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3月16

 書感です。

『「地獄の黙示録」撮影全記録』
 著者:エレノア・コッポラ
 訳者:岡山徹
 出版:小学館文庫
 定価:657円
 初版:2002年1月1日

『地獄の黙示録』と言えばご存じ、フランシスコ・フォード・コッポラ監督の超大作戦争映画です。名前だけは有名なのに、この映画をきちんと見た人ってあまりいませんよね。実を言うと僕も見たことはありません。
 見た人の評価は本当にまちまちです。壮大な駄作という人もいれば、真の戦争を描いた映画たという人もいます。多くの人はこの作品が未完だと言うし、難解だと言いますね。
 この『「地獄の黙示録」撮影全記録』はコッポラ監督夫人であるエレノア・コッポラがフィリピンでのロケに同行し、フォキュメンタリーとして自ら撮影した映像と共に書き下ろした撮影の記録です。
『ゴッドファーザー』やそのPart2の高評価にも関わらず、コッポラの壮大な戦争映画構想に対して出資する人間はなく、役者も十数ヶ月におよぶロケ計画への参加を渋ります。記録は撮影開始前の難航する交渉から始まるのですが、この時点ですでにエレノアは『地獄の黙示録』に不安を見せています。
 そして始まった撮影の日々はそれこそ「地獄」の連続。
 フィリピンの森林地帯に済み、大がかりなセットを組み上げ、連日のように火薬や発煙筒を消費し、大勢のエキストラを動員して撮影は進みます。その費用は一日に数万ドル。撮影スタッフも役者も疲労していきますが、コッポラの構想はまとまりません。コッポラの中で『地獄の黙示録』は戦争アクション映画であると同時に、一人の人間の内面を追う旅でもあり、それを通して人間の内面を問いつめる映画となっているのです。
 しかし、自らが様々な事に悩む人間であるコッポラには、映画にはっきりとした結末をつける事ができません。コッポラ本人もまた、社交的で活動的な人間からだんだんと破滅的な性格へ変わっていきます。
 そしてエレノアはそのフランシスの内面を理解しながら、子供や自分たちの生活について不満を持ち、板挟みになって悩むのです。映画が失敗して借金を抱えても静かな生活の方がいい……という思いはやがてフランシスとの対立を生む事になるのです。
 コッポラ監督が人間として悩み、内面を切り開いていく過程で同時に映画も完成へと向かっていくというそれ事態が一本の映画のようです。
 エレノアの取ったドキュメンタリーは長い間公開されずにきましたが『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示』として公開もされています。
 この撮影記録を読み、ネットで映画の評なども読んでみましたが、やはり映画を見てみなければ始まりませんね。
 本当に『地獄の黙示録』はコッポラの地獄を描いたものなのか、興味はあります。評価は様々ですが、やはり普通の作品ではなさそうです。

3月17

 16日土曜日は森博嗣ファンクラブ会員限定のネタバレ講演会があり、行ってきました。一昨年の9月にも千葉の成東で開かれた講演会(こちらは一般の方も入場可)に行っているので今回は2回目です。
 会員限定でしかも抽選だったので当たったのはなかなかラッキーでした。ファンが集まるのを警戒してか時間や場所などは秘密となっています。
 また、ネタバレという事で、内容に関してはお伝えできないのが残念です。
 講演会の前にはファンクラブの会員の方と集まってお茶会などやっていました。普段、あまり交流はないのですが集まるとなかなか盛り上がれます。
 会場へ行って受付を済ませ、しばらくぶらぶらをしていたのですが開場が近くなったので上へ行ったらエレベーターが着いた先に森先生がいらっしゃいました。全開の講演会でも少し話をさせてもらったのですが、やはり緊張して会釈だけになってしまいました。
 日頃、あくまで作品であって作家そのもののファンではないと主張しているのですが、実際に目の当たりにすると弱いようです。森作品の登場人物のようにはクールになりきれません。
 講演会前は会場で周囲の初対面の会員と盛り上がっていましたが、時間が近づくにつれてだんだんと静かに。
 そして森先生の登場となりました。
 普段、大学で講義をしているだけあって、冗談を交えながら淡々と話を進めていきます。
 ネタバレというのはつまり、これまでの作品の中から様々な伏線や記述のテクニックを解説してくれるというもの。これまで森作品は残さず読んでいますが、作者が意図したほどしっかり読み込んでいないなと反省しました。これまで疑問に思っていた事なども、きっちり本文中に書いてあったようです。
 要は解釈しだいという事ですね。
 また、森作品は一冊ごとのトリックなどだけではなく、巻を越えて伏線が張ってあったりするので要注意ですね。
 淡々と解説をしてくださったので起承転結の盛り上がりはなかったのですが、一瞬も聞き逃せない緊張感がありました。
 講演会後は森先生と名詞を交換して解散。
 しかし、森先生はなかなかファンサービスが充実しています。ごく近い距離から本人に作品の事を語ってもらえる機会なんて普通はありませんよね。
 と、いうわけで楽しい一日でした。

