手洗。そして里美に対して煮え切らない石岡君と、石岡君をどう思っているのかイマイチわからない里美、という構図はそのままですが、年月はしっかりと過ぎていてこのまま老境を迎えようとしている石岡君が読者としてはかなり心配です。
肝心の推理の方は当然のように傑作。さすがは島田荘司、というところで今回は2編入っているだけに得したような気分があります。
それでももう一度、石岡君と御手洗潔が組んで活躍する長編推理を読みたいものです。
11月21日
書感です。
「ビンゴ」
著者:西村健
出版:講談社ノベルズ
定価:960円
初版:1996年8月5日
新宿が舞台の小説として何より真っ先に思い浮かぶのはもちろん大沢在昌の「新宿鮫」
その圧倒的な存在感を知っていれば新宿を舞台にしたほとんどの称せ悦は色あせてしまうでしょう。
しかし、この「ビンゴ」も負けてはいません。これはハードボイルドではないので、もちろん土俵が違うのですが痛快なアクションの連続とコミカルながらもかっこいい登場人物達はばかばかしくも手に汗握るエンターテインメントを提供してくれます。
本名は小田健、あだ名はオダケン、店の名前もオダケンという主人公は新宿ゴールデン街の飲み屋の亭主。客から様々な以来を受けるなんでも屋を副業として暮らしている。持ち込まれた4つの依頼「猫を探して欲しい」「公園を作って欲しい」「マンションの入居者を調査して欲しい」「なくなるウィスキーの瓶の謎を解いて欲しい」が一つに結びつくとき、新宿を舞台にした恐るべき陰謀が明らかになる……!
怒りっぽくて腕っ節が強く、美人にめっぽう弱いという時代劇ヒーローさならがのオダケン。元警官という経歴と多くの人間に慕われる性格から出来た人脈を駆使し、様々な事件に首を突っ込みます。頭の回転は早いのに決して綿密に計画を立てたりはせず、行き当たりばったりで時には無茶をするというその性格はまさにアクション向き。
建設会社社長、新宿区長、暴力団組長という新宿の裏の支配者がたくらむ陰謀に巻き込まれたオダケンは狙われる美人新聞記者を守り、アボリジニと日本人ハーフの殺し屋を相手に獅子奮迅の活躍を見せてくれます。
コミカルな口調で、適度にリアリティを見せながらも崩れた世界観がエンターテインメントとしては程良く、400ページ以上の大作ながらあっという間に読み終わってしまいました。
アボリジニの血を引く殺し屋、在日朝鮮人の美人新聞記者に加え、オダケン自身もアイヌの血を引くという設定のこの小説では民族問題などもクローズアップして捉えていますが、自身のアイヌの血をごく自然に受け止めているオダケンにとっては民族問題なんて「細かい事」でしかないのです。誰もがそういう心の自由を身に付ければ様々な矛盾や闇を抱えた新宿という街も誰もが心地良く過ごせる土地になるのかも知れません。
自由闊達に生きるオダケンが心地よい爽快な一冊でした。
11月22日
日曜日18時30分からテレビ東京系で放映しているアニメ「サイボーグ009」を見ています。元から原作ファンである僕としては生半可な質のアニメにはして欲しくないという想いがあったのですが、レトロな雰囲気を漂わせたかつての石ノ森絵を保ちながらもしっかりと構成しなおされたハイレベルの作品として仕上がっており、毎週楽しみな番組となりました。
アニメ版は原作と微妙にキャラクターの設定などが異なっています。例えば原作では少々感傷的ながらも普通の青年だった009こと島村ジョーはアニメだと不言実行の寡黙なキャラクターに。陽気なイメージだったら002ことジェット・リンクは血の気の多い若者に。冷徹な戦士というイメージだった004ことアルベルト・ハインリヒは自分の中に残る人間的な感情にこだわる人物となっています。
また、原作の1巻で世界各地からメンバーが集められる場面で004は恋人と共に東ドイツから脱出しようとして失敗しており、それが彼のキャラクター形成に強い影響を残していたのですが、現代を舞台にしたアニメ版でもその設定は残り、代わりに001から004までは過去に集められながらも技術不足のために改造手術が完成せず、凍結されていたという設定のようです。003ことフランソワーズは今のアニメーキャラとしては少々古風ですがこれなら納得ですね。
お笑いキャラクターとしての役割が強かった006こと張々湖と007ことグレート・ブリテンですが、前者はどんなときでもマイペースで食事の世話を忘れない人物として、後者は元役者と言うだけあって妙に渋い声を持つ大人として描かれています。この2人、年齢設定が42際と45歳ということでちょっと驚きました。
001ことイワン・ウイスキーは生まれたばかりで父親に脳改造を受け、超能力を身に付けた代わりに永遠に赤ん坊となってしまったという設定。原作では00ナンバー最期の切り札としてピンチの時に目覚める事が多かったのですが、アニメの方では彼らの指導者的な役割であると同時に妙に悟ったような不思議な魅力を持っています。
