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ゼロボール
〜重力のない試合場〜
古井洋
- ゼロボール
- (正式:ゼログラヴィティーボール)
- 1、無重力の試合場内で、ボールを相手
- ゴールに入れて得点を競う球技。
- ガーディアン以外の選手がボールを
- つかむと反則になる。
- 2、右記の競技に使うボール。
- ……ブリティッシュ・エース出版
- 「新宇宙時代用語辞典」より
- 一章 ニューハイランド選手権、決勝
- 試合場は長さ百メートル、直径三十メートル。角はなく、両底
- 面と円筒部分はなめらかな曲線でつなげられていて、その外壁は
- 強化プラスチック製だ。さらに試合場の五メートル外側にも観客
- 席と試合場とを隔てる壁がある。壁の強化プラスチックはいずれ
- も無色透明で五万の観客は二枚の壁を隔てた試合場内の様子ばか
- りか四枚の壁を隔てた反対側の観客席まで何の支障もなく見通す
- 事が出来た。
- いま、試合場の両底面にある直径五メートルのゲートから選手
- たちが試合場に入って行く。二チーム合わせて三十二人の選手が
- 壁を蹴って試合場内を移動し、それぞれのポジションの壁で停止
- する。金属製のゴールリングと捕虫網のようなゴールネットが
- ゲートに取り付けられ、試合開始の合図である電子音が鳴り響い
- た。
- ゴールリングをつかんで待機していた一方のガーディアンがあ
- らかじめ渡されていたボールを味方選手に向かって投げる。
- 試合場内は一気に活性化した。
- 「さあ、始まりました。ニューハイランド・ゼロボール選手権、
- 決勝戦。ここ、アノーヴァル記念無重力スタジアムは五万人の観
- 客で埋まっています。画面右から左に攻めるのはファンクーヘル
- 代表Z.C.ヤンクス、オレンジのユニフォーム。対するはブル
- フォード代表ウェートンナイツ、白のユニフォーム。共に今大会
- 優勝候補として順当に勝ち上がって来ました。ニューハイランド
- 最強の証である金星 を来年一年間ユニフォームに着けるのは
- どちらのチームになるのでしょうか? この放送は地球三百四十
- 地域、宇宙百六十地域に衛星回線を通じて届けられています。
- 「それでは、両チームの選手を紹介していきましょう。Z.C.
- ヤンクス、背番号一番、ガーディアン、トマス・ヘンドリック。
- 身長百九十八センチの巨体を生かしたセービングには定評があり
- ます。二番、バック、ハンス・リオット……」
- 観客席というのは慣習上の呼び名であって正しい言い方ではな
- い。観客は体が宙に流れ出さない様にベルトで体を固定し、手摺
- りにつかまって試合を見ている。実際に「席」はない。
- 「観客席」は試合場を囲む様に配置され、大きく二つに別れて
- いる。言うまでもなく、二つのチームの応援客を分けるためだ。
- その二つの観客席を仕切る空間はスタッフや報道機関の席や、選
- 手や審判の入退場のために使われている。監督やコーチ、控え選
- 手のためのホームスペースもそこにあった。
- 「出だしは上々だ、油断さえしなければ点を取られるような事は
- ないだろう。もっとも、バクロフ監督も同じような事を考えてい
- るだろうが……」
- ウェートンナイツ監督、チャールズ・プラトカニスは試合場を
- 挟んで反対側に位置するZ.C.ヤンクスのホームスペースを見
- る。
- 「ハーフゾーンからボールが動きませんな」
- 首席コーチのデビッド・ワイズマンはリラックスした監督とは
- 対照的に緊張した面持ちであるが、それも当然の事だ。
- ゼロボール発祥の地であるニューハイランドには他の二つの宇
- 宙島群よりはるかにレベルの高いリーグが数多く存在する。
- ニューハイランド選手権の優勝チームがフロンティア選手権やペ
- ンライシェン選手権の優勝チームに破れた事は一度もなく、
- ニューハイランド最強という称号は同時に世界最強を意味する。
- ウェートンナイツは世界最強の座を賭けて戦っているのだ。
- 手ににじむ汗をズボンで拭き取り、控え選手たちに眼を転じた
- ワイズマンは軽い違和感を覚えた。若手の控え選手は身を乗り出
- し、ベテラン選手でさえ拳を握り締めて試合を見ている中、チー
- ムで最も若いハルヒ・ニシガイの冷静さが異様に映った。
- 手摺りを軽く握り、全身の力を抜いて壁のクッションに体を預
- けたハルヒの姿勢は無重力体育の教科書に載っている写真のよう
- だ。黒い瞳がボールを追って左右に動く。その瞳が一瞬ワイズマ
- ンの方を向き、何故か彼をぞっとさせた。
- ミーティングでも練習でも試合でも、なぜあいつは同じように
- 冷静な顔をしていられるんだ?
