重力のない試合場                古井真仁 ゼロボール (正式:ゼログラヴィティーボール)  1、無重力の試合場内で、ボールを相手     ゴールに入れて得点を競う球技。     ガーディアン以外の選手がボールを     つかむと反則になる。  2、右記の競技に使うボール。     ……ブリティッシュ・エース出版       「新宇宙時代用語辞典」より 一章 ニューハイランド選手権、決勝 試合場は長さ百メートル、直径三十メートル。角はなく、両底面と円筒部分はなめらかな曲線でつなげられていて、その外壁は強化プラスチック製だ。さらに試合場の五メートル外側にも観客席と試合場とを隔てる壁がある。壁の強化プラスチックはいずれも無色透明で五万の観客は二枚の壁を隔てた試合場内の様子ばかりか四枚の壁を隔てた反対側の観客席まで何の支障もなく見通す事が出来た。  いま、試合場の両底面にある直径五メートルのゲートから選手たちが試合場に入って行く。二チーム合わせて三十二人の選手が壁を蹴って試合場内を移動し、それぞれのポジションの壁で停止する。金属製のゴールリングと捕虫網のようなゴールネットがゲートに取り付けられ、試合開始の合図である電子音が鳴り響いた。  ゴールリングをつかんで待機していた一方のガーディアンがあらかじめ渡されていたボールを味方選手に向かって投げる。  試合場内は一気に活性化した。 「さあ、始まりました。ニューハイランド・ゼロボール選手権、決勝戦。ここ、アノーヴァル記念無重力スタジアムは五万人の観客で埋まっています。画面右から左に攻めるのはファンクーヘル代表Z.C.ヤンクス、オレンジのユニフォーム。対するはブルフォード代表ウェートンナイツ、白のユニフォーム。共に今大会優勝候補として順当に勝ち上がって来ました。ニューハイランド最強の証である金星  を来年一年間ユニフォームに着けるのはどちらのチームになるのでしょうか? この放送は地球三百四十地域、宇宙百六十地域に衛星回線を通じて届けられています。 「それでは、両チームの選手を紹介していきましょう。Z.C.ヤンクス、背番号一番、ガーディアン、トマス・ヘンドリック。身長百九十八センチの巨体を生かしたセービングには定評があります。二番、バック、ハンス・リオット……」  観客席というのは慣習上の呼び名であって正しい言い方ではない。観客は体が宙に流れ出さない様にベルトで体を固定し、手摺りにつかまって試合を見ている。実際に「席」はない。  「観客席」は試合場を囲む様に配置され、大きく二つに別れている。言うまでもなく、二つのチームの応援客を分けるためだ。その二つの観客席を仕切る空間はスタッフや報道機関の席や、選手や審判の入退場のために使われている。監督やコーチ、控え選手のためのホームスペースもそこにあった。 「出だしは上々だ、油断さえしなければ点を取られるような事はないだろう。もっとも、バクロフ監督も同じような事を考えているだろうが……」  ウェートンナイツ監督、チャールズ・プラトカニスは試合場を挟んで反対側に位置するZ.C.ヤンクスのホームスペースを見る。 「ハーフゾーンからボールが動きませんな」  首席コーチのデビッド・ワイズマンはリラックスした監督とは対照的に緊張した面持ちであるが、それも当然の事だ。  ゼロボール発祥の地であるニューハイランドには他の二つの宇宙島群よりはるかにレベルの高いリーグが数多く存在する。ニューハイランド選手権の優勝チームがフロンティア選手権やペンライシェン選手権の優勝チームに破れた事は一度もなく、ニューハイランド最強という称号は同時に世界最強を意味する。ウェートンナイツは世界最強の座を賭けて戦っているのだ。  手ににじむ汗をズボンで拭き取り、控え選手たちに眼を転じたワイズマンは軽い違和感を覚えた。若手の控え選手は身を乗り出し、ベテラン選手でさえ拳を握り締めて試合を見ている中、チームで最も若いハルヒ・ニシガイの冷静さが異様に映った。  手摺りを軽く握り、全身の力を抜いて壁のクッションに体を預けたハルヒの姿勢は無重力体育の教科書に載っている写真のようだ。黒い瞳がボールを追って左右に動く。その瞳が一瞬ワイズマンの方を向き、何故か彼をぞっとさせた。  ミーティングでも練習でも試合でも、なぜあいつは同じように冷静な顔をしていられるんだ? 「膠着状態が続いています。試合開始から二十三分、どちらにもチャンスらしいチャンスがありません。前半終了まであと七分、この様子ではこのまま終わりそうですね」 「ええ、大きな試合ではよくある事ですが点を取るより取られないことに意識が行ってしまうのです。両軍無 得点で前半を折り返した場合、後半は流れを変えてくるでしょう」 「攻撃的になると?」 「ええ、たとえばヤンクスはもともとディフェンスの強いチームですが、今日はバックの選手を一人増やしてバック七人、ハーフ五人、トップ三人という極端に守備的なシステムを採っています。バック六人、トップ四人という本来のシステムに戻して攻撃を厚くするという方法があります」 「では、ナイツの方はどうでしょう?」 「ナイツはいつもと同じバック五人、ハーフ五人、トップ五人のオーソドックスなスタイルです。おそらく後半もこのままのシステムでいくでしょう。考えられるのは控え選手に入っている新人、ハルヒ・ニシガイの投入です」 「ええ……、ニシガイ選手は今大会にもまったく出場していませんね」 「プロ入りしてから通算三試合しか出場していません。が、三試合で八アシスト、五ゴールという実績を残しています。その三試合でチームが挙げた得点が十七ですから得点の八割近くに貢献していることになります。まあ、いずれも下位チームとの試合なのであまり注目されてはいませんが素晴らしい実力の持ち主です」 「彼はユース時代の活躍が目覚ましいですね」 「新人賞、アシスト王、MVP、フェアープレイ賞などを受賞しています。なぜ、彼が試合に出ていないの不思議なくらいです」 「大きな試合に備えて温存しておいたとは考えられないでしょうか?」 