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書感です。 『密告』 著者:真保裕一 出版:講談社文庫 定価:581円 初版:2001年7月 関連書感はこちら 『ホワイトアウト』でダムの運転員を主人公として雪山を舞台に一大冒険小説を書き上げた真保裕一ですが、この『密告』はミステリ作品となっています。 川崎中央署の生活安全総務係を勤める萱野の上司、矢木沢が不正接待で密告された。萱野はかつて、矢木沢とオリンピック選手の座を争っており、その確執から萱野に疑いがかかる。 その汚名を晴らすため、萱野は調査を始めるが、そこに見たのは警察内部に広がる巨大な闇だった……。 刑事を主人公にしたミステリはいくらでもありますが、直接捜査に関わらない警察内部の人間を主役に据えるというのは変わり種ですね。この真保裕一は小役人シリーズといって公務員を主人公にした小説をいくつか書いているようです。 この『密告』は背景がかなり複雑です。舞台となる警察組織もそうですが、主人公である萱野と上司の矢木沢、矢木沢の妻にかつてのコーチなど登場人物達の過去が複雑にからみあっています。 主人公の萱野は、かつて選手時代に矢木沢の不祥事を密告したと事があり、それが疑惑の発端ともなります。その密告を萱野自身も負い目と感じており、選手を引退してからの人生を決定してしまったと言っても良いでしょう。 ただ与えられた仕事を片づけていくだけの生活を送る萱野は特に目的があって警察に入った人間ではありません。 しかし、自らの疑惑を晴らすための調査を続けるうちに様々な妨害をうけ、警察が本来あるべき姿とかけはなれた実態を痛感する事になります。 一介のダム運転員だった主人公がテロリストを相手に壮絶な戦いを繰り広げる『ホワイトアウト』ほど痛快ではないかも知れませんが、社会的な権力であり自らの生活の基盤でもある巨大な組織としての警察を相手にすると恐怖は図り知れません。 緻密に描かれた萱野の心理、暴かれていく不正の構図や警察内部の問題点にはただ感心。警察小説は『新宿鮫』だけではないようです。 驚いたのはこの真保裕一がけっこう作品を書いているという事でした。これはしばらく楽しめそうです。 書感です。 『少年少女絵物語』 著者:沢野ひとし 出版:角川文庫 定価:456円 初版:平成8年1月25日 椎名誠のエッセイなどに絵をつけている沢野ひとし。力の抜けた絵柄でうまいとも下手とも言えない微妙なイラストですが、当たり前のように見かけるのでついていると何故かほっとしてしまうようなところがあります。 その沢野ひとしが自らの手で少年時代から現在までを綴ったのがこの『少年少女絵物語』 イラストももちろん本人によるものです。 椎名誠の作品は数多く読んでいて、その生い立ちや現在の生活などはなんとなくわかっているつもりです。そして沢野ひとしもその中の登場人物の一人としては知っています。 子供のように好きな事をやっているという印象がある椎名誠。その仲間である沢野ひとしもやはり同じような人間なのだとなんとなく思っていましたが、読んでみて大きな衝撃を受けました。 沢野ひとしには沢野ひとしの人生があるという事ですね。 洋服屋をやっていた母と、失業してぶらぶらしている父を持った沢野ひとしは、姉兄妹との6人家族。両親からはあまりかまってもらえず、妹の面倒を見たり兄にくっついたりしながらだんだんと自分の遊びを見つけていきます。 この中で語られる少年時代の想い出には楽しかった事も含まれていますが、どれを読んでみてもなんとなく影のあるものばかりです。やせっぽちで、明るい子供ではなかったようですね。まるで、自分の中に溜まった鬱屈した想いを吐き出したかのようなエッセイになっています。 もう一つ、中心となるのは沢野ひとし自信が結婚して作った家族の話。童話の出版社に勤めるサラリーマンから、イラストレーターとしてデビューした沢野ひとしは副業としてイラストを書きながら時間に余裕のない生活を送ります。当然、妻や子供の事は放っておく結果になり、本人は酒浸りで家に寄りつかなかったりします。 