3月19

 書感です。
 
「水域」
 著者:椎名誠
 出版:講談社文庫
 定価:480円
 初版:1994年3月15日
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『アド・バード』に続く椎名誠のSF長編小説第二弾です。
 椎名誠作品の一番の特徴は何よりもその世界観。『長く素晴らしく憂鬱な日々』のような完全主観の現代日常小説でさえも何か異次元的なものを感じますが、SFとなればなおさら。しかし、科学的な説得や論理的な世界設定などを越えた生々しさがそこにあります。

 世界のほとんどが水没した近未来の地球。
 青年、ハルは何を目指すともなく、小さな船で旅を続ける。
 孤独の旅の中での様々な出会い。幾多の苦難を乗り越え、たどり着いた先は……?

『アド・バード』でも気味の悪い砂漠の世界で生きていく兄弟を描いた椎名誠ですが、今度は水没世界、人間に害をなす多くの虫や植物に加え、わずかに生き残っただけと思われる人間同士でもお互いを信用せずに生きています。主人公のハルもまた、どこを目的とするでもなく旅を続ける人間の一人です。
 常に湿っていて安全とも言えない土地を拒み、どこかにある陸地を探しているのか。それとも、お互いを信頼し一緒に生きていける人間を求めているのか。ハルの目的はわかりません。
 ただ、あてもなくさまよってその日を生きているようにも見えます。
 この物語には明確な起承転結がありません。孤独で漂っていたハルが誰かと出会い、別れ、そしてまた出会い、騙され、漂流して愛する女性を得て失い、そしてまた別の土地に流れ着く……という事の繰り返しです。
 しかし、人間の生き方というのはそういうものかも知れませんね。
 日々がサバイバルとなっているハルは絶えず様々な生物に脅かされます。サキヌマドクタラシ、ヒラヌルなどというまったく聞いたこともないような名前の動植物が当たり前のように登場し、比喩などにも使われているのです。ハルにとって日常でありながら、決して慣れてしまう事のない世界が舞台です。
 椎名作品でSFというのは、『アド・バード』以前には意外に感じたものですが、『長く素晴らしく憂鬱な日々』のように、日常を緊張感のあるワンダーランドに変えてしまう椎名誠の力を見ていると、独自のSF世界を作り上げるのはむしろ当たり前のような気がしてきます。
 言ってしまえば異世界の日常の描写に過ぎないこの一編。
 しかし、人生が日常の連続である事を考えれば、過酷な状況を生きる人間からは強く感じるものがあるかも知れません。

3月20

 書感です。

『ARMS 21巻』
 作者:皆川亮二
 出版:小学館少年サンデーコミックス
 定価:486円
 初版:2002年4月15日
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 カツミの中に眠っていたアリスの憎悪の心は究極のARMS「番ダースナッチ」として覚醒した。あらゆるものを凍りつかせ、周囲を極寒の地に変えてしまうその力に勝ち目を見出せないまま、能力を失った高槻涼たちオリジナルARMSは挑む。彼らの前に立ちふさがるキース・ホワイトにホワン、モデュレイテッドアームズたち。絶体絶命のピンチに、奇跡は起きるのか?

