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3月1

 書感です。

「20世紀少年 8巻」
 著者:浦沢直樹
 出版:小学館ビッグコミックス
 定価:505円
 初版:2002年4月1日
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 この単行本と同時に浦沢直樹の大作『MONSTER』も完結編が出ていますがそちらは後日。

 ついに明かされた「血の大みそか」の顛末。それを聞かされた2014年の女子高生、小泉響子は世間で知られている事実がまるで反対である事に驚愕する。オッチョとユキジを除いて死んだとされていたケンヂの仲間たちだが、小泉の前にヨシツネが現れる……。

 幼い頃のケンヂが考えた通り、巨大ロボットを操り細菌兵器を世界中にばらまいた「ともだち」
 かつて世界を救うことを夢見たケンヂたちが夢ではなく本当に「悪」に立ち向かう事になります。
「ともだち」の率いる友民党が政権を握った2014年は思想が統制された世界。いわゆる変わり者はどういう手段によってか洗脳されてしまいます。前の巻で「世界を救うような漫画が書きたい」といった漫画家たちや、ケンヂたち一派に興味を持った女子高生・小泉などはまさにその対象なのです。
 友民党のメンバーは誰もがにこにこしながら平和を訴えていますがその一方、ケンヂの姪カンナがアルバイトをしていた新宿界隈などではマフィアの抗争による銃撃戦が日常茶飯事となっています。
 世界を危機に陥れ、自作自演でそれを救って今度は日本をいいように操る「ともだち」と友民党の目的はまったく不明です。そして、ケンヂたちの友達の誰かと思われる「ともだち」の正体も謎のまま。「ともだち」はカンナの父親であるとも言われていますがどうなんでしょう。
 さて、今回登場した2014年のヨシツネはずいぶんと年をとって清掃員に身をやつしてはいますが、この登場はなかなか嬉しいものでした。かつてはメンバーの中でもかなり気弱な存在だったヨシツネですが、今では何か一皮剥けたような落ち着きを持って黙々と自分の信じる事をしているようです。
 死んだと思われたヨシツネが生きているからには、もしかするとケンヂも……と思わせます。
 1999年、世界が終わりに近づいても下手な歌をがなり続けたケンヂの勇姿が印象的です。きっと再び派手に登場してくれるでしょう。

3月2

 書感です。

「贅沢な恋愛」
 著者:林真理子・村上龍・北方謙三・山田詠美ほか
 出版:角川文庫
 定価:430円
 初版:平成4年10月10日

 この本は宝石を贈る、贈られるという事をテーマにした恋愛アンソロジーです。
 巻頭にはカラーで8つの宝石の写真があり、それぞれの短編の扉にも登場する宝石が載っています。わざわざこれを製作したのだというからタイトルのように贅沢ですね。何かの企画で書かれた本を文庫化したのだろうと思いますが、詳細は不明なのでちょっと残念。