幼い頃に何もしなかった父親を見ておきながらも、どうしても家庭でやっていけない沢野ひとし。それに関しての疑問は悩みは取り上げられていませんが、少年時代から続けて書かれると、やはり自分自身が送ってきた人生の中に要因があるのだという事を自覚しているように見えます。 どうみても「幸せ」とは言えない沢野ひとしの人生ですが、弱音を吐くわけでも開き直るわけでもなく淡々とそれを描いています。人間とはそんなものなのでしょうか。 それとも、まだ読み切れない部分に沢野ひとしの幸福はあるのでしょうか。 大部分は辛くても、ほんのちょっと何かがあれば生きていけるのかも知れませんね。 書感です。 『主婦の天気図』 著者:木村治美 出版:文春文庫 定価:369円 初版:1982年10月25日 先日読んだ小林カツ代のエッセイ『日曜日のキッチン』が面白かったので、同様に主婦視点で書いたと思われるこの本を手に持ってみました。著者は大学教授にして翻訳家、エッセイストの木村治美。この人に関してはまったく予備知識がなく、著者楽歴すら見ませんでしたが、おとなしめながらきれいな表紙に惹かれて借りてみました。 著者は大学教授という仕事を抱えていますが、同時に主婦でもありたいと強く願う人。ごく限られた時間で主婦という仕事をしなければならない著者は、自分の主婦としての能力にあまり自信を持っていません。しかし、厳しい中でも一家を取り仕切っているという幸福が端々に感じられます。 どうしても忙しい日にだけ家政婦に来てもらいながらも、それで安心と同時に不安を憶えたり、わずかずつ節約していながらも贅沢な外食でチャラにしてしまったりという日常で、もちろん大きな事件などはないものですが、毎日を普通に送る人でもこんなに感情の起伏があり、思考が渦巻いているのだなと改めて思います。 このエッセイの当時、著者の子供は中学生の女の子と小学生の男の子。読んでいると二人ともずいぶんと素直にお母さんに甘える子共のようでありながらしっかりしていたりと、ちょっと出来すぎな家庭と感じる事もありますが、子供の話などはなかなか心が和みます。 さて、この本は1982年発行で、連載は1977年だそうです。しかし読んでいるうちにはまったく気づかず、現代の風景の中で想像していました。 著者が意図したかどうかはわかりませんが、時代をさせない内容は、同時にそこに書かれた事が普遍的なものであるという事なのでしょうね。 ここに出てきた子供たちも僕より年上なわけで、どんな大人になっているのだろうと思ったりします。著者もエッセイを書いた当時からずいぶん歳をとっていますし、近況など知りたくなるものです。 主婦としての心の動きを細やかに書いたこのエッセイ、身近でありながら、まったく未知の世界とも言えます。 読んでいていいなと思える日々を書ける人はうらやましいですね。 書感です。 『新 ちょっといい話』 著者:戸板康二 出版:文春文庫 定価:340円 初版:1984年3月25日 タイトルからは美談を集めたもののような印象を受けるかも知れませんが、この『ちょっといい話』では思わずニヤリとしてしまうような小話を言います。 ここに出てくる小話はすべて、著者が実際に体験したり人から聞いたりしたもので、なかには創作と思われるものも混じっています。作家に芸能人、スポーツ選手などあらゆるジャンルの人が登場してはその人らしい笑えるエピソードが出てきますね。最近はバラエティ番組で失敗談を披露するようなものが多いのでさほどではないかも知れませんが、当時としてはどうだったのでしょうか? 初版は1984年で今から20年ほど前。出てくる人はもっと古かったりするので、中には「その人らしい」のかどうかわからないものだけでなく、まったく誰なのかわからない人がいます。いや、実を言うと半分くらいはそうかも知れません。 古いものでは、夏目漱石や芥川龍之介などに関するエピソードなどが出てきます。これは文献ではなく、文壇で語り継がれていたものを聞いて書いたというのだから驚いてしまいます。 