この作品をダウンロードする


 

少年紳士探偵局

 


 

古井洋

 



 
 ロバート・ホワイトは、のどにつまった朝食のトーストをコーヒーで飲み下しながら時計を見た。八時四十五分。もう、余裕をもって学校に行ける時間ではない。
「行って来ます!」
 鞄を引っかけ、赤い野球帽を手に持って玄関を飛び出す。気持ちの良い晴れた春の朝だ。
 寝癖を残したままの金髪が歩調に合わせて揺れる。毎日の経験は、ロバートに息を切らさず、なおかつ遅刻しないような絶妙のペースを教えてくれた。今日もそのペースで中学校へと走る。
 だが、その日常を少しばかり狂わせるものがあった。
 車だ。それも大きな高級クラシックカーだ。それは、長いこと空き家だった隣の広大な屋敷の、広い庭の奥に止めてあった。
 そういえば、ずいぶん前から荷物が運び込まれていたっけ。ロバートは考えた。今度引っ越してきた人はあのきれいな庭を見せてくれるかな? 
 前の持ち主のブラウンさんは金持ちだったが子供嫌いで、ロバートや妹のメイプルが頼んでも庭には入れてくれなかった。
 あこがれの庭は二階の部屋から見えるだけの存在だったのだ。ブラウンさんがロサンゼルスに引っ越してからは屋敷は閉鎖されていたのでもちろん入れなかった。塀を乗り越えれば入れたのだろうがそんなやり方は嫌いだった。
 そこまで考えて、ロバートは自分が立ち止まっていることに気がついた。全力で走らなければ遅刻だ。
 ロバートは手に持っていた野球帽をかぶると再び走り出した。

「よう、ボブ。今日は『余裕のセーフ』じゃないみたいだな」
 息を切らせて教室にかけ込んだロバートに友人のトーマスが声をかけた。
「いや、隣の家に人が引っ越してきたらしくてさ」
 野球帽をとって扇ぎながらロバートは答える。
「あの屋敷に? すげー金持ちなんだな。いつ引っ越してきたんだ?」
「昨日……かな? 気がついたら車があったんだ」
「そうか。そういえば今日から転校生が来るって話だけど。そこの家の子供じゃないか?」
「転校生? そうか、どうりで先生、遅いはずだ。一生懸命走って損したよ」
「まあ、いいじゃないか。ところでさ、ロバート」
「なんだよ、急に改まって」
「来週の土曜日のダンスパーティだけどさ、お前の妹、誘っていいかな」
「タイニーはどうした?」
「ふられた」
 トーマスは肩を落として、言った。
「代わりにか?」
「いいじゃないか、なあ、ボブ」
「いいけどさ、メイプルは競争率高いぜ」
 ロバートは両手を広げる。
「だから、お前から頼んでくれよ」
「ダメだ。自分で頼めよ」
「ケチ、まさかお前、妹とダンスパーティーに行くつもりじゃないだろうな」
「バカ言うな! お前だけひいきはできないって言ってるんだ」
「わかった、わかった。自分で努力するよ」
「あんな、そばかすおてんば娘のどこがいいんだか」
「僕はジェニーを誘おうと思ってる」
「無難な所だな」
 そこへ、担任のミズ・カーペンターが入ってきた。あっという間にクラスが静まる。ミズ・カーペンターを恐れてではない。彼女は至って温厚な教師で人気もある。問題はその後ろについて入って来た少年であった。
「転校生を紹介します」
 少年は一歩前に出た。優雅な動作だった。
「イギリスのビューロウ・パブリックスクールから参りました、リチャード・キングです。以後、よろしくお願いします」
 静まり返ったクラスが再びざわつく。
 少年が着ているのは紺の背広だった。そして、ネクタイ。
 それは、彼が他の服装でいるところを想像できないほど似合っていた。優雅におじぎをし、眼にかかった茶色の髪をこれまた優雅に払う。まるで、コミックに出てくる英国紳士のようだったが、ロバートは何か引っかかるものを感じた。
 そう、彼はこの晴れた日に傘を持っているのだ。黒い、紳士用の蝙蝠傘だ。少年は決して背が高い方ではなかったがそれを差し引いても大きな傘だ。
 ミズ・カーペンターもいぶかしげな眼をして傘を見ていたが、個性重視の教育方針に邪魔されてか何も聞かなかった。
「リチャード、家はサンリット通りでしたね」
「はい、ミズ・カーペンター」
「ボブ、あなたもサンリットですね」
「ええ、そうです」
「それでは、リチャード。ロバート・ホワイトの隣に行って下さい。わからないことは彼に聞くように」
「はい、ミズ・カーペンター」
 リチャードはロバートの隣に座った。
「よろしく、ロバート」
「ボブでいいよ」
「では、ボブ。よろしく」
 二人は握手を交わした。この奇妙な少年紳士とは友達になれそうだ、とロバートは何となく思った。