 さて、収録作品はまず村上龍の「ムーン・リバー」からです。この人の小説らしいと言うか、現実なのか空想なのかわからない世界で展開していきます。僕自身としてはあんまり観念的に描かれる恋愛は好きじゃないですね。出てくるのはプラチナのイヤリングです。
 次は林真理子の「真珠の理由」
 タイトルの通り、真珠のカメオのブローチが登場。最後の「激しくない女なんかいない」というヒロインの言葉になかなか迫力があります。大人しく見えるほど、内に燃える炎は激しかったりするわけですね。
 そして北方謙三の「彼女の時」
 物にこだわる北方謙三らしく出てくるのはプラチナの時計。
 北方作品はかっこつけ過ぎという感もありますが、作者だけではなく登場人物達もまたそれをわかっているのが面白いです。男が格好つけてしまった以上、最後まで降りるわけにはいかないという馬鹿な意地が魅力。オチで男が感じる無念さは見事でした。
「空からの手紙」は藤堂志津子の短編。銀のブローチがキーとなっています。この本に収録された中では一番ほっとするいい話ですがただそれだけではなく、登場人物達がなかなか現実的な存在感を持っています。自分に取って何が大事なのかというのを見つめ直す話で、短編であるにも関わらず自然な流れでそれに気づいていくところに好感が持てます。
「スピカと月」は山川健一の長い長い恋愛の話。前半の様子を読んでいるとまるで初恋のように初々しいのですが、実は長年の積み重ねを経てたどり着いたところであるという事に驚かされます。
 ムーンライト・マイルというペンダントを贈る話なのですが、他と比べるとちょっと存在感が薄いです。しかし、短編としての面白さは十分。
 森瑶子の「扇のブローチ」はなかなか感動的な話ではありますが、こんないい関係はあり得ないだろうな、と感じさせる話。恋愛を通じて女同士の友情が成り立つというちょっと変わった物語です。タイトルの通り、出てくるのは扇の形をしたプラチナとダイヤのブローチ。香港を舞台にし、国際情勢もからめてボリュームのある短編に仕上がっています。
 村松友視の「夢のいろどり」はトパーズをからめた話で、これはかなり宝石との関わりが深いです。恋愛と言うよりはお互いに夢を追いかける男女の友情に近い話でしょうか。片方だけの成功によってそれは終わってしまうのか、それともお互いに高めあう関係に昇華できるのか……という話。清々しい作品でもあります。
 そして最後は山田詠美の書く「雨の化石」
 さすが恋愛小説で知られるだけに、雰囲気があり、登場人物もその内面描写も素敵です。具体的な情景描写などはほとんどないのですが、何故か少し古めかしいイメージです。セピア調という感じでしょうか。出てくるのはプラチナのアンクレット。きれいな恋愛だけど、どこか悲壮感がありました。

 八者八様の恋愛模様でなかなか贅沢な楽しみでした。
 どの物語が好きかというところに、読み手の恋愛観が出るかも知れません。

3月4

 書感です。

『MONSTER Chapter.18 -終わりの風景-』
 作者:浦沢直樹
 出版:小学館ビッグコミックス
 定価:552円
 初版:2002年4月1日
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 天才的な脳外科医、Dr.テンマが手術によって助けた双子の片割れは旧東ドイツの研究所で実験的に育てあげた悪魔のような子供だった。やがて青年となったその子はヨハンと名乗り、人々に囁き、争わせ、破滅を導く存在としてヨーロッパ各地で暗躍を始める。ヨハンによって殺人の濡れ衣を着せられたDr.テンマは彼を助けた責任を感じ、その行方を追い始める。
 ヨハンの双子の妹アンナ、テンマを追うドイツ連邦捜査局のルンゲ警部ほか様々な人間を巻きみ、ついにテンマはヨハンの元にたどりついた……。

 一つの村が殺戮によって全滅する。しかも、村人自身の手によって……。長かった物語の終末。ヨハンは自分の最後を飾るためにそんな舞台を用意します。特別な人々でも、特別な場所でもないのに、わずかな引き金を引くだけで人々は殺し合いを始めます。それがヨハンの持つ能力。
 誰よりも人の感情を理解し、人を幸せにする事のできるヨハンはまったく同じ理由で人をどん底まで叩き落とす事ができるのです。希望と絶望の両方を与えるからこそ、ヨハンは本当に「MONSTER」だと言えます。
 ドイツの片田舎の村でヨハンが見せた光景は、小規模で世界の終末をシミュレートしたものなのかも知れません。最後は人間同士が殺し合って誰もいなくなる。ヨハンはそれまで出会ってきた人々の中に、そんな風景を見たのではないでしょうか。
 幼いうちにその風景を知り、心に空虚なものを抱えて生きてきたヨハン。一度は失ったはずのその命をDr.テンマは蘇らせてしまいます。命の平等を信じて子供を助け、その子供が多くの人間が殺されていく元凶であると知ったテンマ。最初は肉体的にも精神的にもタフではなかった彼ですが、いつしかその風貌は迫力を帯び、ヨハンを殺してじために銃をとる事になるのです。医者として人を生かすはずの手が、一度助けた命を奪おうとしている。Dr.テンマに巡り会った人々はがむしゃらに命を助けようとするテンマと、ヨハンの命を奪おうとするテンマの矛盾を目にする事になります。
 だからこそ、それぞれがそれぞれのやり方でテンマを助けたり、ヨハンを追ったりするのです。
 そして、いつしか裏の主人公とも言える人間になっていたのがルンゲ警部。ヨハンをテンマの精神が作り出した架空の人物だと信じ、執拗にテンマを追いつめます。コンピューターのように正確な記憶力と論理的な思考を持ち、家庭も、最後は刑事としての地位さえも捨ててテンマとヨハンを追います。
 最後に彼らがたどりつく結末は、悲愴なものかも知れません。しかし、その場にいた人々には、人間が人間として生きていくために根本的に必要なのかを悟ったでしょう。
 何故、ヨハンはモンスターになってしまったのか。
 何故、アンナはモンスターにならなかったのか。
 そして、モンスターは何に破れたのか。
 人間のとって必要で、大切なもの。
 与えられなければならないもの。
 思い返してみれば、『MONSTER』は一貫して同じテーマで書かれてきたのだという事が理解できます。
 完結した今、一度最初から物語を読み直すつもりです。
 こういうとき、単行本を最初から持っていて良かったと思わせる作品でした。