 ARMSの連載開始当初、高槻涼たちARMSの能力はごく限られており、ちょっとした再生能力と右腕や両足などARMSが埋め込まれた部分だけの怪力、硬化能力などのみでした。当然、戦闘用に作られたサイボーグやロボットなどには力で劣り、彼らは作戦とチームワークのみでそれらと渡り合っており、それがこの漫画の魅力であったと言えます。中盤からはARMSが覚醒して自らの力の制御というのが物語の主となり、純粋に戦いの面白さは失われてしまったとがっかりしていたのですが、ここ2巻ほどはARMSとしての力を失い、一般人と変わらなくなった彼らが逆にARMSの力を持った軍隊と戦うという内容。
 あるときは奇襲で、あるときは相手の力を利用し、敵の力を発揮させずに勝つという戦いぶりはもうかつての悩める少年たちではありません。新シリーズが始まった時には、蛇足だと思ったものですが、ニューヨーク編の最後は無難と言えば無難な終わり方。誰もが納得するような最後ではなかったようにも思えます。これ以上だらだら続けて作品の価値を下げないで欲しいと思ったものですが、今はこの先の展開に期待が持てるようになりました。
 そもそも高槻涼の父親である巌は素手でサイボーグ達を倒してしまうとんでもない実力の持ち主。この巻でもかつて涼たちを散々に苦しめた超人コウ・カルナギやサイボーグ部隊のスティンガーなどを相手にやってくれます。
 また、かつて名うての傭兵だった涼の母親・の活躍も見られ、総力戦と言った感じですがこれからどうなるのでしょう?
 今回ばかりはジャバウォックの時と同じような展開にはならないでしょう。物語の真の結末が気になります。

3月21

 書感です。

『余話として』
 著者:司馬遼太郎
 出版:文春文庫
 定価:419円
 初版:1997年1月30日
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 歴史作家、司馬遼太郎のエッセイです。
 タイトルの通り、ここに収録されたのはみな、司馬遼太郎の語る歴史のこぼれ話のようなもの。様々な歴史に対する司馬遼太郎の小説家的解釈がなかなか面白いです。
 最初の章は「話のくずかこ」と題されており雑誌に連載されていたものらしいのですが、その最初の話題が剣道の達人でありながらアメリカに渡り、今度はフェンシングの選手としてアメリカを制したという剣士、森寅雄の話題でした。
 この森寅雄、世間にはあまり知られた人物ではないのですが、実は僕は縁があって知っています。なんとこの人、僕の中学高校の大先輩に当たります。現役時代にちょうどこの森寅雄の一生描いた伝記『タイガー森と呼ばれた男』という本が出て読まされたのですが剣道をやっていた僕にはかなり印象的でよく憶えています。まあ、ちょっと大げさに書いてあるんだろうなと思っていたのですが、司馬遼太郎が取り上げるような人物だったとは驚きです。
 正史には残らないこぼれ話だからこそ、たまたま知っていたりすると急に親しみがわきますね。
 他にも、幕末の志士たちの名前がどのように決まったかという話や徳川家康の人間味を示すエピソードなど盛りだくさん。
 歴史小説などに出てくる人間はたいてい一定の傾向がありますが「それらしくない」面を示すような話も本当ならいくらでもあるのかも知れませんね。
 ちょうどNHKの大河ドラマで取り上げられている前田利家の話なども入っていました。
 昔は司馬遼太郎作品ってあまり好きではありませんでしたが、様々な作品に触れるうちに、その小説的な面白みが魅力的に思えてきています。
 司馬作品では同じ人物でも作品によって別人のように描かれている事があり、そういった点が歴史観のいいかげんさを示しているように見えていたのですが、こういったエッセイを読むと様々な矛盾するエピソードの中から作品に合ったものを選択して人物像を組み直しているんだろうなと思います。
 また、司馬遼太郎独特の歴史から日本人というものを分析していく手法も興味深いです。
 司馬作品や歴史が好きな人なら楽しめる一冊でした。

3月23

 書感です。

『帰れぬ人々』
 著者:鷺沢萠
 出版:文春文庫
 定価:380円
 初版:1992年10月10日
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 先日、エッセイ『そんなつもりじゃなかったんです』で初めて読んだ鷺沢萠ですが、小説の方は初めて。エッセイの中でも大学在学中に仕事をしていたというような記述があったので、その頃からプロだったのかと漠然と思ってはいたのですが、この『帰れぬ人々』の解説を読んだら、なんと17歳でデビュー。 しかも文學界新人賞を受賞という事です。そもそも鷺沢萠の文章を初めて読んだのが恋愛小説のオムニバス短編集『贅沢な恋愛』の解説だったので、恋愛小説を書く人だというイメージがあったのですが、実際に読んでみてらずいぶんと印象が違いました。