軽妙な会話や、笑える状況など、テレビだと再現ドラマなどがつけられていそうな内容が数多いですが、短い文の中にそれらがうまくまとまっているのが面白いですね。落語と同じようなもので、語りがすべてを左右します。 ただ面白可笑しいというだけではなくもう一歩上という印象です。知らない人が笑いの対象となっていても、エピソードからその人の人柄をなんとなく想像するという楽しみがあります。もっとも、中には何がおかしいのかわからないものもありますけどね。その人だからこそおかしいというネタです。 文庫本の1ページに小話が2つか3つのペースで300ページ分。 この1冊で700から800の小話が載っています。毎日毎日、どこかで面白い会話が行われているのでしょうが、そういうものが次々と耳に入ってくる著者はとにかく交友関係の広い人間だったのではと思います。 人間のおかしさというのはいつの時代になっても変わらないのかも知れませんね。僕も身の回りにおかしな人はたくさんいますが、なかなかこの著者のようには語れなさそうです。 書感です。 『少年たちの終わらない夜』 著者:鷺沢萠 出版:河出文庫 定価:466円 初版:1989年9月 関連書感はこちら 鷺沢萠の短編作品集です。これまで読んできたのとはまた違う雰囲気となっているこの本は十代の少年を主人公にした青春小説を集めたもの。 表題作、『少年達の終わらない夜』は高校最後の夏を過ごす少年真規が主人公。不良と言えば不良という感じの真規は自分がしたいように遊び回り、そして今を楽しむ事以外には何も考えません。 いつも自信満々で、それが怖いと言われる彼はしかし、そういう自分から外れてしまう事を何よりも恐れています。自分の事も他人の事もわからない彼の日常はいつもと同じように過ぎていきます。 これまでの作品を見ても変化というもの書いていない鷺沢萠だけに、ここでも真規の日常は同じ事を繰り返して流れていきます。 『誰かアイダを探して』と『ユーロビートじゃ踊れない』はどちらも『アメリカン・グラフティ』っぽい作品です。店にたむろっては夜の街に繰り出す……というありそうななさそうな彼らの日常は、読んでいてなかなかしっくり来ず、別な国の出来事のように感じます。この異世界性こそが、鷺沢萠の書く青春そのものなのかも知れません。夢のように不確かで、しかし素晴らしいわけではない時間。その中での出会いと別れ。切ないと思いつつもそんなものと割り切ってしまう主人公たちが鷺沢萠の書く登場人物らしいです。 『ティーンエイジ・サマー』は高校を卒業して最初の夏を送る主人公達の話。共に過ごした高校という場所から出てそれぞれの道を歩んでいるものの、人生と言えるほどはっきりしたものはなく、皆あいまいに過ごしています。 「もうすぐ二十歳」という言葉が重くのしかかる彼らは、あえてそれを口に出さずにいるようです。しかし、ばかばかしいと思いつつも何かをやらずにはいられない。そんなくすぶった心が読んでいて微笑ましいです。『少年たちの終わらない夜』というタイトルですが、最後の『ティーンエイジ・サマー』は少年の日の終わりを象徴するような作品です。鷺沢萠の作品集は、複数の作品で一つのテーマを語ります。 正直、『葉桜の日』を読んだときのような深い感銘はなかったのですが、出てくる少年たちの青臭さというのが新鮮ではあります。かつて少年だった事がないからこそ書ける作品なのだと感じました。 書感です。 『スナーク狩り』 著者:宮部みゆき 出版:光文社文庫 定価:600円 初版:1997年6月20日 関連書感はこちら 宮部みゆきのはずれなし、とはよく聞く言葉ですが、実際にこれまでの作品を思い浮かべてみれば、まさにその通りと頷くしかありません。 もっと緻密に練られた作品やもっと感動的な作品、もっと驚きに満ちた作品などは確かにあります。しかし、宮部みゆきの作品ほど「読める」という感覚の強い作品は思いつきません。 最初からさいごまで、夢中になって読めるのです。 自分を騙していた元恋人の結婚式に散弾銃を持って乗り込もうとした関沼圭子は、説得されて思いとどまる。だが、今度はその銃が妻と娘の敵を討とうと計画を練る織口邦男に奪われてしまった。