「それはわかりませんが、私は彼が出てくる事を期待しています」 「そうですか。おっと、試合の方は残り五分となっています。Z.C.ヤンクス対ウェートンナイツ、いまだ両軍無得点です」 「さあ、そろそろ試合が始まる時間だ」  プラトカニス監督の言葉と同時にホームスペース内の緊張が高まる。  試合場のすぐ外にある電光掲示板が残り時間四分五十八秒を示した。  ウェートンナイツのキャプテン、ゲイリー・アンダーソンは時間を見てパスを出す先を変更した。バックの選手同士でパスを回すのを止め、ボールをハーフエリアへと送る。今までの緩慢な試合展開に慣れきっていたヤンクスのハーフ陣は突然の鋭いパスに対応できず、ボールはあっさりナイツのハーフ、ユルゲン・サットマンへ飛んだ。サットマンは素早く正確に周囲の状況を確認するとボールをキープせずに同じハーフのミハエル・サイツィンガーへと流す。  サイツィンガーは全力で壁を蹴り、自分をマークしていた敵選手を一瞬で後方に置き去りにした。空中で飛んできたボールの勢いを殺し、ボールを自分の進路の先へ送る。ボールが壁に跳ね返るのに少し遅れてサイツィンガーは膝を抱えて前方に回転し壁を蹴ってターンした。先回りした敵バックがボールに手を延ばす。一瞬の差でボールをさらったサイツィンガーは再びボールを壁へ戻した。自軍のバックゾーンからはるかに前に出たアル・アサドがサイツィンガーからのボールに飛び込み、壁を蹴って前進する。  アサドはそのままハーフゾーンからトップゾーンに入った。ヤンクスから見れば自軍バックゾーンに侵入されたことになる。ヤンクスのバック陣は突然の攻撃に乱れを見せたものの決定的なミスを犯しはしなかった。早くも、アサドの進行方向にヤンクスのバックが割り込む。アサドは一瞬の判断でボールだけを置き去りにしたが、空中で方向を変えることは出来ないので妨害に入った選手と衝突する。ヘッドギアとプロテクターを着けているものの吸収しきれない衝撃だけでも十分に激しい。  ほぼ静止状態のボールを手中に収めたのはトップのジョン・スミスだった。彼は虎視眈眈とロストボールを狙い、アサドのカバーに入っていたのだ。ジョン・スミスの視界の隅にトップのホセ・パゴットを指しているミハエル・サイツィンガーが映った。パゴットが壁を蹴る。ジョン・スミスはパゴットの軌道を見極め、ボールを叩いた。一直線に飛んだボールは見事にパゴットの手へ飛ぶ、直接シュートを狙える位置だ。だが、ヤンクスのバックはパゴットのシュートコースをふさぐ軌道に入っている。パゴットは再びボールを後方へと返した。そこにはミハエル・サイツィンガーがいる。  ヤンクスのガーディアン、トマス・ヘンドリックはサイツィンガーに注目した。警戒すべきはサイツィンガーのミドルレンジからのシュートだ。ナイツで最も危険なこの選手は得点の多くをこの距離から挙げている。しかし、ジョン・スミスへのパスも考えられる。どちらにせよタイミングを見誤れば失点につながってしまう。  その瞬間、ヘンドリックとサイツィンガーの間にヤンクスのバック、ライアン・オーモットが入り込んだ。ホセ・パゴットのマークについたのだ。いま、サイツィンガーはヘンドリックの視界から隠されてしまっている。ホセ・パゴットとライアン・オーモットがもつれ合うようにヘンドリックの視界を左から右へと通り過ぎた直後、今度はジョン・スミスがサイツィンガーの姿を隠した。ジョン・スミスはゴールに背を向けてヘンドリックの視界を上から下へと通り過ぎようとしている。ヘンドリックは焦った。サイツィンガーはこのブラインド状態を利用してどこにパスを出すのか?ユルゲン・サットマンか、ジョン・スミスか、ホセ・パゴットか? いずれにせよ間違った方向へ動けば致命的な結果になりかねない。ジョン・スミスが視界をふさいでいる一秒弱の時間がやけに長く感じられた。スミスが通り過ぎ、数秒ぶりにサイツィンガーが見えるようになった。サイツィンガーはシュート後の姿勢で止まっている。そして、ボールは……  ゴールに、それもヘンドリックがつかんでいるのと反対のサイドに向かっている。ヘンドリックは足を縮め、つかんでいたゴールリングを蹴った。長年の経験で蹴った瞬間にはもう届かないとわかっていた。それでも懸命に手をのばさずにはいられなかった。そして、最後にはゴールリングが守ってくれることを祈った。  その思いを外に、ボールはゴールリングの内側に当たり、ゴールネットに引っ掛かって止まった。 「決めました、ミハエル・サイツィンガー! 両軍無得点のまま前半終了かと思われた前半二十五分。ウェートンナイツ、初めてのチャンスをものにしました!先取点はウェートンナイツ!」 「素晴らしい得点でした。バックからのつなぎも見事でしたが、最後のあのシュート。実に見事です」 「ヘンドリックの反応が遅れたように見えたのですが?」 「当然ですね、最初にホセ・パゴットとそのマークをしているライアン・オーモット、次いでジョン・スミスがヘンドリックの視界をさえぎるように動いています。サイツィンガーはホセ・パゴットが通りすぎた瞬間にシュートしていますが、投げた瞬間がヘンドリックには見えません。そして、ジョン・スミスがガーディアンに背中を見せることでパスを受け取る姿勢であるかのように見せています。ジョン・スミスが通りすぎる頃にはボールはもうゴールの目前です。また、シュートは非常に正確なタイミングで放たれています。これより早ければジョン・スミスに当たってしまいますし遅ければヘンドリックに取られていたかも知れません。さらに、コースも正確です。ゴールリングの内側、それも最もヘンドリックから遠い部分に当たっているのは偶然ではないでしょう」 「はい、状況をうまく利用したサイツィンガー選手の得点でした。では、その素晴らしいプレイをもう一度ご覧いただきましょう……」  この一点は試合のバランスを変えた。