物語進行は原作に沿っていますが、各話が掘り下げられておりいっそうの深みが出ています。あまりスポットの当たらない005ことジェロニモや008ことピュンマの活躍も見せて欲しいところです。テレビ東京のアニメにしては珍しく1年間続けると言うことで、原作で未完成に終わった後半の展開もきになります。まだ1年間近く楽しめるかと思うと嬉しいですね。
11月24日
教習所日記、第14回です。
本当なら前の土日あたりに来るはずだったのですが、教習の最後の2回を受けて次の週の平日に休みを取り、検定を受けるという計画が多忙のため無理そうだったので、先週17日の教習をキャンセルして23日に変更しました。
と、いうわけで今回は自主経路設定と卒検見きわめです。
いいかげん路上にも慣れて楽勝……と、言いたいところですが前回から2週間近く過ぎているため、なかなかすぐには感覚を取り戻せません。やはり見きわめの前に1時間あって良かったと自分の計画に少々満足。30分ほど路上を走った後、所内に戻って縦列駐車と方向転換をやりました。ところが、縦列駐車なんてすっかりやり方を忘れています。どこにどう目印を置くのかすっかり忘れてしまっていたので、後ろを見ながらだいたい見当をつけてやってみたら結果オーライ。しかし、次に出来るかどうか不安だったので先生に聞きました。帰ってきた答えは「勘でできるならそれが一番」との事でしたね。確かに、路上ではあらゆるシチュエーションがあるわけですからマニュアル式ではまずいでしょう。でも、卒検は卒検なのでやっぱりきちんと教えてもらいました。これでばっちりです。
方向転換の方は楽勝。ですが、左から入ったことがないので実際に運転すると少々困るかも知れません。
さて、そんな感じでウォーミングアップをし、次の時間に続けて卒検見きわめです。卒検と同じコースを走り、横では指導員が何も言わずに見ているわけですから緊張しますね。
左右確認とか歩行者保護とか、普段は何気なくやっている事でもついつい意識してしまいます。しかし、緊張すると自分の失敗ってよくわかるものですよね。普段は失敗そのものに気づいていない可能性が高いです。
それでも2時限連続だったために感覚がつかめていてなんとかクリア。縦列駐車と方向転換もうまくいく、見極めを通る事ができました。
次回はいよいよ卒検です、予約を見てみたらこの三連休はガラガラ。日曜日に検定を受けることにしました。
合格したら水曜日あたりに休みをとって免許センターへ行く予定です。11月中に免許を手にする事ができるでしょうか?
11月27日
書感です。
「夏の夜会」
著者:西澤保彦
出版:光文社
定価:800円
初版:2001年9月
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本格ミステリには、登場人物たちの記憶が完璧に正確であるという大前提があります。証言が正確でなければ、探偵の推理も成り立たない、というわけです。
この「夏の夜会」は人間の記憶の不確かさを認めたうえで、事件を構成しようという一つの挑戦です。
友人の結婚式で久々に小学校の同窓生と会った主人公。その場の会話の盛り上がりから、彼らの担任が殺されたという話題におよぶ。その話に疑問を覚えた主人公はだんだんと昔を想いだしていく……。
記憶が映像として思い出されるとき、それはその場の記録ではなく後から映像化した想像に過ぎない……と、物語中で主人公の友人は語ります。
自分を守るために一部の記憶を忘れ、それを補うために別な記憶を作り、それを人に話してしまう事で事実として認識させてしまうのです。
数人の人間で話して、お互いの記憶が共通している事を確かめたとしても、そもそもその記憶そのものが誰か一人の勘違いから始まったものからも知れません。
何もかも全く不確かな記憶の世界を舞台に、本当は何があったのかを追求するのがこの「夏の夜会」です。
ヒステリックだった女教師が夏休みに教室で殺された……というショッキングな事件は二転、三転して次々と新しい「事実」が明るみに出るのです。
普通のミステリではなかなか許されない「忘れていた」という現象をメインとして使うのはさすが西澤保彦。
登場人物たちの多様な人生の歩み方や、記憶をたどっているうちに訪れる主人公の人生の転機など、ただミステリとしてだけではない楽しみがあります。
出てくる人間の名字に変わったものが多くて、ちょっと読みにくいというのはありますが、そのあたりはマメ知識として吸収できるので良しとしましょう。
まどろっこしいミステリが嫌いでずばっと解決して欲しい人にはあまり面白くないかも知れませんが、僕は探偵ではない人間が一つ一つ手探りで進めていく推理もけっこう好きです。
西澤保彦は他にも記憶に関する作品を書いているという事で探しています。
11月28日