主人公の青年、修司は父親のように慕っている織口を止めるため、必死の追跡を開始する……。 『スナーク狩り』というのは『不思議の国のアリス』の作者、ルイス・キャロルが書いた詩のことだそうです。つかまえると自分自身も消えてしまうという怪物、スナーク。この言葉は、最後の最後、タイトルを忘れかけた頃になってようやく出てきて衝撃を与えてくれました。 メインの登場人物達は、悲劇としか表現できない辛い経験を経て生きています。彼らはそういったものを抱えながらも、ごく普通に生活しているのです。しかし、それは悲劇を忘れたわけではありません。何かのきっかけで裏と表が入れ違ったとき、人は怪物になってしまいます。 何が人を怪物に変えるのか。 そして、復讐以外の何がその怪物を救えるのか。 のめりこんでいた読者は結末を読み終え、はっとするかも知れません。これは、物語の中だけの事ではないのです。投げかけられた疑問に対し、宮部みゆきは安易な結論をつけずに幕を引きます。 ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』はトランプやチェスなどゲームの世界に迷い込んだ主人公の理不尽な体験を描いたものでしたが、現実世界だって似たようなものかも知れません。一人の人間という枠には収まりきらない、人間関係の、そして社会の矛盾。引き金が引かれてしまったら、それは誰にも止められないのか? 我々は、自分の身に何も起きないように祈って生きていくしかないのでしょうか。 作品の余韻は、まだ後を引いています。 書感です。 『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 11巻』 作者:荒木飛呂彦 出版:集英社ジャンプ・コミックス 定価:390円 初版:2002年4月9日 関連書感はこちら 囚人達にスタンド能力を与え、自らの目的遂行のために使っていたホワイトスネイクの正体、プッチ神父と相対したフーファイターズはその能力の前に破れてしまう。一方、傷ついた徐倫たちの前にウェザーリポートが援護に現れるが……。 フー・ファイターズは池に住むプランクトンにホワイトスネークがスタンド能力を与えて誕生した生物。全体で一つの意識を持ち、自らの身体を自在に操って攻撃します。死んだ囚人の身体を乗っ取ったフー・ファイターズは、死体を乗っ取って動かしているに過ぎず、その得意な動きと耐久性を活かして戦いますが、反面プランクトンとしての本体は熱や電気に弱く、大きな弱点を抱えているのです。 その弱点を何よりも把握しているのは能力を与えてホワイト・スネイク。互いに裏をかきあうジョジョならではのバトルでも、フーファイターズにはあまりに分の悪い戦いでした。 能力を与えられたまま無目的に任務を遂行していたフー・ファイターズは徐倫との出会いで本当の意味での知性、そして感情が芽生え、なくてはならない仲間に成長していました。 これまでのシリーズでも、シーザーや花京院など精神的に大きな成長を遂げてから主人公の下を去ってしまう存在がいました。一つのパターンとなっていますが何故でしょうね。 さて、この巻では今までも断片的にしかわからなかったプッチ神父についてずいぶんと触れられています。 第三部でこの世に復活したディオの親友であり、ディオの言う「天国」へと到達するために手段を選ばない彼は、私利私欲ではばく親友への思いによって行動しているようでもあります。彼の目的はわかっているものの、それが何であるかはまったく不明。荒木飛呂彦の考える事だけにまったく予想もつかない結末が待っているでしょう。 戦いに一段落がつき、怒りによってまた一つ上の段階へと到達した徐倫。そして目的に近づきつつあるプッチ神父。 しかし、立ちはだかる敵はまだまだいそうですね。その最終対決にはしばらくかかるでしょう。 書感です。 『小説家のメニュー』 著者:開高健 出版:中公文庫 定価:500円 初版:1995年11月3日 料理をテーマにエッセイを書くというのは難しいものでしょうね。視覚や聴覚よりも、味覚の方が表現しにくいし、読者もなかなかイメージできないのではないでしょうか。 