 収録されている短編は四編。最初の「川べりの道」は家を出て愛人の女性と暮らす父親のところへ毎月、生活費を取りに行く少年の話です。川べりの道をとぼとぼと歩いて父親のところへ向かう主人公の少年の心理とフラッシュバックする過去、そして風景がごく自然な物語を形作っています。この短編こそが文學界新人賞を取ったデビュー作と知って納得です。

「かもめ家の物語」はこの短編集の中でいちばん好きな一編です。料理人の主人公は親方から店を任され、一人で食堂をやっている青年。彼は料理だけでなく、客としてやって来る人々と心をふれ合わせ、多くの人の心のよりどころとなっています。
 そんな彼のところにやってきた女性は何も語らずに店に身を寄せることになるが……という話。何が起こるというわけでもない日常。ドラマは彼の中になく、訪れてくる人々の中にあるのです。そういった人生を垣間見ながら食堂をやっていく……という青年の淡々とした人生は見ていて心が温まります。
 食事は安らげる時間でありたいものです。若くしてそんな場所を提供できるこの主人公は、作者にとってもあこがれる存在なのかも知れません。

「朽ちる町」は会社勤めをしながら小学生相手の小さな塾で教えている主人公の日常を描いたものです。その街にいるとどこからか漂ってくる異臭。それは、彼にとって町が朽ちる臭いに思えるのです。
 登場するのは町に根付いている人々ばかり。しかし、そういった人々の背後には住んできた歴史があり、それが町を作っていきます。主人公は生い立ちのために移住を繰り返し、独立してからもその癖が抜けずに一所に留まる事ができません。
 町に堆積したものは本当に朽ちていくのか?
 それは、町に留まらない主人公にはわからないのかも知れません。

 最後は表題作「帰れぬ人々」
 幼少の頃に事情で「帰る家」をなくした主人公。その姉も、母親もそのなくした家に「帰りたい」と思って生きています。
 しかし、皆それを取り戻す事はできないのです。
 ここまでの作品でも「帰るところ」そして「生きてきた場所」というものをテーマにしてきたこの短編集。「朽ちる町」とこの「帰れぬ人々」は特に故郷がないという主人公になっています。しかし、大きな違いはこの「帰れぬ人々」では主人公と同じようにやはり帰るところをなくした人間が思わぬところから登場する事でしょうか。しかし、そちらには故郷と言える場所があるのです。同じ境遇でも、心の中に故郷と思える場所を持っている。主人公はその事実にショックを受けます。
 帰れるところは、やがて自分で作っていくものなのです。それが、この短編集の結論のように思えます。

 四つの物語に登場するそれぞれの主人公が未熟ながらも自分のを歩んでいく様子は、その一つ一つが印象的で、そしてどこまでも続くかのような深みを持っています。
 エッセイではハチャメチャぶりを披露してくれた鷺沢萠ですが、小説家としての顔はまったく別のようです。
 なかなか底の知れないこの人の作品を、もっと読んでみたいと思っています。

3月24

 書感です。

『バガボンド 13巻』
 原作:吉川英治
 漫画:井上雄彦
 出版:講談社モーニングKC
 定価:524円
 初版:2002年3月22日
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 強さを追求しているのは武蔵だけではない……。武蔵が一介の浪人から徐々に名を上げていくのと当時に、山奥でまったく別の道を歩む者がいた。その名は、宍戸梅軒。かつて辻風黄平として武蔵を襲った剣士は、鎖鎌という異形の武器を手に再び立ちはだかる……。