後半、一点を取り返すために焦って荒い攻撃を仕掛けたヤンクスはナイツのカウンター攻撃の前にさらに三点を失い、試合はナイツの一方的な勝利という結果に終わった……。  八年ぶりにニューハイランド選手権での優勝を飾ったナイツの選手たちは喜びを身体全体で表現しながら試合場内を飛び回った。ヤンクスの選手たちがナイツの選手と握手を交わし、一人、また一人と試合場を出ていく。ヤンクスもまた、ニューハイランドのゼロボールチームの中で最も遅いオフシーズンを迎えるのだ。  長さ百メートル、直径三十メートルの試合場。その形状は宇宙島を連想させる。宇宙島民にとって全てが宇宙島の中にあるように、ゼロボール選手には全てが試合場の中にある。 ニューハイランド選手権決勝戦 ウェートンナイツ 対 Z.C.ヤンクス 4 − 0 得点者 ナイツ:ミハエル・サイツインガー (前半二十五分 アシスト:J・スミス) ナイツ:ジョン・スミス (後半二分 アシスト:M・サイツィンガー) ナイツ:ホセ・パゴット (後半十五分 アシスト:R・メンテル) ナイツ:ミハエル・サイツィンガー (後半二十七分 アシスト:G・アンダーソン)  ボールを手でつかんだり、体の一部で挟んだ りしてはならない。   ゼロボールを楽しむために必要なのはこのル ールを憶える事だけだ。あとは良識に基づいて プレイをしていれば良い。   だが、うまくプレイしようとするなら話は別 だ。もっと多くのものを必要とする。例えば瞬 発力、バランス感覚。筋力はあまり必要ないが あったほうが良い。その他にも、集中力、判断 力。ゲームメーカーになりたいなら想像力も不 可欠だ。      ……フランツ・ブレーデセン著      『無重力下三百六十万秒』より 二章 ハルヒ、ローマで…… 「ラムレーズンとチョコレートのダブルで、チョコレートには生クリームを乗せてください」  二十歳前後のはつらつとした女性はジェラートを受け取ると幼なじみのハルヒ・ニシガイの姿を探した。 「ハルヒ!」  骨董品屋のショーウィンドウをのぞいていた中背で細い東洋系の若者が振り返る。 「アンヘル、また買ってきたのか」 「ハルヒはいらないの?」 「いや、もういいよ」  アンヘル・リヤーはあくまで行儀よく、チョコレートとレーズンのジェラートを食べ始めた。 「おいしいかい?」 「ええ、あの広場のジェラート屋は最高よ」 「まあ、四時間で五つも食べる気になるんだからそうなんだろうとは思うよ」 「だって、あんなに種類があるんですもの。一つや二つには絞れないわ」  アンヘルは口紅の色が着いたジェラートを片手に力説した。 「残り二十五種類に挑戦するのはまた次の機会にしてほしいな。ディナーが食べられなくなってしまうよ」 「失礼ね、そんなに食べないわよ」 「どうだか」 「でも、夕食までにはお腹をすかせておかなくちゃね。残りあげる」  アンヘルは残り三分の二まで減ったジェラートを差し出した。ハルヒは一瞬、朝からの食事とジェラートのカロリーを計算しかけたがやめた。  今日くらいはいいだろう……。  ニューハイランド選手権が終わると、すべてのリーグが三ヵ月のオフシーズンとなる。  ウェートンナイツのフロントは優勝のボーナスと共に選手たちに通常より三日多い二週間の休暇を与えていた。ハルヒはその二週間の自主トレーニングのスケジュールを綿密に立てた上で、休暇の真ん中の三日間をアンヘル・リヤーとの地球旅行に使う事にしたのだ。  祖父母がイタリア出身のアンヘルは宇宙移民三世である。アンヘルの祖父が死去したときに祖母は出身地であるローマに降り、そこで余生を送っていた。その祖母がアンヘルとハルヒを招いたのだ。  愛する私の孫、アンヘルへ  ローマは今、大変良い気候です。  ハルヒを連れて一週間ほど  遊びにいらっしゃい。       あなたの祖母、シシーナより  ペンライシェン宇宙島群に住む自分の祖父母とほとんど会ったことのないハルヒを、アンヘルの祖母シシーナは自分の孫と同様に可愛がっていた。  ハルヒやアンヘルのような生粋の宇宙島民にとって地球とは砂漠や海、森林や大河であり、遥か過去から受け継がれた文化であり、空に浮かぶ巨大な青い球であった。誰でも、学校の教材やテレビ番組の映像で知識としての地球は知っているのだ。  だが、人は知っているだけでは物足りない。  そういう訳で、地球への旅行は盛んであった。  もちろん、ハルヒもアンヘルも地球は初めてではない。人並みに地球の自然を「観光」した事はあるが、「人の住む場所」として地球を見たのは初めてだ。  幼い頃からシシーナの思い出話を聞かされていなければ、ローマも二人にとって普通の観光都市の一つでしかなかっただろう。  祖母に地球の話をせがむのはいつもアンヘルだったが、うれしそうに自分が若い頃のローマを語るシシーナを見ると、ハルヒもそれを聞かずにはいられなかった。最後はいつもアンヘルの祖父、ロベルトとの馴れ初めの話になってしまい、そうなるとハルヒは恥ずかしくて聞いていられなかったのだがアンヘルはそこが一番好きで何度も聞きたがっていたものだ。 「何を考えているのかしら?」  思わず笑みを洩らしたハルヒにアンヘルが聞く。 「君の事……って言って欲しいかい」  ハルヒは残ったジェラートをまた一口食べる。 「どうせ、ゼロボールの事で頭がいっぱいなんでしょう?」 「そんな事はないよ、他にもいろいろ考える余地はある。君がジェラートの事ばかり考えている訳じゃないのと同じだよ」  ハルヒがジェラートをアンヘルの前に突き出して言うと、彼女はそれを奪いとって再びかぶりついた。 「あら、私はあなたと違っていちいち厳密に栄養を計算しなくても良いのだもの。美味しい物は満喫しなくちゃね」 「栄養を考えても美味しい食事はとれるよ」 「でも今日のディナーくらいは……」 「もちろんだよ、せっかくおばあさんが予約して下さったんだ。それに……」  ハルヒは首を軽く振って言った。 「たまにはゼロボールを忘れようと思ってる」  二人は朝一番の便 でローマに到着した。