池波正太郎は作品中に食事の場面を多く取り入れ、江戸の文化を表現していました。これはさすがという感じで、登場する料理の数々に空腹を憶えたものです。しかし、池波作品の場合、登場するのはあくまで和食。自分の食生活の延長にあるため、想像はしやすいですよね。 この『小説家のメニュー』は料理の種類を問わず、とにかくおいしい物をを求めて、世界中で様々な食材を食べ、レポートするという内容。 著者の開高健は何か一つこれと決め、行く先々で食べ比べてみるという傾向があるそうです。しかも、「どれもおいしい」的な書き方ではなく、ずばりと「これが最高」と言ってしまう人のようです。 ですから、食について語るというよりはおいしいものを追い求めた体験記のようになっています。 正直言うと、前述した池波正太郎のように読んでいるだけでお腹が鳴るというものではありません。やはり自分の食生活の延長にないものは想像もできないんですね。絶賛されていれば興味は持ちますが、それは食欲よりむしろ好奇心です。 この本が面白いのは、著者の姿勢によるものが大きいですね。「おいしい物」と言っても本当に様々で、料理という枠に囚われず、果物であったり、水であったりします。 料理にしても必ずしも一流と言われる店に限らず、食べられるところならどこでも食べています。日本で食べられる餃子に不満を持っていたのに、中華のチェーン店で食べてみたら絶品の餃子が出てきた……などの話はなかなか傑作でした。 食という要素が占める位置は人によって大きく変わるでしょうが、開高健のように自分自身の食を見つけたいものです。 書感です。 『八百八町表裏 化粧師 1巻』 作者:石ノ森章太郎 出版:双葉文庫 定価:629円 初版:2002年3月25日 関連書感はこちら タイトルは「はっぴゃくやちょう ひょうりのけわいし」と読みます。 『サイボーグ009』や『人造人間キカイダー』などのSFヒーローものはもちろん好きですが、『HOTEL』のようにプロフェッショナルを描いた作品にも魅力があります。石の森作品は実にオールマイティ。 この『化粧師』は江戸の町を舞台にした時代劇で、ここでも石ノ森ならではという作品の良さを見せてくれます。 式亭小三馬は化粧師として腕を奮いながら、化粧品屋も営む商才あふれる男。その才覚は単なる商売という枠を越え、文化や流行を生みだし、人の心をも変える力を持つ。 小三馬は言う。化粧とは外面をよそおう事で心を引き立たせるものなのだと……。 石ノ森章太郎は人の情念を描くのが上手な漫画家です。化粧師というタイトルからは、もっとおどろおどろしいホラーのような作品を想像していたのですが、かなり違っていました。 心の美しさを引き出すために化粧をする小三馬は現代で言えばメイクアップアーティストという事になりますが、その立場を越えて名プロデューサーとして腕を奮い、時には企画で、時にはキャッチコピーで江戸の町に流行を作ります。その様子を現代社会に重ねて描いているようで、「マーケティング」や「プロ」などのルビがふられていたりもします。後で連載がビッグコミックだという事を知り、なるほどと思いました。 商売として成功していく一方で、小三馬は名もない人々の中に心の美しさを認め、その腕を奮ったりします。ただの人情ものでもビジネスものでもなく、ビジネスの中に人情があり、人情を発揮しても商売は成功させるというヒーローぶりがかっこいいです。 石ノ森の絵はシンプルですが、内面を感じさせるキャラクターの顔や、微妙な心理を伝える表情は芸術的とも言える完成度。主役の小三馬も実に個性的。ハンサムなのですが、単なる優男ではなく意志の強そうな目と太い眉に、いかにも一筋縄ではいかなさそうな口をそなえた顔だちです。左の眉の上のほくろがさらにインパクトを加ええています。 石ノ森作品はたいてい好きですが、これだけの作品を今まで読まずにきたのは実にもったいないです。 椎名桔平の主演で映画化されていますが、キャストとしてはなかなかいいかも知れません。 書感です。 