「リチャード、その傘は何なんだい?」
 学校からの帰り道でロバートは聞いた。
「祖父の趣味ですよ」
 リチャードは軽く肩をすくめた。
「服装も?」
「ええ、紳士はこうでなくてはと言うので」
「大変だね」
「いえ、私は気に入っています」
「そういえば、どうしてアメリカに?」
「父の仕事の都合です。元々、母や祖父もアメリカで暮らしたがっていましたし」
「アメリカは好きになれそうかい?」
「まだ、わかりません。でも、家は好きです」
「何故?」
「庭がとてもきれいですから」
 ロバートはにわかにうれしくなった。
「やっぱりそう思うかい!? 僕もずっとあの庭が好きだったんだ。リチャード、今度あの庭を見せてくれないか?」
「喜んでお見せします。今日の、お茶の時間にでもいかがです?」
「妹のメイプルを連れていって良いかな? 庭を見たがっているんだ」
「ええ、どうぞ」
 二人はちょうど、サンリット通りにさしかかったところだった。
「では、後ほど」
「三十分くらいしたら行くよ」
 二人はキング家の門の前で別れた。ロバートは、家に駆け込むと鞄を放り出し、叫んだ。
「メイプル! いるかい?」
「あらボブ、お帰り」
「帰ってたのか」
「たった今ね。……そういえば、学校でトーマスからダンスパーティーに誘われたわ」
「OKしたのか?」
「トーマスってわたしの好みじゃないの。もっと知的で優しい人がいいな」
「贅沢言ってると、相手がいなくなるぞ。何人振ったんだ?」
「トーマスで六人目よ」
「まったく。こんなおてんばそばかす娘のどこがいいんだか」
「人気があるのは事実だもの、仕方がないわ」
「まあ、いいか。ところで、今日、ひまか?」
「うん。なんで?」
「隣の家に人が引っ越してきたの知ってるだろ?」
「知ってるわよ。すごいお金持ちらしいね」
「隣の子、僕と同じクラスなんだ。今日、お茶に呼んでくれるって」
「素敵! その人ってどんな人?」
「ちょっと変わってる」
 ロバートにはそれ以外の表現が思いつかなかった。

「妹のメイプルだ。メイプル、こちらはリチャード」
「リチャード・キングです。よろしく」
「メイプル・ホワイトです。こちらこそよろしく」
「では、お二人ともテラスの方へどうぞ。いま、お茶の用意をさせていますから」
「リチャードってすごいハンサムね。知ってたらもうちょっとおしゃれしてきたのに」
 メイプルはTシャツにジーパンというラフな格好だ。
「したことないくせに」
「失礼ね、おしゃれする価値のある相手がいないだけよ」
 憤慨する妹を横目に、ロバートは辺りを見回した。
 緑に囲まれた、暖かい日光が降りそそぐ隣の庭。ずっと窓から眺めるだけだったその庭にロバートはいた。
「この石像、僕の部屋からは見えなかったな。あっ、あんな所に噴水がある!」
 ロバートは子供のようにはしゃいでいた。
「まるで絵の中にいるみたいね!」
 メイプルも少し興奮気味だ。
「ありがとう、リチャード」
 彼女は思わずリチャードの手を握った。
「い、いえ。こんなに喜んでいただけるなんて光栄です」
 ロバートはリチャードがわずかに赤面したのを見て、少しおかしくなった。この少年紳士もいつも超然としている訳ではないらしい。
 少し歩くと、テラスが見えてきた。白髪の大柄な老人がティーカップを並べている。
「リチャード様、お茶の用意ができました」
「ありがとう、ジョン。ボブ、メイプル。執事のジョンです」
「ロバート様、メイプル様、ようこそいらっしゃいました」
「ジョン、下がって結構です」
「はい、リチャード様。お二人とも、ごゆっくり」
 ジョンは屋敷へ戻った。
「広い家ね、ご家族は?」
「両親と祖父、あとは執事のジョンが一緒に住んでいます。……どうやら、祖父が来たようです」
 ロバートが振り向くと、立派な口ひげを蓄えた老紳士がやって来るところだった。
「祖父のジャックです」
 リチャードが紹介する。
「お友達かね?」
「お隣のホワイト家の方々です」
「そうか、そうか。ご挨拶が遅れてしまいましてな、今日の夜にでもうかがいますので」
「いえ、こちらこそ突然お邪魔してしまって」
 ロバートは丁寧な挨拶に恐縮してしまった。
「とんでもない、リチャードのお友達なら大歓迎ですぞ。これからも仲良くしてやって下さい。では、わしはこれで失礼します」
「おじいさま、気を付けて下さいよ」
「わかっとる、心配するな」
 老紳士は手を振って悠然と歩いて行った。
「気を付けるって、何を?」
 メイプルが聞く。
「祖父は発明が趣味なんです。いつも研究室にこもっているのですが、よく事故を起こすのですよ」
「まあ、大変」
「けがをしたことは一度もないのですがね。どうも、悪運が強いようで。この家も地下を研究室に改造してあります」
「それは、すごいや。今度見せてよ」
「ええ、機会があって危険がなかったらお見せします」
 ロバートにはそれが冗談なのか本当に危険なのかはわからなかった。