ローマ郊外の質素な家で二年ぶりに会ったアンヘルの祖母シシーナは、最後に見た時よりも元気そうだった。 「御免なさいね、夕食は私がご馳走しようと思っていたのに、近所の方々とのパーティーが今夜になってしまったの。みんなにはあなた方を連れていらっしゃいって言われたんだけど。お年寄りばかりのパーティーに行ってもつまらないでしょう? レストランを予約してあるから二人で行ってらっしゃい。小さなお店だけどとっても美味しいの」  ハルヒとアンヘルは昼を過ぎてからローマ市内に入った。買物をしながらぶらぶらと歩いているだけで時間は飛ぶように過ぎていった。アンヘルは五つのジェラートの他に祖母にプレゼントするテーブルクロスと膝かけを買い、ハルヒはシシーナとその孫のためにブローチを二つ買った。 「このお店かしら」  やっとたどり着いたレストランは確かに「小さなお店」だった。入り口に「味自慢のフランコの店」という看板がなければ普通の民家である。ドアを開けるとそこに取り付けられた鐘がカラカラと鳴った。 「いらっしゃい。あんたがリヤーさんのお孫さんかい?」  応対に出たエプロン姿の大柄な中年の女性が聞く。 「ええ、そうです」 「奥のテーブルへどうぞ」  小さな店の割にゆったりと空間がとってあり、テーブルの間には仕切りがしてあった。その分テーブルは四つしかなく、そのうち三つにはすでに他の客がいる。  アンヘルとハルヒは二人で使うには大きなテーブルを挟んで向かいあって座った。メニューはなく、店の方で料理を選んで出してくれるのだ。  ハルヒは何となく辺りを見回して言った。 「この店って、五十年くらい前には『ディーノの味自慢の店』って言う店だったんじゃないかな?」 「おばあさんの話に出てくる?」  ハルヒはうなずく。 「私もこのお店に入ったときから、何か見たことがあるなって思ってたの。きっとそうだと思うわ」 「僕もだよ。名前が変わってたから気付かなかったけど。もし、本当におばあさんの話に出てきた店なら今の主人はその頃の主人の孫かもしれないね」 「おばあさんが、おばあさんのおばあさんに連れられて来たって言ってた。最後に来た時はおじいさんとだったとも……」 「おばあさんが結婚して宇宙に上がって、五十年もたっているのにこの店はずっとここにあったんだ」 「おばあさんがこの街に戻って来た訳も何となく分かるわね」 「ローマは変わらない街なのかもしれないね」 「ええ、そうですよ」  料理を運んで来たさっきの大柄な女性が話に口をはさんだ。 「あたしの祖母もローマは小さい頃から変わらないって言ってました。祖母がその祖母から聞いたっていうローマも今と同じですよ」 「この店はやはり昔から?」 「ええ、ずっと昔からですよ。あたしの亭主で八代目って聞いてますよ。いくら変わらない街でもここまで変わらない所はそうないよ」  アンヘルの問いにおかみが答える。 「でも、ローマだけじゃない、きっと地球はどこでもそうだよ。人間が一生を生きる間に世界が変わっちまうような時代は終わったんだ。それが嫌な人間はみんな宇宙へ行くのさ」 「宇宙だってそう変わるものではないですよ」  ハルヒは思わず反論した。 「そうかもしれないね。きっとそれに気付いた人間が地球に帰ってくるんだよ。あたしは地球が好きですよ……」  おかみは手が止まっているのに気が付いてあわてて料理を並べる。 「さあ、熱いうちに召し上がって下さい。では、ごゆっくり」  二人は見た目の派手さこそないものの豪華な材料を使ったイタリア家庭風の料理を食べ始めた。 「ハルヒはさっきの事、どう思う?」 「地球に住む人には、結局人類は地球に帰るんだって考える人が多いらしいけど、少なくとも僕にとって地球は帰る場所じゃない。というより、帰る場所なんかないんじゃないかと思うんだ」 「どうして?」 「地球では地域によって文化は違うものだ。人種も地域によって偏っている。でも宇宙ではみんなごちゃ混ぜだ。最初、ニューハイランドにはヨーロッパ人、ペンライシェンにはアジア人、フロンティアにはアメリカ人が住んでいたって言うけど何百年も経て残っているのは地名だけだ」 「そうね」 「宇宙は動くんだ。僕はさっき宇宙もそう変わらないって言ったけど、ちょっと違ったかもしれない。宇宙は常に動いていてごちゃ混ぜなんだよ。ニューハイランド、フロンティア、ペンライシェン。どこへ行ってもそこは宇宙なんだよ」 「なるほどね。おばあさんにとっては帰るところはローマしかない。でも私たちは宇宙ならどこでもいいんだって言いたいんでしょう」 「地球の重力はすべてが混沌となるのを妨げているのかもしれない」 「宇宙にはつなぎ止めるものがないのね」 「僕の立場から見れば、ここには無重力空間がないと言った方がいいかもしれないな」 「あら、結局ゼロボールが恋しいのね」 「無重力が、と言った方がいいかもしれないな。ゼロボール選手はみんな無重力気違いみたいなものだよ。競技そのものよりも無重力という状態が好きなんだ」 「でも、無重力というだけなら他にもスポーツがあるでしょう」 「そこだよ。たいていの無重力スポーツは無重力という状態を生かしたものだ。でもゼロボールは違う。無重力という困難な状態で競技をするスポーツなんだよ」  ハルヒはうれしそうに言った。 「宇宙に『帰りたく』なった?」 「ローマに飽きるのにはまだ早いよ」  三日目の昼すぎ、二人はローマ郊外の宇宙港からシャトルで飛びたった。シシーナはさらに数日の滞在を勧めたが、あまり長い間、無重力から離れるとハルヒのトレーニングに差し障るという理由で断った。シャトルが地球の重力を振りきり加速を終えて慣性飛行に移るとハルヒの気分は昂揚した。ハルヒは宇宙に「帰って」来たのだ。   四月三日のブルフォード・ゼロボールリーグ 開幕に向けて、各チームは最終調整段階に入っ ている。今期、注目度ナンバーワンのチームは 先のプレシーズン戦でもフロンティア・グリー ンレイクのホワイトイーグルスに十二対一で圧 勝したウェートンナイツであろう。 