 野獣のようであった武蔵と、憎しみのよって自らを研ぎ澄ました辻風黄平。しかし、再び出会った二人はまるで別人です。
 武蔵は様々な「強さ」に出会い、修羅のような道を歩むだけが修羅の道を歩むだけではないと知りますが、逆にかつて持っていた野生の気迫をなくしてしまっています。一方、辻風黄平は兄を殺すという目標を失い、その敵である武蔵を追っていましたが、彼の身に何が起こったのか虚無的な人間に変わっています。人間離れした身のこなしで、風のように襲いかかってきたかつての黄平。ですが、鎖鎌を持った宍戸梅軒は一歩も動かず、生き物のように鎖を操って攻撃を繰り出します。剣は心を写す鏡。剣が変わるには人も変わらなければなりません。
 そしてその鎖鎌に対抗するため、武蔵はついに二刀を抜きます。それはただ兵法としての成長というだけはありません。二刀を抜いた武蔵の心はこれまで最も大きな壁として立ちはだかる障害を越え、自由への一歩を踏み出すのです。
 さて、まったく話は代わりますが二人の戦いを影からのぞき見するのは武蔵の幼なじみである又八。たまたま巡りあった男から佐々木小次郎にあてた中条流免許皆伝の免状を手に入れた又八は、自らが小次郎を名乗っておいしいおもいをするのですが相変わらずのへっぴり腰。一時は人を切って自信をつけ、眼差しまで変わってしまったものですが、武蔵たち一流剣客の仲間入りなどはまったくの夢です。
 へっぴり腰の又八が何かのきっかけに剣の道に目覚め、やがて腕を上げて武蔵と対決する……というストーリーなのかと思ったものの現在の状況を見た限りではあり得ないと確信しました。
 そして、この巻でもっともわくわくしたのは、次巻への予告です。
「その男は海から来た。恐ろしく長い剣と共に……名は佐々木小次郎という」
 14巻ではついに本物の佐々木小次郎が登場するのでしょうか?
 生涯最高の相手であったと言われる佐々木小次郎。これまで登場した吉岡兄弟や宝蔵院胤舜、柳生兵庫を越えるだけの魅力を持った人間として井上雄彦は描いてくれるでしょう。
 これは本当に楽しみ。次巻が待ち遠しいです。

3月25

 実家で新しくFAXを買いました。
 父が仕事で使うので書斎と居間に一台ずつあったのですが、どちらもかなり古く、居間に置いてある方はすぐに紙づまりして送信も受信もほとんどできなくなってしたまったための買い換え。ちなみに実家はISDN回線で、回線Aは電話、回線BはFAXというように使い分けられていますが、よく考えてみるとなかなか複雑。
 回線AにはFAX電話(書斎)とFAX(居間)、母のMacのモデム(居間)、電話(居間)がつながっており、FAX電話の手前で弟の部屋に電話線が分岐しており、弟がインターネットをするときに使います。
 回線Bの方は居間の電話につながっており、その子機は書斎と寝室にあるわけです。ISDNの特色は二回線が同時に使える事で、居間と書斎には二台ずつ電話があってFAXをしながら電話ができるわけです。
 しかし、ADSLの普及でネットをするにはどう考えてもADSLの方が便利という事になり、今週末には実家も回線がADSLに切り替わります。しかし、そうなると同時に電話を二回線同時には使えなくなってしまうので配線などが悩みどころ。
 とりあえず大元に二股のモジュラーをつないで、居間と書斎に分配しようと思ったのですが例えば居間で電話をしていて、書斎で電話をかけようとしたら居間の電話は切れてしまうので不便です。そこで調べてみたら、先取り優先で回線を分配する回線分配機があるようなので、それを使ってみようと思っています。
 FAXからだいぶ話題がずれましたが、これまで使っていたFAXは感熱紙を使うタイプで、居間に置いていたものには電話機能がなく、電話機とモジュラーの間につなぐタイプでした。しかし、近所のコジマへ行ってみると電話のついているものしか売っていません。しかも、感熱紙モデルってもうほとんどないようですね。感熱紙は保存性が低いですがとにかくコストが安いです。普通紙FAXだと一枚7円ほどかかってしまいますね。
 FAXはPCのプリンタと違ってインクリボンを使うので印刷は早いですがインクの無駄も大きいです。
 けっこう迷ったのですが、結局は普通紙タイプにしてしまいました。選択肢の幅も広いですしね。しかし、いろいろ見てみるとFAXってデザインがいまいちのものが多いです。やけに明るいカラーのものが目立ちます。家具として部屋に置くのだからもうちょっと他との調和を考えて欲しいですね。機能などでもいろいろ迷い、SANYOのインクリボン40%節約型に引かれたのですがデザインはかなりひどかったので敬遠。もちろん、こういったものは機能が大事なのですが許容できなかったくらいひどいデザインだったのです。
 購入したのはBrotherのFAXで、他では見ない型だなと思っていたらどうやらコジマ独自のフレッシュグレーというブランドでした。統一したコンセプトで各社にオリジナルモデルと出してもらっているようですね。しかし、オリジナルで出すだけあってなかなか格好良かったです。
 現在、実家の居間の電話機として置いてありますがなかなかです。ちょっと迫力ありすぎかも知れませんが。
 僕自身はFAXってほとんど使いませんが、けっこう家庭用にも普及しているんですね。確かに、電子メールなどよりFAXの方が自由度は高いです。紙に書くという行為が記録としてはもっともやりやすいですからね。
 まだまだPCのユーザーインターフェイスには改良の余地があるようです。