- 「膠着状態が続いています。試合開始から二十三分、どちらにも
- チャンスらしいチャンスがありません。前半終了まであと七分、
- この様子ではこのまま終わりそうですね」
- 「ええ、大きな試合ではよくある事ですが点を取るより取られな
- いことに意識が行ってしまうのです。両軍無
- 得点で前半を折り返した場合、後半は流れを変えてくるでしょ
- う」
- 「攻撃的になると?」
- 「ええ、たとえばヤンクスはもともとディフェンスの強いチーム
- ですが、今日はバックの選手を一人増やしてバック七人、ハーフ
- 五人、トップ三人という極端に守備的なシステムを採っていま
- す。バック六人、トップ四人という本来のシステムに戻して攻撃
- を厚くするという方法があります」
- 「では、ナイツの方はどうでしょう?」
- 「ナイツはいつもと同じバック五人、ハーフ五人、トップ五人の
- オーソドックスなスタイルです。おそらく後半もこのままのシス
- テムでいくでしょう。考えられるのは控え選手に入っている新
- 人、ハルヒ・ニシガイの投入です」
- 「ええ……、ニシガイ選手は今大会にもまったく出場していませ
- んね」
- 「プロ入りしてから通算三試合しか出場していません。が、三試
- 合で八アシスト、五ゴールという実績を残しています。その三試
- 合でチームが挙げた得点が十七ですから得点の八割近くに貢献し
- ていることになります。まあ、いずれも下位チームとの試合なの
- であまり注目されてはいませんが素晴らしい実力の持ち主です」
- 「彼はユース時代の活躍が目覚ましいですね」
- 「新人賞、アシスト王、MVP、フェアープレイ賞などを受賞し
- ています。なぜ、彼が試合に出ていないの不思議なくらいです」
- 「大きな試合に備えて温存しておいたとは考えられないでしょう
- か?」
- 「それはわかりませんが、私は彼が出てくる事を期待していま
- す」
- 「そうですか。おっと、試合の方は残り五分となっています。
- Z.C.ヤンクス対ウェートンナイツ、いまだ両軍無得点です」
- 「さあ、そろそろ試合が始まる時間だ」
- プラトカニス監督の言葉と同時にホームスペース内の緊張が高
- まる。
- 試合場のすぐ外にある電光掲示板が残り時間四分五十八秒を示
- した。
- ウェートンナイツのキャプテン、ゲイリー・アンダーソンは時
- 間を見てパスを出す先を変更した。バックの選手同士でパスを回
- すのを止め、ボールをハーフエリアへと送る。今までの緩慢な試
- 合展開に慣れきっていたヤンクスのハーフ陣は突然の鋭いパスに
- 対応できず、ボールはあっさりナイツのハーフ、ユルゲン・サッ
- トマンへ飛んだ。サットマンは素早く正確に周囲の状況を確認す
- るとボールをキープせずに同じハーフのミハエル・サイツィン
- ガーへと流す。
- サイツィンガーは全力で壁を蹴り、自分をマークしていた敵選
- 手を一瞬で後方に置き去りにした。空中で飛んできたボールの勢
- いを殺し、ボールを自分の進路の先へ送る。ボールが壁に跳ね返
- るのに少し遅れてサイツィンガーは膝を抱えて前方に回転し壁を
- 蹴ってターンした。先回りした敵バックがボールに手を延ばす。
- 一瞬の差でボールをさらったサイツィンガーは再びボールを壁へ
- 戻した。自軍のバックゾーンからはるかに前に出たアル・アサド
- がサイツィンガーからのボールに飛び込み、壁を蹴って前進す