フルメンバーでニューハイランド最強のチー ムに挑んだイーグルスに対し、ナイツは若手選 手中心としたチームで応じた。   なかでも、ミハエル・サイツィンガーの代わ りにゲームメーカーを務めたハルヒ・ニシガイ は、六アシスト、三得点とチームに大きく貢献 し、五ヵ月ぶりにその実力をアピール。今期こ そ主力選手として活躍するだろう。   優勝争いはウェートンナイツを中心に行なわ れると予想される。前期のようにナイツが柔軟 なプレイで他チームを圧倒するか、それともナ イツを押さえるチームが出てくるのか。いずれ にせよ、ウェートンナイツからは眼が離せない。     ……三月二十八日発行       「サンライズ・トゥデイ」紙             スポーツ欄より 三章 宇宙島の空は…… 「残り時間は二分。ウェートンナイツ@ラインZ.C.の分厚い守りを崩すことができません。ラインはカームとガリクソン、二人のトップをナイツ陣内に残すのみ。全員が守りに入っています。後半二十九分にして両チーム共に無得点。ナイツ、またも『引き分け策』に封じられるのか!」  ウェートンナイツのハーフ、ユルゲン・サットマンは周囲の状況を確認した。トップゾーン内での相手バックスの密度の高さは異常だ。何をやっても無駄に思えてくる。が、視界の隅でミハエル・サイツィンガーがマークを振り切るのを確認し、とりあえずサイツィンガーの進行方向上にパスを出した。パスを受け取ったサイツィンガーの脳裏に監督の言葉が浮かぶ。 「前期は勝ちすぎた……」  サイツィンガー一人に対して二人の相手バックがボールを奪いに来た。素早くボールを叩き、二人のバックの間を通す。バックの一人がそのままサイツィンガーと激突し、二人は壁に向かって漂った。ちらりと外を見るが、そもそも反則になるような激突ではなかったので審判は無関心だ。  もう時間はない。運の良い事に混戦の中ボールを手にしたのは味方のホセ・パゴットだ。サイツィンガーは全力を込めて壁を一蹴りし、ゴール前の高密度な混戦へ飛び込んだ。パゴットはすかさずボールをその前に送り込む。だが、サイツィンガーの伸ばした手がボールに触れる一瞬前、ラインのバックが無理な体勢からボールを足の先で蹴り返した。 「残り時間はあと十五秒、ナイツの激しい攻撃を辛くも防いでいるライン! ゴール前は激しい攻防の連続です!」  こぼれ球に飛び着いたのはナイツのトップの一人、マハ・バイラエンだった。バイラエンは左手を大きく振り、体を回転させた。そのシュートの予備動作を見てラインの選手が三人、ゴールとバイラエンの間に入り込む。バイラエンはかまわずに右手でボールを叩いた。バイラエンの強靭な上半身の筋肉は足場のない無重力空間でも回転によって十分に強力なシュートを生み出す。だが、そのシュートはラインの選手の一人の肩にあたりゴールから逸れる。ジョン・スミスが最も早くそのボールに反応した。手の先でわずかにボールの進行方向を修正する。ボールは再びゴールリングを目指して飛んだ。  ラインZ.C.のガーディアン、ダニエル・ファンバイルはゴールリングに激突するという恐怖にも負けずに、そのボールを取りにゴールの逆サイドへ飛んでいた。彼にはボールより早くゴールリングの端まで届くという確信があった。しかし、彼の競争相手はボールだけではなかったのだ。ファンバイルの大きな手がボールに届くよりわずかに早く、腕が伸びて来てボールを後押ししていた。  点を入れられたという悔しさを外に、ファンバイルはゴールリングとの激突に備え、受け身を取った。だが、予想されたほどの衝撃はやってこなかった。何かがゴールリングとファンバイルの間に挟まって衝撃を和らげたのだ。そしてそれは、最後の最後にファンバイルからゴールを奪ったミハエル・サイツィンガーの腕だった。 「入った、入りました! 混戦の中、最後にボールを押し込んだのはエース、ミハエル・サイツィンガー! ウェートンナイツの連続引き分けに終止符を打ちました。サイツィンガー、大きく両手を挙げます!」 ブルフォードリーグ戦 第十五節 ウェートンナイツ 対 ラインZ.C. 1 − 0 得点者 ナイツ:ミハエル・サイツィンガー (後半二十九分 アシスト:J・スミス)  シーズン中盤、ウェートンナイツは十六チーム中、七位に甘んじていた。成績は三勝二敗十分け。首位のイーバックウェーブスは十一勝三敗一分け。点数にするとナイツが十六点に対してウェーブスは二十三点と実に七点、四勝分近い差がついている。原因はナイツの引き分け試合の多さにあった。前期で圧倒的な強さを誇ったナイツに対し、多くのチームが徹底的な引き分け策に出たのだ。そうしないチームはナイツに対して総力戦を挑むため、結局ナイツは常に全力での戦いを強いられていた。  ミハエル・サイツィンガーはチャールズ・プラトカニス監督のオフィスのドアをノックした。 「どうぞ」  監督は巨大なデスクの上に置かれたディスプレイとにらめっこをしている最中だった。机の上はディスプレイとキーボードの他には何もなく、きれいに片付けられている。サイツィンガーは本棚に眼を転じた。そこには分厚いファイルが十数冊とゼロボールに関するあらゆる本、そして哲学書が数冊あった。 「怪我は?」  監督はディスプレイから眼を離さずに言う。 「右腕の筋を伸ばしてしまったようです。ドクターは二週間試合に出られないと言っています」 「君が怪我してまで取った一点がどうチームに響くのか、私にはまだわからん」 「すみません」 「いや、個人的には称賛すべきプレイだと思っているよ。だが、君の代わりはいないんだ」 「私はそうは思いません」  監督は初めてディスプレイから顔を上げた。 「君が何を言いたいのか、私にはよくわかるよ」 「時間は公式戦と同じ三十分ハーフの六十分。審判は私がやる。作戦等は両チームとも一度は集まって考えるように。では今日は解散」  チャールズ・プラトカニス監督はリーグ戦の中休みにチームを二つに分けて本格的な紅白戦を実施すると宣言した。 