3月26

 書感です。

『グルメ出世小説 ぼくは五度めし』
 著者:塩田丸男
 出版:集英社文庫
 定価:480円
 初版:1990年10月25日

 タイトルからはとんとん拍子で出世していくお調子者サラリーマンを主人公にした小説、みたいなものが想像できますね。まあ、それは決して間違いではないのですが、思ったよりいろいろと楽しめました。
 小さな広告代理店に勤める田尾庸平は見るからにぱっとしないCMディレクター。大食だけが取り柄の彼だったが、趣味のグルメから思いついた企画が当たり、とんとん拍子に出世していく……。

 1980年あたりから始まるこの小説、内容に王貞治の756号ホームランなどが出てきてちょっとレトロな雰囲気です。もっとも、書かれたのが80年代半ばなので当時からそんなに古かったわけではないですけどね。全日本ラーメン店連合のPRを引き受けた田尾庸平は王選手のホームラン756本にあやかった企画を立て、大成功を収めます。
 この主人公、ぱっとせず大食らい。しかし、人に好かれる正確で様々な人脈を作ってはちょっとしたアイディアと結びつけて企画を打ち出すのです。さて、この小説を面白くしているのは、出てくる広告業界に妙なリアリティがある事。単なるコミカル小説ではなく、サラリーマンものとしてきっちり書かれているという印象があります。主人公もスタートこそ間抜けな印象を受けますが、それはあくまでプライベートの話であって仕事には真面目に打ち込んでいるし、感性も豊かで、自分の考えをしっかり持っています。人物設定だけではなく、読者に交換を持たせる主人公として書かれているわけですね。
 主人公を巡る人物関係などもなかなか面白く、それぞれの人生の浮き沈みなどがあり、個性的。
 競争の激しい広告業界でのし上がり、自分の道を突き進むという夢のような話ですが、ただ出世街道まっしぐらというだけでは終わらない後半の展開が痛快です。
 今となってはずいぶん時代が変わってしまっていますが、仕事と人生というテーマは誰にとっても普遍的な要素ではないでしょうか?
 軽いタッチでありながら、なかなか読み応えのある作品となっています。

3月27

 書感です。

『中吊り小説』
 著者:吉本ばなな他
 出版:新潮社
 定価:440円
 初版:平成8年10月25日

 タイトルに「中吊り」とあるように、これは1990年9月から1992年11月までJR東日本の電車内に掲出されていた小説を集めたものです。当時、僕は中学に通っていて、車内で吊り小説を読んでいたものです。と、言っても混雑のひどい車内では全部を読めてはいなかったですけどね。だから、こうして文庫本で読めるというのは嬉しい事です。
 収録されているのは19人の作家による19編の小説とエッセイ。執筆陣は吉本ばなな、阿刀田高、椎名誠、泉麻人、赤川次郎などなかなか豪華です。
 中吊り広告一枚分、多くても二枚分のスペースに掲載できる文章はわずか。これは新聞小説などよりもかなり短いですよね。そういう中で小説を書いていくというのはなかなか難しいものでしょう。作家ごとにいろいろと苦労が見られ、一枚に収まるショートショートを数編書いている作家もいれば、毎回「この先どうなるんだ?」という引き方をする作家もいます。
 文庫で読んでいると、ページをめくる楽しさがあるので後者のような作家が面白いですが、中吊りで読んでいると見逃してしまうのはあまりに残念ですよね。
 ちなみに、文庫の方では中吊り一枚分が見開き一頁となっていて、左下にそれぞれ挿し絵が入っています。挿し絵もそれぞれの作品にマッチしていて、椎名誠の作品ではお馴染みの沢野ひとしが描いていたり、よく村上春樹の小説やエッセイに挿し絵をつけている安西水丸が自らの作品に絵をつけていたりもします。
 作品は当然のこと、それぞれの作家の味が出ていて楽しめ、特に共通のテーマがなくて本当にばらばらなのが逆に面白いです。しかし、すごいと思うのはこういう企画をやってくれるJR東日本ですね。会社に対しては通勤のために仕方なく文句を言いながらも毎日使っているというイメージがありますが、車内広告やテレビCMなども雰囲気が良くて好きです。
 また、こういう企画をやって欲しいものですね。