3月5

 書感です。

『網走発遙かなり』
 著者:島田荘司
 出版:講談社文庫
 定価:500円
 初版:1990年7月15日
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 探偵・御手洗潔が活躍するシリーズものなどでも、御手洗が都市について語ったりする場面が数多く見られます。この『網走発遙かなり』は東京を舞台に起きた不思議な出来事を描いた短編集ですが、最後にはそれらの事件が北海道の網走へ終結していきます。

 第一章「岡の上」は高級住宅地と下町の両方の顔を持った成城を舞台にした話。下町に住む人々が何かと岡の上にある高級住宅地を見上げては貧富の差を実感する中、羨望とはまた別のまなざしで住宅地を見上げる老人。老人の明らかに普通ではない行動に、隣家の主婦は様々な想像を巡らせるが……。
 ちょっと江戸川乱歩の怪奇じみた話を連想させる短編ですが、その裏には思わぬ理由が存在するものです。それとはまた別に、家庭の事情などから発想がどんどんおかしくなっていく主人公の主婦がなかなか怖い。正常な人間も、わずかに歯車が食い違っただけで狂気の世界へと足を踏み入れてしまうものなのでしょうか。
「化石の街」は新宿で踊るピエロの行動に興味を持って追いかけていた男が今度はピエロに追われるという短編。新宿の街で踊るピエロというだけで十分に異常ですが、そのピエロの行動の裏にもまた、現実的な理由が隠されています。ピエロという仮面の下に隠された素顔は、その奇妙な言動に気を取られてしまうと伺い知る事はできません。ピエロに振り回されてしまう主人公が少々哀れではありますが、最後はほっとする結末。そして、実は第一章と話が繋がっているという事がわかります。
 第三章「乱歩の幻影」は乱歩マニアの主婦が乱歩の友人について書かれた同人誌を読むうち、乱歩が親しくしていた女性と自分の間につながりがあるという事に気づくという話。
 第一章で乱歩を連想しましたが、こちらは本当に乱歩をテーマにした話。短編集そのものが、江戸川乱歩の小説が持つ異常性を意識して書かれたものかも知れません。
 主人公は様々な事を調べていくうちに「乱歩が人を殺したのではないか?」という疑念に取り憑かれてしまうのですが、乱歩ならあるいは……と読者でも考えてしまうくらい乱歩の作品には迫力がありますね。そしてこの話も、第一章とつながりがあります。
 最終章は表題作「網走発遙かなり」です。
 自分が生まれる前に殺された父の足跡を追って北海道を訪れた主人公が、殺される父の記憶を体験してしまうという話でこれは御手洗などでもお馴染みの島田荘司調作品だと思いました。そして、ここで語られる過去こそすべての発端でもあり、これまで語られてきた事件の終末でもあります。

 小説内ではすべて異常な事件と結末で語られるこれらの物語ですが、そういうものでなくとも都市という社会の中では様座中人間模様が複雑にからみあってそれぞれの物語の発端となり、結末となるのでしょうね。