「おい、ホセ。多く点数取った方が晩飯おごるってのはどうだ?」  チームのムードメーカー、ジョン・スミスが相棒のホセ・パゴットに向かって陽気に言った。紅白戦ではお互いチームが別だ。 「かまわないが、財布は大丈夫か?」 「だからおごってもらおうと思った訳だ」  ジョン・スミスとホセ・パゴットは試合でコンビを組ませれば天下一品の働きをするが、長身のパゴットと小柄なジョン・スミスとの組合せはいかにも不釣り合いだ。さらに、彫りが深く女性人気も高いパゴットに対しジョン・スミスは頭髪の薄さで有名である。 「言ってろよ、ジョン・スミス。まあ、貸しにしといてやるから安心して負けるがいいさ」 「俺をフルネームで呼ぶな!」  ジョン・スミスは平凡な自分の名前が嫌いだった。 「おい、ハルヒ」  声をかけたのはミハエル・サイツィンガーだった。 「何ですか?」 「アシストでもシュートでもいい。君が得点に絡んだら俺がおごる」 「え?」  ハルヒが驚いている間にサイツィンガーは部屋を出て行った。 「ミハエル、宣戦布告か?」 「別にそう言う訳じゃないですよ」  アンダーソンの問いにサイツィンガーは笑って答えた。  チーム最年長のゲイリー・アンダーソンはプラトカニス監督からキャプテンを任せられている。大柄な彼は鋭い読みと体格を生かしたディフェンスでチームの守りの中心として活躍し、三十半ばとなった今でも衰えを知らない。 「今日、夕食は?」 「いえ、特に予定はありませんが」 「なら、家へこないか?」 「では、お言葉に甘えて」  サイツィンガーとアンダーソンはクラブハウスの外へ出た。 「アンダーソンさんはハルヒ・ニシガイをどう思います?」 「なんて言うか、俺には近寄りがたいな」 「やっぱりそう思いますか」 「お前もか?」 「私、と言うよりみんなそう言うんです」 「実力があって、その上、一番練習するんだからなあ。とてもかなわんよ」 「でも、一年半も同じチームにいるのにハルヒのことを何も知らないような気がするんですよ」 「そうだな……」  アンダーソンは何となく宇宙島の天井を見上げた。淡い夕焼けの空が投影されたそこに向かって何本ものシャフトが吸い込まれるように伸びている。  宇宙島は直径五キロ、長さ二十キロの円筒の中に、もう一つ直径二キロの円筒を入れた様な構造をしている。外側の円筒は回転して一Gの重力を作りだしていて人々の生活の場はそこだ。内側の円筒は回転しておらず、無重力スタジアムや練習場、その他の様々な 「無重力を必要とする」施設がある。外側の円筒には天井があり時間に応じてそこに空が映し出されるのだ。「空」へと伸びているシャフトは無重力区域へ行くためのエレベーターである。  二人はしばらく黙っていた。そして、サイツィンガーが唐突に口を開いた。 「いつもご馳走になってばかりで奥さんに悪いなあ」 「いいって、家の女房も二人の娘もあんたのファンなんだから」 「お帰り、ハルヒ」 「アンヘル、来てたのか」 「ええ、今日は大学が休みだったから。この家もちゃんと掃除しないとおじさんとおばさんがペンライシェンから帰ってくる前に埃に埋もれてしまうわ」 「帰ってくるのは、まだ何年も先の事だろうけどね」  ハルヒの両親は仕事の都合で二年前からペンライシェンヘ行っている。 「夕食、作ってあるわ。材料はハルヒの作った献立を見て買って来たから」 「ありがとう、アンヘルも食べて帰るだろう?」 「ええ、そうするつもり。そういえば、明日は調整日で試合ないんでしょう?」 「ああ。でも、チーム内で紅白戦をやるらしいんだ」 「それ、チャンスなんじゃない?」 「そうだよ、これをきっかけにレギュラー入りできるかもしれない。自信はあるんだ。誰にだって負けやしない……」  アンヘルが夕食を用意している間にハルヒはチームの事を話した。 「夕食おごるって言ったの? 取れるものなら取ってみろって言いたいのかしら?」 「ミハエルさんはそういう挑発をする人じゃないからわからないんだ。それに、腕の怪我もまだ治ってないはずだし」 「でも、やっぱりハルヒを気にしてるのよ」 「チームの人たちはみんな僕になんか無関心だと思ってたけどな」 「レギュラーを取られるのが恐いんじゃない?」 「まさか……」  しばらくの沈黙の後に二人は食事を始めた。 「このスープはいい味だね」 「おばあさんに教わったスープよ」 「なるほどね」 「あ、そうそう。おばあさんから手紙が来てね……」  宇宙島の天井はやがて暗くなり、星を映しだした。宇宙に出ても人間は地球の自転周期に支配されているのだ。  その人工の星空の天井の下のずっと小さな屋根の下で二人の会話は続いた。  ゲームメーカーとは特定のポジションを指す 言葉ではない。それは、選手に与えられる一種 の称号である。各チームに一人はゲームメーカ ーと言われる優秀なハーフの選手がいるが、私 に言わせればそれは違う。本当のゲームメーカ ーとは一つ一つのプレイで試合の流れを変えて しまうような選手のことを言うのだ。過去には マルコ・デクール、ダニエル・チャン。現在な らジャン・ピエール・リックス、ミハエル・サ イツィンガー。そういった選手こそが真のゲー ムメーカーと言える。 ……ドナルド・バイスウェル著 「百年目のゼロボール」より 四章 第二のゲームメーカー  ハルヒ・ニシガイは集合時間より大分早く練習場に着いた。無重力の中、ボールを使ってウォーミングアップを始める。  ハルヒがプロとしてチームに入り、一年半。その間、ハルヒが出場した試合はリーグ戦三試合、プレシーズン戦五試合であわせてたったの八試合しかない。  選手層の厚いウェートンナイツでも十分レギュラーとしてやっていく自信がハルヒにはあった。事実、十代で一軍入りしている選手はハルヒ一人しかいない。しかも、彼はほとんどの試合で控え選手として登録されている。少なくとも監督の眼には留まっているということだ。  では、なぜ試合に出してもらえないのか?  