『どくとるマンボウ小辞典』 著者:北杜夫 出版:中公文庫 定価:380円 初版:1974年2月10日 どくとるマンボウこと北杜夫の本を読むのは久しぶり。 最後に読んだのは中学生の頃で、『どくとるマンボウ航海記』でした。当時はあまり面白くないと思っていたような気がします。 何かと遠藤周作と比較される北杜夫ですが、僕としては遠藤周作より好みのようです。一生懸命とぼけているので笑わなければ悪いかな……と思ってしまう遠藤周作に比べ、北杜夫の方は自然体という感じがします。笑わせる事が目的の遠藤周作に対し、一人でいろいろ考えてしまうのが北杜夫、というところでしょうか。 さて、この本は小辞典というだけあって、北杜夫が様々な事をテーマに書き綴ったエッセイ集です。 さすが本職の医者だけ自然科学系の記事などが多いです。もちろん、ただそういったものを説明しただけでは終わらないのが北杜夫。自分の体験や人から聞いた話を交えて、面白く仕上がっています。 また、誰でもそうですが自分の趣味を話すときは熱が入るものです。北杜夫の場合、それは昆虫採集。旅行先などにも捕虫網を携帯し、おみやげの代わりに虫を捕るというので相当なものですね。 僕もカブトムシなどを捕りに行ったりはしましたが、基本的には虫嫌い。北杜夫のように、虫の中に生命の不思議を見たりはなかなかできませんでした。 時にはためになり、時には笑え、時には感心する北杜夫のエッセイ。一定の調子で最後まで書くのではなく、緩急をつけることによって飽きないし、著者の様々な面を見るという楽しみもありました。 遠藤周作などもそうですが、こういったエッセイから文学作品まで書いてしまう幅の広さというのはすごいものですね。 久しぶりの自動車日記です。 前回からぜんぜん乗っていないかと言えばそんなことはまったくなく、おそらく400kmくらいは乗ったはず。しかし、ただ近所を乗っているだけではイマイチ話題になりにくいですね。 今回はこれまでよりかなり範囲を広げてみました。 13日は朝から車が空いていたので午前中のうちに図書館へ行こうと思ってまず北区赤羽図書館へ。4回目になるのでだいぶ慣れました。しかし、土曜午前はいつもの日曜午前と違ってちょっと混みますね。行く途中、川口駅の近くのファミレスを通過したらロープが張ってあり、警察車がかなり止まっていました。そこで二車線が一車線になっており少々渋滞気味。後で知りましたが、どうも客同士が喧嘩をして発砲事件があったようです。 まあ、それとは関係なく図書館に行き、せっかくだからちょっと遠出してみようと思って考え、以前家庭教師をしに自転車で通っていた南浦和付近までぶらっと行ってみる事にしてみました。 結局のところ、いつも通っている道をまっすぐ行くだけなんですけどね。JR京浜東北線ぞいに北上する事になります。 実際に行ってみると20分ほど。もちろん電車の方が速いですが、家を出てからのお手軽さを考えると車は便利です。平日はもっとかかるでしょうけどね。 特に目標もなかったのでその日はそのまま帰宅しました。 次の日は朝から父親を乗せてTSUTAYAへ行ってCDを借り、そのまま父親を近くの運動公園で下ろしました。母がテニスの試合をしていたので父はその見物です。そのあと、ジャスコにある古本と中古CDの店をのぞきましたがイマイチだったのですぐに帰宅してCDを録音し、返却に。 せっかくなのでどこかへ行ってみようと思い、ホンダの軽自動車ザッツを見にホンダプリモへ行くことに。 前にディーラーまわりをしたときは戸田だったのですが、ドライブとして別なところへ行ってみたいのとそちらの方が近そうだったのでのホンダプリモ埼玉東の浦和店を目標にしました。結局、前日のルートをたどって南浦和方面へ。開拓しておいて良かったです。 しかし、行ってみたらプリモは道の右手にあり、駐車場はどこかと見ているうちに通り過ぎてしまいました。どこまでも一本道だったので引き返すまでに10分も経過。ナビで目標をきめたときに気づくべきでした。これはうかつ。 日産のリバティでホンダに乗り付けるのもちょっと気がひけましたが、まあこれは仕方ないですね。 ちなみにザッツはホンダの軽自動車です。