3月6

 書感です。

「ヒカルの碁 16巻」
 原作:ほったゆみ
 作画:小畑健
 出版:集英社ジャンプコミックス
 定価:410円
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 ヒカルの碁は前の巻から大きく展開が代わりました。
 さて、この巻は番外編と言ってもいい内容です。

 ヒカルや和谷とプロ試験を戦った伊角は親善試合のため、中国棋院へ赴く。中国全土から選ばれたごく一部のエリ−トが集う棋院のレベルの高さ、特に幼い子供が大人顔負けの碁を打つことに伊角は驚愕する。親善試合が終わっても、中国に残り、勉強を続けた伊角はそこで精神的な弱さを克服していく……。

 ヒカルたちの良き先輩であった伊角はプロ試験で意外なメンタルな弱さを見せ、破れていきます。そこからは段々、苦悩するキャラという印象が強くなっています。仲間でありながら勝者と敗者ではっきりと世界が別れてしまう。そんな碁の世界の厳しさを教えてくれた人物でもあります。
 人気投票でも伊角はかなり順位が高いのですが、今回の話でますます人気が上がりそうな気がします。
 センスもあり、先を読む目も持っている伊角は決してヒカルや和谷に遅れを取る棋士ではありません。しかし、自分が先輩格であるという事が逆にプレッシャ−となったり、一つの対局をいつまでも引きずったりと勝負師としては未熟なところがあります。ヒカルはどんな相手でもどんな局面でも正面の碁にだけ集中する能力がありますし、和谷は細かい事を気にせず正面から向かっていく性格です。
 碁の力を持っていてもそれを対局で引き出せなければなんの意味もありません。性格の問題として片づけられるものではなく、総合力として劣っているという事になります。しかし、そんな伊角の中には中国棋院で様々な棋士を相手に対局を続けるうちに、何がなんでも強くなろうという力が育っていきます。
 本来持っている真面目な性格が、真っ直ぐ碁に向かえばそれは大きなプラスになります。
 さて、帰国した伊角はヒカルを訪ねるのですが、当の本人は碁の世界を去ろうと決心しています。そんなヒカルを伊角の碁は止める事ができるのか?
 一度は舞台を去ったかに見えた伊角の活躍が何よりも頼もしい今回でした。

3月7

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『あなたのココロはダイジョ−ブ!!』
 著者:香山リカ
 出版:ハヤカワ文庫NF
 定価:680円
 初版:1997年4月30日
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 精神科医でありテレビなどで活躍するコメンテイタ−でもある著者が1995年から1996年にかけてあちこちの雑誌で連載したコラムなどを集めたのがこの『あなたのココロはダイジョ−ブ!!』です、実は読む直前まで「ダイジョ−ブ!!」ではなく「ダイジョ−ブ!?」というタイトルだと思っていました。
 そっちの方がよくありそうな気がしますが、「!!」となっている理由は読んでみればよくわかります。オウム騒動や経済的な落ち込みなどで世間が騒がしくなったこの時期、誰もが様々な事を疑うようになっているのです。「ダイジョ−ブ!?」と疑うのはむしろ読者。これは警鐘を鳴らす本ではなく、どちらかと言えば癒しであるとも言えます。医者である香山リカらしいアプロ−チかも知れません。
 とは言っても長さもテ−マもまちまちのコラムなのでそう一貫性があるわけではないですけどね。しかし、香山リカという人は根本的に癒し的な体質を持っているような気がします。
 プロレスとコンビニが好きでアニメやゲ−ムなどを楽しみ、そういった若者的な立場から社会を見つめるというスタイルからは世の中を斜めに見ているような先入観を受けますが、思いの外その視点は真っ直ぐで、読んでいて当たり前だと思っていた事のおかしさに「あれ?」と思ったりもします。
 香山リカはさまざまな社会現象、現代人の心理的特徴に対して断言はしません。「こんなことでいいんでしょうか? いいのかもしれない、でもどうだろう?」という感じです。
 本人はテレビのコメンテイタ−としてそんな白黒つけられない立場でいいのかどうか、という様な事をよく書いていますが確かにいろいろ考え込んでしまう香山リカはコメンテイタ−には向かないかも知れません。「ダイジョ−ブ!!」というのもなんだか弱々しくもあります。
 しかし、断言されてしまうと疑ってしまうのが現代人。香山リカは「一緒に悩んでいる仲間」みたいな感覚があります。
 しかし、冷静で分析的な視点は一般人とは違いますね。やはり職業的に多角的な見方が出来るよう訓練されているのかも知れません。もしかしたら、香山リカのような人にとっては日常で出会うものすべて、自分さえも分析の対象になってしまうのでしょうか?
 そういったところから生じるストレスを発散するために文章を書いていたり……などとつい深読みしてしまいます。
 心は内面にあるだけに、つい考え込んで自分の中だけで完結してしまいがち。しかし、話してみると誰もが同じような感覚を持っていたりもします。
 みんなの声を聞いてみればあなたのココロもダイジョ−ブ!!