考えれば考えるほどハルヒにはわからなかった。  経験不足だというのか? それとも、プレイスタイルがチームにあわないと判断されたのか?   いくら自問しても当然、答えは出てこない。監督に直接問い正そうと思ったこともあったがそれもためらわれた。何かやらねばと思いながらも何をすれば良いのかわからなかった。結局ハルヒは日々の練習をきちんとこなし、ホームスペースから試合を研究し、そうしているうちに一年が過ぎてしまっていた。  そして今シーズンも半分が過ぎようとしている。  アンヘルの、紅白戦がチャンスという言葉をハルヒは取り合えず肯定したが実際はそれほどのものとは思っていなかった。紅白戦で実力が認められるくらいならとっくに試合で活躍していただろう。  だが、ハルヒにとっては久しぶりの試合だった。  ハルヒは両手両足を使って壁に張りつくような姿勢で止まると手だけを使って体を後ろに泳がせ、再び壁を蹴って飛び上がった。ミハエル・サイツィンガーはそのトリッキーな動きにも惑わされずぴったりとハルヒをマークしている。  サイツィンガーと同じ白いホーム用のユニフォームを来たユルゲン・サットマンが、赤いアウェイのユニフォームを着たハルヒ側のチームのパスをカットした。サイツィンガーはハルヒのマークをやめ、攻撃に加わろうと跳躍する。しかし、そのコース上に割り込んだハルヒと接触してあらぬ方向へ行ってしまう。  紅白戦が始まって二十五分。ハルヒ・ニシガイとミハエル・サイツィンガーは互いをマークし合い、延々と追いかけっこを続けていた。二人ともまだ一度もボールに触っていない。得点は一対一の同点。赤チームはホセ・パゴット、白チームはジョン・スミスの得点だ。  チーム内での試合だが、内容は高レベルになっていた。互いの手の内を知っているため、ちょっとやそっとの攻撃では防御を突き崩す事はできないのだ。  ハルヒとサイツィンガーもまた互いのスタイルを良く知っていた。いくら複雑なフェイントを仕掛けてもやはり完全に相手を振り切る事ができない。  試合開始と同時に先にマークを始めたのはミハエル・サイツィンガーの方だ。前日のサイツィンガーの言葉。完治していない怪我。その二つからハルヒはそれを予測していた。  ゼロボールのルールではボールをつかんだり、足や腕などの体の一部で挟んではいけないことになっている。ボールを「キープする」というのはボールとの相対速度をゼロにして手足の届く範囲に浮かせておくことを言う。また、パスやシュートなどをする時はキープしたボールを自分の蹴りやすい、または叩きやすい位置に持ってこなければならない。いずれの動作も周囲に人がいるだけでやりにくくなる。逆に言えば、たとえ手に怪我をしていてもそばにぴったり付いているだけで相手を行動不能にすることもできるのだ。  ハルヒはサイツィンガーを振り切る事にはこだわらず、サイツィンガーを攻撃に転じさせない戦術を取った。  こうして、白熱する紅白戦とは別に高次元のマーク合戦が始まったのである。    やがて、試合は後半戦へ突入した。  ハルヒ・ニシガイはこの無重力空間での鬼ごっこが楽しくなっていた。自分がサイツィンガーに付き合っ てこんなことをやっているのか、サイツィンガーが自分に付き合っているのかはわからない。どちらかがやめようと思えばこの勝負は終わる。  自分の動きに、相手がどう対応するか。マークしている相手がどうやって自分を振り切ろうとするか。互いの先を読み合って飛び、あるいは止まり。飛ぶと見せかけて止まり、止まると見せかけて飛ぶ。ゼロボールはそこから始まるのだ。 「今期に入って一番いい試合をしているよ、彼らは」  チャールズ・プラトカニス監督はコーチ陣に向かって言った。 「今期、チームは不調だった。と、言うより去年が好調すぎたんだ。彼らは去年の感覚が残っているし相手チームもこちらが去年のレベルだと思って全力でやっているから、なかなか勝てない。加えて前期優勝というプレッシャーはかかるし、引き分け策でまともに試合をさせてもらえなければストレスもたまる。この試合で好き勝手やって発散してもらわなければな……。ジョン・スミス! ホールディングだ!」  監督は手元のブザーを押した。試合が中断され、選手たちが皆、壁で止まる。右手でボールをつかんでしまったジョン・スミスの反則だ。プレイは反則があった場所から一番近い壁に止まった選手がボールを送り出して再開される。送り出したボールをハーフゾーンで受け取ったのは赤チーム側のディフェンスの要であるゲイリー・アンダーソンだった。  残り時間が三分となった今、最後の攻撃を厚くするために出てきたのだ。当然、白チームはカウンターを狙う。アンダーソンは力任せにボールを叩いた。ボールは一直線にゴールへ飛んだが、すかさずバックのアル・アサドがブロックする。しかし、ボールの勢いが強く、キープし損ねてしまった。こぼれ球にホセ・パゴットが飛び込むがこの動きを察知したガーディアン、マ・ヨントーがゴールリングを蹴って跳躍し、その勢いで大きくボールを蹴り出す。白チームのバックゾーンを抜けたボールはハルヒとサイツィンガーの元へ飛んだ。サイツィンガーにはクリアボールの軌道を予測することはできなかった。運悪く、ハルヒを挟んで反対の位置にサイツィンガーはいたのだ。  ハルヒはとっさに靴の裏でボールを止め、間髪入れずにそれを蹴った。だれもがシュートミスだと思ったそのボールは一度壁に跳ね返り、シュートを打った体勢のままのアンダーソンヘ届く。あとは、アンダーソンが無人となったゴールにボールを押し込むだけだった。 「みんな、今日の紅白戦を忘れるな。気楽にやればいいんだ。そして勝て! 幸い、上位チームは団子状態だ。残り十五戦、十勝すれば優勝圏内に入る。だが、けちなことは言うな。十五勝を狙おう。おそらく、ほとんどのチームは前半十五戦の勝てないナイツをイメージして来るだろう。そこが付け目だ。まあ、今日の所は帰ってゆっくり休んでくれ。みんな今日はかなり無茶したからな。