3月28

 書感です。

『天才柳沢教授の生活 18巻』
 作者:山下和美
 出版:講談社モーニングKC
 定価:457円
 初版:2002年3月22日
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 久々の柳沢教授です。17巻を読んだのが去年の5月だったのでもう十ヶ月にもなります。作者の山下和美はその間、新しい連載を初めていたようですが、そちらが軌道に乗って柳沢教授も復活というところでしょうか。
 柳沢教授は毎日完璧に規則正しい生活を送り、あらゆる疑問を解決しなければ気がすまない経済学の教授です。自分の信念を曲げず、納得しなければ一歩も譲らないその姿勢は一見冷徹に見えますが、柳沢教授は人間が好きで、他人を理解したいと思うからこそ相手に煙たがられても自分の疑問を追求するのです。そんな教授に辟易しながらも教授を愛する奥さんと娘、そして教授しか目に入っていない孫の華子を始め、様々なキャラクターが登場して楽しませてくれます。
 表紙の折り返しで「最近、歳を取ることが楽しみになってきた」と語る作者は語っています。柳沢教授がすでにけっこうな年齢となっているので、教授を取り巻く人間にも高齢の人間は多いです。中には身体が不自由になってしまった博士や、ぼけてしまった友人などもいますが、みな歳をとってからの人生を楽しんでいます。もちろん、柳沢教授もです。
 柳沢教授の場合、毎日を楽しくするのは内から沸き上がってくる疑問です。そうした疑問を解決するために様々な事を調べ、人に質問し、といった事を繰り返しては新たな疑問をおぼえています。「なぜ?」と思うことが人生を楽しくするという事をこんなにも教えてくれる漫画はなかなかないですね。
 さて、これまでの話の中では孫の華子の視点から教授を見上げるというものが数多くありましたが、前の巻あたりからもう一人の孫、まもるが登場します。まもるは華子のように気が強くなく、ぼ〜っとして頭の回転も早くないように見えますが、教授と同じように疑問を解決せずにはいられないタイプのようで、登場する回では新しい視点を提供してくれます。
 このまもるを中心に広がっていく人間関係もこれからが楽しみです。
 さて、復活した柳沢教授ですが、これから以前と同じように出してくれるのかどうかがちょっと気になります。年に3冊くらいは読みたい作品です。

3月29

 書感です。

『葉桜の日』
 著者:鷺沢萠
 出版:新潮文庫
 定価:400円
 初版:1993年10月
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 鷺沢萠の中編小説二編を収めた作品集です。
 短編作品集『帰れぬ人々』はそれぞれ違う作品でありながらどれも故郷や帰るところをテーマにしたものであったように、今回の二編にも根底にはアイデンティティの追求があります。

 表題作、『葉桜の日』は幼い頃に拾われ、母親ではない女性と暮らす青年ジョージの物語です。母同然ではあるものの、ジョージにとってはあくまで「志賀さん」という奇妙な関係です。そもそも彼はジョージと呼ばれているものの、本来は別な名前を持っています。
 本当の名前ではない呼ばれ方をし、母でない女性に育てられ、志賀さんの周囲の人間達を家族のように思って生きてきたジョージ。自己主張の強い性格ではありませんが、ごく自然に人と接していける彼は、職場の人間関係の潤滑剤となっているようです。
 物語の中でも自分が中心とはならず、傍観者となりがちな彼ですが、人々を眺めるうちに彼は「自分は誰なんだ」という疑問を憶えます。現在の自分というものをしっかり持ってはいるものの、自分のルーツが気になり出すのです。
 しかし、それでも彼はいつもと同じように生きていきます。