3月8

 書感です。

『河童のタクアンかじり歩き』
著者:妹尾河童
出版:朝日文庫
定価:540円
初版:昭和61年8月20日
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 これまで『河童の覗いたヨーロッパ』『河童の語る舞台うらおもて』など妹尾河童の本を紹介しましたが、今度はタクアンがテーマ。おなじみの絵図をつけて日本全国のみならず、海外で売っているタクアンまで取り上げて紹介してくれます。
 この企画はそもそも、妹尾河童が週刊朝日から連載を頼まれた事に始まります。最初は日本の紀行文を、という事だったようですが本職の舞台美術もあるし、そもそも文章を書くプロではないという事で日本のどこにでもあり気軽に書けそうなタクアンというテーマになったようです。
 タクアンってなかなか微妙な位置の食べ物ですよね。中には大好物という人もいるでしょうが、弁当などに入ってくる黄色いタクアンが嫌いだった人もけっこういると思います。
 しかし、海外へ出た日本人は特に好物ではなくともみそ汁と並んでタクアンがなつかしくなるとか。そういう意味で、純日本的な食べ物と言えます。 僕自身、特にタクアンが好きというわけではありませんが、この本を読んでいるとどうも食べたくなってくるから実に不思議。著者自身も特にタクアンが好きで探し回っているわけではないので、特においしそうに書いているわけではありません。
 タクアンは元々、冬を越すために大根を塩と糠で漬けて保存を良くしたもの。つまりは保存食です。だから、どこの土地でも大根さえ栽培していればその風土にあった漬け方があり、地元との結びつきは強くなっています。あちこちでタクアンを取材するというテーマの連載がやがて、何にでも興味を持ってしまう著者によって地方論、日本人論のようなものへ発展していくのが面白いです。
 過疎の村として新聞に紹介されながらも元気にタクアンを作っている村があったり、プロダクションの社長がタクアンマニアだったり、網走刑務所の食生活の中のタクアンを取材したりとその対象も本当に様々。
 舞台美術家として舞台の上のあらゆる事を考える著者らしく、ただ食物としてのタクアンではなく、歴史や土地などによって生み出される文化としてのタクアンを追求します。
 各ルポに加えられている絵図もすばらしく、絵画と図面の中間のようだと解説の井上ひさしに絶賛されています。わかりやすく味のあるそれはまさに職人の技です。
 タクアンはあくまでおかずであり、食卓のメインにはなりません。しかし、そのタクアンを添えたからこそ、妹尾河童の書く日本論もおいしく読めるというものです。