では解散!」  監督の話が終わると選手たちはぞろぞろと部屋を出て行った。 「おい、ハルヒ。夕食おごるって言ったろ」  サイツィンガーがハルヒを呼び止める。 「あ、すみません。すっかり忘れてました」 「歩きなのか?」 「ええ、家が近いんで」 「地元出身って聞いてたけど、そこまで近いとは知らなかったな。乗れよ。マークス・ストリートに肉料理のうまい店があるんだ」  サイツィンガーはスポーツタイプの電動車のドアを開けた。 「僕は、なんで試合に出してもらえないのかわかったような気がします……」  ハルヒは後ろに流れていく町の景色を見ながら言った。 「なんでだ?」 「今日の試合、僕が今までやったどの試合よりも楽しかったです」 「ああ、俺も楽しませてもらったよ」 「ゼロボールが楽しいというのをしばらく忘れていたような気がします。僕は、勘違いをしていたんです」 「勘違い?」 「ええ、ゼロボールを芸術か何かのように高尚なものだと」 「勘違いでもないと思うがな。ゼロボールにそういうものを求める人はいくらでもいるさ」 「いえ、僕のような新人がそんなことを考えるのは早すぎるんです」 「それで、なんで試合に出してもらえなくなるんだ?」 「その思い上りが、自分勝手なプレイにつながってるんじゃないかと……」  突然、サイツィンガーはハンドルを握ったまま笑いだした。 「なあ、ハルヒ。それこそ勘違いってやつだよ」  サイツィンガーは一息ついて続けた。 「良くも悪くも、君ほど内面がプレイに表れない人間はいないよ。いつも一定で浮き沈みがない。大ベテランの選手にだってそんな境地にたどり付ける人間は滅多にいないさ。ジョン・スミスがよく言ってるよ。奴はロボットかって……。 「ここからは監督に言われたことなんだがな、ハルヒ。新人だからって何も遠慮をすることはないんだ。プロだからって無理に大人になる必要はないんだ。いつもいつもそんなに張りつめていたら疲れちまうよ。今日の紅白戦みたいに気楽にいこうぜ」 「監督がそう言ったんですか……」  ハルヒはため息をついた。 「僕は憧れだったウェートンナイツに入って、プロのゼロボール選手になって、誰にも負けるかって思いながらやってきました。新人だからって馬鹿にされないように、弱音をはかないようにずっと……。 「だから、チームの輪に入っていけなかったのかも知れません。僕は弱い人間なんだって思われたくなかった……。でも、自分のことを隠そうとする人間は人から避けられてしまうんですね……」 「なあ、ハルヒ。お前のせいばかりじゃないさ。俺達も君を避けていたかもしれない。突然すごい新人が入ってきて、新人なのにいつも冷静で……。俺達も君が恐かったのかもしれない。新人に負けたくないと思っていたのかもしれない。だから、俺達は君に対して見て見ぬふりのような事をしていたんだろう」  うつむいていたハルヒが突然、顔を上げた。 「ミハエルさん」 「なんだ?」 「僕はこれからどうすれば良いんでしょう」 「とりあえず、次の試合に出てくれよ」 「試合に?」 「ああ、君には実力がある。本来ならレギュラークラスの実力だと俺は思う。監督は君がチームのみんなとうまくいかないんだと思って試合に出さなかったんだ。ゼロボールは人間同士でやるものだから、能力以外の要素も重要だというのがあの人の持論だからね。でも、わかったんだよ。一年半もかかったけど監督はどうにか君という人間を把握したんだ。結局、君と俺達との間に些細な行き違いがあっただけなんだ」 「その前に、他の方々にも僕を知ってもらわなくちゃいけないですね」 「まあ、そう深く考えるなよ。自然にやればいいんだ」  ブルフォード・ゼロボールリーグ第十六節はウェートンナイツが地元、ナイツ無重力スタジアムに現在一位のカラックウェーブスを迎えて行なわれた。 「……ハーフ、ユルゲン・サットマン。背番号十八、リーグ山場を迎えついに舞台に現れました。この重要な試合で、ミハエル・サイツィンガーの代わりを務めますのはウェートンナイツ第二のゲームメーカー、ハルヒ・ニシガイ!」 ブルフォードリーグ第十六節 ウェートンナイツ 対 カラックウェーブス 3 − 0 得点者 ナイツ:アル・アサド (前半二分 アシスト:H・ニシガイ) ナイツ:ホセ・パゴット (後半十五分 アシスト:H・ニシガイ) ナイツ:ジョン・スミス (後半十八分 アシスト:H・ニシガイ) ---  地域のリーグから代表選手を選りすぐり、選 抜チームを作ってトーナメント戦を行なうユニ ヴァーサルカップが今年、初めて開催される。 開催地はゼロボール発祥の地ニューハイラン ド選手権を三年連続で制したウェートンナイツ の地元、ブルフォードである。 全百三十チームのうち予選を勝ち抜いた十六 の地域の代表チームが本当の世界一を賭けて戦 うのである。   優勝候補の筆頭はなんといってもブルフォー ド代表チームであろう。世界で一、二を争う実 力を持つゲームメーカー、ミハエル・サイツィ ンガーとハルヒ・ニシガイ。この二人を中心と   し、名将アンダーソン監督が率いるチームなの だからそれも当然の事だ。 ……「ワールド・ゼロボール」誌より 終章   ハルヒ・ニシガイは客席のなかにアンヘル・リヤーの姿を探した。三万人の観客を収容するこのスタジアムでその姿を見つけるのは不可能に等しい。 「みんな、気楽にいこう!」  ミハエル・サイツィンガーがヘッドギアのバイザーを上げて叫んだ。チームのほぼ全員が手を挙げて答える中、ハルヒの反応が一瞬遅れた。  見つけたのだ。  選手たちが自分のポジションの壁につき息をひそめる。試合開始を告げる電子音が鳴った。最初にボールが回ってくるのはいつもハルヒの所だ。ハルヒは一度ボールを止めて辺りを見回した。  そして、相手の選手をぎりぎりまで引き付け、大きく前方にパスを出す。  そしてハルヒは残り時間五十九分四十八秒へ向けて、壁を蹴り、空間へと飛び出していった。                      終わり