さて、今回は教習所日記の最終回です。
本当は25日に最終回となるはずだったのですが、実を言うと体調不良のまま受けたら見事に落ちました。が、そもそも体調の悪いときに車に乗ってはいけないので言い訳にはなりませんね。キャンセル料をケチって無理矢理受けた結果、卒検補修と再検定でかなり金銭的なダメージ。
交通違反で罰金などと比べれば大した事はありませんが、これでその怖さがちょっとだけ味分えたかも知れません。やはり様々な意味で交通規則の遵守と安全運転は大切ですね。
さて、検定は朝9時に集合し、説明を受けて9時半ごろから試験開始。検定は4人が1台の車を使用し、2人ずつ行います。
25日も28日も後半だったので待っている間は暇で、1時間ほど読書の時間となりました。
試験内容は検定員を勤める教官の言うとおりに1.5km走り、その後に自主経路が1kmです。もしかしたら逆かも知れませんがだいたいそのくらい。2人ずつ行うので途中で交代となります。終わったら教習所へ帰ってきて方向転換か縦列駐車のどちらか指定された方の試験となります。
25日の検定では4人のうち1人が欠席で、後半は僕だけ。条件を同じにするため、前半の人が一人後ろに乗っての検定となりました。普通に路上と思ってスタートして、具合が悪い割に楽に進んでいたのですが、途中にある右カーブで対向車線に駐車車両があり、その先が見えませんでした。確かめる事もできないのでそのままそろそろと前に出たのですが、そこで教官にブレーキを踏まれてストップ。こちらの見えない場所から対向車が一気に駐車車両を回避して出てきていました。ブレーキ踏まれなければ正面衝突ですね。直進の優先権は当然こちらにあるわけですが、ブレーキを踏まれたらとにかくそれで検定はアウトです。事故を起こさないのは当然として、事故を起こされないように走る……というのを再三言われていましたが、こういう場合はなかなか難しいですね。体調悪くなくてもこれで落ちていたかも知れません。
と、いうわけで本来なら免許センターへ行くためにとった休みを使って28日に再検定。
今度はちゃんと二人いて僕は後の方でした。僕の前にいた人はなかなか運転がうまく、慎重だったのですが、途中で教習車をタクシーと間違えて左折しようとするこちらに乗ろうと近づいて来るというアクシデントがあり、かなり動揺したようでした。これはけっこう珍事ですね。
僕の方は25日の事もあったのでとにかく慎重にいきました。
平日なので交通量も圧倒的に多いですしね。
地元の川口市は狭くて交通量の多い通りが多いため、かなり走りにくいです。途中も左右に駐車車両があって対向車と順番に通り抜けなければならないところや、駐車車両と停止線の間にどう見ても車一台分の幅がなく、信号の遙か手前で止まらなければならないところなどがありましたが、とにかくゆっくり進むことで無難にクリア。通常、検定員の教官は話さないものですが、どうもよく誉める先生でそういうところを通り抜けるたびに「いいね〜」と言ってくれるため、かなりリラックスしていけました。
教習所に帰ってきてからは縦列駐車。方向転換なら完璧と言えるのですが、縦列は敬遠したかったですね。しかし、何も問題はなく成功し、終了する事ができました。
一度、家に帰って12時半ごろ教習所に電話。思っていたとおり、合格でした。2時から卒業式に出て書類を受け取り、帰ってきました。後は鴻巣の免許センターへ行って学科試験を受けるだけです。遠いのでちゃんと勉強して一発合格しないと厳しいです。卒業式では一緒に教習者へ乗った人がいたものの、前半に受けた二人はいませんでした。検定員の教官、よく誉めるので甘いのかと思っていましたが、そうでもなかったようですね。僕は受験番号が20番でしたが卒業式では前には9人しかいませんでしたから、合格率は半分くらいという事でしょう。
以上のように、教習所は無事に卒業しました。
8月からでしたからけっこう長く通っていました。
教習所日記はこれで終了。
書いている間、すでに免許を取っている方からアドバイスをいただいたり、これから取るという方に質問をいただいたりとなかなか楽しかったです。
あとは安全運転で一生を終えたいものですね。
11月29日
書感です。
「ファウンデーションへの序曲 銀河帝国興亡史6 上」
著者:アイザック・アシモフ
訳者:岡部宏之
出版:ハヤカワ文庫
定価:680円
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千年という壮大な時を越えて続くストーリーを持つ『ファウンデーション』シリーズのこれは6作目。前に紹介したのは第1、2巻なので、途中をずいぶん飛ばしているようですが、タイトルに「序曲」とあるようにこれは最初の作品『ファウンデーション』よりも前の時代に当たるものとなっています。