3月10

 書感です。

「長く素晴らしく憂鬱な日々」
 著者:椎名誠
 出版:角川文庫
 定価:340円
 初版:平成2年5月25日
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 椎名誠と言えばエッセイストというイメージが強いですが、この本は珍しく小説です。これまで読んだ椎名誠の小説と言えば「新宿駅烏森口商店街」のような青春自伝や「アド・バード」のようなSF。しかし、これはそのどちらとも違い、私小説のようなそうでないような、現実のような空想のようなとにかく分類が難しい作品となっています。
 いちばんの特徴と言えば、この小説が全編に渡って主人公である「おれもしくはわたくしあるいはぼく」の主観によって書かれているという事です。これは、単に一人称であるという事ではありません。たいていの一人称小説はどんなに主人公の視点になろうとも、読者に対して周囲を丁寧に解説しているものですが、これは客観的な要素がまるでなし。すべて、主人公が見た歪んだ世界になっています。
 主人公の「おれもしくは〜」は劇中で「シーナさん」と呼ばれるまさに著者の分身なのですが、とにかく疲れた雰囲気を醸しだし、頭の中は常に妄想でいっぱいという感じです。
 出てくる人間すべてを心の中でばかにしているし、道ゆく人々の日常を勝手に考えて毒づいたりします。
 まったく何が目的で書かれたものなのか、何を言いたいのかわかりません。しかし、そんなわけのわからない世界に翻弄されてしまうのが楽しいのです。
 小説の中ではつまらない事に偏執的なこだわりを見せる主人公ですが、こういう小説は逆に変な事にこだわらないからこそ書けるような気がします。かっこつけているようでかっこつけていない……というスタンスはハードボイルド的と言えない事もないですがやはり何か違う。まさしく分類不能のこの小説はカバー折り返しで「椎名文学」と書かれていますが、それ以外に書きようがなかったのかも知れません。
 読んでみて何か得るものがあるか……といわれると首を横に振らざるを得ないこの作品。しかし、その何もなさを味わう事が贅沢なのでしょう。ひたすら変な小説です。
 しかし、そこに妙な吸引力があることもまた確かです。

3月11

 アニメの感想です。

『人造人間キカイダー THE ANIMATION』
 原作:石ノ森正太郎
 製作:SMEビジュアルワークス
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 機械と人間との狭間で揺れ動く人造人間ジローの葛藤を描いた石ノ森正太郎のコミック『人造人間キカイダー』をアニメ化したのがこの「THE ANIMATION」です。
 現在テレビシリーズで放映されている『サイボーグ009』などもそうですが、昔の漫画作品をアニメ化するという試みが最近多いですね。技術の向上によって高い品質の作品を見られるというのもありますが、この『人造人間キカイダー』は精神的な葛藤に重点を置いた原作を尊重したうえで、さらに練り混まれたシナリオとして完成されておりかなり満足度は高いです。
 とりわけ、ジローからキカイダーへと変わっていく場面の映像は素晴らしく何度見ても飽きません。

 ロボット工学の権威、光明寺博士によって生み出された人造人間ジローことキカイダーは良心回路を搭載し、自ら善悪を判断して盲目的に人間の命令には従わない。プロフェッサーギルは光明寺博士を騙し、その研究を悪用してロボットによる世界制覇を目論むが、キカイダーこそがその野望に歯止めをかけるため作られた存在だったのだ。心を持ち、人と同じように悩み、優しさと安らぎを求めるジローだが人間には受け入れられない。

 一方では、人間の命令に従うというロボットの存在意義に反するとされ、ロボットたちからは命を狙われる事になる……。
 悲しげな音楽と共に、石ノ森のタッチを忠実に再現したラフスケッチが流れるオープニングはかなり異色の雰囲気。けっこう昔の漫画ですからキャラクターや敵ロボットのデザインはかなり古めかしいのですが、それが逆に作られた存在であるロボットの宿命を映しているようです。赤いシャツに青いジャケット、額にはサングラス、背中にはギターというジローの出で立ちはダサいとすら言えますが、現代でありながらもどこかレトロな物語の舞台にはマッチしています。
 原作とのいちばんの違いは光明寺博士の娘であるミツ子との関係です。父親がロボット工学に狂っているため、親からの愛情を注がれる事なく育ってミツ子にとってはロボットという存在そのものが嫌悪の対象。そう思いつつも自らロボット工学を勉強していたりという面もあります。ジローはただの機械だと自分に言い聞かせつつもその内面ある「人間性」に惹かれていくミツ子はやがてジローの一番の理解者になっていきます。
 物語の半分はこのミツ子の葛藤に占められており、もう一人の主人公と言えるでしょう。
 自分の存在意義を求めて街を放浪するジローを心配するミツ子もまた、自分自身の出生の謎について悩み、その経験はジローに対するより深い理解へと変わっていきます。
 人間と機械という壁を越えた愛情は、原作にない幸福をジローにもたらすのです。
 そういったメンタルな面だけでなく、ライバルであるサブローことハカイダーとの対決などアクション要素に関しても完成度は高いです。特に二人の一騎打ちなどはアニメーションとは思えないほど地に足のついた迫力を見せてくれました。
 原作では最後、一人で放浪を続ける事になったジローですが、「THE ANIMATION」ではミツ子の愛を得たため、ジローにはやがて帰るべき場所があります。
 制作者の原作に対する深い理解と思い入れを感じる作品でした。満足です。