僕の購入目標はシビックですが、小型のフィット、維持費の安い軽自動車ザッツや便利なモビリオもそれぞれの良さがあります。 行く前にカタログ性能などは調べつくしているのであいにく説明してもらえる事はほとんどありませんが、逆に営業の方と突っ込んだ話ができて楽しかったです。残念ながらザッツは試乗できる車がなかったので見せてもらうだけ。安価なのが売りなので仕方ないですが、コンソールがシンプルと言うよりはちょっと安っぽいですね。しかし、広い視界とゆったりした室内がいい感じでした。続けてフィットの方も見せてもらい、こちらは試乗もしてきました。現在のリバティに比べると異常なまでにハンドルが軽いのと、エンジン音がほとんどしないのは驚きですね。ハンドルの軽さとブレーキの固さは違和感がありますが、これは慣れでしょう。低速での取り回しは明らかに楽でした。しかし、サスペンションが硬いので道路のでこぼこがもろにわかるのはちょっと欠点かも知れません。 で、結局思うのはシビックがいいという事ですね。やはりホンダの車はシビックが基本で、あらゆる技術が盛り込まれています。シビックの大きいのがオデッセイ、それよりちょっと小さいのがストリーム。小型にしたのがフィットでそれを高くして便利にしたのがモビリオ、それを軽自動車にしたのがザッツと思っておけば間違いはありません。 と、いうことでやはりシビック購入を目標にお金を貯めたいところです。しかし、リバティも半額出しているので当分は無理でしょう。 結局、ザッツのパンフだけもらって帰ってきました。 僕が新車を買う頃にはシビックも手頃な値段になっていそうです。 思う存分ドライブを楽しんだ土日でした。 書感です。 『連鎖』 著者:真保裕一 出版:講談社文庫 定価:667円 初版:1994年7月15日 関連書感はこちら 『ホワイトアウト』『密告』に続いて真保裕一を読むのは三冊目ですが、出された順番ではこちらの方が先。ちなみにこの『連鎖』は第17回江戸川乱歩賞を受賞しています。 チェルノブイリでの原発事故により放射能で汚染された牛肉が第三国経由で日本に輸入されている……というスクープを記事にした記者、竹脇が謎の自殺未遂事件を起こす。彼の親友であった元食品衛生監視員羽村は竹脇の道筋を追い、そこで驚愕の事実を知る……。 雪印の騒動も記憶に新しい現在、このテーマはあまりにタイムリー。しかし、何年も前からこういった問題は危惧されていたということですね。 食品の安全を守るために設けられた基準値は、逆に「そのラインまでなら汚染されていてもOK」という事になり、汚染された食品を一定の割合で汚染されていない食品に混ぜてしまえば基準値はクリアできる。あまりに簡単な理屈に読んで戦慄を覚えました。 しかし、この本は食品の汚染を訴えかけるものではもちろんありません。スクープを雑誌に発表したために倒産した会社とその社員のドラマ、食品汚染の影に潜む国際的な陰謀、成功した竹脇に対する羽村の屈折した感情などの要素が複雑に絡み合って全体のストーリーを紡ぎ出します。 さて、この『連鎖』なのですが、大筋はまったく違うものの主人公の立場や屈折した感情などはかなり『密告』に通じるものがあります。『ホワイトアウト』の主人公はもっと前向きでしたそれでも過去に暗いものを抱えていたりと、真保裕一の主役は幸福に生きているとは言えない立場が多いのかも知れませんね。 『連鎖』や『密告』は小役人シリーズと言われ、一公務員が大きな事件に立ち向かうというのが基本です。その中にあるのは正義感や勇気ではなく、ただ執念。ぼろぼろになりながらも、獲物を追い求める彼らは、長い間、内にくすぶっていたものを燃焼させ、燃え尽きようとしているようにも見えます。 そういう内容でありながら、読後のすっきり感にはなかなか。彼らのそれからの人生がどうなっていくのか、興味深いです。 パターンにはまっているようでマンネリ感の真保裕一。年一冊ペースで出しているようなので新作も楽しみになります。 |
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