「今日は楽しかったわ」
「また、遊びにいらっしゃって下さい」
 キング邸で二時間ほど過ごした後、ホワイト兄妹は屋敷を出た。もう、日が沈む時間だ。
「明日、一緒に学校行こうよ」
「あてにしない方がいいわよ、リチャード。ボブを待っていたら走って学校へ行く羽目になるわ」
「ご心配なく。足には自信がありますから」
「おいおい、リチャード。君まで僕が寝坊するという前提で話すことはないじゃないか」
「おや、これは失礼」
 三人は笑った。
「では、また明日」
 ロバートとメイプルは、隣の自宅に向かって歩き始めた。
「リチャードって素敵ね。今度のダンスパーティー、あの人を誘おうかしら」
「どうかな、向こうから願い下げじゃないのかな」
「いじわる!」
 その時、後ろから猛スピードで走ってきた赤いスポーツカーが二人の横で急停止した。ドアが開き、伸びてきた手があっと言う間にメイプルのポニーテールををつかんで車の中に引っぱり込む。
「きゃあっ、何すんのよ!」
 メイプルは悲鳴を上げた。
 さらに、後部座席から飛び出して来た影がロバートの手をひねりあげ、口元に妙な臭いのする布が押し当てた。
 だが、それは一瞬のことだった。ロバートを捕まえていた手が、ロバートを突き飛ばしたからだ。
 痛みで顔をしかめつつ見上げると、若い男とリチャードが対峙している。リチャードはあのこうもり傘をフェンシングフォイルのように構えていた。
「トロン! 一人でいいわ、ずらかるわよ!」
 運転席の人物が叫ぶ。若い女だ。
 若い男がその声に気を取られた一瞬、リチャードは傘を突き出した。だが、トロンと呼ばれた男は見事な反応で突きをかわし、車の屋根に飛び乗る。そのまま、車は急発進した。
「あんたたち、警察に知らせたらこの子の命はないからね!」
 運転席の女が叫んだ。
「メイプル!」
「逃がしません」
 リチャードは傘をライフルのように構え、柄に付いたボタンを押した。傘の先から何か小さな物体が飛び出す。次いで、もう一発。
「ど、どうしよう!」
「私は後を追います。あなたはご両親に知らせて下さい」
「後を追う!?」
「発信器をつけました」
 リチャードは腕時計に向かって叫んだ。
「ジョン、車を出して下さい。大至急頼みます」
「かしこまりました」
 腕時計からジョンの声が聞こえる。
「リチャード、それは一体?」
「祖父の発明です」
 門が開き、朝、ロバートが見たクラシックカーがすべり出た。
「では、ボブ。行って参ります」
「待って、リチャード。僕も行くよ!」
「わかりました。ジョン、発信器を追って下さい!」
 ロバートはリチャードに続いて車に乗り込んだ。
 車は急発進した。外観に似合わない加速力だ。
「ジョン、メイプルが誘拐されたのです。急いで下さい」
「はい、リチャード様」
 ジョンはスピードを上げた。
「なんでメイプルが誘拐されたんだろう」
「私の家から出てきたから、家の者と間違えられたのでしょう。申し訳ありません」
「リチャード、君が謝ることはないよ。君の家に行きたいと言ったのは僕だ」
「ありがとう、ボブ。どちらにせよ、メイプルは私たちで助け出しましょう」
 助け出すだって? このおとなしそうな少年が?
 ボブはじっとリチャードを見た。そして、その深い茶色の瞳に鉄の意志を見つけた。
 彼を信じよう。
 ボブは思った。


 

次へ

 


トップページへ

作品リストへ