- る。
- アサドはそのままハーフゾーンからトップゾーンに入った。ヤ
- ンクスから見れば自軍バックゾーンに侵入されたことになる。ヤ
- ンクスのバック陣は突然の攻撃に乱れを見せたものの決定的なミ
- スを犯しはしなかった。早くも、アサドの進行方向にヤンクスの
- バックが割り込む。アサドは一瞬の判断でボールだけを置き去り
- にしたが、空中で方向を変えることは出来ないので妨害に入った
- 選手と衝突する。ヘッドギアとプロテクターを着けているものの
- 吸収しきれない衝撃だけでも十分に激しい。
- ほぼ静止状態のボールを手中に収めたのはトップのジョン・ス
- ミスだった。彼は虎視眈眈とロストボールを狙い、アサドのカ
- バーに入っていたのだ。ジョン・スミスの視界の隅にトップのホ
- セ・パゴットを指しているミハエル・サイツィンガーが映った。
- パゴットが壁を蹴る。ジョン・スミスはパゴットの軌道を見極
- め、ボールを叩いた。一直線に飛んだボールは見事にパゴットの
- 手へ飛ぶ、直接シュートを狙える位置だ。だが、ヤンクスのバッ
- クはパゴットのシュートコースをふさぐ軌道に入っている。パ
- ゴットは再びボールを後方へと返した。そこにはミハエル・サイ
- ツィンガーがいる。
- ヤンクスのガーディアン、トマス・ヘンドリックはサイツィン
- ガーに注目した。警戒すべきはサイツィンガーのミドルレンジか
- らのシュートだ。ナイツで最も危険なこの選手は得点の多くをこ
- の距離から挙げている。しかし、ジョン・スミスへのパスも考え
- られる。どちらにせよタイミングを見誤れば失点につながってし
- まう。
- その瞬間、ヘンドリックとサイツィンガーの間にヤンクスの
- バック、ライアン・オーモットが入り込んだ。ホセ・パゴットの
- マークについたのだ。いま、サイツィンガーはヘンドリックの視
- 界から隠されてしまっている。ホセ・パゴットとライアン・オー
- モットがもつれ合うようにヘンドリックの視界を左から右へと通
- り過ぎた直後、今度はジョン・スミスがサイツィンガーの姿を隠
- した。ジョン・スミスはゴールに背を向けてヘンドリックの視界
- を上から下へと通り過ぎようとしている。ヘンドリックは焦っ
- た。サイツィンガーはこのブラインド状態を利用してどこにパス
- を出すのか?ユルゲン・サットマンか、ジョン・スミスか、ホ
- セ・パゴットか? いずれにせよ間違った方向へ動けば致命的な
- 結果になりかねない。ジョン・スミスが視界をふさいでいる一秒
- 弱の時間がやけに長く感じられた。スミスが通り過ぎ、数秒ぶり
- にサイツィンガーが見えるようになった。サイツィンガーは
- シュート後の姿勢で止まっている。そして、ボールは……
- ゴールに、それもヘンドリックがつかんでいるのと反対のサイ
- ドに向かっている。ヘンドリックは足を縮め、つかんでいたゴー
- ルリングを蹴った。長年の経験で蹴った瞬間にはもう届かないと
- わかっていた。それでも懸命に手をのばさずにはいられなかっ
- た。そして、最後にはゴールリングが守ってくれることを祈っ
- た。
- その思いを外に、ボールはゴールリングの内側に当たり、ゴー
- ルネットに引っ掛かって止まった。
- 「決めました、ミハエル・サイツィンガー! 両軍無得点のまま
- 前半終了かと思われた前半二十五分。ウェートンナイツ、初めて