全体としての人類の行く末を数学的に計算する「心理歴史学」をうち立て、人類に訪れる3万年の暗黒時代をたった千年にまで縮めようと画策した心理歴史学者ハリ・セルダンは物語中で神のような伝説の存在として語り継がれ、その人物はごくわずかにしか知られていません。
この『序曲』はそのハリ・セルダンを主人公として彼が歴史心理学を一つの学問としてうち立てるまでを描いた物語です。
銀河帝国の首都で行われた学会で人類の未来が数学的に予測可能であると発表した若き数学者ハリ・セルダンは、本人による実用性の否定にも関わらず、歴史心理学を利用しようとする帝国宰相や対抗勢力に追われる事になってしまう。
新聞記者、チュッター・ヒューミンの助けを借り、首都惑星トランターでの逃亡劇が始まる……。
若き日のハリ・セルダンは帝国首都トランターから遠く離れたごく田舎の惑星から出てきた一介の青年に過ぎず、心理歴史学が実用的なものだとすら思っていません。
そう、登場したばかりのハリ・セルダンにはほとんど魅力と言っていいような要素がないのです。
そんなハリ・セルダンに大きな影響を及ぼすのが新聞記者のチュッター・ヒューミン。彼は帝国の至る所で始まっている退廃の兆しを語ります。故障したものをなおすだけで改良しない、理論を発見するだけで実用化しない、こうして帝国は新しい試みを放棄していき、衰退する……と。
SF作家のアシモフはその作品や文体から察するに非常にユーモアに富み、好奇心が旺盛でエネルギーに溢れた人間なのでしょう。
読んでいるとどうしてもチュッター・ヒューミンこそアシモフ自身の分身ではないかと思えます。半信半疑ながらも自分の持つ可能性に火をつけられたセルダンは、数学だけではなく歴史を学び、一般法則を導くために銀河の縮図であるトランターを旅します。他のシリーズにはないスリルと冒険。繁栄していた帝国の内部を巡る旅にはどんな結末が待っているのでしょうか?
11月30日
書感です。
「ファウンデーションへの序曲 銀河帝国興亡史6 下」
著者:アイザック・アシモフ
訳者:岡部宏之
出版:ハヤカワ文庫
定価:680円
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昨日に引き続き『ファウンデーションへの序曲』です。
今度は下巻。
新聞記者チュッター・ヒューミンの助けを借りて宰相デマーゼルの手から逃亡するハリ・セルダン。彼はトランターの様々な土地で多くの体験をし、やがて歴史心理学を構築する重大な構想にたどり着く……。
ハリ・セルダンの行く先々の手を伸ばし、便宜を図るチュッター・ヒューミンの力は帝国宰相デマーゼルにさえ勝るとも劣りません。このチュッターがいったい何者なのかは誰もが気にするところです。そして、そのチュッターの命を受けてセルダンを護衛する歴史学者のドースもただ者ではありません。
これだけセルダンに影響を与えながらもその後の「ファウンデーション」シリーズではそういった協力者の存在にすら触れられていないのは、当然何かわけがあるのだろうかと思うでしょうね。
そしてアシモフはその期待を裏切りません。物語の最後に待っているのは驚愕の結末でした。しかし、これを100%楽しむには『鋼鉄都市』のシリーズを読んでいると良いかと思いますね。僕は最初の『鋼鉄都市』しか読んでいなかったので、今度それ以降の「はだかの太陽」なども探してみる予定です。
話がそれましたが、才能を持った数学者ではあるものの特に大志があったわけでもなく、性格的に魅力があるわけでもないセルダンが、人類史上初の歴史心理学者として成長し、偉大な足跡を残すきっかけとして十分な結末である事は間違いありません。
また、上巻ではイマイチ魅力に欠けると思われたセルダンですが、下巻では遭遇するあらゆる事件や社会から歴史心理学の糸口を見つけだそうと思考します。そう、彼は行動の人ではなく思考の人なんですね。その魅力は思考にこそあるわけです。
田舎の惑星でひっそりと数学をやっていた青年が、帝国の現状を目撃することによってその視点を遙かに広げていきます。
歴史心理学は未来を予測する万能の学問ではありません。
しかし、現状を把握し、未来の可能性を計算するに当たって人は極大の視野を持つことができます。セルダンはごく普通の青年でしたが、自らがうち立てた学問によって人類の未来を見る事ができました。その神のような視点がセルダンを神のような人物に押し上げたのでしょうね。
帝国が衰退していく過程でアシモフは、人類が問題を把握せず、無関心になっていく様子を描写しています。100年先、200年先を考えて生きていく事は難しいですが、実はその積み重ねが発展につながるのでしょうね。
これは現代にも通じる事です。
アシモフこそ歴史心理学者なのでは……と空想してみたくなるような作品でした。
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