3月13

 自動車日記、第8回です。
 日曜日は両親が留守で車が空いていたため、一人であちこち乗り回してきました。と、言っても普段行くところは限られているので自転車の代わりに車で行くという程度です。
 まずは北区赤羽図書館。交通量が多いと心配はされますが、道は広いし日曜の午前中ならそう混雑もしないので楽なものですし、新荒川大橋を渡って東京に入るあたりはなかなかドライブのしがいもあります。
 ちなみに家から図書館までは車で約15分です。
 カーナビで目的地を設定し、南へ向かいます。ナビが交通情報に対応しているので、交通量なども事前にチェックできるのが便利。家を出て2kmほど直進するのですが、車が少ないので快適でした。途中、国道122号に入ると一気に流れが速くなるのでアクセルも踏めます。と、言ってもそんなに踏まないんですけどね。一気にエンジンの回転を上げるのは好きじゃないので、じわじわと踏んで回転が上がっていくのを楽しみます。
 新荒川大橋の長い直線では残念ながらちょっと車が詰まって渋滞気味でした。かなり晴れていると橋の上から富士山が見える事もあるのですが、今回は見えず。
 橋を渡って北区に入る国道122号が何故か右左折を繰り返しますが、優先道路だからか普通の交差点ではなく、センターラインがそのままカーブを描いて書かれています。赤羽駅を過ぎるとすぐに図書館。傾斜のきつい地下駐車場への入り口を降り、駐車場に入ります。あまり混んでないので入れるのは楽ですし、だいぶ駐車にも慣れました。
 図書館での用事を済ませて帰ろうと思ったのですが、ついでに西川口のTSUTAYAへ寄っていく事に。ナビで検索してみたらルートが思っていたのと違います。特に遠回りのルートを考えていたわけではありませんが、地図で見てみると道路って意外とまっすぐ走ってはいないので違うんですね。
 帰りは122号ではなく、川口駅前から産業道路を北上しました。しかし、TSUTAYA西川口店の近くではナビの設定したルートがかなり遠回り。どうも信号のある交差点を優先していたようです。良く知っているところなら必ずしもナビに従う事はないですね。
 TSUTAYAでは特に借りるものがなかったため、そのまま帰宅しました。ちなみに運転中、走行距離が500kmを突破しました。もう一月以上は経っているのであんまり乗っていないという事ですね。
 そのうちもっと遠出してみたいと思います。

3月14

 書感です。

『ホワイトアウト』
 著者:真保裕一
 出版:新潮文庫
 定価:781円
 初版:平成10年9月1日

 織田裕二主演で映画化もされたこの『ホワイトアウト』は出た当時からなかなか評判でした。日本の作品で本格的な冒険小説というのは珍しいです。やはり狭い日本そのものが「冒険」という言葉に似合わないからでしょうか。しかし、この作品を読むと、要は舞台の設定と作品の持つ説得力だという事がよくわかります。

 日本最大の貯水量を誇る奥遠和のダムが武装集団に占領された。彼らの要求は現金50億円。豪雪、そして荒れ狂う天候の中、ダムの運転員である富樫は武装集団に立ち向かう……。