- のチャンスをものにしました!先取点はウェートンナイツ!」
- 「素晴らしい得点でした。バックからのつなぎも見事でしたが、
- 最後のあのシュート。実に見事です」
- 「ヘンドリックの反応が遅れたように見えたのですが?」
- 「当然ですね、最初にホセ・パゴットとそのマークをしているラ
- イアン・オーモット、次いでジョン・スミスがヘンドリックの視
- 界をさえぎるように動いています。サイツィンガーはホセ・パ
- ゴットが通りすぎた瞬間にシュートしていますが、投げた瞬間が
- ヘンドリックには見えません。そして、ジョン・スミスがガー
- ディアンに背中を見せることでパスを受け取る姿勢であるかのよ
- うに見せています。ジョン・スミスが通りすぎる頃にはボールは
- もうゴールの目前です。また、シュートは非常に正確なタイミン
- グで放たれています。これより早ければジョン・スミスに当たっ
- てしまいますし遅ければヘンドリックに取られていたかも知れま
- せん。さらに、コースも正確です。ゴールリングの内側、それも
- 最もヘンドリックから遠い部分に当たっているのは偶然ではない
- でしょう」
- 「はい、状況をうまく利用したサイツィンガー選手の得点でし
- た。では、その素晴らしいプレイをもう一度ご覧いただきましょ
- う……」
- この一点は試合のバランスを変えた。後半、一点を取り返すた
- めに焦って荒い攻撃を仕掛けたヤンクスはナイツのカウンター攻
- 撃の前にさらに三点を失い、試合はナイツの一方的な勝利という
- 結果に終わった……。
- 八年ぶりにニューハイランド選手権での優勝を飾ったナイツの
- 選手たちは喜びを身体全体で表現しながら試合場内を飛び回っ
- た。ヤンクスの選手たちがナイツの選手と握手を交わし、一人、
- また一人と試合場を出ていく。ヤンクスもまた、ニューハイラン
- ドのゼロボールチームの中で最も遅いオフシーズンを迎えるの
- だ。
- 長さ百メートル、直径三十メートルの試合場。その形状は宇宙
- 島を連想させる。宇宙島民にとって全てが宇宙島の中にあるよう
- に、ゼロボール選手には全てが試合場の中にある。
- ニューハイランド選手権決勝戦
- ウェートンナイツ 対 Z.C.ヤンクス
- 4 − 0
- 得点者
- ナイツ:ミハエル・サイツインガー
- (前半二十五分 アシスト:J・スミス)
- ナイツ:ジョン・スミス
- (後半二分 アシスト:M・サイツィンガー)
- ナイツ:ホセ・パゴット
- (後半十五分 アシスト:R・メンテル)
- ナイツ:ミハエル・サイツィンガー
- (後半二十七分 アシスト:G・アンダーソン)
- ボールを手でつかんだり、体の一部で挟んだ
- りしてはならない。
- ゼロボールを楽しむために必要なのはこのル
- ールを憶える事だけだ。あとは良識に基づいて
- プレイをしていれば良い。
- だが、うまくプレイしようとするなら話は別
- だ。もっと多くのものを必要とする。例えば瞬
- 発力、バランス感覚。筋力はあまり必要ないが
- あったほうが良い。その他にも、集中力、判断
- 力。ゲームメーカーになりたいなら想像力も不
- 可欠だ。
- ……フランツ・ブレーデセン著
- 『無重力下三百六十万秒』より
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