 もう一編は『果実の舟を川に流して』
 女手一つで自分を育てた母を失った主人公は大学を中退して世界を放浪し、帰国して女装ママのいるバーでウェイターとして働き始めます。
 ゲイではなく、男装だといい男と言われるママが何故、女装バーをやっているのかはまったくの謎なのですが、主人公は「何かあるのだろう」と思っても深く追求するような事はありません。主人公も自分が何故世界を放浪したのか、何故ママの下で働いているのかという事をわかっていないのです。人間は自分のことさえもわからないという思いを主人公は抱いているのかも知れません。それを証明するかのように、やって来る客は「世の中にはいろいろな人間がいる」という見本のような顔ぶれです。

 どちらの作品でも主人公は「自分は何者なのか?」という疑問を感じます。しかし、そういったものに対して結論めいたものはありません。
 彼らの淡々とした様子は誰もが日々の中で感じ、いつのまにか消化していくものなのだと言わんばかりです。
 鷺沢萠の小説は重くなりそうなテーマでありながら、行きグリ敷くなりません。それはあくまで、テーマを正面から受け止めるのではなく、日々の生活があってそこにテーマが付随するからなのだと思っています。
 実際は、哲学のように深く考えたりする事はないけれど、鷺沢萠の小説のように淡々と消化していく事も難しいものなのでしょうね。

3月31

 書感です。

『KUNIE -パンゲアの娘- 3巻』
 作者:ゆうきまさみ
 出版:小学館サンデーコミックス
 定価:390円
 初版:2002年3月
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 2巻まで読んでイマイチだな〜と思いつつも3巻を買ってしまっています。浦沢直樹の『20世紀少年』も最初の頃はそう思っていたのでこちらにも期待しているのですがどんなものでしょうか。
『KUNIE』の場合、ゆうきまさみが好きかどうかで評価は大きく変わるような気もしますが。

 クニエの持ってきた卵から孵化した恐竜の赤ん坊はやがて大きくなり、アキラは飼う場所に困り出す。そんな中、やがてその存在が町の話題となり、やがてはテレビ局までやってくる大騒動に。一方、クニエの故郷、カラパオ周辺で起こっていた異変はやがて世界中に飛び火する……。

 カラパオを自分の領土だと主張する英国ランゲルハウス伯爵家。それぞれの思惑で恐竜を自分のものにしようとする日本人たち、そしてカラパオを調査するアメリカ海軍。ゆうきまさみの漫画が変わっているのは、ギャグマンガである故の非常識な世界の中に常識を持った人間が紛れ込んでいる事でしょうか。
 例えば、主人公アキラのお父さんはごく普通のサラリーマンで常識人なのですが、クニエの秘密を探りにきた怪しい人間には平然と嘘をついたり、飼っている恐竜を海に返すために大胆な作戦を考えついたりとなかなか一筋縄ではいかない人物。
 ゆうきまさみは毎日が夏休みのような漫画を描きたいと最初に述べていましたが、このクニエ騒動は平凡に毎日を送るアキラのお父さんにとっても夏休みのようなものなのかも知れません。男の子なら誰もが持っている冒険へのあこがれのようなものを、このお父さんは残しているように見えます。
 非日常的な事件に当たったときに、自分の常識の中に逃避して見て見ぬ振りをしてしまいような脇役って漫画にはありがちですが、このお父さんはまさに正反対の存在。自らの常識で非常識にもきっちり対処しています。
 クニエは藤子不二夫の漫画でよくある居候ものというパターンですが、何事もないように流れているドラえもんの世界とは違い、彼女の周囲では徐々に反応があらわれています。
 それと同時に世界各地で起こっている異変の数々は、カラパオ付近に出現した謎の塔と関係がありそうです。
 こうやって書感を書いていると、けっこう面白い漫画であるような気がするので不思議です。僕はゆうきまさみの持つ独特な味がけっこう好きからなのでしょうね。
 少年サンデーで連載を読むにはけっこういい作品なのかもと思います。


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