 たった一人でテロリストたちと戦う……という設定は第・ハードを彷彿とさせます。しかし主人公はあくまでダムの職員。銃を撃つことさえできません。
 しかし、かつて遭難者を助けるために親友と共に吹雪の中へ出ていき、その親友を亡くした富樫はその無念さを乗り越えるかのように鋼鉄のような意志を発揮します。テロリストの人質となったのは10人の同僚となくした親友の婚約者、千晶。
 作品のヒロインとなる千晶を助ける事で、親友への供養とするため富樫は戦います。しかし、戦いのメインはテロリストとの戦闘ではないのです。富樫の前に立ちふさがるのは奥遠和の豪雪と寒さ。まさに自分との戦いです。
 もしダムから無制限の放水を始めれば下流のダムも決壊し、流域一帯は壊滅します。そういった重要な施設であるにも関わらず、日本では武器を持ち込ませないという原則の元に厳しい警戒は行われません。もしそれが崩されれば……というのがこの作品の発端になります。加えてテロリストたちは警察や自衛隊も手が出せない雪に閉ざされたダムを選び、万全の準備の元に計画を進めるのです。
 ですが、富樫は富樫で日頃からその奥遠和で過ごし、山に慣れ親しんだ人物。もちろん、雪の中で超人的な能力を発揮できるわけではありませんが、過酷な環境にひたすら耐える辛抱強さと知り尽くしたダムという環境を利用し、テロリストたちの裏をかいていきます。
 一方、テロリストたちに囚われた千晶は亡くなった婚約者の職場を見ておきたいと訪ねた先で事件に巻き込まれます。テロリストに囲まれて過ごすうちに、ただ一人抵抗を続ける人物こそ亡くなった婚約者の親友ではないかと思い始め、富樫の執念深い抵抗を耳に、命がけで自分なりの抵抗を試みるのです。
 冒険小説がアクション映画と違うのは、平凡ではないが超人的な肉体や精神を持っているわけでもない人間が自分の能力を最大限に発揮し、時には限界を超える事で活躍するという事。
『ホワイトアウト』は舞台設定に登場人物たちの心理、話運びの面白さと傑作の要素を備えた作品になっています。
 630ページの大作ですが、2日で一気に読み終えました。
 機会があったら映画も見てみます。

3月15

 書感です。

『そんなつもりじゃなかったんです -THEY THEIR THEM-』
 著者:鷺沢萠
 出版:角川文庫
 定価:430円
 初版:平成7年9月25日

 先日紹介した『贅沢な恋愛』で解説を担当していたのがこの鷺沢萠です。なかなか印象的だったので興味を持って図書館で探してみたらこのエッセイが見つかりました。
 興味を持ったならまず小説作品を読んでみればいいのですが、解説の口調からはなんとなくエッセイが面白そうだったのでついこちらに手が伸びました。そして大当たり。
 先日紹介した鷺沢萠は先日読んだ阿川佐知子などと同じく、周囲の人が面白いというパターンなのですがこれがちょっと半端ではありません。エッセイで取り上げられている本人にしてみれば真剣に悲劇なのかも知れませんが、あまりに哀れで逆に笑えてしまうというものから、ほんとにくだらないちょっとしたおかしな話まで様々です。同じ人が何度も取り上げられたりするので、その場の失敗というより人間そのもののおかしさがにじみ出たりしています。
 そんな人ばかりを友達に持った鷺沢萠という人自身もかなりの人物には違いないですけどね。
 学生時代には友人と面白おかしく日々を過ごしていたとしても普通はだんだんと落ち着いてきて、大笑いできるような失敗もなくなるものですが、エッセイに出てくるような鷺沢萠の友人達は社会に出てからも勢いを失わないため、失敗するときは大失敗という印象。これはある意味、うらやましくもあります。中でも笑えたのが「今日はカツヤくんの話」とエッセイを書き始めてから本人に電話をして新しいエピソードを話してもらった、というあとがきの文章。世の中、そういう特異点のような人がいるものです。
 もちろん、そういったエピソードが転がっていても、それをきっちり読者に伝えて見せるのは作家の腕前。鷺沢萠は文章でバカっぽい雰囲気を再現するのはかなりうまいかも知れません。この人は主に恋愛小説を書いているようですが、こういった才能が繊細に発揮されるとどうなるのか興味あります。


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